Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

Sirius: LUCIA DI LAMMERMOOR (Sat Mtn, Mar 8, 2008)

2008-03-08 | メト on Sirius
今日のラジオ放送に備えて英気を蓄えるべくの水曜のキャンセルかと思いきや、
何と今日の公演もキャンセルにしてしまいました、ジェイムス・レヴァイン。
昨年のメト・オケ・コンサートをデッセイがキャンセルしたことへのリベンジ、、?
まさか、、、ね。もう一年も経つんだし、そんなの覚えてたとしたら、執念深すぎて、怖いです。ぶるぶる。

ま、そんなわけで、今日もイカ系指揮者コラネリが振ります。
水曜のだらだらの再現だけは、お願いだからやめてください、と思っていたら、
うん、今日は悪くないですね。
水曜よりもずっときびきびしてる。
テンポも非常に適切です。このテンポです、ベル・カントにぴったりなのは。

もう何度も書きすぎて、こちらもうんざり、という感じですが、しょっぱなの歌詞を歌う、
ノルマンノ役のマイヤーズ。一体この人はどういう経緯で、うまくメトの舞台にのるなどという
幸運を手に入れたのでしょう?
今シーズン、これだけたくさん生とラジオで『ルチア』の公演を見て聴いて、
一度たりとも正しいタイミングで最初の音が入ってきたことがなければ、
オペラハウスでは、ほとんど何を歌っているのかわからないほど声量はないし、
あんな歌でいいなら、私が男装して舞台に立ちたいくらいです。

今日のクウィーチェンは気合が入っていて、なかなか良い。
今日の放送の目玉の一つは、デッセイ、フィリアノーティ、クウィーチェンという
メインキャスト3人それぞれへの幕間の生インタビューですが、
その中で、今日のクウィーチェンはかなりはじけていて、笑わせていただきました。

いきなり、”エンリーコ役って最悪”の爆弾発言から始まり、
驚くインタビュアーのアイラ・シフ
(Opera Newsなどにも執筆が多い音楽評論家。土曜のマチネのラジオ放送では、MCのマーガレット嬢
の相手役をつとめている)に、
”だって、他のオペラの悪役と言われている役にはそれぞれ、
ちょっとは好きになれる部分があったりとか、魅力的な部分があったりするものだけど、
エンリーコには何もないからね。超嫌なやつ、っていうそれだけ。
大体、妹への愛情に欠けるのはもちろん、
どんな女性にも愛情らしきものを抱けないかわいそうな人間なんじゃないかな”と大暴走。
確かに、エンリーコには妻もいなければ、恋人すらいる様子もないから、
あながちその解釈は間違っていないです。
しかし、あまりにもエンリーコのことをめちゃくちゃに言うので、
”そんなに嫌いな役を歌うのは大変でしょうなあ”と同情をおぼえます。
あまりにものクウィーチェンのハイ・ボルテージぶりに、少しシフ氏が切り口を変えようと、
”ところで、この公演では、通常カットされることも多い、第三幕の嵐の場が残されているので、
エンリーコの見せ場がありますね。これに関しては?”と聴くと、
”よかったよ。だって、それがなかったら、ニ幕以降、エンリーコはほとんどいないも同じだからね。”
と、これまた大暴れ。面白い人です。
こんなにこの役に腹がたっているから、あんなにいつも芝居がべらんめえ調なのか?
しかし、そういわれてみれば、このエンリーコ役、バリトン版ピンカートンとでもいえる、
歌手にとっては、あまり演じていて楽しくない役の一つなのかもしれません。


さて、デッセイの喋り声、初めて聞きましたが、わりと落ち着いた声ですね。
少し、パトリシア・ラセットの話し声とも共通する、ややハスキー目でだけれどそうピッチの
高くない声で、
この声でどうしてあんな高い音が出るのか、本当に不思議です。
当時の時代背景もあって、エドガルドを含む周りの全ての男性の意見に振り回され、
犠牲になった結果がルチアの狂気である、という風に彼女はこの役を見ているようです。
彼女が歌っている役の中では、決して最も難しい役ではない、ときっぱり言っていたのは頼もしい限り。
作品がそれほど長大でないということと、音楽的には彼女にとっては非常に歌いやすい、ということが理由だそうです。

