空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

猫のモビール

2007-02-07 | 山野草

人は
生まれた時から捜し続けているという半身
望んでも満たされないものを
欠けているものを探り続けているという

僕は
モビールになったときから分かっていた
あの色とりどりの丸い玉
手が届きそうで届かない仲間たち
見えるのに永遠に手に入らないもののあることが

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2 コメント

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黒猫 (KUMI)
2007-02-07 23:05:01
昔、黒猫を飼っていました。柱で爪をたてるので叱ったら、その直後に家の前で交通事故に・・
きっとあのミイもこんな姿で天国に居るのかなぁ、と。

思うようにならないことがあるから、生きているのが面白いのかしら?
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Unknown (misako)
2007-02-08 12:00:03
生きているということは、いつも無意識に二つの生き方の片方を選択しているといいますね。
選択の余地のないことも多いですが。
自由で楽しいということが周りを傷つけているのではないかと思ったり、あれでよかったのかなんて無駄に迷ったり、少しは強くないと生きていけません(^。^;)

猫や犬は「今」を生きているもののように思います。
言い切るのはちょっと勇気が要りますが。

よくスポーツ選手が「楽しんできます」というのを聞きますが、あえて楽しむというのも強さかなと(^^)
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