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豊洲でTOYO-VIEW

2006-09-03 23:34:28 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

タイトルと内容はなんの関係も無いが、山崎まさよし主演の映画「8月のクリスマス」では主人公が古いトヨビューを使っていた。もちろん、本筋とまったく関係ない細部なのだが、そのこと以外はあまり記憶に残っていない。
まぁ、所詮は単なるカメラオタクに過ぎないので、映画を観てもその程度なんだけど、製作者サイドにとってはたまったものじゃないだろうね。


今日はよく晴れたので、朝から撮影に出かけた。
先日、修理が完了した機材のテストも兼ねて、フィルム5本(40カット)と10シートを消費した。
昼過ぎにいったん帰宅、夕方から知人と合流して、有楽町でタイ料理を食べた。


知人とは、先日まで汐留で公開されていた岡本太郎の「明日の神話」話で盛り上がった。中でも、会場のあちこちに作家自身のマニフェストが大書されているにもかかわらず、主催者サイドは明らかに「きれいで心地よい空間」を用意して作家の力量を誇示し、また観客も「すっかりいい気分で鑑賞している」という、なんともパラドキシカルと言うかアイロニカルなシチュエーションには、2人とも激しくツボを刺激されていた。
まぁ、商業的には受け手に上手さも、美しさも、心地よさも「感じさせない」作品では困っちゃうし、とりあえず「反語」として処理するほかは無いのだろうが、それにしても浮世のつらいところだねぇ、切ない話だねぇなどと、巨大商業資本が資金を提供しなければ絶対に修復されなかったってことはすっかり棚上げして、えらそうに上から目線で語っていたが、今にして思うと痛い話してたなぁ~


ただ、そのことに引っ掛けて、次回の展示に関するアイディアもいただいた。
特に重要なのは「鑑賞者に対して展示意図を明確に打ち出す」ことで、自分のやり方は「鑑賞者の自主性尊重を口実にした責任放棄」のように受け取られかねないと、いささか厳しい言葉もいただいている。
確かに、少なくとも一定以上の鑑賞経験を持っている鑑賞者を想定していることと、作品ではなく展示空間も含めて鑑賞してほしいことの2点については、よりはっきりとした態度表明が必要なのだろう。とはいえ、現状ではインスタレーションという単語の意味が非常に混乱しており、また混乱している割には安易に流通しているため、態度表明といっても最大限の注意を要する。
とりあえず、作品そのものにセルフアプロプリエーション的な要素を持たせつつも、ある程度以上は解説でフォローせざるを得ないだろう。


大半の鑑賞者は「作品」を、それも「作品に内在するテーマ、あるいは作品の内容」を鑑賞しようと思っており、貸し画廊で展示するという「形式」についてはまったく頓着しない可能性が高いため、その点については文章による断り書きを掲示せざるを得ないかもしれない。
より性質が悪いのは、形式などは内容を補完する要素でありなどと、形式と内容を分離可能でしかも対立的に捉えている連中で、えてしてそういう連中が展示手法だけ匿名性を取り入れつつ、臆面も無くバリバリに作家性を打ち出した作品を展示したりするから、少なくとも同一視されないような工夫は必要だろうねぇ~


とはいえ、作家たるもの「すべからく作品をあまねく世に広めるように務めるべきで、鑑賞者を選ぶなどは傲慢のきわみ」という思い込みが幅広く、しかも強力に流通していることが、さらに話をややこしくしている。


かつて、とある実験的なパフォーマンスを世に問うていた舞踏家が、某評論家に「そんなに観客を選びたいのなら、自宅の庭ででも演ってればいいだろう」と評されたことがあるそうだ。舞踏という、空間との結びつきが非常に強い分野ですら、このようにナイーブかつ愚かな発言がまかり通るのだから、複製芸術である写真ともなれば、どれだけ風当たりが強いかわかったものではない。
さらにうんざりさせられるのは、件のナイーブかつ愚かな発言に対し、無批判に首肯した人々が少なくなかったらしいということだ。


まぁ、自分もエルトン・ジョンくらいの金持ちだったら、自宅に自分好みのギャラリーをこしらえて、そこで自作を一般公開したいところだけどね(あくまでも一般公開ってのがミソ)。


ただ、公開したらしたで「8月のクリスマス」観てもカメラばっかりチェックしてるカメヲタのような奴が来て、くだらねぇことほざいてうんざりさせられるんだろうけどねぇ~~



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