空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「偶然の音楽」 ポール・オースター 柴田元幸訳 新潮社

2016-06-15 | 読書



主人公ナッシュは、大学を中退して転々と職を変え、ひょんなことで消防士の試験に受かりそれからは地道に務めていた。二歳の時、父は家を出て、現在は母親と妻と娘の三人家族あった。しかし母が脳卒中で倒れホームに預けてからは入院費用のために生活は逼迫し、妻は子供を置いて出て行ってしまった。
突然訪ねてきた弁護士から父親の遺産20万ドルを受け継ぐことを知らされる。父の死よりも大金が転がり込んだことは晴天の霹靂、彼に無常の喜びをもたらした。
入院費の滞りを払い娘は仕事柄ナッシュにはなついていなかったので、堅実で子煩悩な夫を持つ姉の元に預けた。

ナッシュは、残りの金で赤いサーブ900を買う。

彼は車に乗って目的も無く走りたかった。職場にある有給の残り三ヶ月分を消化すればこの気持ちも収まるかと思ったが、一旦帰ってみるとまだ虫は治まらず、とうとう引っ越すことして退職する。
そして銀行に残った6万ドルで、彼は今まで縛られていた様々なしがらみから開放されフリーウェイに乗る。
窓外を流れていく異郷に景色の中では、自分の体から自分が離れていくような気になれた。

好きな音楽とともにアメリカ大陸を横断し名所見物をし父親がいたというカリフォルニアにも行ってみた。そしてついに残りの金を数え、こういう生活も永遠には続かないことに気がつく、切り詰めてはみたがそんな習慣はとっくに無くなり、出発してから1年と2日、残りは1万4千ドルになっていた。絶望の一歩手前、ニューヨークに向かった。

途中で満足に歩けない若者を拾った。
「そのようにしてジャック・ポッツィはナッシュの人生に入ってきた」
少年のように小さく細身で、殴られた傷のせいで満足に歩けない、服は引きちぎられたようにぼろぼろの姿で、彼は助手席に倒れこんできた。
ジャックはカードを使ったギャンブラーだった、自分は腕がよくいつか無敵になりワールドカップにも出られると自信たっぷりだった。
生死の境をさまよう子供を助けたようで目が離せず、ナッシュは残りの金で何くれと世話を焼く。彼は自由と引き換えに、忍び寄ってきたささやかな孤独感に気づいていた。

ジャックのカードの腕を試してみると、ただのホラではない相当の実力があった。彼は当たった高額の宝籤から投資をはじめ今では富豪になり深い森にすむ二人からカードの招待を受けていた。資金は最低一万ドルはいるという。ナッシュは残りをジャックに賭けてみることにした。どうせ素人の成り上がり者で、いいカモになるだろう、ともはや二人の将来の夢はどこまでも膨らんでいった。

そして行き詰る様な攻防の末、ジャックはナッシュの起死回生の追加金をすってしまい、1万ドルの借金まで出来る。
生活資金まですっかり無くしたところに抜け目の無い二人から時給10ドルで、城を解体した石で塀を作ることを提案される。金が無くては出て行くことも出来ない一個の石を積んである山から一つずつ運んで長い塀に積んでいく。

しかしこの仕事に慣れてくるとナッシュは徐々に心の底に平安を覚えるようになる。
一方ジャックは、相手の二人をいかさまだとののしり、憤怒の言葉を吐き散らし、ツキが逃げたのはナッシュのせいだとまで言った。
だが彼も金がなくては行き所も無い、金網で囲われた広い敷地の中の囚人のような待遇に慣れかけてきた。しかし彼一流の処世術でそのときはそういう風に自分をだましてしか生きることができなかったのだ。

見張りのマークスは一日中脇で突っ立ったまま監視する、雨のぬかるんだ日も雪の日も、ただ突っ立って時々あれこれと指図する、二人は無視することを覚えた。
そしてとうとう借金を返した日、ジャックはお祭り騒ぎをする。ささやかな生活費は出来た。金網の下を掘り小柄なジャックなら外に逃げられるのではないか。
しかしその穴を抜けた先には幸せな生活は無かった
ナッシュのサーブは富豪の二人からマークスがもらっていた。一人残ったナッシュは少しずつマークスや息子や孫にも馴染んでいく。ついにその素ごとからも放たれる日が来たとき、かって自分物のであった赤いサーブを運転をして町に出かける。

あらすじでも長いが、実に現代のストーリーテラーといわれるように面白い。
ナッシュという人物。しがらみから逃げて走り回った月日が終わった頃は、帰着する場所を失って、思いもしなかった孤独感を感じるようになる。自由を得たと思ったところが、やはりそれは帰属するものがどこかにあってこその自由であり、糸が切れてしまっては、自立していく強く新しい精神を育てなくてはならない。彼はその手段をジャックという青年の中に見つける。少しの愛着と近親感は生きていけるだけの心のよりどころではあった。
人をひきつける話術と巧みな生き方を見につけたジャックは彼もナッシュに馴染んではいたがまだ若く、ナッシュの誤算は、ジャックは天才でありナッシュは凡人であったことだろう。

息詰るゲームの折、ナッシュはジャックの邪魔にならない位置で見守っていたつもりが、トイレに立ち、ついでに屋敷の中を歩いて住人の持ち物を盗んだ、それはジャックの命がけの気迫をそぎ、負けという運命に落とし込んでしまった出来事だったのだ。ジャックは酔った勢いでそのことに怒り狂っても、ナッシュは一向に理解できなかった。

ナッシュは環境の中から次第に生きる安寧の芽を見つけていく。だがジャックはそうは行かなかった。
遺産が手にいる時期がもっと早かったがナッシュの生き方はもっと違ったものになっていただろうし、ジャックも関わることもなくそれぞれの人生を生きただろう。


いや、なんと言ってもポール・オースターという作家の掌のうちで感じ思うこと。
それが多いくて溢れるほど、実に面白く意味深い作品だった。
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