カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『好きの』

2010-08-08 03:03:03 | Weblog
 「好き」の


 反対







 「好き」の


 反対は








 「嫌い」







 じゃない。







 「嫌い」は


 「好き」がカタチを変えたモノだから。






 だったら「好き」の真反対は何なんだというと






 「無関心」





 なのだ。



 

 「なんだか嫌われてるような気がする」とか


 「以前より対応が素っ気無かった」とか


 「キツイ事言われた」とか


 反対に


 意識的に無視しているとか


 すべては


 「好き」の裏返し


 友達だろうが、恋人だろうが、夫婦だろうが、親子だろうが、初対面だろうが


 すべては


 「好き」の裏返し。




 当然、意識していなくても「好きです」(恋愛の意味ではない)「仲良くしたいのです」というアプローチを拒絶されるのは


 ツライこと。


 なんとなくわかっちゃいるけど、直撃弾を受けると


 やっぱりイタかったりする。


 相手の状況や都合などを思いやる余裕が無い自分のことはどこかにしまいこんで


 その思いをそのまま鏡に映すように


 相手に求めている。




 だから


 「嫌なヤツだな。」と思っても


 「嫌なこと言われたな。」と思っても


 「嫌な態度取られちゃってるな。」と思っても


 それは


 ラブコール


 こちらの存在を認めてもらってありがとうってくらいに受け止めればイイ。




 人はそんなに強くは無いよと思ったら


 目の前の人も同じなのだと思えるはず


 そうでなければ


 ただの独りよがり


 いつも相手のせいにして苦しんでいる役を演じ続けなければならない。





 「ムッと」したときに


 ムキになって、心がファイティングポーズをとってしまうときに


 ひどく打ちひしがれてなんともいえない気持ちになっちゃったときにこそ


 そんなときにこそ



 神さまはニッコリと



 微笑んでいる。


 


 「好き」の反対は



 「嫌い」じゃない。








 神に感謝
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『空港の見送りデッキ』

2010-08-05 23:23:23 | Weblog
 午後7時を少し過ぎた頃


 滑走路は、やさしさの欠片もなく


 暗い


 ついさっきまで


 勘弁して欲しいくらいの灼熱と


 希望に満ちた光をふりまいていた太陽もその役目を終えて


 イースト・エンドにあるこの島国の


 ウェスト・エンドにそびえる山々のうしろに隠れたから。




 ぼくと妻は必死に手を振っていた


 見えるはずなど無いことを知りながら


 自分たちのなんともいえない気持ちを振り払うかのように


 手を振った。


 

 真っ赤なシグナルと飛行機のシルエットがいよいよ加速して


 クッと機首をあげて


 予想よりも緩やかに


 大空に向かってテイクオフした。


 ぼくは、ポロシャツの上から十字架とおメダイ満載のネックレスを


 ギュッと握り締めていた。


 妻は、アンパンマンにやっつけられたバイキンマンが空のかなたにキラ~ンと消えてしまう、あの場面のように


 いつまでも見送っていた。


 いままで、娘には飛行機に乗れる機会を与えてあげられてなかった。


 日本を離れるのも初めてになる。


 チャンスとタイミングとたくさんの人のやさしさと


 神さまのお恵みで


 新しいことを経験できることになった。


 リアルに触れてみて


 リアルを感じて


 楽しかったり


 さびしかったり


 思い出という名の


 とっても大切な


 宝物を


 たくさん抱えて


 元気に帰ってきて欲しいと思う。




 空港からの帰り道


 ケイタイデンワのニュースを何度も何度も更新している


 

 彼女の存在感を


 ぼくらはかみしめている。







 神に感謝。
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