
長らくこれの近くに住んでいた。
そう、仁徳天皇陵の傍に。
皆は「仁徳天皇陵」などとは言わない。
「にんとくはん」「ご陵はん」と呼ぶ。
今は少し離れたが、この近くに住んでいたのは、かれこれ50年になろうか。
小学生の頃は、監視の目を盗んで、堀を越えて中へ入ったこともある。
中学校の応援歌にも「仁徳陵の森陰に・・・」という歌詞もあった。
鬱蒼と茂った森に点々と白いものが群れ止っていた。
ゴイサギ・シラサギの群れだ。
朝に西の海辺へ飛び立ち、夕べに
そのサギも海辺の埋め立てで干潟がなくなり、次第に居なくなってしまった。
それほど親しみ、身近に感じていた「にんとくはん」が世界遺産になった。
百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録である。
なにやら、施設が整備され、観光地になるらしい。
それはそれで誇らしことではあるが、なにやら寂しい気がする。
喧噪の中で、「にんとくはん」は安らかに眠っておられるであろうか。
その「にんとくはん」の陵の西沿いに磐の姫の万葉歌碑がある。
犬養孝先生の揮毫による歌碑だ。
傍に副歌碑もあり、磐の姫歌五首が記されている。
仁徳の多色に嫉妬し、狂うが如くに嫌った磐の姫が寄り添っている。
何とも皮肉な、いや好ましい光景はである。
二人とも、あの世でどう思っているであろうか。
令和改元で、一躍脚光を浴びた『万葉集』。
そして世界遺産登録で、外国語の飛び交うこととなるであろう『仁徳陵』。
いやはや騒がしいことである。

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