Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

ありえない話

2008-03-14 | お知らせ・その他
3/6のOONYのガラについてのNYタイムズの記事に、出演者と曲名が間違って記載されたのは
当ブログでもふれたとおり。
その後、そのエラーを上塗りするかのような信じられないミスが続き、
(経緯は上の記事の中にあります。)
これには事実関係およびものごとの白黒に関して、人一倍うるさいオペラヘッド達の逆鱗に触れることとなり、
NYタイムズにクレームを入れた人たちも出た模様です。
かくなる私も、二度目の表記が誤っていたときには、怒りを通り越し、
”公共の目にふれるものに、誤記があってはいかん!”と、正しく表記してほしい、という気持ちだけで、
単純に間違いの内容だけを指摘した非常に短いメールを送信してみました。
仕方ないですよ、私もまぎれもないオペラヘッドですから。

もちろん、最終的には記事は正しく記載され、一件落着。
そんな事件があったことも忘れ去っていた今日、NYタイムズのアドレスからメールが。
そこには、”メールを頂き、ありがとうございました。訂正が入る前のプログラム・リストを使用してしまったことと、
自分の単純な勘違いのせいです。”と原因を釈明した上で、BHという、
この記事を書いたバーナード・ホランド氏のイニシャルが入っていました。

舞い込んだ鬼のような数のメールに対し、
アシスタントが死ぬほどコピー&ペイストをして返信したものかもしれませんが、
きちんと読者からのメールに応じ、釈明を試みたのは誠実な姿勢で、
こんなメールが来るとは思いも寄りませんでした。

驚いた話ついでに、もう一つ。

芸術関係のイベントで、日本とアメリカが大きく違っている点の一つに、
日本のそれは基本はビジネス(公演でいうと招聘元、企画者)が主導であるのに対し、
アメリカのそれは、ビジネスであるのはもちろんですが、それと同時に
観客たちの寄付が活動を支えている比率が大きい、ということが挙げられると思います。

そして、この恐ろしき情報社会、誰がどこにどれくらい寄付しているか、
誰がどれくらい何の公演に出かけているか、ということは簡単に把握できるようで、
寄付をすればするほど、次々と電話やら郵便やらで依頼が舞い込んでくるのであります。
そして、毎年毎年、寄付の金額を増やしてほしい、という依頼も、、。

さて、寄付なんていえば、Madokakipはすごい資産家なのか?と思われそうですが、
はっきり言って、すんごい貧乏です。激貧です。
メルセデス・バスやアグネス・ヴァリス(いずれもメトに膨大な寄付金を入れている女性達)
とはちがって、普通に雇われ人として会社勤めをしている私には、
巨額の寄付なんてできるわけもなく、一回数百ドルとか、せいぜい合計でも年に数千ドル、と
いったレベルの話なんですが、そんなことは問題じゃないんです。
私が思うに、寄付とは、絶対金額ではなく、年収に占める”寄付係数”こそが、
オペラヘッド度を計るものさしなのであります。
小額でも、切り詰めたお金から出した寄付金は、かくも尊い。
しかも、寄付金は寄付金であって、チケット代はこれとは別にかかるわけですから、
私が出せる金額は今くらいが限界です。

とまあ、そんな状況の私ですが、そんな私にも容赦なく度々かかってくるメトからの電話。
ある日はラジオ放送を存続させるため、またある日は新しいプロダクションの資金のため、
またある日はギルドのメンバーシップを次のグレードに上げませんか?
と、まあ、よくもそんなにたくさん理由があるもんだ!といつも感心してしまいます。
メトを愛している私なので、もちろん出来る範囲の協力はしたいと思っているのですが、
本当に金欠な時には、正直に”すみません、今、お金が底をついてます。”と言います。
で、その出来る範囲で協力したくさせるもう一つの理由は、メトの方達が非常にいつも感じがよい、ということがあります。
たとえば、そうやってお断りしても、”では次回にはぜひ”と、とても感じよく電話を切られます。
どの方からも、お金をもらって当たり前、といった傲慢な姿勢を感じたことが一度もないのです。
しかも、直近の電話では、”メトロポリタン・オペラでございますが、”とはじめるかわりに、
なんと、”ゲルプ総支配人よりぜひMadokakip様にお電話を差し上げるように、とことづかり、
こうしてお電話を差し上げておりますメトの○○です。”
と、寄付をする側の心をくすぐる見事なテクニックを披露する始末。
しかし、支配人の名前を出してくるとは、、、。あっぱれ、メト、です。

