カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『伝わって、つながって』

2006-10-31 11:38:51 | Weblog
 「「ブログ」って何なんだろうね~。」



 神父様が言われる。



 神父様はメールの受信はするが基本的には返信されないと聞く。



 直接「あなたに話したい」からだと思う。が、違っていたらごめんなさいだけど。



 詩を書いたり、本を出版されたりしているプロフェッショナルに



 「「ブログ」って何なんだろうね~。」



 お茶の間などで、ぼくは何度か耳にしているが



 聞こえないフリをしている(笑)。というか、どう説明してイイのか実際のところわかってないから、答えようがない。



 たぶんこのブログも読んでないと思う。いやこういうのも問題なんですね。「たぶん」ていう類(たぐい)のヤツ。



 憶測やうわさが文字になって一人歩きしちゃう可能性があるから。







 「福音」とは「喜びを伝えること。」どこかで聞いた。



 「良いうわさ」が広がっていくのはイイのだけれど・・・。



 みんながみんな、同じ文章を、同じ行間を、同じ感性で、読み取ることは不可能だし。






 今日ある方からこのブログにコメントをいただきました。



 あまり大袈裟に大騒ぎしてはいけないのだろうが



 鳥肌が立った。感激したから。



 引用させていただきますね。主催特権で(笑)



 「はじめまして。

  いつもこちらのブログを楽しみにさせていただいております。

  入門講座、悩んでおりましたが、ブログを拝見して、参加を決意致しました。」


 なんてうれしいコメントでしょう。



 手柄だとか成果報告をしたいとかで取り上げさせていただいているのではありません。



 純粋に



 「美しい」じゃないですか。





 ぼくの書いてる文章は



 ただの日記もどきだったり、ストレスの発散だったり、決意表明だったり、弱音のハキダメだったり、問題提起っぽかったり、挑発的だったり、まあ単なる気まぐれで、「福音」とは程遠いのですが



 「信仰」という軸だけはぶれてない自信みたいなものはあります。



 だから



 そんな普通の人間が



 「本物」に触れて



 変わっていく生き様みたいなものが



 ほんの少しでも



 たったひとりの誰かにでも



 『伝わって、つながって』っていくのであれば



 こんなしあわせなことはありません。



 明日、母の病気の説明を聞きに田舎に行ってきます。



 その前日に大きな勇気と元気をいただきました。






 神に感謝。
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『野菜』

2006-10-30 08:26:11 | Weblog
 今朝になっても、いまパソコンを打ってる指先、爪に土が入り込んでいる。



 「ちゃんと手を洗いましょう。大人なんだから。」



 そういう話しではなく、土曜日に畑で『野菜』を収穫させていただく体験機会に恵まれた。



 日曜日の「教会まつり」で販売する『野菜』です。



 杉並区内の生産者さんにおじゃまをして、大根、キャベツ、じゃがいも、さつまいも、小松菜、かぶ、チンゲンサイ、冬瓜、やつがしら、ずいき、ゴーヤなどなどを安価で提供していただいたのです。



