♦️387『自然と人間の歴史・世界篇』ケインズとその時代(20世紀の前半の世界経済)

2021-02-12 19:48:22 | Weblog
387『自然と人間の歴史・世界篇』ケインズとその時代(20世紀の前半の世界経済)


 ジョン・メイナード・ケインズ(1883~1946)は、イギリスの経済学者、今も私たちの暮らしになくてはならない経済学の一分野を切り開いたのて、広くしられる。今日の複雑化していっている経済学の、一つの再出発点となっているのではないだろうか。

 ケンブリッジ大学で主に数学を学ぶ。1911年に、「エコノミック・ジャーナル」の編集者とる。 1915年にはらイギリスの大蔵省に入る。

 第一次大戦後のヴェルサイユ条約の講和会議にイギリス大蔵省代表として出席する。この会議では、フランスがドイツの賠償を引き出そうと頑固な態度に終始する、その中でイギリスは、ドイツへの賠償請求にはそもそも反対であった。

 1922年には、ケインズは、講和条約を批判する「平和の経済的帰結」を公刊した。その後、 だんだんに金融・通貨問題に関心を持つようになっていく。1930年には、「貨幣論」を公刊する。

 1929年にはじまった世界恐慌の中では、同年10月24日ニューヨークのウォール街で起きた株の大暴落が引き金となった。そして、前代未聞の世界大恐慌に発展していく。

 このとき、アメリカの富は半減し、失業率は約24%にも達した。 また、イギリスでは工業生産高が約30%低下し、失業率(1930~35年平均)は約18.5%にもおよんだ。

 各国は、保護貿易主義をとり、欧米を中心としたブロック経済をもたらし、その中で、 ドイツやイタリア、それに日本でファシズムへの傾向を強めていくことになる 。1931年には、日本が満州事変を、1933年にはドイツのナチス独裁が成立する。

 イギリスでのケインズは、どうであつたか。彼は、緊縮財政を行うマクドナルド内閣を批判していく。 当時の主流派経済学にたつピグーの雇用理論に反対する。

 しかして、これは、1936年には、主著「雇用・利子および貨幣の一般理論」 (通称「一般理論」)を発表する。

 第二次大戦後は、IMF(国際通貨基金)設立会議をはじめとした国際通貨体制の構築にも活躍する。

 それでは、ケインズは、これらにどのような立場で臨もうとしたのだろうか。それを窺わせるものに、「戦争の経済的原因」についての見解を、きる一般理論の段階で、それなりに述べているのでは、ないだろうか。それには、例えば、こうある。


 「私は前章において、自由放任主義の国内体制と19世紀後半において正統的なものであったような国際金本位のもとにおいては、政府にとって国内における経済的な苦悩を軽減する途(みち)は市場獲得競争による以外にはなかった、ということを指摘した。なぜなれば、慢性的あるいは間欠的な過小雇用の状態を救助すべき方策は、貿易差額を所得勘定において改善する方策以外には、すべて無効に帰したからである。


 かくして、経済的者たちは現在行われている国際経済体制を、国際分業の利益をもたらすと同時に各国の利益を調和させるものとして、賞賛するのを常としたのであるが、実はここには好ましからざる作用をもたらす力か潜在しているのである。」(ケインズ著、塩野谷祐一訳「雇用・利子および貨幣の一般理論」
東洋経済新報社、1941によるものから、「一般理論」第六篇「一般理論の示唆に関する若干の覚書」)

 続けて、こうある。

 「富裕な古い国にして市場獲得のための闘争を閑却(かんきゃく)したならば、その繁栄は衰退するに至るであろうと信じていた政治家たちは、常識と事態の真の推移に関する正しい理解とをもって行動していたわけである。


 しかし、もし諸国民にして国内政策によって完全雇用を実現しうることを学びうるならば(そしてまた、もし彼等がその人口すう勢においても均衡に達しうるならばーーとわれわれは附言しなければならない)、一国の利益を隣国の利益と対立関係におくものと予想されるような重要な経済助力は不必要となる。


 妥当な条件での国際分業も国際的貸付も依然その成立の余地をもつであろう。しかし、一国が他国から買おうと欲するものの支払いの必要からではなく、貿易差額を自国に有利に転化させるように国際収支の均衡をくつがえそうとする明白な目的をもって、自国製品を他国に強要したり、隣国の売込みを撃退しなければならない差し迫った動機はもはや存在しなくなるであろう。」(同)

 さらに、こういう。
 「国際貿易は現在見られるような状態、すなわち、外国市場への販売に極力努めながら購入はこれを制限することによって国内における雇用の維持を図ろうとする必死の術策ーーそれは、もし成功したとしても、ただ失業問題を、闘争にまき込まれた隣国へ転嫁するに過ぎないであろうーーであるという状態を止めて、相互利益の条件のもとに財貨および用役を喜んで、しかも妨害されることなく交換するものとなるであろう。」(同)


 そしては、こう慨嘆している。

 「これらの観念の実現は架空的な希望であろうか。それらは果たして政治的社会の発展を支配する諸動機のうちに不十分な根底しかもたないものであろうか。それらによって阻害される利益は、それらによって増進される利益よりも強くかつ明白なものであろうか。」(同)


 



(続く)

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