カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『あとの祭り』

2005-10-31 02:19:42 | Weblog
 空気より軽いヘリウムガスでふわふわ浮く風船に連れられてヒトがどんどん集まってくるようです。

 「教会祭り」がありました。

 雨男?と噂されている神父様がいたのですが天気も「イイ具合」でホントにたくさんの人が遊びに来てくれました。



 ぼくは、かなり残念な思いをしています。後悔に近いかもしれません。



 一応、「教会祭り実行委員」に名を連ねており可能な範囲で準備をしてきたつもりでした。

 でもここのところチョビッと「ダッラダラ」モードに入っていて正直、気持ちが入っていませんでした。

 年配の方々にオンブしちゃえ、なんて甘えもありました。

 当然のようにしわ寄せは自分に来ます。わかりきっていたことです。


 
 「楽しめない」



 「あたふたしている」


 
 「こちらからお願いしたこと」のフォローが出来ない。


 
 もちろん来ていただいた方々が「楽しかったなあ」と一瞬でも感じていただけたのならそれほどのお恵みはないのですが。

 「祭り」の現場にいたが、参加していなかったイメージ。反応が肌で感じられないもどかしさみたいな。




 先日も神父様とお話しする機会があって(アルコール有)こんな話をしました。

 「この前の教会でのライヴをお手伝いさせていただいて演じる側じゃない「プロデュースのおもしろみ」のほんのはしっこ味わうこと、いや、チョロッとなめることができました。プロデューサーってホント醍醐味ありますね。」

 「そうなんだよ。会場の後ろの隅っこのところで腕組みなんかしながらマジメな顔して事の成り行きを見ている。でもココロはニコニコっていうかニヤニヤしてるってのがイイんだよ~。」



 ちゃんと準備すればよかった。



 わかりきってることができてなかった。



 「それなり」みたいに妥協した。



 抽選会の司会では帳尻なんか合うはずもなかった。



 まあイイや。(最近、このフレーズ多すぎ?)



 比べて言うのではないがこの日のごミサで侍者をやらせていただいた。

 小学生の女の子と赤ちゃん二人、計3名の洗礼式もあって、すっごく、言い方は不謹慎かもしれないけど「ノリノリ」のごミサに与かることができた。もちろん毎週気持ち良いのだけれど、侍者のそれはまた味わい深い。

 チョッとだけ慣れてきたこともあるだろうが、そこにはやっぱり「緊張感」があり、毎回「心して」ちゃんと準備して、真摯に向き合っているからこその「充実感」なんだと思っている。




 「祭りのあと」




 『あとの祭り』




 いつもスマートに物事が進むわけが無い。

 そんなことは言うまでもない。

 フ~ッ。


 とにかく反省して前に進もう。


 空気より軽いヘリウムガスで膨らんだ風船はス~ッと一瞬にして子供の手を離れて空に舞い上がった。

 「あっ、風船が飛んでっちゃった。」

 空を見上げながら見えなくなるまで風船を追いかけた。

 どこにいくのか。

 
 それは誰も知らない。


 素晴らしい天気とすばらしき仲間に感謝。


 神に感謝。
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『るっく・あっと・みぃ』

2005-10-27 15:34:06 | Weblog
 高円寺で泳いだ。

 「バシャ~ン」と飛び込んだ。



 PAL商店街を抜けてつづく「高円寺ルック商店街」に。



 高円寺には環七からのアプローチが多いので名前はおぼろげに聞いているが行ったことの無いところが多い。

 「召命ハウス」の物件をさがしていて、ふと迷い込んだこの商店街。

 いつでもそうだけど、はじめて飛び込むところって「わくわく」する。



 それにしてもこの商店街どこまで続くんだろう。



 気のせいか水をかく手足が重い。



 とにかく折り返し地点までキョロキョロしながら泳いでみることにする。

 間口がそんなに広くないお店がホントに軒を連ねている。

 
 信号機のある交差点があるがまだまだ商店街はつづく。

 
 なんか雰囲気のある喫茶店がある「森つ七」?、まあいいや帰りにじっくり。

 
 折り返し地点が見えてきた。何でわかるのかと言うと入り口にもあったんだけど「ルックのスタンプ」(みたいなフレーズだったと思う)ってオレンジ色の蛍光色で縁取られた看板がこっちにもあるから。

 それにしても手足が重い。「疲れが抜けないのかなあ」と思いつつも折り返し地点に到着。

 ここでちょっと息継ぎしよう。


 青梅街道?五日市街道?なんとなく見たことのあるような車のたくさん走る道にでた。

 丸ノ内線の新高円寺駅への案内看板が見える。


 「バッシャ~ン」さてターンだ。さっきよりもゆっくりキョロキョロしながら泳いでいこう。



 折り返してすぐにあることに気が付いた。



 この商店街、高円寺方面からずっとなだらかな上り坂だったのだ。



 手足が重く感じたのは蓄積した疲労のせいばかりではなかった。

 なんだかほんの少し元気になってまた泳ぎだす。

 
 はじめてみる100均ショップ。

 なんかどこかで見たことが有りそうでない無さそうなスーパーマーケット。

 色とりどりの洋品店、古着屋、美容院、スナック、ラーメン屋、とってもおいしそうな?うどん屋さん。

 半分古本屋で半分洋品店ってのもあった。「アニマル洋子」?だっけ?