その頼もしい言葉どおり、今日のデッセイはなかなか好調です。
一幕のアリアも欠点らしい欠点がなく、素晴らしい出来でした。
水曜日には少し指揮とかみ合ってなく思われた部分も、
今日は歌と指揮両方が歩み寄っていて、ぎこちなさを感じる箇所はほとんどありません。
コラネリ、リハーサルなしのたった数回の指揮でここまで持ってきたのだから、
これは大健闘です。

フィリアノーティに関しても、一幕を聴く限り、水曜日より、数段出来が良いように感じます。
ただ、やはり、声が端正なのに、かすかにはいるまるでソープ・オペラのような安っぽい演技、
これが私には大変気になります。この一幕で感じられる程度が私の限界。
もし、これ以上ソープ・オペラが展開するようなことがあったら間違いなく私は発狂する。
その微妙な線を今、彼は走っています。これは、この後の幕、しっかりと聴きたいと思います。


二幕での、今日のクウィーチェンは、怒ってるのが吉と出ているのか、絶好調。
ルチアとのシーン、大変聴きごたえがありました。
というか、この人はいかり肩でせかせか歩く舞台での姿を見ながら聴くよりも、
こうやって声だけラジオで聴いている方が、印象がよいような気がします。

ライモンドを演じるレリエーは、いつもどおり頼りになります。
レリエーからまずい歌が出てくるのを聴いたことが本当に一度もないので、
オペラハウスでも、彼が出てくるシーンはいつもリラックス・モードで聴いてしまうのですが、
これは考えてみれば、すごいことです。

さて、OONYのガラをキャンセルしてこの公演に賭けたアルトゥーロ役のコステロ。
今までに聴いた彼の歌声の中で、最高のものとは言いがたいですが、
手堅く歌って、きちんと重責は果たしていたと思います。
少し高音の維持の仕方がいつもより不安定に感じられたのと、リズムをとりにくそうにしていて、
言葉のおさまりが悪く感じられた箇所があったのは残念。
シーズン頭の公演では、六重唱ですら彼の声をはっきりと聞き分けられるほど、
声の輝きが素晴らしかったのですが、今日はその声そのものも彼らしい精彩に欠いていて、
まだ本調子とはいえないように思います。

そして、フィリアノーティは、、、やっちまいましたよ。
ソープ・オペラ、全開。。。。
あれほど、やっちゃいかん!と警告したのに、、。
特に六重唱で思い入れたっぷりのsleazyかつcheezy(いずれも”安っぽい”の意)な
フィリアノーティの歌が入ってきてげんなり。

デッセイは演技でのはちゃめちゃぶりから、クレイジーな人のような印象がありますが、
実は歌に関しては非常にきちんと抑える部分を抑えていて、
これはラジオを聴くとよりはっきりとわかります。
デッセイがきちんとした、決して下品に堕ちない歌を披露しているうえに、
この六重唱を歌う他のキャスト、クウィーチェン、レリエー、コステロ、マルテンスも
全員、こと歌に関してはエレガントな歌いぶりの人たちなので、
余計にフィリアノーティの、芝居がかった歌が浮いて聞こえます。

フィリアノーティは幕間のインタビューで、自分はベル・カントの唱法を大事にしていて、
どんな役をやるにしても多かれ少なかれ、ベル・カント的なアプローチで歌えるはずだ、
ということを言っていましたが、
また、それと同時に、役に対しては、まず第一に、役者として取り組んでいる、とも話していました。
その上で、歌をどうやって組み込んでいくかを考える、とも、、。

うーん、、。もしかすると、それが、この私にはちょっときつすぎる芝居がかった歌の原因ともなっているのかも。
思い入れたっぷりでない箇所に関しては、本当に綺麗な歌で声も美しく、
確かにベル・カント唱法をマスターしている!と思わせられるのですが、
どうもその彼の言う”役者的アプローチ”と歌とが上手く融合していないように私には聴こえます。
というか、これはOONYのガラで、ルネ・フレミングの歌について書いたこと
やや共通してくるのかもしれませんが、
”まず、芝居ありき”というアプローチは、ベル・カントではうまくワークしないのではないでしょうか?

