Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

ERNANI (Sat Mtn, Mar 29, 2008) Part II

2008-03-29 | メトロポリタン・オペラ
Part I から続く>

幕が開く前に、右隣にお座りになっていた80歳代と思しき女性と少しお話。
彼女のオペラヘッド・デビューは15歳の時で、
『エルナーニ』は、なんと、メトが1966年に現在の所在地であるリンカーン・センターに移る前、
39丁目とブロードウェイにあったいわゆる”Old Met ”と呼ばれているオペラハウスで
鑑賞して以来だそうで、その時のキャストは、ウォーレン、ミラノフを含む豪華キャストだったそうです。
(今、ネットで調べてみたのですが、これはもしかして、1956年の公演でしょうか?
ならば、エルナーニがデル・モナコ、エルヴィーラがジンカ・ミラノフ、
ドン・カルロがレナード・ウォーレン、シルヴァがチェーザレ・シエピ、
指揮がミトロプーロスという、ものすごい超ウルトラ豪華キャストです。
確かに、『エルナーニ』、こういう豪華キャストじゃないと、再び観にいく気にならないかも、、。
そんな豪華なキャストで見た事があるなら、今日のキャスト、きついでしょうね。
この女性が一幕で眠りの国に行かれていた理由がこれでわかりました。)
しかし、こうして、遺産というのか、長い歴史が受け継がれていくのがオペラの楽しみの一つでもあり、
こういう少しお歳を召したオペラヘッドの方とお話するのが私は大、大、大好きです。


第二幕

シルヴァ家の城。
まもなくシルヴァとエルヴィーラの婚礼の宴が始まろうとしています。
どうやらエルヴィーラは、エルナーニを守るためにシルヴァと結婚することにしたらしい、、と思っていたら、
そこに再び、今度は巡礼者に変装したエルナーニ登場。
着飾った人々の間に、ぬぼーっとネズミ男のようないでたちで立っているエルナーニは相当怪しいですが、
一幕の、あんた!どうやって城にまぎれこんだ!?という格好に比べると、
これはなかなか賢い作戦。
うむ、エルナーニも少しは頭を使えるようになったか、と思ったら、やっぱり猿は猿。
シルヴァに手をひかれ、ウェディング・ドレスを付けて登場したエルヴィーラを見て、
こらえきれず、巡礼の衣装をかなぐりすててしまいます。ありゃりゃ。



またしても唐突、一幕ではそんな話、微塵もなかったじゃないか!と言いたくもなりますが、
エルナーニ、どうやら、インターミッションの間に、盗賊として指名手配の身になっており、
その首をとったものには賞金が与えられるそうなのであります。
(これは多分に王が仕組んだものと考えられます。本当に心憎い19歳なのだ!)

エルヴィーラが他の男と結婚するとなった今、完全に自暴自棄モードのエルナーニは、
”さあ!私の首を結婚の祝いにとるがよい!!”と叫んで大暴れしたうえに、
自分の一族の身の上話まで聞かせる始末。

ここは三重唱でそれぞれが自分の気持ちを吐露するという、
ヴェルディが『リゴレット』の四重唱で大輪の花を咲かせた手法の原点が見られます。
一幕が終わって、どんどん自分の後の登場人物がレベルアップしていくのに危機感を覚えたか、
ジョルダーニがこの幕から少し安定した歌を聴かせるようになってきて、
三重唱はなかなかの出来。

さて、大人のシルヴァは、エルナーニの話に心動かされるものがあったのか、
はたまた考えるところがあったか、エルナーニの挑発には乗らず、お付きのものをひきつれ、
”さあ、エルヴィーラ、お前も来なさい。”といいながら、城の中へ。
ここで、”お前も来なさい”と言われているのに、軽くシカトのエルヴィーラ。
都合よく、エルナーニと二人きりになるチャンス到来!!!
シルヴァもすぐにエルヴィーラがついて来ていないことに気付きそうなものなのに、、。
ああ、ご都合主義のベル・カント万歳!

