○○465『自然と人間の歴史・日本篇』1990年代の政界再編

2016-09-16 11:44:56 | Weblog

465『自然と人間の歴史・日本篇』1990年代の政界再編

 政治面では、92年10月に金丸信氏が東京佐川急便事件の責任をとって議員辞職、竹下派会長も辞任、後任に小渕恵三氏が就任しました。
「天下、国家のために働いている」と公言してはばからなかった彼が、後に自宅で75キログラムの金塊を抱いていたことが判明したように、長らく権力の中枢にある人が一皮剥けば実はカネまみれであったことは、驚きでありました。
 92年12月になると竹下派が分裂、小沢一郎、羽田両氏らが羽田派を結成、小渕派は党内台4派閥に転落します。政局は麻のごとくに乱れて変動がやまず、93年6月内閣不信任案に自民党の小沢・羽田グループが合流して可決しました。衆議院は解散し、小沢・羽田グループは新生党を結成しました。
 93年8月には細川・非自民党内閣が成立しました。新保守三党を含む七党一会派による連立政権という寄り合い所帯の誕生でした。
 その後の94年4月の羽田内閣を経て、翌94年6月には今度は自民党も賛成して自社さまがけ連立の村山社会党首班の内閣が発足します。社会党は衆議院で74議席を占めていました。自民党は在野に下り、主流派は経世会を平成政治研究会に改称、返り咲きの機を窺っていました。
 一方、94年12月には新進党が結成され、海部党首、小沢幹事長に就任しました。この間に民主主義に逆行する小選挙区制が創設されるとともに、貧富の差をさらに広げる年金改悪や消費税増税が行われました。社会党はこの両方の政治課題に労働者と勤労国民の代表の立場を貫けず、このころから「現実色」を強めてしだいに体制内勢力の一部へと組み込まれていきました。
 政治改革関連法のうち、小選挙区比例代表並立制の導入に伴ういわゆる区割り法が94年11月21日に可決成立、同25日の公布、それからすでに成立を見ていた他の関連法とともに1か月の周知期間を経て94年12月25日に施行されました。これ以後公示される衆議院総選挙に際しては、1917年(大正14年)以来続いてきたいわゆる中選挙区制から小選挙区制に選挙制度ががらりと変わったのです。
 これによると、投票方法も記号式二票式になり、勤労国民と選挙の現場にとまどいが生まれました。また同時に、95年1月1日から改正政治資金規制法と政党助成法が施行されました。これで、「企業、労働組合等の団体の寄付が大幅に制限されるとともに、政治資金は政党が中心になって集めるようにして透明性を高め、同時に法人格を有する政党に対しては国から交付金が公布されるようになります。」(総理府広報室「家庭版、今週の日本、94年12月19日付け」)。選挙にカネがかかりすぎる、という反省から導入したと推進勢力によって自認されるこの制度は、政治資金規制法、政党助成法と法人格付与法、公職選挙法等に跨ったはば広型の対応を私たちに求めているのではないでしょうか。
 その不当性は、一口にいうならば民主主義の否定であり、なかんづく少数勢力が多数勢力になっていくことを拒もうとすることにほかなりません。

(続く)

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