♦️593『自然と人間の歴史・世界篇』アメリカの公民権運動(196~41970)

2017-09-17 23:21:05 | Weblog

♦593『自然と人間の歴史・世界篇』アメリカの公民権運動(196~41970)

 1964年2月、公民権法が下院で採決された。賛成290対反対130で可決された。続く6月の上院では賛成73対反対27で可決、これを受けて同7月にはジヨンソン大統領が署名して成立した。
 その主な内容は、人頭税や、投票を阻む税がらみの障壁を憲法違反とする憲法修正第24条の採択を必要とするものであった。同条項は、「非納税者の投票権を禁止または制約する法律を禁止」するもので、具体的には「合衆国市民の投票権を、人頭税その他の税金を支払っていないことを理由にして奪い、または制限してはならない」(shall not be denied or abridged by the United States or any State by reason og failure to pay any poll tax or other tax)というものである。
 公民権法の第2章では、「ガソリンスタンド、レストラン、下宿屋、州際通商を行っているすべての公共宿泊施設、それに娯楽施設や展覧会を誰でも自由に利用できる」と定めてある。第4章では、「連邦準備銀行預金の受け入れプログラムにおける人種差別の禁止」。第7章になると、「いかなる雇用差別も禁じ、平等な雇用機会委員会の設置を求める」ことになる。同法ではまた、司法長官や公民権委員会の権限が随所において強められた。
 1964年3月16日、ジョンソン大統領(民主党)が議会で演説し、「われわれの歴史において初めて貧困を克服することが可能となりました」と述べる。1965年には、投票権法がつくられる。この中で、地方政府職員がアフリカ系米国人の選挙登録を妨げた場合には、連邦政府が登録を行う権限が認められる。この効果により1968年までには、深南部で100万人のアフリカ系米国人が選挙登録をした。
 1965年、米国高齢者法(Older Americans Act: OAA)がつくられる。この法律により、60歳以上の高齢者及び高齢者の介護者は、政府による主に次のようなサービスの提供を受けてことができるようになる。①家庭やコミュニティーでの長期介護サービス:高齢・障害リソースセンター等、②栄養サービス:食事、カウンセリング等、③介護者に対するサービス:支援、訓練等、③健康のための予防サービス:啓発、生活習慣の改善等、⑤高齢者の権利擁護サービス:法的サービス等、⑥アルツハイマー病に係るサービス:在宅介護等、などである。
 1965年の移民法(ケネディ=ジョンソン法)は、移民受入総数を29万人に設定する。人数の内訳をヨーロッパ、アジア、アフリカから17万人(各国上限2万人)、南北アメリカ大陸から12万人(国別の上限なし)と定める。また、この改正移民法は米国市民の親族の優先的受入として移民により離散した家族の呼寄せ枠と、特定の職能を持つ人を採用する雇用枠の確保という2大優先カテゴリーを移民受け入れの基本的な枠組みとした。
 1966年、モデル都市及び大都市法は1964年の公共輸送法を補うために制定された。これは、「スラム街の一掃、都市の交通と景観の改善、公園をはじめとする都市施設の緑化に資金を支出し、まず6都市で実施、最終的には150都市に広げるのが立法目的である。
 1968年につくられた包括住宅法は、住宅差別を禁止する法律である。「60億ドルを貧困および中所得所帯向け住宅の建設と賃貸料補助手当の導入に支出する」ことを定める。同年の住宅都市開発法ではこれが拡充される。
 1968年の選挙において、8人の黒人代議士が誕生する。2年後の1970年の選挙では南部からの2人を含む13人の黒人が当選を果たす。その一人である黒人女性初の女性代議士シャーリー・チザム(Shirley Chisholm)は1969年の“The Business of America Is War”の中で、次のように述べて、レアード国防長官があと2年ベトナムに軍を駐留させる方針を述べたことに対する反論を展開する。
 “We are now spending eighty billion dollars a year on defence -that is two thirds of every tax dollar.At this time,gentlemen,the business of America is war,and it is time for a change.”
「私たちは年間で800億ドルを国防費に費やしています。これは、税収の3分の2に当たります。いまこのとき、皆さん、アメリカのビジネスは仕事であり、そのことを変えるときなのです。」
 彼女はまたこの演説の中で、1960年代に起きた人種暴動の原因を調査したカーナー委員会の報告に触れ、アメリカ社会の深層をえぐる指摘もしている。
 “When the Kerner Commission told white America what black America had always known, that prejudice and hatred built the nation's slums, maintain them and profit by them,white America would not believe it.”
「カーナー委員会は白人に対し、黒人にとっては自明のことであったが、次のように言いました。偏見と憎悪がスラムを作り、維持し、そして彼らに利益をもたらすのだということを。しかし白人のアメリカ人はそのことを認めようとはしませんでした。」
 1968年8月28日、「仕事と自由のためのワシントン行進」には多くの人々が集まりました。キング牧師がリンカーン記念堂前での集会において、「わたしには夢がある」演説を行いました。その中で、彼はつぎのように訴えています。(上岡伸雄編著「名演説で学ぶアメリカの歴史」研究社、2006などより引用)
“I say to you today,my friends,that in spite of the difficulties and frustrations of the moment I still have a dream. It is a dream deeply rooted in the American dream. I have a dream that one day this nation will rise uo and live out the true meaning of its creed:“We hold these truths to be
self-evident;that all men are created equal.”
 この彼の演説は、当時の人権とベトナム戦争で末期的な状況にある現実をアメリカの人々に認識させるまたとない機会となった。

(続く)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


コメントを投稿