さて、二人きりになった途端、
”なんだよー!お前はシルヴァの奴と結婚する気だったのかよ!”ときれるエルナーニ。
ここでエルヴィーラが吐く言葉が奮ってる。
”いいえ、あなたが死んだと思っていたのよ(その根拠は一体、、?)
だから、私も祭壇の前まで行ったら死のうと思っていたんです。”
エルヴィーラ、嘘付けっ!!!!
私も”シルヴァの奴と結婚する気だったじゃねえか!”に一票だ!!
本当は、”あなたが死んだから、まあ、シルヴァでいいかと思って、、”じゃないのか?
(しかし、彼女の名誉のためにふれておくと、この前に、ティアラも指環もつけていないことを
シルヴァに指摘される場面があるので、一応、婚礼に気乗りはしていないらしい。)
しかし、こんなハチャメチャな言い訳にも情をほだされ、
”そうだったのか!”とひしっとエルヴィーラと抱き合うエルナーニはやっぱり猿です。

一方、相当歩いてから、”エルヴィーラがついてきとらんじゃないか?!”と
気付いたらしいシルヴァが一人で舞い戻って来ます。
そこで目にしたものは若い二人の抱擁!

この時にこそ、シルヴァの心に本格的な復讐の種が撒かれたといえます。
彼の ”(首をとるより)もっと恐ろしい復讐を No, vendetta piu tremenda "
という言葉が怖いです。
フルラネットは怒りをあからさまには表現せず、
まるで心の中でゆっくりと小さい種火が段々大きな炎となっていくような表現で、ひきこまれました。

やがて王ドン・カルロが現われると、シルヴァはエルナーニを城の中にかくまいます。
それもこれも、本音は、ドン・カルロなんかにエルナーニに復讐する役をとられてたまるか、
俺が自分の手で復讐を下すのだ!という思いからなのではないでしょうか?
シルヴァ、怒らせると、かなり怖いおやじです。

王に、”犯罪人をかくまうと、叛逆の罪に問うぞ!”と脅されても、
シルヴァは、”それならば私の頭をおとりください”と平然とのたまう。
王がそんなことは出来ないのを承知の上で。このあたりの駆け引きはなかなか面白いです。
エルナーニのような子猿には絶対真似の出来ない大人の勝負。
エルヴィーラがことをおさめようと進み出ると、王は彼女を担保に引き下がります。

隠れ場所から現われたエルナーニは王がエルヴィーラを連れ去ったことを聞き、
”彼は我々の恋敵なのに、おめおめと彼女を連れ去られるとは何てことをしたんだ!”と激昂。
しかし、最終的には王に頭が上がらないシルヴァには、
エルナーニの隠れ場所についてすっとぼけることはできてもそれが限界。
エルヴィーラを引き止めることが出来たはずがありません。
そこで、二人は一致団結して、彼女を王から取り戻すことを誓います。
エルナーニはその誓いの印として、角笛をシルヴァに預け、
”この角笛が鳴るときには私は自らの命を絶つ”と約束します。
つまり、シルヴァに命を預けたわけです。
ああ、そんな約束さえしなければ、、、。エルナーニの脳たりんぶりには本当にあきれかえるばかり。

この角笛をシルヴァに預けるシーンの音楽は前奏曲にも登場し、
このオペラのキーの場面となっています。

インターミッションをはさんで、第三幕の開始前には、左隣にお座りのご夫婦と会話。
このご夫婦もオペラヘッズで、オペラハウスにもよく足を運ばれているようですが、
またライブ・イン・HDもかなりの頻度で楽しまれているとのことでした。
ライブ・イン・HDは、劇場にいる時とはまた全然違う楽しみ方ができるのがいいですよ、とおっしゃる。
私も映画館で観てみたい!!
続けて、ご主人の方が、今シーズンで一番良かった公演は?とお尋ねになるので、
”それはもう10/27のマチネの『蝶々夫人』がダントツでした。”と言うと、うんうんとうなずかれ、
『ピーター・グライムズ』はどう思われました?”と少しこちらの反応を伺うようにお聞きになるので、
”いやー、あれも素晴らしい作品かつ公演だと思いました!大好きです。”と言うと、
おお、あなたも!!!と嬉しそうな表情をされ、そこからひとしきり『ピーター・グライムズ』の話題に。
『ピーター・グライムズ』には、他の人はどう感じただろう?
これが素晴らしい作品だと思うのは私だけ?と見た側に躊躇させるものがあるようですが、
私がお話させていただいた方はみな絶賛されています。


