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「ティンブクトゥ」 ポ-ル・オースター 柴田元幸訳 新潮社

2016-09-17 | 読書


ミスター・ボーンズは知っていた。ウィリーはもはや、先行き長くない。

書き出しからウィリーは病んでいる。精神と肉体が究極まで侵され生きていく見込みがない。犬のミスター・ボーンズはウィリーがそうして次第に消滅していくことをどうすることも出来ず、恐怖と絶望の中でじりじりしている。

犬と人の愛情交換物語のようだが、そこには、人間の言葉が理解できるようになった犬と、放浪の果てに死んでいく人間の、別れを前にして深い哀惜と、どうしようもない孤独感が書かれている。ウィリーの病的な饒舌と長広舌を聞きながら、ミスター・ボーンズは深くウイリーを理解する。長い過去も未来が同じように短く感じられ、わずかしか残っていないことをお互いに知っている。

オースターの定番のような放浪する詩人の人生に今回は連れ添う犬がいる。

父は死に敵の様な関係の母親から逃れて、薬や酒のおぼれ自分を見失っていたとき、夜中にTVで見たサンタクロースから啓示を受け、クリスマスという名前を付け加えた善意の人に代わろうとする。しかし、時の流れは彼を蝕み、父親の遺産も、母の保険金も瞬く間に善行の陰に消える。

彼はボディーガードの必要を感じ仔犬のボーンズを相棒にする。

かって彼の書いたものを誉めてくれた先生のいるボルチモアに向かう旅に出る。極貧生活でも、ボーンズは頭を撫でてくれ温かい腕の中で丸まって眠る生活はこの上ない幸せだった。

ウイリーは絶え間なく話しボーンズはそれを聞きながら、歩き続ける。
ティンブクトゥ。 来世。それは人が死んだら行く場所だ。この世界の地図が終わるところでティンブクトゥの地図は始まる。砂と熱からなる巨大な王国永遠の無我広がる地を越えていかねばならないらしい。ウィリーの話をミスター・ボーンズは疑わなかった。

死ねば一瞬にしてあっちに行きついてしまうのさとウイリーはいった。宇宙と一体になって神の脳内におさまった反物質のかけらになるのさ。
ミスター・ボーンズは一言も疑わず、ウィリーの生きが絶えそうになった時夢で彼に付き添う、目覚めてまだ彼のからだが暖かいことを知っても、もう夢で見たことが現実であることを疑わない。
このあたり、ミスター・ボーンズの見た夢と現実がどう重なっているのか、犬と設定したことで、その境界が明瞭でないのも何か筋が通る気がする。

それよりも死を前にしてのウイリーの絶え間ない話がオースターの真骨頂といえる。比喩はもとより、同義語、同音異語、言い伝え、引用、様々な言葉の奔流がミスター・ボーンズの上に降ってくる。彼はじっとその狂想曲を聞いている。
それは読者にとっても興味深い話で、例え脈絡が乱れたり意味が飛んだり刎ねたりしながらであっても、その意味するところは、ウイリーが死ぬまでまで詩人であろうとした、作家になろうとして迷い込んだ言葉に茂みの中から、最後にふりしぼって語りかける一言一言の深さを感じる。
もしその語らない言葉の底や裏にある思いを感じることが出来る聞き手であれば、それは聞くことの極意でありミスター・ボーンズが、理解できても話すことが出来ない設定もうなずける、愛情に溢れた聞き手であってこそ、空虚な言葉を吐き散らす現代人とは違う重さを感じ取っているのではないかと思われる。


ウイリーと別れて旅する後の話は、ややありきたりの犬らしい体験で、ついに犬以外の何者でもない境遇から逃げ出しす。
求められていると感じるだけでは犬の幸福はなりたたない。自分は欠かせないと言う気持が必要なのだ。

ウイリーの元に向かって走るミスター・ボーンズの姿は鮮やかだ。

こうしてオースターを読むことがやめられない。










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