巨人・レッズ・チャーハン(2019年は和と動)

基本的には巨人応援ブログです。しばし更新していませんでしたがマイペースで再開。

「原監督は苦労してない」のだろうか?

2013-12-04 22:54:23 | 巨人
2日のテレビ朝日「お試しか」の「帰れま10」のコーナーに、巨人の選手から由伸・村田・長野・菅野・内海の5選手が出演した。そこへ助っ人として登場したのが、ナント野村元楽天監督。これには5選手も驚き、直立不動となって迎えた。体育会系の一面を見たような気がする。

その後、着席しトシが「日本シリーズご覧になりました?」と聞かれると、ノムさんは「恥をかかされました。(私の予想は)巨人優勝だった」とし敗因として原監督を挙げた。理由は「(ずっとスター街道で)苦労してないもん彼は」とのこと。だが原監督は苦労してないのだろうか?

確かに高校(東海大相模)時代からスターでドラフトでは意中の巨人に入団。そこで活躍し、今では監督の座に就いている。傍から見れば誰もがうらやむストーリーを歩んでいるわけだが、裏では相当な苦労をしていると思う。

まずは高校時代。親子鷹というだけでなく、その甘いマスクで大人気で甲子園に出た際には、気分転換に散歩することもできなかったと聞く。外ではファンが待ち構えているからだ。

その後、東海大学を経て巨人入り。だが入団した前年、長嶋監督は解任され、王貞治は現役を引退。偉大なるONが抜けた穴を1人で埋めなければならなかった。3年目に打率.302ホームラン32本、103打点で打点王に輝き、さらにMVPにも選ばれたが、翌年.278 27本81打点に終わると、マスコミ、ファンやOBから叩かれ役となり始める。

ある程度の成績を残しながらも「巨人の4番としては物足りない」「チャンスで弱い」「ONはもっとスゴカった」などと叩かれ、認められなかった。86年のオフに結婚をするのだが、晴れの結婚式の祝辞でも叱咤されるという経験を持っている。そのプレッシャーは半端なかっただろう。後に清原和博がそのプレッシャーを受けるのだが、清原は「俺、人殺しでもしたんかな」と漏らすほどであった。

二宮清純は95年のコラムでこう書いている

私の知る限りにおいて、原に対する評価はジャイアンツの外部からより、内部からの方がはるかに辛辣でした。かれの15年間に及ぶ現役生活は、最初と最後のほんのわずかの時期を除いては、悪罵と嘲笑に耐える歳月であったでしょう。
ジャイアンツOBの原に向けられたコメントは、そのほとんどが侮蔑の色に染められていました。少なくとも「愛情の裏返し」と呼べるシロモノではなかったことだけは確かです。
一時期、原には「巨人軍史上最低の4番」と酷評するOBもいました。こちらも数字を出して反証すると、ハンで押したように、次にセリフが返ってきました。「いや巨人の4番バッターはというのは特別な存在なんですよ」
果たしてそうでしょうか。それは幻想、いや願望であって、事実ではありません。ジャイアンツには原を含めて60人以上のバッターが4番に座っていますが、名実ともに原を超える成績を残しているのは、川上哲治、長嶋茂雄、王貞治の3人だけです。

と。私が古株の巨人OBを良く思っていない理由でもある。

そんな原さんも95年に引退するのだが、やくみつるは自身の一コマ漫画で「もう漫画のネタにされずにすむかと思うと少しホッと」と語る原さんの絵を描いている。だがそれは、ほんのひと時だった。

02年には今度は長嶋さんの後を引き継いで監督に就任すると、再びマスコミの餌食となった。特に日刊ゲンダイや夕刊フジのタブロイド誌は標的にされ、「あの采配はどうのこうの」「原監督は誰々を嫌っている」などとあること、ないこと書かれたものだ。それは現在も継続中である。

ノムさんは「巨人の監督になりたい」などとリップサービスも兼ねて言っていたが、徳光さんが言うように「品格がない」のと、ノムさんが、巨人特有のプレッシャーに勝てるとは思えないのだが…。


ジャイアンツ愛 原辰徳の光と闇
赤坂 英一
講談社


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