第三幕

エクス・ラ・シャペル(現ドイツのアーヘンの旧フランス名)にある大聖堂。
ここにはカール大帝が埋葬されています。
舞台には大きな台座にのった、4メートルほどもありそうな馬の銅像が。
闇に包まれる中、神聖ローマ帝国の次の皇帝に選ばれるのは自分か?という期待のもと、
富と権力がいかに無益であるか、もしも自分が選ばれたなら、むしろ、すぐれた統治者になりたい、と
夢を語る ”おお、青春時代の夢と偽りの幻影よ Oh, de' verd'anni miei ”。
歌の内容は感動的ではありますが、よくよく考えてみると、
この急な性格の転換ぶりはどうなんでしょうか?
ハンプソンの歌は安定感はあるのですが、やや深みに欠ける気もします。
その意味では、フルラネットと対照的な歌唱。

人の気配に、ドン・カルロは銅像の台座に身を隠します。
あらわれたのはエルナーニとシルヴァの部下たち。
エルヴィーラを取り戻すには、王を殺すしかない!と、これまた非常に飛躍した理論により、
暗殺という不穏な計画のもとに集まった彼らです。
エルナーニが王を殺害する役回りを与えられるのですが、部下たちがこれでスペインにも
ちょっとはましな未来が訪れるかも、と歌う個所があるのを見ると、
ドン・カルロ、一体今までどういう統治を行っていたのだ?と思わされます。

ここで歌われる陰謀の合唱では、やっと最近のメトの男性合唱らしい勇壮な響きと、
ぴたっとタイミングのそろった歌唱が出て一安心。
こうして聴いてみると、特にテノールのパートの水準の上昇が著しいように思います。

やがて大砲がなり、ドン・カルロが神聖ローマ帝国皇帝カール5世となったことが知らされます。
ここで、いきなりドン・カルロが隠れ場所から出てくるのですが、
ということは、彼がもはやアンタッチャブルな存在になった、ということを表現していると思われ、
スペイン王というだけでも高い地位ですが、神聖ローマ帝国というのはこれまた格別な地位ということなのでしょう。

さて、ついさっき、”皇帝になったら~”などと、あんなにしおらしく歌っていたはずのドン・カルロは、
喉元過ぎれば熱さを忘れる、とばかりに、
”お前ら、俺様に謀反などを図りおって!ちんぴら(エルナーニの部下)は牢獄行き、
貴族(シルヴァ寄りの人々)は処刑だ!!”と吠える。

そこに、”俺様ももとは貴族だ!だから処刑にしてくれ!”と訴えるエルナーニ。
そう、彼も、ドン・カルロに転覆されなければ、スペインの貴族として存在していたはずの人間なんである。
そのあたりのバックグラウンドから来る堂々とした押し出しが、
山賊に慕われ、ボスに奉られた原因の一つでしょうか?



王の皇帝即位を祝って集まった人々の中にいたエルヴィーラが、
”あなたには今やこのうえない力が与えられました。
今、慈悲をひとつ人々にかけることで、さらにあなたの栄光を輝けるものとするのはいかがでしょう?”と、
なかなかに上手い方法で王、いえ今や皇帝でした、に恩赦を進言。
皇帝になって気分は最高のドン・カルロなので、エルヴィーラの言葉に従い、全員の恩赦を決定。
さらに喜びをわかちあうエルヴィーラとエルナーニを見て、二人の結婚まで許してしまうのである。

あれ?皇帝、、、
あなたのエルヴィーラへの思いはそんなもんだったんですかい??!!
かように、この作品では、ベル・カント系のむちゃくちゃなストーリー作りが炸裂し続けます。

しかし、これはベル・カント・レパートリーではなく、ヴェルディの作品だったんだ、
と現実に引き戻されるのは、ひとえにこの後、第四幕でのシルヴァ叔父の行動のおかげです。


第四幕

サラゴサのエルナーニ宅。メトの解説によれば、”宮殿”となっている。
(宮殿持ちなのか?落ちぶれた貴族とはいえ、山賊のくせに。
それとも、ドン・カルロからの結婚の贈り物??)

