評伝を読むのは好きだが、寡聞にして久津見房子という人を知らなかったので、本書を読む前に少し調べてみた。女性の社会主義団体「赤瀾会(せきらんかい)」の創設者の一人らしい。そして悪名高い治安維持法の女性初の逮捕者となった。そして捕まるときは当時14歳だった娘の一燈子もいっしょだったのだ。
久津見は1890年(明治23)、岡山市で生まれた。実家は、勝山藩の家老の家柄に繋がる旧家だったらしい。女学校のころ親戚の大前信三が同居することになったことから社会主義に踏み出していく。
私は本来、社会主義の様な思想の多様性を奪うようなものは大のつくくらい嫌いである。今の赤い国やかっての赤い国を思い受けべればいいと思う。社会主義を標榜する国家で、夢の国はどこかにあったのか。理想や理念はともかく、間違いなく権力ゲームに陥って、権力者の独裁体制になっている。それが人間というものだろう。
例えば、岡田嘉子と杉本良吉が、1938年に当時のソ連に亡命を図った事件を思い浮かべれば、社会主義と言うものがいかにひどかったか分かるだろう。この事件で二人はスパイ容疑を着せられ、杉本は銃殺、岡田も長い間収容所に入れられた。だから、文化人と呼ばれる連中の評価ははともかく、マルクスなんかは、この世に存在してはいけなかったと思っているのだが、当時の時代背景も考慮しないといけないと思う。
当時の資本家たちもひどい連中が多かった。人権なんて顧みられなかった時代。抑圧された、とても民主的とは言えない体制。なにしろ特高警察なんてものがあり、捕まれば拷問が待っている。久津見も治安維持法違反で逮捕され、下着まで血まみれになるようなひどい拷問を受けている。驚くのは、そのとき14歳だった久津見の娘も収監され、ひどい目にあわされていることだ。小林多喜二が拷問により特高に殺されたのは有名だ。以下は本作中にある、作家の江口渙が書き残した多喜二の死体が返ってきた時の医師の検死結果である。読んでみるとなんとも痛ましい。
なんというすごい有様であろうか。毛糸の腹巻のなかば隠されている下腹部から両足の膝がしらにかけて、下っ腹といわず、ももといわず、尻といわずどこもかしこも、まるで墨とベニガラとをいっしょにまぜてぬりつぶしたような、なんともいえないほどのすごい色で一面染まっている。そのうえ、よほど大量の内出血があるとみえて、ももの皮がぱっちりと、いまにも破れそうにふくれあがっている。そのふとさは普通の人間の二倍ぐらいもある。(中略)
電灯の光でよく見ると、これまた何ということだろう。赤黒くはれあがったももの上には、左右両方とも釘か錐かを打ちこんだらしい穴の跡が一五、六カ所もあって、そこだけは皮がやぶれて下から肉がじかにむきだしになっている。(中略)
それよりはるかに強烈な痛みをわれわれの胸に刻みつけたのは、右の人さし指の骨折である。人さし指を反対の方向にまげると、指の背中が自由に手の甲にくっつくのだ。人さし指を逆ににぎって力いっぱいへし折ったのだ。(p107)
全部がそうではないだろうが、人間とはそういう残酷なことができる生き物なのだ。当時の鬱屈した体制から逃れるために、人々は社会主義に夢をみるしかなかったのだろう。その気持ちは分かるし、多くの人が社会主義に傾倒したことも理解できる。ただ、社会主義と当時の体制のどちらがいいかと聞かれれば、私にとっては究極の選択なのだが。
いずれにしても、今は民主主義の世の中。私たちは権力が暴走しないように見張っておく必要があるだろうし、ヘンな思想やイデオロギーがはびこらないように気を付けておく必要があるのだ。
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