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令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

歴史編(19)伊良虞の島の

2009年07月19日 | 歴史編
【掲載日:平成21年7月8日】


うつせみの 命を惜しみ 浪にぬれ
           伊良虞いらごの島の 玉藻刈り

【寂しげに波寄せる伊良湖岬―遠景は神島】


「お前さま 一人者ひとりものかい 自分で 藻刈もかりなど 召使めしつかいにでも させれば いものを」
「よしなよ あの人は 何も 答えなさらん 都のながされびと らしい」
夕日が 伊勢の海の方に 沈む 
浜を 引き上げる 海女あまの影は 小さくなる
背を伸ばし おぼろな目で 神島を見ている 麻続王おみのおおきみ
「口は わざわいの元・・・」

あれは 壬申のいくさ三年みとせ後 であったろうか
大友皇子の子 葛野王かどののおうを お見かけし 思わず『こんな 幼気いたいけない子が 苦労するとは』と つぶやいてしまった
それが 天武天皇すめらみことの耳へと入り 流罪
雪深い 因幡いなばであった
因幡は よかった 
国庁があり 役所勤めに 友がいた 
不自由ではあったが 食うには困らなかった 
すぐにでも 許されて と思っていたが 配流はいる
常陸ひたちの 板来いたこ
潮風の 強いところであったが 
なんと言っても 鹿島神宮さまのお膝もと 豊かな土地柄とあって なに不自由ない 暮らしであった 
親しくなった 神官に 流罪の経緯いきさつを聞かれ
葛野王かどののおうが 可哀相と 言っただけじゃ』
と らしてしまった・・・

ここ 伊良虞いらごは なにもない
るのは 田作たづくり民と 網人あみひと海女あま
地は痩せ ロクな作物さくもつは取れない
外海そとうみだけに りょうもままならない
あるのは 打ち寄せる 藻だけ 
これを るしかないのだ

いまでは ならいとなった 苫屋とまやでの寝起き
これだけはと 身につけている 筆を取る 
(今日の 海女あまの声 歌にするか)
打つを 麻続王をみのおほきみ 海人あまとなれや 伊良虞いらごの島の 玉藻たまもります
粗末衣ぼろ着てる 麻続王おみのおおきみ 漁師あまやろか 伊良湖の岸で ってはる》
                         ―麻続王をみのおほきみを見た人―(巻一・二三)
(答えて やらねば なあ) 
うつせみの 命を惜しみ 浪にぬれ 伊良虞いらごの島の 玉藻刈り
仕様しょうなしに 伊良湖の島で 波に濡れ 藻ぉうんは 死にとないから》
                             ―麻続王をみのおほきみ―(巻一・二四)

しかし 伊良虞は いところだ
なにしろ 温かい 
天気も それに 人も・・・ 



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