このメトの舞台では、その宮殿(宮殿そのものは観客からは見えない)から
降りてくる石造りの大きな螺旋階段と、宮殿を守っている石壁が舞台装置。

めでたく結婚することになり幸せ絶頂のはずのエルナーニとエルヴィーラですが、
すでにエルナーニはこの幸せが長くは続かないであろうことを予感しています。
自分の人生には常に呪いがつきまとい、そこから逃れることはできない、と歌うエルナーニ。
猿の次に、鬱モードとは、、、やれやれ。




しかし、彼の予感は正しい。
聴こえる角笛の音は、シルヴァがすぐそこまでやって来ているということ、、。
この期に及んでも、エルヴィーラを手放すことは絶対に出来ないシルヴァ。
このシルヴァという人物は、実は老いるということに非常に恐れを抱いている人物ではないかと思います。
だからこそ、あえて矍鑠(かくしゃく)とし続けているし、
エルヴィーラへの一途な恋もその老いるということを否定するための大事なファクターとなっていて、
エルヴィーラを失った時には、一気に老け込んで、そのまま死んでしまいそうな気すらします。

心配するエルヴィーラに口実をつけて場を去らせたエルナーニのもとに、
とうとうシルヴァがあらわれ、”誓いどおりに命を絶ってもらおう。”と言います。
このエルナーニの人生で、最も幸せな瞬間に!

しかし、約束は約束、と片手に毒薬、片手に剣を持ち、どちらかを選ばせるシルヴァ叔父。非情です!!
ついに観念し、剣を握ったエルナーニの元にエルヴィーラが戻ってきます。
エルナーニは剣で胸をつき、エルヴィーラの腕の中で息絶えます。

その後、フルラネット扮するシルヴァが、何の良心の呵責もない様子で、
石畳の螺旋階段をゆっくり登っていく様子に、背筋が寒くなるものを感じました。

全幕通して、シルヴァの心理描写という意味では、
後のヴェルディの数々の名作を彷彿とさせるものがあり、なかなか見ごたえがありましたが、
少しストーリーに色々詰め込みすぎたか、舞台で見ても
やはりストーリーの展開が唐突すぎるように思える個所がそれはもういくつもありました。

衣装とセットの素晴らしさばかりに気が向くということ自体何をかいわんや。

歌唱に関しては、歌を芸と同義に解釈するなら、フルラネットが一つも二つもぬきんでている感じ。
しかし、シルヴァだけではなく、他のキャストも充実していなければ、
この演目をもう一度見るという気にはなれないかも。
それこそ、デル・モナコ、ウォーレン、ミラノフ、シエピのような強烈なキャストでなければ。


Marcello Giordani (Ernani)
Sondra Radvanovsky (Elvira)
Thomas Hampson (Don Carlo)
Ferruccio Furlanetto (Don Ruy Gomez de Silva)
Wendy White (Giovanna)
Keith Miller (Jago)
Ryan Smith (Don Riccardo)
Conductor: Roberto Abbado
Production: Pier Luigi Samaritani
Set Design: Pier Luigi Samaritani
Costume Design: Peter J. Hall
Grand Tier B Odd
ON

***エルナー二 ヴェルディ Ernani Verdi***

ERNANI (Sat Mtn, Mar 29, 2008) Part I

2008-03-29 | メトロポリタン・オペラ
各作品の改訂版を除いて、タイトルだけ数えても30近い作品を書いているヴェルディの作品中、
初演順で第五作目にあたるこの『エルナー二』。
有名な作品をマイルストーンに使うと、『ナブッコ』と『マクベス』の間に位置しています。
『マクベス』のライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)の際に、レヴァインが『マクベス』について、
まだこの頃のヴェルディはその後に生まれる名作のために試行錯誤していて、
その跡が作品に聴かれる、というようなことを言ったという風に聞いていますが、
私からすれば、『マクベス』はかなり完成度は高い。
試行錯誤という言葉は、まさにこの『エルナーニ』のためにあるといってよく、
各人物像の掘り下げ度の甘さや(私の考えでは、この作品で説得力がある登場人物はシルヴァだけ。)、
話のいきなり度は、まだまだベル・カントの作品にどちらかといえば近いし、
曲の端々で、ああ、ここは『マクベス』のあそこに、そこは『椿姫』のあそこに近い、と、
後の作品を彷彿とさせる個所がたくさんあるという意味では
アカデミックな意味で大変興味深い作品ではあるのですが、
しかし、その先にそれを発展し煮詰めた作品があるなら、そっちを聴けばいいんじゃないの?と
いう気がしないでもなく、予習にも悲しいほど力が入らなかったのであります。
この作品の中では比較的有名なアリア、”エルナーニ、私を連れて逃げて Ernani, involami ”も、
後の作品に比べると、すかしっ屁のような盛り上がりそうで盛り上がりきれない感じがあり、どうにもこうにも、、。
これは、相当聴かせてくれるキャストじゃないと厳しい作品だなあ、と思っていたら、
主役のエルナーニは、ジョルダーニ、、、。ため息。