 「「かぶ」と「小松菜」は抜いて持っていってください。」



 お恥ずかしい話だが畑で『野菜』を採るなんて何十年ぶりでした。



 「パッと見て、大きいヤツを選んで持って行ってイイから。黄色い葉っぱはそこで落として。」



 「かぶ」ってまるまる土に埋まってるんじゃないんですね。イメージと違ってた。先っちょの根っこの部分だけ、全体の15%くらいかな。



 簡単に手で引き抜けます。



 「小松菜も大きいヤツだけ採ってちゃってイイから。」



 「どれが大きいんだ?」カッコウつけて選んでいるうちにご主人はサクサク抜いてます。



 大きな荷台のトラックをお借りして『野菜』満載で教会にたどり着きました。






 「まつり」当日まで雨模様でしたが、心配には及びません。ぼくらには神様がついてます。



 秋晴れ。



 みなさんのチカラで『野菜』完売。



 配送も準備万端でなんとかクリアしていただきました。



 ヘトヘトだけど、反省点もあったけど



 「秋の収穫を神様に感謝する。」



 大変よろしかったのではないかなと。



 創意工夫。



 楽しむ。



 そして



 フィードバックしてアジャストしてく。



 「まつり」に参加していただいたみなさん。こころよくお手伝いをしていただいたみなさんに感謝です。






 「いらっしゃい、いらっしゃ~い。『野菜』がヤサイ(安い)よ~。。。」






 神に感謝。
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『特製特上親子丼』

2006-10-28 09:11:42 | Weblog
 おいしいお米をいただいた。



 新潟のコシヒカリの新米。



 もうどうにもこうにも、うまい。






 通販で頼んでたらしき



 「金芽米」とやらも同時期にやってきた。



 新潟のコシヒカリの新米。



 いただいたものとは違う感じでおいしい。





 ということで



 我が家は今



 「どんぶり」ラッシュ。



 豚バラ肉のチンジャオロースーどんぶりに



 カレーライス(どんぶりじゃないけど雰囲気と勢いで)。





 極めつけで最近レシピを伝授されてきた新メニュー




 『特製特上親子丼』




 平らに盛られたほっかほっかの炊きたてごはんの上に



 やや大粒の鶏そぼろが敷きつめられ



 その上にオムレツが乗る。



 そのオムレツが真ん中から見事にパカッと割れる。



 オムレツの中から



 アメ色に炒められた細切りのたまねぎと



 鶏の胸肉がテリヤキされたものがゴロゴロと



 顔を出している。



 ミツバをトッピングして



 さあ、めしあがれ!



 これがうまいのなんのって。



 こんなとき混ぜて食べる派?



 ぼくは端から切り崩しながらオムレツでごはんを包みながら食べたい派です。



 おいしいものを食べるとニコニコしあわせ気分です。



 さ~て秋晴れのすっごく気持ちイイ土曜日に



 親子丼で自転車に乗って



 引越し先でも探しに行こうっと。



 それと「教会まつり」の準備もね。






 神に感謝。
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『トゲ』

2006-10-27 08:26:36 | Weblog
 久しぶりに一本のTVプログラムをしっかり観た。



 某国営放送がやってるやつ。



 おもしろかった。



 途中までは。



 おもちゃの企画開発会社の社長が出てきた。



 ぼくは「企画」という言葉に弱い、っていうかツボだ。



 畑は違うけど、昔、企画開発部門にいたこともあるし、なんだかスキだ。





 「企画は、『トゲ』だ」





 その社長が言った。



 『トゲ』と言うのは「違和感」なのだと。



 面倒臭いから支持される、遊び心を刺激し、くすぐるのだと。



 万人受けする気の利き過ぎたものはおもしろくない。




 ただしその『トゲ』が「とげとげし過ぎている」とマニアックなものになってしまう。一部に熱烈な支持を得るがヒットしない。




 「「のどごしの良さ」みたいな感覚」なのだと。




 ここが難しい。ぼくも実感したから。




 そして迷ったり方向性が見えなくなったら




 発想の「原点に立ち返れ。」




 この辺りは、まぁ企画開発者の定石みたいなもので共感もしたし、あらためて「なるほどな」と思わされた。




 企画の現場はフラフラしてたり、フツフツしてたり、ドロドロ、ネチャネチャしてたりで、酒飲みながらのブレーンストーミング楽しそうだった。




 しかし後半がいただけなかった。




 「さすが」というか「したたか」というか



 元勤めていた会社の大ヒット商品を「伝説のロボット」と位置づけ、それを凌駕する新しいロボットを企画開発するという。



 二ヶ月ほど試行錯誤して企画を練り上げ、クライアントを勢揃いさせてプレゼンした。



 これは国営放送を使った大々的な企画提案で、問題提起であり、一種のパフォーマンスでしょ。ある意味すごい。



 番組の流れか、製作側の思惑か、出演者側の手腕か、知る由もないが



 もちろんぼくが「斜め」から見ちゃったからかもしれないが



 ちょっと「いやらしさ」みたいなものが残った。






 いや、ちょっと待った。



 もしかしたらこの「いやらしさ」が




 『トゲ』だったの?




