○○407『自然と人間の歴史・日本篇』日中国交正常化(1972)

2016-09-16 16:56:59 | Weblog

407『自然と人間の歴史・日本篇』日中国交正常化(1972)

 1972年9月、日中平和友好条約が締結され、また日中共同声明が発表され、日中国交正常化が実現されました。
 同条約は、次のとおり。
 「日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約
 日本国及び中華人民共和国は、千九百七十二年九月二十九日に北京で日本国政府及び中華人民共和国政府が共同声明を発出して以来、両国政府及び両国民の間の友好関係が新しい基礎の上に大きな発展を遂げていることを満足の意をもつて回顧し、前記の共同声明が両国間の平和友好関係の基礎となるものであること及び前記の共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認し、国際連合憲章の原則が十分に尊重されるべきことを確認し、アジア及び世界の平和及び安定に寄与することを希望し、両国間の平和友好関係を強固にし、発展させるため、平和友好条約を締結することに決定し、このため、次のとおりそれぞれ全権委員を任命した。
 日本国     外務大臣 園田 直
 中華人民共和国 外交部長 黄  華
 これらの全権委員は、互いにその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次のとおり協定した。
第一条
 1両締約国は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする。
 2両締約国は、前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
第二条
 両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。
第三条
 両締約国は、善隣友好の精神に基づき、かつ、平等及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い、両国間の経済関係及び文化関係の一層の発展並びに両国民の交流の促進のために努力する。
第四条
 この条約は、第三国との関係に関する各締約国の立場に影響を及ぼすものではない。
第五条
 1この条約は、批准されるものとし、東京で行われる批准書の交換の日に効力を生ずる。この条約は、十年間効力を有するものとし、その後は、2の規定に定めるところによつて終了するまで効力を存続する。
 2いずれの一方の締約国も、一年前に他方の締約国に対して文書による予告を与えることにより、最初の十年の期間の満了の際またはその後いつでもこの条約を終了させることができる。
 以上の証拠として、各全権委員は、この条約に署名調印した。
 千九百七十八年八月十二日に北京で、ひとしく正文である日本語及び中国語により本書二通を作成した。
 日本国のために     園田 直(署名)
 中華人民共和国のために 黄  華(署名) 」
 引き続いて、共同声明は次のとおり。
「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明
 日本国内閣総理大臣田中角栄は、中華人民共和国国務院総理周恩来の招きにより、千九百七十二年九月二十五日から九月三十日まで、中華人民共和国を訪問した。田中総理大臣には大平正芳外務大臣、二階堂進内閣官房長官その他の政府職員が随行した。
 毛沢東主席は、九月二十七日に田中角栄総理大臣と会見した。双方は、真剣かつ友好的な話合いを行った。
 田中総理大臣及び大平外務大臣と周恩来総理及び姫鵬飛外交部長は、日中両国間の国交正常化問題をはじめとする両国間の諸問題及び双方が関心を有するその他の諸問題について、終始、友好的な雰囲気のなかで真剣かつ率直に意見を交換し、次の両政府の共同声明を発出することに合意した。
 日中両国は、一衣帯水の間にある隣国であり、長い伝統的友好の歴史を有する。両国国民は、両国間にこれまで存在していた不正常な状態に終止符を打つことを切望している。戦争状態の終結と日中国交の正常化という両国国民の願望の実現は、両国関係の歴史に新たな一頁を開くこととなろう。
 日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。また、日本側は、中華人民共和国政府が提起した「復交三原則」を十分理解する立場に立って国交正常化の実現をはかるという見解を再確認する。中国側は、これを歓迎するものである。
 日中両国間には社会制度の相違があるにもかかわらず、両国は、平和友好関係を樹立すべきであり、また、樹立することが可能である。両国間の国交を正常化し、相互に善隣友好関係を発展させることは、両国国民の利益に合致するところであり、また、アジアにおける緊張緩和と世界の平和に貢献するものである。
一日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する。
二日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
三中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。
四日本国政府及び中華人民共和国政府は、千九百七十二年九月二十九日から外交関係を樹立することを決定した。両政府は、国際法及び国際慣行に従い、それぞれの首都における他方の大使館の設置及びその任務遂行のために必要なすべての措置をとり、また、できるだけすみやかに大使を交換することを決定した。
五中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。
六日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。
 両政府は、右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
七日中両国間の国交正常化は、第三国に対するものではない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する。
八 日本国政府及び中華人民共和国政府は、両国間の平和友好関係を強固にし、発展させるため、平和友好条約の締結を目的として、交渉を行うことに合意した。
九 日本国政府及び中華人民共和国政府は、両国間の関係を一層発展させ、人的往来を拡大するため、必要に応じ、また、既存の民間取決めをも考慮しつつ、貿易、海運、航空、漁業等の事項に関する協定の締結を目的として、交渉を行うことに合意した。
千九百七十二年九月二十九日に北京で
 日本国内閣総理大臣  田中角栄(署名)
 日本国外務大臣  大平正芳(署名)
 中華人民共和国国務院総理  周恩来(署名)  
 中華人民共和国 外交部長  姫鵬飛(署名)」
 これにあるように、中国政府は、そのとき日本政府に対して何らの戦争賠償も要求しませんでした。これについては、竹内実がつぎの重要な指摘をしています。
「中国では、日本の侵略に抵抗した戦争を、1937年から数えて、「抗戦8年」といっているが、この戦争による被害は、中国の公式的発言によると、こうである。
 遠い昔のことはしばらくおき、単に1931年、日本が中国の東北に侵入してから、とくに、1937年、日本が中国を侵略してから8年間の戦争について見ただけでも、中国の軍隊と人民が受けた損失は1000万人以上であり、財産の損失額はアメリカドルで500億ドルをこえている(沈釣儒「戦争犯罪人検挙と懲罰について-国際民主法律家協会第5次代表大会における報告」1951年9月6日。日中貿易促進議員連盟「日中関係資料(1945-1966年)」1967年刊行、165ページ)。
 右の発言を行った沈釣儒は、中国の民主諸党派の一つ、中国民主同盟の指導的人物である。彼は抗日戦中は、抗日を主張、そのために弾圧を受けた7人のうちの一人であった。
 国交正常化が実現する1年まえ、筆者は右の沈釣儒発言にもとづいて、日本の対中国賠償額を52兆円と計算したことがある。当時、日本の国家予算は9兆4000億円であった。もし52兆円を支払うとすれば、毎年の歳入の半分を削るとして20年間支払わなければならない。
 賠償について、「共同声明」の第5項は、つぎのようにのべている。
 中華人民共和国は政府は、中日両国人民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。
「請求を放棄する」というのは、もともと請求する権利はあったということにほかならない(これについては拙著「中国への視覚」中央公論社、1075年、169ー181ページ。ただし、筆者は自分の計算に拘泥するつもりはない。そもそも、人名を金銭で評価することは不可能である)。」(竹内実「現代中国の展開」NHKブックス、1987)