というわけで、このやる気のなさが反映したか、ふと気付くといつもよりも家を出る時間が遅れている!
昨年2007年11月に、休暇と出張をかねてNYに来訪、一緒にメトの公演も鑑賞した、
私のバレエ鑑賞のメンターでもある友人に、彼女のブログ内の記事で
こんな短い距離は歩きなさい!と叱られた私ですが、今日もタクります。

さて、いつもなら5分もかからないうちにメトに到着のはずが、
なんと70丁目あたりで猛烈な道路混雑があり、まったく車がうごかない。
開演まであと9分。
前方にはずっと数珠つなぎになった車の列。やばい!やばすぎます!!!
すぐに車を降りて、猛ダッシュ。すいていると睨んでウェスト・エンド・アヴェニューまで
出てしまっていたので、縦5ブロック、横2ブロック分。
マンハッタンのブロックは横の方が長いので、縦ブロックに換算すると約10ブロック。
これはきつい。
かつて人生で、運動会ですら、これほどまでに早く走ったことはないというくらいの必死さで完走。
しかし、メトのエントランスに到着した時、時間は開演時間を2分過ぎていました。
やっちまったか?私、、、

しかし、その瞬間、耳に響いた鉄琴の音(メトはこの鉄琴の音が”着席ください”の合図になっている)。
ま、間に合ったっす!!!!

もぎりのゲートを走破し、グランド・ティアーで係員の人にチケットを見せたときには、
息切れがして、ついひざに手をついて、ぜーぜーしてしまいました。
思わず係員の人が、このまま私が倒れてしまうと思ったのか、助けの腕を出してくださいましたが、
そんなに死にそうな顔をしていたのだろうか、、?

今日は全国ネットのラジオ放送が入っていたせいもあり、若干開始がおしていたようで、
いつもは、”ちっ!時間通りに始めやがれ!”なんて思っていた私ですが、そのおかげで助かった模様。
座席についた時には、すでにオケのメンバーは全員着席しておりましたから、危なかったです。
いつもならどちらかという寒く感じられるグランド・ティアー、周りにはコートを肩に羽織ったりしている方もいる中、
一人でだらだらと流れる汗をハンカチで抑える異様な様子の私なのでした。
オペラヘッド人生中、ここまで到着時間が危なかったのは後にも先にもこれ一度きり。
さて、酸欠で頭ががんがんし、そのせいか、まるで天井の金の花びら
(うろこのようにも見えるメトの内天井の装飾)が頭にのっかってくるような幻視がおこるほどの中、
容赦なく指揮者が登場。いよいよ開演です。

ん??
何でしょう?この前奏曲でのオケのアンサンブルの息の合わなさは??
もしや幻視に続く幻聴??

しかし、第一幕の頭の山賊たちの男声合唱がすっころんだのを聴き、これは幻聴ではない!と確信。
指揮がひどい!!ロベルト・アバド!!!クラウディオの甥なのに!!!
(注:クラウディオ・アバドはスカラ座やウィーン国立歌劇場の音楽監督を経て、
ベルリン・フィルの首席指揮者をつとめていた。)
今日は各所で迷走していました。