 まんまとハマっちゃったのかぁ。




 さて、今度の日曜日は「教会まつり」です。10時半頃からはじまります。




 教会の企画モノ。




 期待以上の演出を用意してお待ちしております。




 テーマは「秋の収穫を神様に感謝する」として、野菜や果物やお米の即売会をしたり、おいしい食べ物屋台が軒を連ねて、豪華景品の当る大抽選会ありの




 「まつり」です。




 来ないともったいないですよ。




 もったいないオバケ出ちゃいますよ~。




 はじめての方、この機会に是非どうぞ。




 ちなみにこの楽しい企画には




 『トゲ』ありませんから。







 神に感謝。
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『夕暮れの空』

2006-10-26 11:21:55 | Weblog
 昨日の『夕暮れの空』を眺めてたら



 胸がキュンとした。



 理由なんかどうでもイイ。



 そのグラデーションが



 なんとも美しいかったから。



 気力をふりしぼってるつもりになって自転車をこいでる自分がなんか



 情けなく感じたりした。



 娘にとってはプチサプライズの平日の夕方の公園。



 真っ赤な顔して400mトラックを4周した天使。



 日が短くなったなぁ。



 「パパ、三日月だよ。」



 どれどれ、あっ、ほんとだ三日月だ。



 「寒くなってきたから、そろそろ帰ろうか。」



 「え~、じゃあ、ブランコ一回だけ。」



 「いいよ。わかった。」



 秋の夕暮れの空。





 ちょっぴりさびしくて



 ちょっぴりなつかしい




 「パ~プ~」


 豆腐屋さんのラッパの音が聞こえてきそうな





 「さて、家へ帰ろう。お母さんが待ってる。」






 神に感謝。
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『ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ』

2006-10-25 11:58:22 | Weblog
 我が家の天使(娘)ちゃんは




 「やらなきゃいけないこと」や「課題」が




 とんでもなく多い。




 いまどきの子供はみんなこんなことになっているのだろうか。




 そういう環境を提供しておいてこんなこと言うのも「いかがなものか」だけれど、「ぼくが子供の頃だったらこんなのイヤだ。」と思う。




 悲しいかな「あれをやっちゃダメ、それをやっちゃダメ」ではなく




 「あれもやらなきゃダメ。これもやらなきゃダメ。」っていう




 結構ぬかるんだ、水を張ったばかりの田んぼの中のような、ゴキブリホイホイのベタベタした部分のようなところを悪戦苦闘しながら歩いている毎日なんじゃないかなと思ったりする。




 当然大好きなTVも、DSもやっている時間など無く非常にストレスのかかる日常を送っている。




 かわいそうだが、いたしかたないというか、困ったものだ。




 父親はドッシリ構えて、何があっても大概のことは「おー、よしよし。」ってしてればイイのだろうけど




 あまりにも教育的指導を受けているのを頻繁に目の当たりにすると



 
 この次はそんなこと言われないように先回りしてアシストしてあげたくなってしまって、ついつい細か~いところまで口出しをしてしまう。




 それが結局、娘の逃げ場をふさいでしまっていることに気がつかずに。




 「その口調で話すの止めないか。お互いに。」




 「あなたは、無責任にそんな風に言ってるけど・・・」







 あらためて思う。




 ぼくは放任主義で自由奔放に育てられていたのだと。



 田舎は勉強よりもスポーツができちゃったりするほうが見栄えがイイ。




 父には「勉強しろ。」なんて一度も、ほんとに一度も言われた覚えが無い。




 「そんなことよりバット持って、素振りのひとつでもしろ。」って。




 「おたくの息子さん新聞に載ってたね~。」と近所の人に声をかけられて、ニコニコする父と母の姿がうれしくて野球、バスケットボール、陸上競技、水泳と掛け持ちしてパフォーマンスを披露した。



