♦️343の4『自然と人間の歴史・世界篇』ロンドン株式取引所(1901年時点での状況)  

2021-02-01 21:47:55 | Weblog
343の4『自然と人間の歴史・世界篇』ロンドン株式取引所(1901年時点での状況)
 
 顧みるに、その頃の資本主義の最先端としてのロンドン株式取引所(現在のロンドン証券取引所( London Stock Exchange, LSEの最初の形態)は、1801年に設立された。所在は、シティ・オブ・ロンドンのセント・ポール大聖堂に近い、パターノスタースクエア。

 この組織は、その後、大英帝国の世界覇権への道と平行して発展していく。

 それの主な機能としては、国内外の資金を集め、それを様々な金融商品に結びつけ、もってイギリスを中心とした資本主義の利便を図ることである。

 では、どのような運営が行われていたのかというと、その場で取引できるのは会員に限られていて、一つはジョッパー、もう一つはブローカーといった。
 ジョッパーというのは、自己の計算で取引所内部でのみ売買取引を行う。相場付けを行うことが期待される。それというのは、彼らの取引相手は、後にみるブローカーまたは他のジョッパーに限られていて、外部の投資家との直接取引は禁止となっていた。
 これに対し、もう一方のブローカーは、取引所内のジョッパーとその外部の投資家大衆との間を取り持つ、すなわち、投資家から売り買いの注文をとり、市場での売買を行うということで、両者の媒介を任務としていた。
 なお、それから大いなる時が経過しての2007年以降の同所の運営は、ロンドン証券取引所グループ(LSE: LSE)が行っている。

 そして迎えた1913年12月31日でのロンドン株式取引所の有価証券の額及び構成が、現代に伝わっている(数字の引用は、生川栄治「イギリス金融資本の成立」有斐閣、1956)

 それによると、同時点での有価証券高の総額約112億6246万ポンドのうちで、公債として総額は約50億3613万ポンドにして、一番の大きさの有価証券であり、その内訳はイギリス国債・地方債が約12億9011万ポンド、植民地債が約5億3591万ポンド、それに外債として約32億1010万ポンドとなっていた。
 次にくるのか鉄道関係であり、こちらの総額約41億4785万ポンドの有価証券があり、その内訳は鉄道株式と社債(連合王国)が約12億1734万ポンド、インドおよびイギリス属領向けの鉄道関係に約4億6478万ポンド、アメリカ鉄道向けの株式と社債に約17億2961万ポンドが、さらにそれら以外の外国鉄道向けとして約7億3613万ポンドが用立てられていた。
 さらに、一般産業の部門で、総額にして20億7848万ポンドの有価証券がある。こちらの内訳でいうと、出回っている有価証券の多いものから商工業等に4億3863万ポンド、鉄と石炭と銅の資源関係において3億2976万ポンドが、その次には銀行・割引会社の分ということで2億9438万ポンドが割り当てられていたとのこと。


(続く)

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