そんな中、ジョルダーニが歌うエルナーニのアリア、
”色あせた花の茂みの露のように Come rugiada al cespite  ”。
OONYのガラでの猛烈な不調ぶりは記事にも書いたとおりですが、
あれからもう3週間以上経っていることを思えば、風邪のはずとも思えないので、
彼はもしかすると今まで強引な発声をしてきたのか、
最近、声にコアースな(ざらざらとした)響きが混じるようになってきているように感じます。
むしろ、高音を出しているときには目立たないのですが、中音域でそれが顕著になってきています。
しかし、彼の歌は本当に魅力がない。
来シーズンのメトでは『ファウストの劫罰』を歌うようですが、”今観て聴いておきたい~”男性編で紹介した
カウフマンがアリア集の中で、この『ファウストの劫罰』からのアリアを歌っていて、
その出来が素晴らしく、ジョルダーニなんかより、カウフマンで聴きたいと思ってしまいます。

この”色あせた~”では、山賊のヘッドと思しきエルナーニが、
エルヴィーラという女性と出会い、恋に落ちているらしいことが歌われますが、
エルヴィーラはアラゴン王国(今のスペインの一部)に城を持つシルヴァ家の人間。
しかし、どうやって二人が出会い、どうやって恋に落ちていったか、などといったことの説明は一切なく、
いきなり二人は恋におちているのである。だって、まだまだベル・カントの影響濃い作品だから、
そんな細かいことは聞きっこなしなのである。(『トリスタン~』とはえらい違いである。)
しかし、彼女の叔父のドン・ルイ・ゴメツ・デ・シルヴァ(オペラ中では単にシルヴァと呼ばれる)も、
彼女を愛しており、その豊かな財力と権力をバックに無理矢理彼女との結婚に持ち込もうとしています。

そのシルヴァから、エルヴィーラを奪い返すため、みんなの力を貸してほしい、と訴えるエルナーニ。
”それが叶わぬなら、俺は死ぬ。”、、なんて、極端な男なんだ!
しかし、それもこれもベル・カントのせいなので、軽く通りすぎるべし。
どうやらそんな極端な男ながら、みんなの心は掴んでいるようで(で、その理由は後ほど明らかになる。)
よし、奪い返すぞ!と盛り上がる山賊たちなのでした。


その薄暗い山中のセットから一転して一幕二場はシルヴァ家の城の中。
大きな額縁(ゆうに2メートル X 5メートルはあるでしょうか?)がかかった舞台上手側の壁と、
下手側から風をあててなびかせた大きなカーテンが印象的。
奥にある玄関から数段の階段を下りると、手前におかれたエルヴィーラの座る長椅子が置かれている。
まるで玄関とエルヴィーラの部屋が合体したかのような間取りで実際にはありえなないのですが、
これが舞台に現われると一切不自然さを感じさせず、美しい色合いに、観客から拍手。

すかしっ屁アリア、”エルナーニ、私を連れて逃げて Ernani, involami ”。
エルヴィーラ役のラドヴァノスキー、この人は長身で舞台栄えがし、
特にこのプロダクションは非常に衣装が豪華なのですが、その衣装に食われることなく、
たたずまいは非常にエレガントでした。声にやや重みのある彼女なので、
この役にもマッチしていないとは思わないのですが、
立ち上がりのこのアリアで細かい装飾歌唱を歌いきるのは難しいのか、
もう少し滑らかに音を動かしてほしいかな、という不満は残りました。
あと、特に立ち上がりでの高音の出し方が、少しフレミングの歌唱を彷彿とさせる、
あわわわ、、とうがいをしているような響きになるのは残念。
ただ、幕がすすむにつれて段々と消えていったので、立ち上がり特有のものかもしれません。
フレミングよりは彼女の方がアジリタの技術はあるように思います。

エルヴィーラ、叔父シルヴァによる強引な結婚を間近に控えて神経がたっているのか、
侍女にあたりまくるといういやな女ぶり。このプロダクションでは、結婚式用のヴェールをたずさえて
やってきた侍女からそれをひったくって床に叩きつけるという横暴さを発揮。
なぜ、こんな女が、3人もの男性に”清らかな女性よ”と言い寄られるのか。
女の私からすれば、”ぶるんじゃないわよ”ってなもんである。
しかし、このあたりの性格上の不整合ぶりもつっこんではいけない。なぜだかはすでに説明したとおり。
そう、これもベル・カントの影響がなせる業である。