 ぼくらの時代は理論より根性だった。



 でもしっかりと今の立ち位置の「いしずえ」になっている。



 そして親になって「女の子」を授かった。



 はじめて経験する「ひとの親」。



 田舎での経験値など何の役にも立たない首都東京。



 親離れが始まる子供。



 子離れができない親。



 何度も書くが、ラッキーなことと言ってしまって良いのだろうか?だけけど「同じ信仰」を持っているのには救われる。



 これから家族そろって、各個人でいまより過酷な試練や困難なことに遭遇することもあるかもしれないが



 「ベクトル」というか



 「軸」がぶれることは無いのだろうなという



 「安心感」がある。





 今日も朝からバトルモード突入してた。内容は大したものじゃないのはみんなわかってる。



 家族はオモシロイ。







 神に感謝。
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『だから「団塊の世代」じゃ・・・』

2006-10-24 09:29:08 | Weblog
 「なんか「団塊の世代」なんだよね~」



 最近ある方によく言われる。



 「団塊の世代」とは(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 「第二次世界大戦直後の日本において1947年から1949年(1951年、または1956年生まれまで含む場合もあり)にかけての第一次ベビーブームで生まれた世代である。作家の堺屋太一が1976年に発表した小説『団塊の世代』によって登場した言葉である。団塊世代とも言われる。また、その子の世代は団塊ジュニアと呼ばれる。なお、日本のみならず米国等でも同様の現象がみられ、ベビーブーマーと呼ばれる。」


 その「特徴」

 「団塊の世代は、人口ボリュームが大きいうえ、その直前の世代が太平洋戦争の影響で出生が極端に少なく、急激に出生が増えたことから、同世代の競争が激しく、青年期を迎える頃には、他の世代に比べてとりわけ自己主張が激しくなったとされる。その反面、「平等」に強いこだわりを持つともされる(競争への指向も強い一方、悪平等になりうる面もある)。」

 
 「団塊の世代は議論好きであるといわれる。団塊の世代は思春期に日米安全保障条約に反対する大人たちの闘争を見ており、また、戦争についても両親や周りの人間から悲惨さを語られ、文字どおり戦後教育を受けた世代であり、戦争に関連することへ強烈な拒否反応を持つ傾向がある。」


 
 要約すると


 「自己主張が激しく」「議論好き」




 もうチョット簡単に言うと


 「目立ちたがり屋」で「でしゃばり」で「なんか「熱い」」そして「話が説教じみてる」




 『だから「団塊の世代」じゃ、ありませんから~』って


 もちろん冗談として受け流してるんだけど




 「もうちょっと、おとなしくしたほうがイイのかな。」ともチラリと思う。




 でも



 もう



 ぼくは



 「団塊の世代」です。認めます。



 だから「壮年」だけは、やめてくれ~。



 まぁ、そんなことどっちでもイイんだけどね。



 でも、普段の立ち振る舞いについて客観的に見直す機会を与えていただいたってことだろう。



 何も変えられないかもしれないけど。



 「団塊の世代」その方々のパワーやバイタリティーへの憧憬を持ちつつも



 自己満足にならないように



 自分以外の誰かのことを思いやることができますように。







 神に感謝。
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『響きあう』

2006-10-23 06:26:47 | Weblog
 先週の土曜日の入門講座はいろんな意味でとても心ゆさぶられる内容だった。


 前期の最終回。後期の「「洗礼」への道のり」へと続く助走期間、序章、いや、本物に出会い、触れたのだから、もう、そうだなぁ、言い方は適切ではないかもしれないが「免許皆伝」されたようなものだろう。



 「福音宣言」



 「生」な感じ。



 いろいろな思いを持って集まった人たちに全対応する「自由さ」。



 高円寺教会を通して神さまのお恵みが降り注がれている現場。



 神父様はこう言われた。



 「ぼくは絵を描いたり、詩を紡いだりするので「アーティスト」だと思われがちだけど、違うんです。ぼくは「デザイナー」なのです。」と。



 「「アーティスト」は、とにかく絵のことばかり考えてて描かずにはいられない。「デザイナー」は、クライアント(依頼者)に合わせなければならない。「一流」は限られた納期で、限られた予算で期待以上の作品やパフォーマンスを披露できる者のこと。」だと。



 日曜日のお説教でも話されたが



 「自分がしあわせにする。」というのではなくて



 「あなたがしあわせになる。」のだと。いま、目の前にいる「あなたが」。



 そしてとても印象的な表現をされた。



 