六重唱に続くシーンで、ルチアに詰め寄って、この署名を書いたのは君なのか、答えろ!と詰め寄る
Respondi!という言葉。
ここも、絶叫のようになっていましたが、まるで突然ヴェリズモ・オペラを聴いているかのような、
大きな違和感がありましたし、
怒りを表現するための手段なのでしょうが、テンポを上げて歌うのも、使い方によっては効果的な手段ですが、
オケのテンポを大幅に上回りすぎていて、こういった行き過ぎた表現は、
私がすーっと冷めていってしまうものの一つです。


三幕、嵐の場。

この場面でのクウィーチェンとフィリアノーティの表現はききもの。
フィリアノーティが激昂しまくって歌ったあと、クウィーチェン演じるエンリーコが
歌い始める箇所、
フィリアノーティの頭にのせたやかんを沸かすような高温度ぶりに比べると、
ほとんど冷めていると思われるほどの冷ややかさで歌い始めるクウィーチェン。
しかし、これが非常に効果的なのです。
激昂している人、それともそこを通り越してクールになってしまっている人、
どちらの人からより怒りを感じるか?
そんなことを考えさせられます。私はちなみに後者。

さて、狂乱の場。

デッセイ、本当に素っ晴らしい歌唱でした。
これは、オープニング・ナイトと双璧の出来。
いや、むしろ技術的な完成度の高さから言うと、今日の方が上か。
とにかく、素晴らしい。脱帽です。
メトのルチア役は今や、彼女が所有していると言ってもいいかもしれません。
来シーズン、ダムローとネトレプコがこの役を歌うことになっていますが、
このような凄い歌唱の後では、相当辛い挑戦になることでしょう。

この後の場面、特に、”神に向かって飛び立ったあなたよ Tu che a Dio spiegasti l'ali ”は、
私は、今日アルトゥーロ役を歌ったコステロがエドガルド役を歌った回での、
素晴らしい歌唱が忘れられないので、それと比べるのは厳しい比較ですが、
フィリアノーティの歌唱もなかなかでした。
こうやって、きちんと歌ってくれていると聴かせてくれるのになあ、、。

奇しくも、フィリアノーティもインタビューのなかで、
”エドガルドはこの場面で、喜んで死んでいくんだ”と語っていましたが、
その喜びと退廃の表現に関しては、コステロの歌が声質もあって、上を行っていたように思います。

しかし、全体としては非常に完成度の高い公演で、これがラジオにのったのは嬉しい限り。
デッセイをはじめ、今シーズン素晴らしいルチアを舞台で実現させた全てのキャストに感謝です。

追記:オペラギルドのウェブサイトの中にある、オペラヘッドの巣、スタンディング・ルームでも、
フィリアノーティの歌は、”泣きがきつつぎる””こんな泣きが許せるのは『道化師』のアリアだけ!”
と非難轟々でした。


Natalie Dessay (Lucia)
Giuseppe Filianoti (Edgardo)
Mariusz Kwiecien (Lord Enrico Ashton)
John Relyea (Raimondo)
Stephen Costello (Arturo)
Michaela Martens (Alisa)
Michael Myers (Normanno)
Conductor: Joseph Colaneri replacing James Levine
Production: Mary Zimmerman
ON
***ドニゼッティ ランメルモールのルチア Donizetti Lucia di Lammermoor***