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日々のちっちゃなヨロコビを見つけたい

ベトナム旅行中に出会った人々 その2

2010-02-11 02:44:39 | 海外

旅をしている間、もう一人、すごく印象に残った人が居た。
フエを旅している時に出会ったおばあちゃん。

そこまでの日々も、連日のタカリ、脅し、ごまかし攻撃にウンザリしていたのに、
その日もシクロのドライバーに地図を見せてココへ言ってくれと説明して、「わかった、わかった!」って二つ返事で走り出すから分ってんのかと思えば、全然違うところへ連れて行かれ、「ここは違うんだけど・・・」と説明することを何度も繰り返させられたり、「市場まで1ドルね」と事前交渉成立してバイタク乗ってるのに、いざ降りる時に「100ドル払え」と言われて喧嘩したりで、とにかくウンザリしていたその市場の帰り道・・・。

「もー乗らねぇ!何にも乗りたくねぇ!歩って帰ったる!!!」と市場を後にして、トボトボと暗い道を歩いた。
そのうち大きな橋が架かっていたのでそれを渡ろうとしたら、その人通りのほとんど無い、暗い橋桁のところに、ポツーンと小さな人影が座り込んでいるのが見えた。
近づいてみると、敷物も何もない地面に直に座り込んでいるおばあちゃんだった。
おばあちゃんの横には古い体重計が置いてある。
おばあちゃんは体重量り屋さんだった。


ベトナムには路上商売をしてる人は沢山居るけど、たいがい繁華街とか人混みとか、そんなところで見る。
「おばあちゃんは何故、こんな暗い、人もほとんど通らない橋に居るんだろう?」とものすごく気になった。
こんな所で何時間も、いや何日も座ってたって、お金払ってまで体重を量りに来る人なんてそうそう居ないだろう・・・。
だいたい、そんな冷たい地べたに直接座っていておばあちゃんの身体に良いわけが無い。
なんとも物悲しい風景だった。

「おばあちゃん、今日食べるものあるのかな?」と気になって、思わずポケットにあったお金をおばあちゃんに手渡していた。
おばあちゃんは、それをありがたそうに受け取ると、何度も何度も何度も頭を下げてくれた。


それを見た瞬間、頭の中がおばあちゃんでいっぱいになってしまった。
歩き出してからも、「あんなに喜んでくれるんなら、もっと渡してくればよかった・・・」とか、「家族は居ないんだろうか?」とか、「地面は冷たかろう・・・」とか、「病気のおじいちゃんとか家で待ってたりするんだろうか?」とか、「あんまり歩けないから、家から近いあそこに座ってるしかないんじゃないか」とか、「縄張り争いに敗れてあそこで商売するしかないのかな?」とか、「すごく恵まれた国から来ている自分には、もっと出来たんじゃないか」とか、「でも、戻っていったら驚いちゃうかな・・・」とか、いろーんな事を考えているうちに涙がボロボロ溢れてきて止まらなくなって、だんだん歩く速度が遅くなり、おばあちゃんが見えなくなるくらいまで「どうしよう」「どうしよう・・・」と悩みつつ歩いたところで、「やっぱり戻ろう」と決めて、またトボトボと来た道を引き返した。

おばあちゃんは戻って来た自分を見て、ちょっとビックリしたようだった。
自分は、今度はおばあちゃんの目線までしゃがみこんで、さっきよりもっとたくさんのお金を渡してあげた。


渡した瞬間、おばあちゃんがグワッと、すごい力で私の両手を掴んできた。
突然のことで死ぬほどビックリした。
おばあちゃんは、私の目をじーーーーっと見つめたまま、有難う!有難う!と言うように私の両手を力強く握り締めてくれた。
自分の気持ちが伝わったのかな、と嬉しくなって、おばあちゃんの丸い背中をさすりながら「おばあちゃん、頑張って。本当に頑張って。お体を大切にね。いつまでもお元気でね。」と、もちろん現地の言葉は使えないから、日本語で話した。
おばあちゃんもこちらの言葉はわからないだろうけど、うん、うん、と大きく頷いてくれていた。
言いたいことは間違いなく伝わったと思えた。

 

おばあちゃんと別れてから、ちょっとの安堵感と、これからの苦しいであろうおばあちゃんの暮らしを思ったら、さっきよりもっと涙止まらなくなり、ボロボロ泣きながら橋を渡った。
あれからおばあちゃんが、いい人たちにたくさん会えてるといいな。
今度ベトナムに行くチャンスがあったら、またおばあちゃんの居た場所に行ってしまうだろう。
でもその時には、おばあちゃんに救いの手が差し伸べられて、路上生活から脱却していてくれればいいなぁ・・・。

 

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