◻️261の5『岡山の今昔』岡山人(20世紀、滝川幸辰)

2021-02-14 21:09:39 | Weblog
261の5『岡山の今昔』岡山人(20世紀、滝川幸辰)

 滝川幸辰(たきかわゆきとき、1891~1962)は、教育家にして、刑法学者だ。日本刑法学会の初代理事長をつとめた。
 岡山の生まれ。1915年に、京都帝国大学独法科を卒業する。学問優秀にて、そのまま大学に残って研究生活に入る。1918年同大学助教授に、1924年には教授となる。
 おりしも、日本はファシズムにのめり込み始めていた。やがての1932年には、満州事変というように、世の中がガラリと変わっていく。
 そして迎えた1933年、その学びの殿堂にいる滝川を標的にした事件が起こる。
 滝川の著書の一つである「刑法読本」や講演内容がの思想的な偏りなどが問題視され、文部大臣の鳩山一郎から辞職要求が出されたのだ(その次には、休職処分に切り替えられたという)。

 それたるや、本人やその同僚たち、ひいては大学当局にとっては予想だにしないような出来事であったろう。さらにいうと、当時、治安維持法改悪の動きがあり、これに反対するようなあらゆる動きを阻止する話になっていた。

 当時の京大法学部の中には、自由主義分子が沢山いたのだろう。これは、学問の自由に対する公権力による弾圧にほかならない。そこで、これを守る見地からこれに反対する学者も多かった。

 しかし、結局は、政府の力に押切られた形となった。これがいわゆる滝川事件である。
 
 その後の滝川だが、第2次世界大戦後に京都大学に復帰する。そして、法学部長を1950年までつとめる。
 その学風としては、刑法における客観主義を徹底した。代表的な著書としては、前述の「刑法読本」(1932) や「犯罪論序説」 (1938) などがある。
 また、このほかに多くの随筆集があるというのだが。


(続く)


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○336『日本の歴史と日本人』滝川事件(1933)

2021-02-14 21:08:04 | Weblog
336『日本の歴史と日本人』滝川事件(1933)


 文部大臣鳩山一郎は、1933年4月 22日、京都帝国大学総長に対し滝川に辞職勧告を行うよう命じたのに続き、5月26日には滝川を休職処分にする。
 これに対して、学問の自由は譲れないとの議論が沸騰する、そして、同日中には、佐々木惣一、末川博、恒藤恭をはじめとする京大法学部の全教官は、大学の自治を侵害するものとして抗議のため辞表を提出するのであった。

 それというのも、当時の帝国大学というのは、厳めしさはあるものの、大学自治を基本に自由主義的な雰囲気も醸成されていたようで、とりわけ京都は政治の中央からかなり離れている関係であろうか、日本政治の右寄り化の中でも反骨精神というか、そんな気概を保持していたようなのだ。
 ついでに、この学問の府のそもそもとは、大阪の舎密局(せいみきょく、「舎密」とはオランダ語で「化学」の意味)といって明治政府が、幕府の洋書調所をこの地(現在の大阪市東区)に移した。その後には大阪府に所管を移す。
 1869年(明治2年)には、オランダ人の軍医ハラマタを教頭に迎え、理化学系の学舎として開校を果たす。
 翌年には、理学所として改称を行うも、ついで洋学校と合併して開成所となり、その後も第一番中学校、外国語学校、英語学校などと変遷して、第三高等中学校と成り変わる。
 そして迎えた1889年(明治22年)には、京都に遺伝子治療し、第三高等学校、その後改称して京都帝国大学(現在の京都大学)となって落ち着く。

 話をもどそう。それでも、文部省は、弾圧をやめない、「楯突くもの」に対して、さらに過激な処分へと発展していく。7月 10日には、滝川、佐々木、宮本英雄、森口繁治、末川らの6人の教授、同25日恒藤、田村徳治の2教授のみをそれぞれ免官としたという。また、滝川の「刑法読本」は、同9月5日発禁となる。

 それでは、滝川の何が問題視されたのだろうか。それについては、具体的には、「刑法総論」と「刑法各論」において、罪刑法定主義を貫く立場と、犯罪の根源は社会にあるという自由主義思想を結びつけた刑法理論を主張した。

 このうち罪刑法定主義というのは、近代刑法の習いにて、罪とそれに対応する刑罰について、あらかじめ明文でもって定めておく。なので、施政者の側が勝手に罪を被せるようなやり方はしないという訳だ。また、後者の社会の中でその意義なりを考えるのは、刑罰制度の真の狙いとは、社会を反映するとともに、社会を良くすることと手を携えて進むべきものという姿勢をもって行うべきなのだろう。

 また、1932年に中央大学における「トルストイの「復活」に現れた刑罰思想」と題する講演などについても、同様に危険思想を社会にもたらすものとして、断罪するに値するというのであった。


(続く)


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