【掲載日:平成21年8月18日】
天離る 夷の長道ゆ 恋ひ来れば
明石の門より 大和島見ゆ
【慶野松原、淡路島西岸】
長門を経た 人麻呂の公務旅
大宰府への 副次報告を終え
那の津からの船は 難波の津を目指していた
時化の怖さはあるが 沿岸伝いの船旅は
陸路の難渋を思えば 安全 この上ない
久方ぶりの 大和の地
はやる心の 人麻呂
(まだ 見えぬのか 大和は)
稲日野も 行き過ぎかてに 思へれば 心恋しき 可古の島見ゆ
《退屈な 印南野つづく おお見えた 加古の港や 待ってたんやで》
―柿本人麻呂―(巻三・二五三)
(淡路島 大きくなってきた おお 賑やか 賑やか)
飼飯の海の 庭好くあらし 刈薦の 乱れ出づ見ゆ 海人の釣船
《飼飯海は 凪いだみたいや つり船が いっぱい出てきた こら大漁や》
―柿本人麻呂―(巻三・二五六)
(うわぁ 大和や 大和や)
天離る 夷の長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ
《長い道 恋し恋しと 明石来た 海峡向こうに 大和の山や》
―柿本人麻呂―(巻三・二五五)
小躍りしたい気持ち
それとは 裏腹に
人麻呂の胸に 苦い汁が わだかまる
(このまま 地方の官吏で終わるのか
あの 誉は 夢だったのか
天武帝に召され「大王は 神にしあれば」と 詠ったのは わしだ
持統帝の覚えは 目出たかった
吉野行幸「山川も依りて仕ふる」は絶賛を得た
皇子達への 挽き歌の数々
宮褒めの 寿ぎ歌・・・
あれは 真のわしであったのであろうか
時移り 世は変わり 宮廷一の歌人 柿本人麻呂は どこへ行ったのじゃ
友もいない 分不相応な扱いを受けた わしに 誰も寄りはしなかった
もう 大和はわしの住むところではないのだ)
(石見は 良い あそこは 人が住んでいる
依羅娘子が待っている・・・)
人麻呂の目に 大和島山が 滲む
<飼飯の海>へ
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