 「自分の母親だったら。」






 具体的なことを話されることはないし、ぼくも訳知り顔でここに書く気も無いが



 入門講座の最後に新しく出版されたお説教集「希望はここにある」のあとがきを読まれるのを聞きながら



 こみ上げてくるものを押さえられなかったが



 いま、できることとして、いっしょうけんめいお祈りをさせていただいた。



 これが『響きあう』ということだろう。



 何人もの方がぼくの母のことも祈ってくれているように。





 ごミサのあとのお茶の間に



 お手製のシュークリームが山盛りのケーキが運ばれてきた。



 チョコレートで大きく「49」としるされた、それはもうなんとも高円寺のお茶の間らしい心のこもったバースデーケーキ。



 「♪ハッピ~バースデー、ディア、はれれ~♪」



 お祝いにいただいたワインをそれこそ惜しげもなくみんなにふるまっていただいて、チーズとともにおいしくいただきました。



 教会で



 ミサで



 ぼくたちは神様に癒されて、そして強められて派遣されていきます。





 「自分の母親だったら。」



 いま、目の前にいる人が「自分の大切な人だったとしたら」






 
 神に感謝。
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『颯爽と』

2006-10-21 08:48:26 | Weblog
 先日お食事会にお招きいただいた時に



 オフィス街のとある地下鉄の駅で家族と待ち合わせをしていた。



 時刻は夕方の6時半ごろ



 通勤ラッシュの時間帯。



 その駅の立地的な要因もあってかそれ程混雑もしてはいなかった。



 改札の外の券売機の横で次々に入っては出て行く東京メトロを眺めながら



 乗り降りする人たちのことも眺めていた。



 これから飲み会に行くのだが、出掛けに仕事を頼まれちゃったと愚痴るOL三人と年上の同僚っぽい男性。



 何度アプローチしても「キンコーン」って改札口に拒否られちゃうおばさん。



 乗り慣れないと非常にややっこしい路線図とずっとにらめっこしてるおじいさん。



 妙に話し声のデカイ体育会系の女の子の集団。



 ネクタイ外して酒場へ向かって戦闘体制に入っているおやじ三人。







 「ピカーン」か





 「キラーン」か







 一瞬、その音が聞こえたようなくらいに



 天気のイイ朝に、閉め切ったカーテンから差し込む朝日のように



 バブリーなパーティー会場で使われるレーザービームのように



 ひとりの女性が通り過ぎた。



 顔が好みとか、スタイルが抜群だとかでヘンなエロエロおやじのアンテナに引っ掛かったってニュアンスではなくて



 ちょっと遠くて残念ながら顔も良く見えなかったんだけど



 とにかく



 『颯爽と』通り抜けていった。



 清々しい突風が吹きぬけたんじゃないかと思うくらいに。



 銀座赤坂方面行きに乗ってったんだけど、どこに行ったのかはもちろん知らない。



 お友達と食事だったのか、お気に入りの男性とデートだったのか



 泥沼の精算か、勝負のときか



 ショッピングか、夜のお仕事への出勤だったのかは



 大きなお世話だし



 知る由もないが



 どうにもこうにも



 きりっと、ピシッと、気合みたいなものがビッシビシ伝わってきた。



 なぜかはわかんないけど、そこだけ異空間だった。



 たぶん



 自分に今



 最も欠けている部分だから



 輝いて見えたのかもしれない、きっとそうだ。





 ゆるくてスミマセン。




 「颯爽」とか


 「美しく」とか


 「凛として」とか



 プロセスではドン臭くて、泥んこにまみれてて、ボサボサで、なおかつカッコウつけるのではなくて


 弱ってる時はとことん弱っていて



 でも



 キリッと


 キラッとを忘れることなく。





 神に感謝。
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『夜のサイクリング』

2006-10-20 08:17:05 | Weblog
 気分転換の意味もあって夕方に家族揃って「♪サ~イクリング、サ~イクリング、やっほ~、やっほ~♪」に行こうということになった。