(続く)

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○○465『自然と人間の歴史・日本篇』1990年代の政界再編

2016-09-16 11:44:56 | Weblog

465『自然と人間の歴史・日本篇』1990年代の政界再編

 政治面では、92年10月に金丸信氏が東京佐川急便事件の責任をとって議員辞職、竹下派会長も辞任、後任に小渕恵三氏が就任しました。
「天下、国家のために働いている」と公言してはばからなかった彼が、後に自宅で75キログラムの金塊を抱いていたことが判明したように、長らく権力の中枢にある人が一皮剥けば実はカネまみれであったことは、驚きでありました。
 92年12月になると竹下派が分裂、小沢一郎、羽田両氏らが羽田派を結成、小渕派は党内台4派閥に転落します。政局は麻のごとくに乱れて変動がやまず、93年6月内閣不信任案に自民党の小沢・羽田グループが合流して可決しました。衆議院は解散し、小沢・羽田グループは新生党を結成しました。
 93年8月には細川・非自民党内閣が成立しました。新保守三党を含む七党一会派による連立政権という寄り合い所帯の誕生でした。
 その後の94年4月の羽田内閣を経て、翌94年6月には今度は自民党も賛成して自社さまがけ連立の村山社会党首班の内閣が発足します。社会党は衆議院で74議席を占めていました。自民党は在野に下り、主流派は経世会を平成政治研究会に改称、返り咲きの機を窺っていました。
 一方、94年12月には新進党が結成され、海部党首、小沢幹事長に就任しました。この間に民主主義に逆行する小選挙区制が創設されるとともに、貧富の差をさらに広げる年金改悪や消費税増税が行われました。社会党はこの両方の政治課題に労働者と勤労国民の代表の立場を貫けず、このころから「現実色」を強めてしだいに体制内勢力の一部へと組み込まれていきました。
 政治改革関連法のうち、小選挙区比例代表並立制の導入に伴ういわゆる区割り法が94年11月21日に可決成立、同25日の公布、それからすでに成立を見ていた他の関連法とともに1か月の周知期間を経て94年12月25日に施行されました。これ以後公示される衆議院総選挙に際しては、1917年(大正14年)以来続いてきたいわゆる中選挙区制から小選挙区制に選挙制度ががらりと変わったのです。
 これによると、投票方法も記号式二票式になり、勤労国民と選挙の現場にとまどいが生まれました。また同時に、95年1月1日から改正政治資金規制法と政党助成法が施行されました。これで、「企業、労働組合等の団体の寄付が大幅に制限されるとともに、政治資金は政党が中心になって集めるようにして透明性を高め、同時に法人格を有する政党に対しては国から交付金が公布されるようになります。」(総理府広報室「家庭版、今週の日本、94年12月19日付け」)。選挙にカネがかかりすぎる、という反省から導入したと推進勢力によって自認されるこの制度は、政治資金規制法、政党助成法と法人格付与法、公職選挙法等に跨ったはば広型の対応を私たちに求めているのではないでしょうか。
 その不当性は、一口にいうならば民主主義の否定であり、なかんづく少数勢力が多数勢力になっていくことを拒もうとすることにほかなりません。

