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コロナ禍の中で

2020-06-10 | 日日是好日
内にこもっている間は案外何もできないもので、3か月を無駄に過ごしてしまった。ただ感染者、感染源にならないように、自粛要請に沿って、何もかも控えめにおとなしくしていたらあっという間に日が過ぎた。

コロナウイルスという未知の病原体のおかげで、大げさに言えば、与えられたいのちや環境がどんなにもろいものかを実感した。

こうして命が生まれてから「人類」が生き続けてきたこの世界がをもう少し謙虚に見つめ返さないといけないと、少し違った日常の中で感じてきた。

進歩した文化国家という自負が、ただ一つのウイルスさえすぐには制圧できない、感染源の前でおろおろし、どこに持って行きようもない生活の不安の向く先さえ見極められないことに気が付いた。

経済や医療が崩壊する前につぎ込むのは、備蓄していた予算の切り崩しであって、それも同じ状態ならいずれウイルスに屈してしまうかもしれない。

すぐにすべての研究機関は全力挙げて「敵」の正体解明に向かい、防災体制を整えないといけないところを、少し甘く見た。そして身近な既成の病原菌に対するようなお粗末な知識で防戦しようとした。感染が拡大する中で、防戦対策は、政治力で、医療機関研究機関の、受容体の感染食い止め策で、やっと沈静化してきているように見える。

自然のチカラの前で、人類は脆いということを実感した。何度も大きな災害に見舞われた後でさえすぐに忘れ、いまだに解決されない中で苦しんでいる人も多い。マダマダ生き延びるために戦いは終わっていないし、あるいは命の尊さを忘れたころに災いは降りかかるのかもしれない。
未知のウイルスと自然の威力の前では地球はもろく狭い。

経済破綻を食い止めるということは、目下のウイルス封じ込めに並行した命題だ。このたび分かったことはいかに人々が安寧に馴れ、心身ともに緊張感が薄れ、単に事務処理さえも満足にできない、体たらくだということ。
高等教育が知識だけに終わったいないだろうか。
緊張感に敏感で、洞察力、実行力を備えた政治家、研究者、医療関係者、基礎知識の豊富なコメンテーター、報道関係者の真摯な姿勢は一部の人たちだけのものだろうか。振り返って初めて、ことの大小を問わず、こういった人たちの精神の偉大さがわかるように思う。

単に、レジ袋一枚、便利な生活用品を何気なく使い捨て、売らんかなの新しい製品開発に浮かれ、豊かな生活という美名を享受した暮らしを見直し、コロナ禍という時代があったことを、歴史の1ページを生きたことを忘れないようにしたい。

今日、ブログ画面に向かってふと思うこと。
明日もまた変化のない日が続いていくし、それが日々是好日でしょう。




昨年植えたボリジの種がこぼれて春早くから花が咲いた。




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