 夜は高円寺でライブの予定だし、ちょっと腹ごしらえでもしてから向かっても充分間に合うだろうなと、結構、漠然と構えていた。



 最近お気に入りの「ホワイト餃子」通称ホワ餃まで行ってみましょうということになった。



 とりあえず、場所の確認ということでパソコンで検索すると一番近いと思っていた高島平店が木曜定休日。



 「こりゃあ、タイミングじゃなかったね。」とあきらめようとしたが、我が家の天使(娘)ちゃんについちゃった火は簡単に消すことが出来なかった。



 最近新車の自転車になったのも大きな要因だろう。



 「それじゃあ、系列店の「ファイト餃子」が西巣鴨にあるらしいから行ってみよう。」ということになった。定休日ではないらしいし。



 ネットで調べた地図では、かなり近いイメージ。



 「まぁ、基本がサイクリングだからイイかな」と住所のみを控えて地図もプリントアウトしなければ、電話番号も書きとめて出かけなかった。



 今の時期、夕方はちょっと肌寒いが、それがとっても心地イイ。



 ところが暗雲が垂れ込んできた。



 道がわからない。時間はどんどん経過しちゃう。



 人に聞いても的を得ない。派出所を見つけたら誰もいない。



 でも不思議とイライラしない。そりゃあそうだ。だって基本がサイクリングだから。



 「あ~あ、今日はライブ無理っぽいかな~。」と思った頃に光明が差し込み、後から思えば30分の道のりを大大大回りして、一時間半近くかけて目的地到着。




 途中、ライブ会場から仲間が連絡をくれたが気づかず、お店に入って注文が済んで、ほんとは自転車といえども飲酒運転になっちゃうからマズイかなと思いながらも金色に輝く大地の恵みの誘惑に勝てるわけも無く、グビッと飲った瞬間に、2回目の電話着信。



 「家族でサイクリング中に道に迷って今ご飯食べてるからその状況次第で」などと言っているがもう心は決まっていた。



 やっぱり行く。



 巣鴨から高円寺まではじめての自転車アタック。道程もヤマ勘です。



 ぼくには「ぎっちゃん」という頼もしいパートナーがいるが非常にハイパフォーマンスであることを実感した。



 所要時間38分。



 仲間とハイタッチで合流。広島からのゲストも来ていて盛り上がりました。ライブハウス初?のスーツ姿君も合流です。



 「コスモス」いいね~。



 新婦へのアドリブも最高でしたね~。



 大いに堪能した後、いつもの居酒屋さんへ。



 ガブガブ飲んでバクバク食べて



 午前様にビミョ~になる前に



 お開きです。



 さ~、もうひと走り。



 



 ぼくの不安な気持ちを


 ホットなライブと


 仲間のあたたかさと


 爽快な夜の風と  


 星空が



 やさしく包み込んでくれたのでした。





 「夜のサイクリング」イイです。ちょっと「脳天気」です。わかってます。



 いったい何キロ走ったんだろう。






 神に感謝。
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『一息』

2006-10-19 08:36:22 | Weblog
 昨日の午後、仕事関係の講演会の予定が入っているのをバタバタしてて忘れていた。



 正直なところ「ラッキー」だと思った。



 主催者側でもなく、演者でもない。



 『一息』つける。午後まるまる半日。



 部長も部下も同席なので油断は出来ないが



 とにかく『一息』つける。



 「何言ってんの。毎日、一息も二息もついてるじゃない。」そういうツッコミをしてはいけない(笑



 年に一回のその食品関係の講演会は中々おもしろい。



 今どきの講演会はPowerPointを駆使しデータや写真などが山のように出てくるので、頭に入って無くても、それを眺めているだけで時間が過ぎる。



 当然部屋も薄暗くなるので「夢の世界」におちいってもイイ。



 今回のテーマは「食育のすすめ」



 「食育」という言葉は何となく聞いたことがあるがどんな意味で、誰が、どんな活動をしているのかほとんど知らなかった。



 4人のそれぞれ異なる大学の教授(うち二人は女性)が登場し講演をした。



 「食育基本法」実は昨年6月に制定されていたようだ。



 「-前半略- 子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていくためには、何よりも「食」が重要である。今、あらためて食育を、生きるうえでの基本であって、知育、徳育および体育の基礎となるべきものと位置づけるとともに、様々な経験を通じて「食」に対する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる食育を推進することが求められている -後半略-」



 まぁ、ややこしいことはさておき、講演でおもしろい言葉がいくつかあった。




 「ホテル家族」


 (それぞれの部屋にこもっていて顔も合わさなければ、それこそ食事もいっしょにすることはない。)





 「「お袋」の味」と「「袋」の味」


 (「お母さんが作ったもの」と「袋に入ったインスタント食品」の事)