(続く)

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○○464『自然と人間の歴史・日本篇』1990年代前半の証券不詳事

2016-09-16 11:43:15 | Weblog

464『自然と人間の歴史・日本篇』1990年代前半の証券不詳事

 おりしも、1991年6月20日に野村証券の160億円の損失補填が発覚しました。いわば「損して得取れ」の故事にも重なる悪知恵で、これは次のような展開をたどりました。
 6月21日、野村の水内、日興の幸の両副社長が会見して、補填と暴力団の癒着関係をほぼ認める。
 6月22日、補てん、新たに大和、山一も発覚。野村、暴力団の東急電鉄株株買い占めと株価操縦への関与発覚。
 6月23日、野村、年金福祉事業団に約50億円の補てん発覚。
 6月24日、野村・田淵、日興・岩崎両社長辞任会見し、岩崎氏は「宴の裏に悪魔」と形容。橋本蔵相がG7から帰国。不祥事に「情けない」と発言。
 6月25日、海部首相、蔵相に「厳重対処」を指示。田淵・野村会長が日証協会長への就任辞退の表明。
 6月26日、野村・野村会長、日興・岩崎会長ら蔵相に陳謝。
 6月27日、野村の株主総会にて田淵社長が「大蔵省が補てん承認」発言。酒巻新社長が田淵発言の釈明会見。
 6月28日、警察庁、経団連に暴力団排除を要請。
 7月1日、経団連、正副会長会議で田淵副会長を解任。
 7月5日、東京国税局が証券大手4社に更正処分。神戸市、4社と取引中止表明。
 7月8日、大蔵省、4社に行政指導と処分。10-15日の4営業日、法人営業自粛など。4社が社内処分を発表。補てん額は1264億円。
 日証協会長に渡辺・日興前相談役が就任。東証。大手4社を処分。野村、日興は各500万円、大和と山一は各300万円の過怠金。
 7月9日、並木弁護士逮捕。加商株買い占めで田淵会長がたれ竹井・元地産会長に並木への紹介状を書いたことが発覚。
 7月10日、大蔵省、蔵相、次官ら3か月の減給、訓告処分。日証協、野村、日興に各1000万円、大和と山一は各500万円の過怠金。
 7月11日、自治体の4社離れ相次ぎ、51自治体に。
 7月12日、野村・田淵会長が「国会では補てん先を証言する」と発言。
 7月18日、大蔵省、4社を特別検査。衆議院大蔵委員会が承認喚問を見送り。
 7月21日、準大手も補てん発覚。
 7月22日、田淵・野村会長が辞任、相談役に。
 7月23日、4社、有価証券報告書の訂正報告。補てん先は231社(人)で、総額で1283億円に。
 7月24日、蔵相ら、補てん公表容認発言に転じ、「証券が自主的に」を強調。
 7月25日、住議員大蔵委員会で集中審議。4社の補てん先は実数200社。金融機関を含み、「政治家はない」。準大手は6社で補てん額は約350億円。
 7月26日、東商会議所が補てん関連企業ドップの引責辞任を盛り込んだ緊急提言を発表。
 7月28日、首相も証券界に補てん先の自主公表を要求。
 7月29日、大手4社が補てん先リストを公表。のべ228法人と3個人。総額1283億円。松下、昭和シェル、年金福祉事業団などの大企業、公的機関多数。多くは「補てん先の認識ない」。
 7月30日、第三次行革審議会、日本版SECなど再発防止策の検討を緊急会議で決定。
 7月31日、準大手・中堅13社が補てん先リストを公表、のべ380法人、6個人。総額437億円。新日本製鐵、三菱商事、日本郵船、創価学会も。
 8月2日、衆議院大蔵委員会で集中審議。中小証券でも総額10億円未満の補てん。東急電鉄株で集中売買禁止通達違反の疑い。東証が準大手・中堅13社を一律過怠金300億円の処分。
 8月3日、橋本蔵相秘書の冨士銀行不正融資にからむ無担保融資仲介が発覚。
 8月6日、日証協、準大手・中堅13社を処分。補てん額10億円以上の7社を500万円、同10億円未満の6社に300万円の過怠金を課した。
 8月7日、国会代表質問。野党各党による行政責任の追及があった。
 特定投資家への補てんの手口は、3つに分かれていました。ひとつは、新規公開株・転換社債(CB)の優先供与。これは、証券会社が特定投資家に対して、値上がり確実な株や転換社債(CB)を売って、それが値上がりしたところで売り戻すやり方です。

 二つ目は、国債・公社債の日計(ひばか)り商い。こちらは、まず1日の市場価格の最安値で特定投資家に対して売り伝票を切る。次いで、同じ日の最高値で買い伝票を切る。そして生産で差額を与えるというものです。3つは、ワラント債(WB)・外債を使った売買です。これらの市場価格は不明確で、まず証券会社が特定投資家に対して、類似債券に比べて安値で売り、今度は逆に高値で買い戻してその差額を補てんする。いずれのケースも中間に投資顧問会社をはさむケースもありました。

(続く)

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