「能 俊寛」 伝統に支えられた日本の芸能は伝える人たちの努力と精進がしのばれました。
俊寛(しゅんかん)・成経(なりつね)・康頼(やすより)の三人が鬼界ヶ島に流刑となった翌年,清盛の次女で,第80代天皇高倉憲仁の中宮である徳子が懐妊したことに喜んだ清盛は,流罪となった者達に恩赦を発しました。 やがて赦免状を持った使いの船が鬼界ヶ島に着きました。しかし,その赦免状には成経・康頼の名ばかり書かれており,俊寛の名はありませんでした。 愕然とする俊寛をよそに,使いの船は成経・康頼の二人を乗せると,さっさと島を去ろうとしました。 俊寛は出て行く船にすがりつき,必死に乗せていってもらうよう頼みましたが,使者に引き剥がされしまいます。 俊寛は渚に倒れ,赤子のように泣き喚き,船の行く先を見つめ倒れ伏しました。
焦燥感に震えるばかり。同志と別れて孤島に残され、前にも増して絶望の淵に追い込まれる俊寛の哀れさは、たとえようもありません。 深い波のうねりのように響く、よく調えられた謡が、その絶望を淡々と、くっきりと描き出し、能の表現の凄みを感じます(演目事典)
8月の薪能、羽衣・土蜘蛛に続いて「俊寛」を見てきました。狂言伯母ケ酒と、杜若も演じられましたが、初めての「俊寛」があまりにもドラマティックでインパクトがあったので、ワクワク感が収まらず、俊寛の歴史や関係がある書籍などを読んでみました。
何度も繰り返し演じられるものも多いですが、なぜか「俊寛」は初めてで、そのせいで気になるのかと思いましたが。舞がない、まるで劇を見るような動的なシーンが多いことに気が付きました。珍しい形でした。 形式的な流れは変わりありませんが、登場人物の舞や口上、物語との組み合わせで変わる衣装や面や謡の内容は、初見の時は売店で謡本を買って参考にしてきました。 ところが今回は初めての湊川神社の神能殿で売店がなく、予習もできていませんでした。 「俊寛」は平家物語の有名どころで、うろ覚えでしたが、物語を楽しむことはできました。 ただ初めてのことで少しショックを受けたのですが、たいていは先触れがあり、能の美しい形や物語の流れに乗って物静かな舞がつづき、そのあと何か事件が起きる(狂った化身が現れて正体をさらして舞ったり、成仏を願って哀訴したり、悪霊や復讐の鬼になって暴れたり、しみじみと昔語りをしたりして去っていく)のですが、「俊寛」は少し違いました。 流刑先の喜界ケ島で穏やかな暮らしに馴染んでいたところ、赦免使が来て自分だけが残されると知り、その絶望と悲嘆、橋掛りに浮かぶ船に向かって、体を波打たせて泣く姿が、幽玄能の世界にしてはあまりにも俗人臭く、珍しい能舞台に心がひきつけられるようでした。 お囃子と謡の声が盛り上がり、沈み落ち、素晴らしい舞台でした。 能の物語はどう荒ぶって演じても、どこか幻の世界の中で生きている人物が儚く淡く、この世との境を超えていけない哀れさを秘めています。 ところが「俊寛」は生きた姿で現れ、赦免状を何度も読み返して確かめ、がっくりとうなだれ、出て行く船の纜にすがって引き寄せようとします。 橋掛かりを遠ざかる船と悲しみに沈む俊寛の姿に、現実味をたたえた鬼気迫る姿を見ました。 シテ方を演じる知り合いの精進の様子にも心打たれました。
何度も繰り返し演じられるものも多いですが、なぜか「俊寛」は初めてで、そのせいで気になるのかと思いましたが。舞がない、まるで劇を見るような動的なシーンが多いことに気が付きました。珍しい形でした。 形式的な流れは変わりありませんが、登場人物の舞や口上、物語との組み合わせで変わる衣装や面や謡の内容は、初見の時は売店で謡本を買って参考にしてきました。 ところが今回は初めての湊川神社の神能殿で売店がなく、予習もできていませんでした。 「俊寛」は平家物語の有名どころで、うろ覚えでしたが、物語を楽しむことはできました。 ただ初めてのことで少しショックを受けたのですが、たいていは先触れがあり、能の美しい形や物語の流れに乗って物静かな舞がつづき、そのあと何か事件が起きる(狂った化身が現れて正体をさらして舞ったり、成仏を願って哀訴したり、悪霊や復讐の鬼になって暴れたり、しみじみと昔語りをしたりして去っていく)のですが、「俊寛」は少し違いました。 流刑先の喜界ケ島で穏やかな暮らしに馴染んでいたところ、赦免使が来て自分だけが残されると知り、その絶望と悲嘆、橋掛りに浮かぶ船に向かって、体を波打たせて泣く姿が、幽玄能の世界にしてはあまりにも俗人臭く、珍しい能舞台に心がひきつけられるようでした。 お囃子と謡の声が盛り上がり、沈み落ち、素晴らしい舞台でした。 能の物語はどう荒ぶって演じても、どこか幻の世界の中で生きている人物が儚く淡く、この世との境を超えていけない哀れさを秘めています。 ところが「俊寛」は生きた姿で現れ、赦免状を何度も読み返して確かめ、がっくりとうなだれ、出て行く船の纜にすがって引き寄せようとします。 橋掛かりを遠ざかる船と悲しみに沈む俊寛の姿に、現実味をたたえた鬼気迫る姿を見ました。 シテ方を演じる知り合いの精進の様子にも心打たれました。
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俊寛が島に残されたその半年後,かつて都で俊寛が面倒を見ていた有王(ありおう)という童(わらべ)が俊寛を探しに鬼界ヶ島(きかいがしま)にやってきました。 そして変わり果てた姿になった俊寛に対面しました。 身内の消息を訪ねる俊寛に有王は,「北の方(俊寛の妻)も若君(俊寛の息子)もすでにお亡くなりになりました。今は姫君(俊寛の娘)だけが叔母さまのもとに暮らしております。」と告げ,姫君から預かってきた手紙を俊寛に渡しました。 俊寛は,娘からの手紙を読みながら涙を流し,「恥を忍んで,今まで生きてきたのも妻子ともう一度会いたいと思ったからだ。娘のことは確かに気がかりだが,むやみに生きながらえて,娘にいつまでも辛い思いをさせるのは情け知らずというものだ。」と有王に話し,死を覚悟しました。 その日から俊寛は食べ物を一切口にすることなく,ただただ念仏を唱えながら悲劇の一生を終えました。 その年齢は37歳と言われています。
(後日譚)