○○19『自然と人間の歴史・日本篇』石器時代(人骨から見えるもの)

2018-05-28 09:13:23 | Weblog

19『自然と人間の歴史・日本篇』石器時代(人骨から見えるもの)

 2016年6月30日、沖縄県立埋蔵文化財センターや国立科学博物館などのチームが、沖縄県石垣市の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡から、十数体の旧石器時代の人骨の調査結果を発表した。同遺跡は、遺跡は新石垣空港敷地内にあり、2008年に初めて2万年以上前の旧石器時代とおぼしき骨が見つかり、2012年から発掘調査が継続されてきた。7月に調査が終わるのを前に研究者らを対象に見学会を開き、発掘作業の全体像が明らかになった。
 旧石器時代の全身骨格の出土は、沖縄本島・八重瀬町の港川フィッシャー遺跡での出土以来2例目となる。旧石器時代の人骨は全体で計約1000点出土したとのこと。見つかった人骨の中には、ほぼ全身の人骨を含め、体の部位の位置関係を保ったままのもの、つまりほぼ全身の骨格をそろえた1体分が見つかったというのだ。この全身骨格の人骨は、約2万4000〜2万年前(放射性炭素年代)の地層にあった岩陰の奥で見つかったとされる。これが事実なら、これまでの縄文時代という時代区分の前にあった、旧石器時代の人間のあり方を明らかにしていく手掛かりになるのではないか。なお、暮らしに使われる石器などの道具はなく、洞穴が墓だった可能性も考えられている。
 とはいうものの、縄文期の黎明期全体を列島の後期旧石器時代(この列島では約4万年から1万2000年前と見られる)として一色塗りすることには、異論もある。というのも、西洋流に「農耕・牧畜」を新石器時代の定義として狭くとるなら、縄文時代というのは新石器時代に達していない。ところが、その縄文時代の後期においては、弓矢で放つ鏃を削り出すような、旧石器時代にはなかったやや込み入った石器も一部使用されていたことが、最近の発掘で徐々に明らかになってきた。もともと縄文期というのは、土器の紋様の独特さにちなんだ時代区分であった。

(続く)

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