息子は帰国子女だ。この春、公立高校の編入学試験を受けて、日本の高校生になった。もともと日本人だし、文化に慣れるのは早いなあ、と、正直思っていた。
彼の高校生活は、○○年前に私が経験したことでもあって、こちらとしては何の違和感もなくすんなり受け入れられる。
私の頭のモードは勝手に切り替わり、息子の試験の成績を普通の親のように、受け入れている。つまり、え?どうしてこういう点を取ってくるの、アメリカでは成績がよかったのに・・・と。
息子が日本の小説を読んでいた。そばに国語辞典がおいてある。彼は小説を日本語で読むときには、辞書がいるんだ。私は愕然とした。そうだ、彼は5年生から、週一回の日本人補習校でしか、日本語を読んではいなかった。
月曜から金曜まで現地のアメリカ人と同じように、英語で勉強していたのだった。それも、クラスはアドバンス(上級クラス)を取り、マスアンドサイエンスセンターで、現地の先端教育を受けていた。アメリカ人が落ちる試験に彼は受かっていた。そうだ。彼は英語で勉強していた。
あたりまえのことを、今さらのように思い起こす。
がーんときた。日本人の高校で、いきなり同じように出来るわけがない。また、思春期の一時期をUSで暮らしているから、彼はアメリカ人に近い、発想をするはずだ。
日本の伝統ある公立の進学校の校風にすんなり適応するわけがない。
彼は、一生懸命に日々をすごしているはずだ。能天気なのは私だけだ。
日本語教師になる勉強は、息子を理解するためにも相当に重要だなあと感じる。
私たち自身、息子そして私も含めて、未だ日本に違和感を感じることは否めない。発展的に前向きに解消していくためには、まだまだ時間が必要だと感じる。