常に最前線にいて決定的瞬間を目撃したかれらの証言を集めると、それは自ずから臨場感あふれる戦後史になるのだ。
何かを調べていて写真家細江英公さんの、舞踏家土方巽を写した鬼気迫るようなシュールで美しい写真に衝撃を受けた。もう一度確認したいとネットで調べてみると、この方はあの三島由紀夫の「薔薇刑」を写した人だった。
写真は形だけでなく「人」の内面を写しとるものだと改めて感銘を受けた。
どういうルートだったか、この本を読もうと思った。キャパの記事を読んだ後だったか、リストにいれていた。
労働争議、学生運動、公害、ベトナム戦争、原発事故……。最前線に立った写真家たちは怒りを胸にシャッターを切り世の不条理を告発した。フィルムに収めた決定的瞬間は、見る者の心を震わせ人々の世界観にも大きな影響を与える。
まず読み始めると第一章原爆投下と敗戦から始まる。
自爆部隊から辛くも命拾いをした福島菊次郎は、被爆者中村杉松を紹介され写真家の道に足を踏み入れた。
最初の一枚を見て私は絶句した。極貧の中で原爆症に苦しみのたうち回り、苦痛を紛らすために内股に100を超える傷痕を残した。写真はその苦しみがありありと写っている。
こんなに苦しまなくてはならない、この人だけではない多くの人々、予想もしなかった悲劇に襲われたのは人災であってそれは時の流れに埋まろうとしている。
第二章 激動の時代
第三章 高度成長の光と影
第四章 公害
不可視の水俣病を撮れ。
水俣病を認定しなかった時代、苦しんだ人々の映像は胸を締め付ける、多くの胎児性
患者を産んだ。
第五章 ベトナム戦争
ピューリツァー賞を受けた有名な沢田教一の「安全への逃避」
テレビ番組で昨年見た、そこに写っている一家の子供たちの現在の映像が流れた。
「ベトナム戦争」をとくこの番組は感銘深い作品だった。沢田教一はこの後若くして
銃弾に倒れた。
第六章 虐殺と紛争の現場
ポル・ポト政権下で虐殺され、強制労働で死亡した人々は200万人に近い。
知識人を刑務所に送り、粛清した。プノンペンでは一万二千人が拷問虐殺された。
第七章 沖縄、韓国、中国
沖縄の悲劇はまだ続いている。辺野古基地建設に反対した翁長知事が昨年亡くなり謝花知事が遺志を 継いだ。政府との見解の相違と闘っている。米軍基地がある日本に住んでいる私たちは今も揺れてい る。
第八章 巨匠、奇才の肖像
100歳を超えた現役写真家の笹本さんが写した、素顔の大観、永井荷風、徳富蘇峰、
升田幸三。
明治生まれの女性たち。
細江英公が撮った、土方巽、大野一雄、三島由紀夫。
第九章 原発推進とフクシマの悲劇
ビキニ環礁沖で死の灰を浴びた第五福竜丸を救え。海岸に打ち捨てられていた歴史に残る船を取材 し訴えた写真家たち。
チェルノイブリにはまだ放射線が残っている。今は緑が育ち人々は穏やかに見える村で暮らし続けている。
「放射線の恐ろしさは、いくら高い数値であっても、痛くもかゆくもなく、なにもわからないということなんです」
写真家本橋成一さんは現地を訪れた感想を述べる。
対岸の火事ではない。福島原発の放射線漏れ、メルトダウン。また稼働を始めた原子炉。
放射線測定値の針が振りきれる土地で住み続ける、故郷を離れられない人たち。
無知ではない、しかし故郷を愛するヒトの本能は見えないものには働かない。動かされない。
文字よりも目で見る現場写真の訴えは強い。そこには体調を壊しながらも撮り続ける人がいる。
一瞬を切り取る短距離走のような瞬発力と、同一テーマを撮影し続ける長距離走者のような持続力。この両方を併せ持つことが、優れた写真家の条件かもしれない。
狭い島国は見えない危険の上で平和を謳歌している。政治的な発言や行動がなにか日常から外れた行動に見える、声高く叫ばないのが良識のある生き方のように思える。そしてこうした考えは知らず知らずに過去の傷跡を歴史の中に埋もれさせてしまう。苦しみはそれに出会った人の悲運である、私事とは距離があると感じる。
この本はその苦しみを日常の自分に引き寄せることができる人道的な一冊だった。
私の、好奇心に吊り上げられた読書から、今生きているこの国はどんな危険の中にあるか、考えるのも大切だと思った。
有限な資源、印刷すれば出てくる貨幣。増税で補填する費用、増える国家予算。法律の改正はどれだけの無駄を産むか、平和に感じられる実情は何か危うい、今の時代というがその方向はどこに向かっているのだろう。参考になった。
HNことなみ