JR飯田橋駅の工事 大分できてきた
写真は跨線橋の上から見たところなので
以前の駅舎と同じく橋の上から段差なくつながることがわかって嬉しい
しかし改札口から階段なしで自然にホームにつながる以前の形はのぞめないようだ
耳も遠いし 足腰も弱っている
だが自分を年寄りと思ったことはない
全く同じ言葉を文春の岸恵子の随筆で読んだ
先日見たフジコヘミングの映画でも
自分は十代の少女の気持のままと言っていたが同感である
これはどういうことかというと
自分の年齢はわかっているけれど
昔自分が見ていた年寄りと今の自分が同じものとは思えないという感覚だろうか
すっかり忘れていたが
その岸恵子の随筆がネットの文春オンラインで
今年上半期のもっとも読まれた記事ベスト5として再掲されていた
再び読んでみてそういえばこれ以前にもよんだなあと思った
これは年寄の記憶がぼやけているからではありません!
岸恵子の文がそうさせたのです
小説もよんだことがあるが覚えていない
文春に載った話は二度骨折したエピソードなのだが
著者の気分や視線のありどころが一定していない感じがして
読者もどこを向いて岸恵子の骨折をとらえればいいのか落ち着かない
自分はおっちょこちょいといいたいのだろうが
大変な骨折の描写の方が面白い
それに加えて難しい感じ表現を加えてみたり
テレビ局を出て見た夕景を文学的につづってみたり
最後は孤独な死への覚悟が記されて
結局いまだに女優なのに文学してますという売り方で終わる
でも私 岸恵子好きなんですよ
年寄りでも恋する役とか長生きして女優見せて下さい
写真は跨線橋の上から見たところなので
以前の駅舎と同じく橋の上から段差なくつながることがわかって嬉しい
しかし改札口から階段なしで自然にホームにつながる以前の形はのぞめないようだ
耳も遠いし 足腰も弱っている
だが自分を年寄りと思ったことはない
全く同じ言葉を文春の岸恵子の随筆で読んだ
先日見たフジコヘミングの映画でも
自分は十代の少女の気持のままと言っていたが同感である
これはどういうことかというと
自分の年齢はわかっているけれど
昔自分が見ていた年寄りと今の自分が同じものとは思えないという感覚だろうか
すっかり忘れていたが
その岸恵子の随筆がネットの文春オンラインで
今年上半期のもっとも読まれた記事ベスト5として再掲されていた
再び読んでみてそういえばこれ以前にもよんだなあと思った
これは年寄の記憶がぼやけているからではありません!
岸恵子の文がそうさせたのです
小説もよんだことがあるが覚えていない
文春に載った話は二度骨折したエピソードなのだが
著者の気分や視線のありどころが一定していない感じがして
読者もどこを向いて岸恵子の骨折をとらえればいいのか落ち着かない
自分はおっちょこちょいといいたいのだろうが
大変な骨折の描写の方が面白い
それに加えて難しい感じ表現を加えてみたり
テレビ局を出て見た夕景を文学的につづってみたり
最後は孤独な死への覚悟が記されて
結局いまだに女優なのに文学してますという売り方で終わる
でも私 岸恵子好きなんですよ
年寄りでも恋する役とか長生きして女優見せて下さい
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