文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
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貧乏大名“やりくり”物語 たった五千石! 名門・喜連川藩の奮闘

2019-12-26 09:10:47 | 書評:学術・教養(人文・社会他)

 

 江戸時代には1万石以上が大名と呼ばれた。これは三代将軍家光が定めたようだ。ところが一つだけ例外があった。それは本書で述べられている喜連川藩である。その石高わずか5千石。しかし、格式は10万石で御所や公方の称号も許されていたという。また諸役が免除され、参勤交代の義務もなかったという。そして徳川の家臣ではなく客分だったのである。

 なぜ喜連川藩がこれだけ江戸幕府から優遇されていたかというと、喜連川氏が足利将軍家の末裔(といっても直系ではなく鎌倉公方系だが)だからである。その元をたどれば、源氏に行きつく。そして徳川将軍家も同じ源氏系の新田氏末裔を標榜していた。

 本書は、喜連川氏全般について書かれているが、特に10代煕氏(喜連川藩主としては9代。以下同様)についての記述が多い。ただし、煕氏自身には足利の血は入っていない。それは、彼の祖父になる8代恵氏が伊予大洲藩から養子として入ってきたからだ。そのためか、煕氏は足利の血を引く熊本細川家から養子を迎えた。

 喜連川氏は僅か5千石ながら善政を敷いて江戸時代を生き延びた。ただし煕氏は身分を固定するなど反動的な面はあったものの、名君として領民に慕われたようだ。

 本書は200ページに足りない厚さだが、喜連川藩がどのようなものだったのかを過不足なく描いており、なかなか興味深い。実はこの本を読むまで、喜連川藩については知らなかった。東の方では知っている人も多いだろうが、西日本ではそれほど有名ではないと思う。西日本では、どちらかと言えば維新の雄藩に焦点があたることが多いだろう。しかし、日本全体を見ればこんな藩もある。だからこそ面白いのだ。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

 

 

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