年寄り

2018-08-22 23:51:38 | 日記
JR飯田橋駅の工事 大分できてきた

写真は跨線橋の上から見たところなので

以前の駅舎と同じく橋の上から段差なくつながることがわかって嬉しい

しかし改札口から階段なしで自然にホームにつながる以前の形はのぞめないようだ

耳も遠いし 足腰も弱っている

だが自分を年寄りと思ったことはない

全く同じ言葉を文春の岸恵子の随筆で読んだ

先日見たフジコヘミングの映画でも

自分は十代の少女の気持のままと言っていたが同感である

これはどういうことかというと

自分の年齢はわかっているけれど

昔自分が見ていた年寄りと今の自分が同じものとは思えないという感覚だろうか

すっかり忘れていたが

その岸恵子の随筆がネットの文春オンラインで

今年上半期のもっとも読まれた記事ベスト5として再掲されていた

再び読んでみてそういえばこれ以前にもよんだなあと思った

これは年寄の記憶がぼやけているからではありません!

岸恵子の文がそうさせたのです

小説もよんだことがあるが覚えていない

文春に載った話は二度骨折したエピソードなのだが

著者の気分や視線のありどころが一定していない感じがして

読者もどこを向いて岸恵子の骨折をとらえればいいのか落ち着かない

自分はおっちょこちょいといいたいのだろうが

大変な骨折の描写の方が面白い

それに加えて難しい感じ表現を加えてみたり

テレビ局を出て見た夕景を文学的につづってみたり

最後は孤独な死への覚悟が記されて

結局いまだに女優なのに文学してますという売り方で終わる

でも私 岸恵子好きなんですよ

年寄りでも恋する役とか長生きして女優見せて下さい