 ちなみに小学生を対象にとったデータでは


 「手作りジャム」の味が好きな子供は「手作りのお味噌汁」が好きで


 「インスタントのジャム」を好む子供は「インスタント味噌汁」を好むのだそうだ。



 社会環境の変化でご飯を作らない親が増えているらしい。




 これもおもしろい


 「食」を切り口にした「母親の条件」

 ①食事と健康に対する正しい知識を得ようとし、正しく理解して生活に生かそうとする力


 ②自分や家族にとって、よい食品や食事を選び分ける力


 ③自分や家族にとって、よい料理を作る力


 ④自分や家族にとってよい食事を、継続的に作り準備する力


 ⑤食事を楽しくおいしくする力


 ⑥子どもや親、夫など家族を助ける力


 ⑦子どもの親同士、お互いに助け合う力



 食生活を通して親としての義務感や信頼関係が自然に育まれた体験を、親自身が持っているかどうかも問題となる。


 一方、父親として子育てを担う世代のサラリーマンも 


 ①健康管理に関して知識不足

 ②自己管理意識が低い

 ③自分や家族にとってよい食事を準備できない

 ④家庭での食事作りのサポートが得られない=妻が食事を作ら(れ)ない

 ⑤外食の機会が多く外食環境が悪い


 など、子育て以前に自己の健康管理すら行えない状況であるとのことだ。



 耳が痛い。



 「こちとら~、日々の生活にきゅうきゅうと追われているのだ。現状を知らない大学の教授様が何をおっしゃる。」と言うなかれ。



 最近の「いじめ」などの子どもたちが荒む原因の大きな要素になってるんじゃないかなとつくづく思う。




 「家族が集まって飲んだり食べたりする」


 これ、教会の基本。




 よ~し、今日も元気に



 『一息』つこう。






 神に感謝。
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『涙 二夜連続』

2006-10-18 07:37:21 | Weblog
 子供の時以来だと思う。



 二日連続で泣いた。



 夕方検査を終えた頃を見計らって、母に電話をした。



 「ちょうど会計待ってるところだよ。病院はケイタイいけないからちょっと待ってて。」



 場所を移動したのだろう。その後、興奮気味に母は口を開いた。



 昨日今日の検査がとても苦しかったこと。



 やはり手術をしなければならない状況であること。



 手術に耐えられるカラダであるかの確認の為、あと三項目くらい検査を受けなければならないこと。



 家族を交えて11月1日に病状説明と手術内容の話を聞く(インフォームド・コンセントってやつ)ことになったこと。



 検査費用が異様に高かったこと。



 ぼくはどうせ同じ内容のことしか説明を受けられないことを承知で主治医の先生の連絡先を聞いて電話をした。



 予想通り忙しいらしく、代わりに電話対応してくれた看護婦(看護士か)さんが懇切丁寧に同じ説明をしてくれた。



 「良性、悪性の結果も含めてとにかく11月1日に」とのことだった。



 父のときもこんな風に病院に呼ばれた。



 「息子さん、これ膀胱の断面図です。ここにタマゴ大と思われる腫瘍があります。スキルス性の可能性もありますが、リンパ節転移もみられませんので大丈夫です。取ってしまえば完治します。」



 手術自体は成功だったらしい。しかし、もともと糖尿病を患っていた体は手術に耐えられず、術後二週間程であっけなく、ほんとうにあっけなく亡くなった。



 父は田舎の悪名高い、いわゆる超ド級のヤブ医者がお気に入りで、どうしてもそこでなくては嫌だとゴネた。



 ぼくは不安を抱えながらも初めての体験に冷静さを欠いていて、父の意見に従った。ぼくの父は頑固でもなく、ぼくがもっと強く進言していれば状況は変わっていたかもしれない。