そこに突然あらわれたにやけた男、トーマス・ハンプソン、いえ、ドン・カルロ。
このドン・カルロは、実在した人物で、神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン一世の長男。
16歳でスペイン王となり、19歳で神聖ローマ帝国皇帝となった史実に合わせるとすれば、
このオペラの中では、19歳のはずである。
トーマス・ハンプソンが19歳、、、うぬぬ。
ま、それは置いておいて、エルヴィーラの前に現われるこのシーンでは、まだスペイン王という肩書きです。
シルヴァ家は名家なので、スペイン王とエルヴィーラが顔を見知っていても、
ゆえに、ぶりっ子エルヴィーラにこれまた骨抜きにされていたとしても、話はおかしくありません。
城に入る際、身分を隠してしのびこんだドン・カルロですが、
エルヴィーラには、王であることがすぐにわかります。

トーマス・ハンプソン、この人はいつ舞台で見ても、
ちょっとにやけた彼の素がちらちらするように思うのですが、このオペラの中で描かれている
ドン・カルロの人物像には、これくらい軽薄でもおかしくはないかもしれません。
しかし、歌はここまで、ジョルダーニ、ラドヴァノフスキー、そして、ハンプソンという、
登場順どおりによくなっているように感じます。
特に、ラドヴァノフスキーからハンプソンの間はひょいとスタンダードが上がった感じ。
やはり、にやけてはいても、ここらあたりが、スター歌手といわれる所以なのでしょう。

ただし、ラドヴァノフスキーもだんだんとこのあたりから調子があがりはじめ、
なぜ自分になびかないのか、と問い詰めるドン・カルロに、
”どんな人の心にも秘密があるものです Ogni cor serba un mistero  ”というフレーズは、
彼女の少しスモーキーな声のカラーにマッチしているせいもあり、
また歌いまわしも繊細かつ丁寧で、大変よかったと思います。

自分の欲しいものは手に入れることに慣れている王は、
強引にエルヴィーラを自分のものにしようとしますが、エルヴィーラはナイフで応戦。
しかし、王にナイフなんか向けて、大丈夫なのか、エルヴィーラは??!!

このプロダクション、衣装が非常に豪華で見ごたえがあるのは先にも書いたとおりですが、
エルヴィーラのドレスもそれはそれは布を贅沢に使った、裾のドレープの長い、
見ているだけで、その重さを想像して、こちらの肩がこりそうなものなのですが、
その長いドレスの裾を思いっきり踏みつけていたハンプソン。
それに気付かないまま、怒りを表現しようとその場から勢いよく離れたところに向かって
歩をすすめようとしたラドヴァノフスキーが動けなくなっていたのがまるで漫画のよう、、。
王よ、いくら自分の思いどおりに人生を進めてきたとはいえ、
”自分の妻にならないか?(女王ですよ!女王!)”とまで言っている相手の
女性のドレスの裾を踏むとは失態です。
そんな無神経なことだから、エルヴィーラに袖にされるのだ。
情熱的な表情で歌えばいいってもんじゃないのです。




さて。そこになぜだかいきなりエルナーニ登場!!
もう度重なる強引なストーリーに、”あんた、一体どうやって城にしのびこんだのよ?”と、
聞く気も失せるというものです。

エルナーニの山賊としての悪評はなんと王の耳まで届いていたらしく、
(エルヴィーラよ、つくづく、そんな男とどこでどうやって知り合ったのか?!)
名前からすぐにどういう人物か、気付いた模様の王。
一方エルナーニは、王に向かって、自分の家系の恨みつらみを爆発させます。
これで、どうやら王が今の地位にあがる過程で、エルナーニの一族を破滅させたことがわかります。

ここでは二人の間に入っておろおろするラドヴァノフスキー=エルヴィーラが、
跪いた状態から、おそらく靴がドレスの裾の大量の布に埋もれてしまったか、
なかなか立ちあがれず、四苦八苦しているのに、
男二人は怒り心頭に達するあまり、愛する女性の窮地に気づかず。
ラドヴァノフスキーの奮闘はかなり長い間続いており、つい観客からも笑いがこぼれました。
だめだな。この二人、本当に。

さて、愛する人の窮地にも気付かぬほど我を忘れる怒りで一触即発状態のそこに、
”わしの家で何をやっとんじゃー!!”と怒り心頭の体で入場の、シルヴァ叔父。
いやいや、彼が怒るのも無理ないです。
ほんと、人の家に勝手にあがりこんで、剣をも交えそうな勢いなんですから。この人たちは。
しかも、自分が結婚しようとしている姪っ子の部屋に若い男が二人も!!!
きれろ!シルヴァ!!!!

