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「雷の季節の終わりに」 恒川光太郎 角川書店

2016-06-11 | 読書


常川さんの「夜市」の不思議で幻想的な世界を読み、私の読書はこういった現実から少し遊離した世界に入れることが目的だったのかと強く感じた。成人し気持ちが落ち着いてからも女流作家の作品をあまり手にとらなかったしエッセイなどは遠巻きに題名を眺める程度だった。常川さんの虚像に近い世界だけでなく、常に本の世界はフィクションだと決め付けて、それが非日常の中に暮らす人々の姿に自分を繋げる手段だったかもしれない。


「雷の季節の終わりに」はその「夜市」に続いて書かれたものだったが迂闊にも知らずにその後の作品を読んでいた。
この話はどことなく世界観や雰囲気が「夜市」に似ていて別の作品の「風の古道」のようにも感じられる。
そんな雰囲気が受け継がれていて、馴染みやすかった。


古代ともいえる遠い時代から「穏」という街は存在していた。時空を異にしているので現実の世界からは見えず往来も無い。商人や一部時の隙間(高い塀で囲われているが)からたどり着いた人々の子孫が長い歴史の中で、育っていることもある。
そこには冬の終わりから春が来るまでの間に雷季というものがあり、雷雲に閉ざされ、大きな音が鳴り響くその季節を、人々は護符を貼って扉を閉ざし息を潜めてやり過ごす。
その年の雷季に、潜んでいた姉弟のうち姉が雷にさらわれて消えた。そのとき弟の賢也の隣りに抵抗なく滑り込んだ異物があった、「風のわいわい」と呼ばれる異界のものだが、彼はその気配を受け入れた。
忌み嫌われるこの憑きものは祓うことが出来なかった。
街(下界と呼ぶ)から来たと言う二人は老夫婦に育てられていた。「穏」は穏やかな暮らしやすい自然に恵まれた土地だった。
賢也が小学生になったとき、一緒に遊び、兄のようになついていた人を殺してしまう。男は殺人鬼と呼ばれるような裏の顔を持ち少女たちを殺していた。
賢也は禁断の塀の門をくぐり、高天原を通り、町を目指して逃亡する。そして苦難の末、現代の生活に逃げ込む。

賢也は過去を忘れているが、「穏」に来た経緯が別のストーリーで語られる。これも面白い。

最後は二つの物語がまさにきっちりとつながり、二つの世界に血が通ったような生き生きとした作品になっている。

「穏」の生活風景は鮮やかで穏やかで、そこに毎年短い奇怪な季節がおとずれる。
住んでいる人々は長い慣習を守って暮らしている。

賢也の逃げ込んだ外の世界は、現代の街の姿である。
追っ手は時空を行き来し、怪物の姿を垣間見せる。
「風わいわい」は時に人を導き、世間話をし、天空にある「風わいわい」の世界を話して聞かせる。

このなんともいえない不思議な世界、SFとも言えずホラーでもない、それでいて風景の繊細で美しい描写や人々の欲望や希望や生命の巡りなどが目の前に開けてくるような世界に引き込まれた。
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