 家に帰ってから電話で励ます娘と妻から受話器を受け取って



 「余計なこと考えなくてイイから。心配しなくてイイから。ぼくが絶対治してやるから。」



 何の根拠も無い自己満足の意思表明をした途端に



 声が詰まり、涙があふれた。



 「おかあさん、だから今度だけはぼくの言うこと聞いて。」



 こんな不本意な形で母を上京させることになるなんて。。。





 電話を切った後、教会の仲間から別件で電話がかかってきた。



 気持ちの入ってない、素っ気無いような対応になってしまったと思う。



 ごめんね。ほんとはこのことも話そうと思ったんだけどグズグズになりそうだったんで。





 祈ります。





 ぼくに親孝行する時間をください。




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『なんともないから、だいじょうぶだよ』

2006-10-17 08:37:47 | Weblog
 メソメソ泣いた。



 しくしく泣いた。



 朝、洗面台の鏡の中には、試合後のロッキー・バルボアがいた。



 母の体調がよくない。



 昨日に引き続いて、今日再検査すると聞かされた。



 部屋を暗くしてメソメソしてるぼくに天使が声をかけてくれた。



 『なんともないから、だいじょうぶだよ。これから三人でお祈りしよっ。』



 父の時の不安が頭をよぎる。



 「あしたね。8時45分から夕方の4時まで検査がかかるって先生が言ってるんだよ。」



 母は不安な声で何度も何度も同じことを繰り返した。



 胸がギュッと締め付けられる。



 「おかあさん、もう、おとうさんのところへ行きたいよ。」



 「なにいってんの。そんなやかましい人は嫌だって呼んでくれないよ。」




 祈ります。



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『人生で最高の瞬間』

2006-10-16 08:48:44 | Weblog
 昨日のミサの中でご病気の方がお一人



 洗礼の恵みに与かる空間に一緒にいることができた。



 奥様も病床で洗礼を受け



 ぼくたちよりもほんの少しだけ早く



 天に昇られたとのことだった。



 車椅子に座られたその方に何度も何度も神父様は近づいていって



 耳元で言葉をかけていた。



 「父と子と聖霊の御名によってあなたに洗礼をさずけます。」



 聖なる水がその方の額から洗礼盤に輝きながら滴っていきます。



 感動です。純粋に感動しまくりです。



 ほんとうにおめでとうございますと言わせていただきたいと思う。



 どのような道のりでこの日を迎えることができたのか



 「大変な日々だったのでしょうが



  もう大丈夫。」



 こう言われる神父様の、神様の気持ちが共有できる洗礼の瞬間。



 よくぞここまで導かれ、たどり着くことに身をゆだねられたなあと。



 スペシャルな出来事だけれど



 資格や権利や単位取得や誰かの許可などという「特別なこと」は何も無い



 「本物」に触れるチャンスは



 毎週、毎週全世界で脈々と淡々と粛々と行われている



 ミサ。



 今度の日曜日にでもちょびっとだけ早く起きて



 近くの教会にでも行ってみてはいかがですか。



 ただ行くだけ。



 それだけでいままでの人生が変わってしまうような



 出会いがあるかもしれない。言い方は良くないけど、そんなものはもしかしたら無いかもしれない。



 暗闇に光が一瞬差し込むことを自分自身実感できるかもしれない。できないかもしれない。



 でもたぶん、行けばわかると思う。



 誰でも来れる



 何の心配も無い



 「無理強い」や「押し付け」なんて何も無い



 ただそこにいるだけでイイ。



 そんな場所です。



 「いきなりミサはチョット、チョット、チョット」という方は



 今度の土曜日の10時からおもしろい話やってます。聞きに来たらいかがですか。



 ぼくは日頃は普通のサラリーマンです。その辺にいるただのおやじです。



 こんな風に書いたりしてるのは、「人は変われる」ってことを実感してるからなんですね。



 ほんの少しだけお先に



 「本物」に触れる機会に恵まれた、ただそれだけなのです。



 もったいないですよ。



 もったいないオバケ出ちゃいますよ。



 嫌なことは先送りしてイイですから



 先ずは来ちゃってみて。






 神に感謝。
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『ぎっちゃん』

2006-10-15 18:58:21 | Weblog
 『ぎっちゃん』に出会うまで



 三つの場所訪ねました。



 こんなに邪魔が入ったり



 縁みたいなものを感じないってことは



 「あきらめなさい。」とか



 「今はそのタイミングじゃないよ。」って



 言われてるのかな~と思ってました。



 


 やっと自転車を買いました。



 ドンキでね。



 ブルーのマウンテンバイクね。



 泥よけついてなかったから店員さんに



 「同じメーカーの泥よけないのか~。」って言ったら



 「大丈夫ですよ。






  雨の日に乗らなきゃ」だって。



 今度は大切にします。



 だから名前を付けました。



 ちなみに娘も大きくて白い自転車をゲットしました。



 こちらは縁あって十条商店街で。



 名前は「だむだむ」に決定したそうです。



 晴れたら休みの日にサイクリングに行こう。



 今度の日曜日は教会まで行ってみようかな~。






 神に感謝。
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