◻️160『岡山の今昔』岡山人(17世紀、堀内三郎右衛門)

2019-04-30 21:36:34 | Weblog

160『岡山(備前、備中、美作)の今昔』岡山人(17世紀、堀内三郎右衛門) 

 かくも果敢に闘われた元禄一揆(高倉騒動ともいう)の結末としては、百姓たちが強訴を解いて退散したところへ約束を撤回し、最後まで農民に味方した大庄屋の堀内三郎右衛門(四郎右衛門の兄)を含め、一揆の首謀者を捉える挙に出る。翌1699年4月26日(元禄12年3月27日)、四郎右衛門ら8人は死刑に処せられ、事件は収束に向かう。

 そして、高倉村大庄屋にして働く者の側に立った三郎右衛門については、弟2人に加え、「世倅平右衛門」に対しても死罪が申し渡された、「むごい」というしかない冷酷極まる仕置きであった。想えばこの時期、すでに同藩には、民をいたわる、これと言えるほどの人物はいなかったものとみえる。

 その後については、しだいに「苔むして」といおうか、表面からの民衆運動はみられなくなる。しかしなお、額に汗して働く人々により、怯むことなくその勇気が語り継がれていく。

 なお、高倉神社(下高倉)本殿の脇には、かかる堀内三郎右衛門の妻の傳が、残った二子の無事成長を祈願した一対の石灯籠が立っているとのことだ。


(続く)

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