56『自然と人間の歴史・世界篇』世界文明の曙(旧約聖書の「出エジプト記」)
たまには覗いてみる「旧約聖書」には、「出エジプト記」という下りがある。この部分は、いわゆる伝承に多くを依存するのだが、そこでの主人公はモーセと呼ばれる。彼は、神との間でなかなかの体験をし、それをイスラエルの民に説いて聞かせ、神の意に従う行動をさせる役割を担う。
そもそもの話はどのあたりにあったのだろうか。そこで巷の歴史書を少し紐解くとしよう。すでに紀元前14世紀頃、パレスティナ(パレスチナ)あたりには、ヤコブ一族(イスラエル)の民が、ヨルダン川を越えて侵入していた。先住のカナン人を制圧し、沢山の部族国家を形成していた。
ところが、その別派の人々はこの地に止まらず、より豊かな土地を求めてエジプトへと向かうのであった。そして到達した彼の地では、しばらくそれなりの生活をしていたのであろうが、詳しいことはわからない。
そこで「出エジプト記」を読み進めていくと、イスラエルの人々はファラオの抑圧を受けて、国外に脱出をしようと思い詰めるようになる。異民族ということから、いじめなどもあったらしい。彼等の指導者モーセは、ファラオに対し、ユダヤの民を連れてカナンの地に戻るのを承諾してもらう。そして、ついに行動を起こす。
その時期については諸説あるも、ここではひとまずラメセス2世(在位は紀元前1304年頃~同1237年頃)の統治下のことであったとしておこう。妻子を含めたユダヤの民の総数は、伝承ではかなりの人数であったらしい。
しかし、彼らが紅海へと出て、まさに対岸に渡ろうとしていた時、翻意したファラオの軍隊が渡航を阻止するため追ってくるではないか。「このままでは囚われの身となってしまう」ということであったろうか、モーセ(モーゼ)らは意を決して前進あるのみの行動に出るや、なんと海がまっぷたつに割れて海に道ができるのであった。その海は、エジプトの軍隊をのみこんでしまう。
その後の彼らは、シナイ半島を放浪の末、やがてパレスティナの故郷にたどりつき、懐かしき同朋たちに合流することができたのだという。
この聖書伝承上の「出エジプト記」のもつ歴史上の意義につき、歴史学者の富村傳氏の著作には、こうある。
「物語の中では、モーゼは、しいたげられたイスラエル人を救う偉大な予言者であり、ファラオは、悪の張本人ということになっている。しかし、エジプト人の側からすれば、何のことわりもなく異民族が国内に入り込み、はびこるだけでも迷惑であった上に、さらに彼らの中からモーゼのような指導者があらわれ、随意気ままに国内を歩きまわって、扇動的な行動をとったとすれば、ファラオならずとも腹にすえかねたであろう。何らかの抑圧手段がせられて当然である。」(富村傳「文明のあけぼの」講談社現代新書、1973)
(続く)
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