さて、電話や郵便が舞い込んでくるのは、メトからだけではありません。
ASPCA(The American Society for the Prevention of Cruelty to Animals
動物の虐待などを防ぐための活動を行っているメジャーな団体。
うちの犬は子犬の頃、ここでパピークラスに参加したのでとてもお世話になっている。)、
その他の動物のシェルターを運営している団体、
ユニセフ、NYの警察官たちの福祉を守る団体(私と何の関係があるのかよくわからないが、、、)、
セントラル・パーク、NYCB(NYシティ・バレエ)、リンカーン・センター(メトとは別に。何てこった!)、、、
リストは延々と続きます。

そして、その中に、かのカーネギー・ホールも。

さて、このカーネギー・ホール。
こちらも、将来音楽家をめざすちびっこをサポートするためのファンドなど、
いろいろと、こちらが”援助できません”と言いにくい理由を考えてくるのですが、
しかし、私の場合、限りある(しかも非常に微小な、、)資金。
しかも、今年はメトを中心にサポートしたい、と考えているので、
申し訳ないですが、私の頭の中では、カーネギー・ホールへのアロケーションはゼロ。
そんな中、かかってきた一本の電話。

カーネギー・ホール、以下CH。今回は♀。
()の中はそうは実際に言わなかったが、そんなニュアンスがぷんぷん。

CH:”カーネギー・ホールです。XXXの理由で、XXXドルの寄付をお願いしたいのですが。”
私:”すみません。もう今年は他に使途があって、寄付できそうにないんですよ。”
CH :”ああ。でも、寄付金は税金控除の対象になりますし。
さ、クレジットカードの番号は何番ですか?”

私、ここで”なんだ?この女?いきなり人のクレジットカードの番号を聞くとは失礼な!”と、きれる。

私:”私、寄付するなんて、まだ一言も言ってませんけど。”
CH:”でも、今年はたくさん公演をご覧になっていらっしゃいますね。
(だからそれくらいの金はあんだろ?早く出せ。)
で、クレジットカードの番号は?”

このクレジットカード番号は?とオウムのように繰り返す女性に腹立った私が、
それ以上何もいわず電話を切ったのは言うまでもありません。

しかし、数週間もすると、また別の今度は♂から電話がかかってきたのであります。

CH:”カーネギー・ホールです。”
私:”ああ、この間、別の方からお電話いただいた時にお話したんですが、
今年はメトに注ぎ込むことにしてますので、寄付はできません。”
CH: ”(メトにやる金があるんなら、それをこっちにまわせ!)メトもいいですが、
カーネギー・ホールの活動は非常に意義がありまして、、。”
私:”そうでしょうとも。でも、私の鑑賞数はメトの方が圧倒的に多いですから。メトの活動も意義深さでは負けてませんよ。”
CH: ”まあ、それはそうですが。寄付されたお金は税金控除の対象になりますし、、”
私: ”(またそれかいな。)ま、今まだボーナス前でいずれにしてもお金がないんです。
こっちが誰かに寄付してもらいたいくらいなんですよ。
ですから、お金が入って、寄付できる段階になったらこちらからお電話します。”
CH: ”こちらからお電話、って、私の名前も電話番号も知らないくせに。”
私、ここで、”なんだこいつ!逆切れしたぞ!”とびっくり。
溜息をつきながら、
私:”ペンを持ってますんで、名前と電話番号をどうぞ。”
CH: ”結構です。(皮肉たっぷりに)Have a good day。”

彼が電話を一方的に切りました。
こんな無礼な寄付のお願いの電話は初めて。本当に唖然、とはこのことです。
この話を聞いた私の連れも、”カーネギー・ホールのマネージメントに電話しろ!”と
オペラヘッドも真っ青な大変なお冠ぶりでした。

私は、マネージメントに電話なんてしませんよ。
二度とカーネギー・ホールには寄付しない。それだけです。
寄付は、どんな小額であっても、ありがたく頂戴するもの。
それを当たり前のように請求してくる彼らには、びた一文、
いえ、アメリカですから一セントですね、払う気なんてありません。
これで心おきなくメトにお金を回せるというものです。
小額寄付者だからといって、なめんじゃないわよ!