文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
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書評:本物の読書家

2018-09-21 09:12:54 | 書評:小説(その他)
本物の読書家
クリエーター情報なし
講談社

・乗代雄介

 「本物の読書家」では、語り手である私が、あまりなじみのない大叔父を老人ホームに送り届ける列車内でのエピソードが描かれる。大叔父は川端康成からの手紙を持っているとの噂があった。列車内で同席した関西弁の奇妙な男・田上。彼はやたらと文学に詳しかった。作中に挿入される名作の一節。そして明かされる康成の名作「片腕」のある秘密。

 「未熟な同感者」では、主人公の阿佐美が入ったゼミ。ゼミでは文学談義が行われる。ゼミ生は男1人に女3人。そこの「先生」には奇妙なクセがあった。ゼミの途中で必ずトイレに行くのだ。それは授業を円滑に進めるため、女子大生を前にして抑えきれなくなった性欲を処理しに行くのだとの噂されている。そしてゼミ生の美少女・間村季那。彼女にもある秘密があった。

 全編を通じて、色々な名作の一節が挿入され、あたかも作者が「本物の読書家」であることを主張しているかのようだ。しかしそれは本当だろうか。作中に次の一節がある。

<世間一般の言い方に当てはめるなら、私はささやかな読書家ということで間違いなかろうと思う。しかし読書家というのも所詮、一部の本を読んだ者の変名に過ぎない。>(p10)

 たしかにあれだけの数の本が毎日のように出版されているのだ。いくら長生きをしても全部を読めるわけではない。例えば私の部屋だが、まだ読んでない本が何百冊単位で積み上げてある。処分も時にはしているのだが、減るスピードよりは増えるスピードの方が圧倒的に速い。全部の本を読むことはできないという意味でこの主張には賛成である。

 しかし、世の中で「読書家」と呼ばれる人たちの間には大きな問題があると思う。それは、読む本が、文学作品や古典が中心になっており、理工系の本や専門的な本を外していることである。まさか、こういった本は読む価値がないと思っているのではないと思うが(思っているとしたら自分で世間を狭くしているだけだと思うのだが)。仮に読んだとしても、通俗的な一般書くらいである。読んでいると、読書の対象は文学だけではないということを、声を大にして主張したくなってきた。

☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

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