ここで、自分の人生で、どれほど自分がエルヴィーラを大切に思って来たか、
彼女を百合のように清らかな人間だと思ってきたのにこんな裏切りに合うとは、と切々と歌う、
”悲しや、麗しき人の Infelice! e tuo credevi  ”は、私がこのオペラでは一番好きなアリア。
これを聞くと、歳をとっているという理由でシルヴァを無下に扱うエルヴィーラがひどい女に思えてきます。
というか、この作品で、一番行動と性格に筋が通っていて、
かつエルヴィーラを一途に愛しているのはシルヴァなのであって、
結局、彼のその怖いまでに熱すぎる性格と想いが、最後には不幸を呼ぶという意味で、
この作品は彼が中心にあると思います。
だから、私にとって、この作品の主人公はエルナーニではなく、シルヴァなのです。

さて、その大事な役、シルヴァを歌ったのは、フェルッチョ・フルラネット。
日本でも何度も歌ってくださっているイタリア・オペラの大御所バスですが、今年59歳。
先日『トリスタン~』でマルケ王を歌ったサルミネンは62歳と思えぬ声量でしたが、
フルラネットはさすがに少し声量の面、またワブリング(延ばす音が、細かく大きくなったり、
小さくなったり、を繰り返すので、うわんうわんうわん、、というような音に聴こえる)
が入ったり、で、これで表現力のないバスが歌った日には、かなり聴くのが辛い歌唱になるところですが、
そこをそうさせていないところが素晴らしい。
いや、逆にこの声で、人の心を動かせる歌を歌えるという事実がすごいです。
シルヴァの老いに対する恐怖と、その老いを否定したいがゆえの血気盛んさ、
その隙間に花のように咲いたエルヴィーラへの思い、と、全てを表現していて、
本当に見事でした。
こんな歌を聴くと、3人の中でシルヴァが一番素敵に見えてくるではないですか!

その大事なお花、エルヴィーラに手をつけようとはわしが許さんわ!
わしが直に相手になってやる!!と、エルナーニとドン・カルロを煽るシルヴァ。
”いや、それはやめておきましょう”と、身を明かさぬまま、円く事をおさめようとするドン・カルロ。
一層つめよるシルヴァ。
やむなく、王の従者リッカルドの”王でござる!”宣言と同時に、
ドン・カルロがまるで遠山の金さんのように、がばーっ!と、
かぶっていたケープを脱ぐと、そこにはきらきらの王様服に身をつつんだスペイン王、ドン・カルロが!!!

さっきまで剣を抜け!と迫っていた相手が王とは!!!!!
驚愕の事実にびっくり仰天のシルヴァ。
しかし、悲しい性で、王への服従は絶対というのが身にしみついている。
すぐさま打たれた鉄砲玉のように頭を地面にすりつけ、叩頭礼。

カルロは、人の家に勝手にあがりこんだどさくさを隠蔽するかのごとく、シルヴァを赦し、
(正しくは、メトのプログラムにあるとおり、神聖ローマ帝国皇帝の任命を待つ身であるドン・カルロが、
大きな勢力を持つシルヴァの支持をとりつけるため、というのが真の理由である。)
また、エルナーニの命も救うのですが、王の、この19歳とは思えぬ粋さと計算高さに比べ、
エルナーニは、エルヴィーラに、”今は危険すぎるから、黙ってこのまま逃げて!”とたしなめられるまで、
激昂している猿のような男なんである。
つくづく、エルヴィーラ、こんなエルナーニの、どこがいいの?!

Part II に続く>


Marcello Giordani (Ernani)
Sondra Radvanovsky (Elvira)
Thomas Hampson (Don Carlo)
Ferruccio Furlanetto (Don Ruy Gomez de Silva)
Wendy White (Giovanna)
Keith Miller (Jago)
Ryan Smith (Don Riccardo)
Conductor: Roberto Abbado
Production: Pier Luigi Samaritani
Set Design: Pier Luigi Samaritani
Costume Design: Peter J. Hall
Grand Tier B Odd
ON

***エルナー二 ヴェルディ Ernani Verdi***