 まあとにかくおもしろかった。

 泳いでいる途中、「カシャッ」というか「ドキッ」というかポスターが目に飛び込んできた。

 「TAO」という喫茶店の店外看板に。


 「教会祭り カトリック高円寺教会」

 街中ではじめてみました。

 そうなんです。今度の日曜日は当教会でいわゆるバザーが開催されるのです。

 今年は豪華景品付き福引もあるし、100円ショップから寄贈された商品が数千点あってそれが3個100円で買えたり、マジでおいしい坦々麺(ハーフサイズ)が200円で食べられたり、たこ焼き屋さんがあったり、ゲームコーナーがあったり盛りだくさんでみなさんをお待ちしています。

10月30日(日)11:00頃から14:00頃までやってます。


 「楽しいこと間違いなし」


 こんなときにでも普段足を踏み入れたことの無い(笑)「わくわくする。はじめての場所」に泳ぎに来られることをお勧めします。


 
 そうそう帰ってきて調べたら「森つ七」と思っていた喫茶店はホントは「七つ森」で、RCサクセション、大槻ケンヂ氏、森本レオ氏などが贔屓にしている有名店でした。

 いや~奥が深いなあ。


 はやくこっちに引越しができますように。(個人的すぎ)


 神に感謝。
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『ぼくは、あなたの味方です』

2005-10-27 09:02:03 | Weblog
 ぼくのいちばんに大切な人がブログを書いているらしい。

 いっしょうけんめい隠しているがポロッポロッとシッポが見える。

 きっと大事にしている場所であって、ぼくが見に行っちゃったらいけない場所だと思っていた。

 実は怖くて近寄れないというのが正直なところだ。

 その人に向かって言う。

 「インターネットに乗っかった時点で全世界に「こんにちは」状態なのだから隠したっていつかは出逢っちゃうよ」って。

 さっきまでは。





 ごめんなさい。





 アクセスしちゃいました。

 そして、コメントも残しちゃいました。

 そっと、たま~に、コソコソと見ていたほうがよかったのかもしれないけど。



 もともと吟遊詩人みたいな才能があると思っていたが案の定。

 ぼくには「痛いところ」だらけで朝から凹んだ。(笑)



 やっぱりブックマークはできないや。

 大事にしていって欲しいし。

 ぼくも当分見に行かないから。

 っていうか行けないから。

 怖いし、自分のふがいなさにヘコむし。





 でも、いつでも応援しているからね。





 悲しませたくないんだけど、ぼくにはそんなあなたを包み込むチカラが、大きさが、ほんとうのやさしさが足りないんだ。

 黙って話を聞いて時折「あ~そうかそうか」とうなづいていればいいのだけれど。

 あなたがつらいことは、ぼくだってつらいんだ。だからぼくを怒らせるような話しはしないでくれって態度になっちゃう。



 「わかる人には絶対わかる。」ぼくはよくこう言う。

 「すこし離れたところから眺めているからそんな事言えるんだ。」あなたは言う。

 神様は見ている。必ず。いつも。

 同・じ・と・こ・ろ に立っている人ならば「わかる人にはきっとわかる」

 きっと、伝わる。



 神様を信じているから。




 だから。



 いっしょにいつまでも手をつないで歩いていきたいんだ。



 いつまでもね。

 ぼくは誰よりも『あなたの味方』です。


 神様お守りください。

 神に感謝。
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『カンカラカ~ン』

2005-10-26 06:25:21 | Weblog
 午後の公園。

 ぽかぽかな陽気。


 どうにもならない重いカラダ。抜けない疲れ。

 やっとたどり着いたベンチに腰をおろす。


 目の前で子供たちが遊んでいる。

 ボーっと。ただただボーっと。




 ウトウトしているのか、夢を見ているのか。

 目の前が小学生の頃遊んでいた神社の裏庭に変わります。

 最近なぜか得意の古い記憶の箱が開きます。


 芝宮(しばみや)と呼ばれていた神社の裏庭。

 ちょっとした広場とそのとなりにはコンクリートの階段のような
 穴の開いているオブジェみたいなのもので囲まれている丸い砂場。

 その横にはチェーンでできた傘の骨みたいなやつの端っこに取っ手が
 ついていてぶらさがりながらぐるぐる回せるモノ。

 ブランコ。

 鉄でできたハシゴを横にしてぶらさがったり、その上を這い這いみたいに
 渡れるモノ。

 大きくて八の字に広がったツルツルした石みたいな感じのすべり台。

 神社だから太い木がたくさん茂っている。


 そうなんだよ。ここでホントよく遊んだ。

 なんてったって盛り上がったのが「カンケリ」。

 当時缶入り飲料にアルミ缶が登場してきた。しかしこれは「カンケリ」用の缶としては使えない。なんたってすぐにペコペコ凹んじゃうから。まずはスチール缶をゴミ箱から探すところからすべてははじまる。

 ぼくたちのルールは、その広場のど真ん中にまず缶の定位置用の円を書く、それを中心にして半径1mくらいの円。これは「オニ」がずっと缶の周りにばかりいて探しに出ないと面白くないから。

 ジャンケンして一番負けたヒトが「オニ」。

 「オニ」が決まった時点で誰かが缶を蹴る。思いっきり蹴る。チョッと運動神経の良くないヤツが目一杯蹴ろうとしていわゆる「ダフッちゃって」缶が倒れただけなんてこともあった。

 その缶を蹴るのと同時にこれぞ「蜘蛛の子を散らすように」みんな思い思いのところに走りそして隠れる。

 缶の近くだけど盲点のベンチの裏、けやきの木の後ろ、神社の縁の下などなど。

 おもしろかったな~。

 息をひそめて飛び出すタイミングをはかる。

 「よし!いまだ!」ダッシュして加速しはじめたら、「チリンチリ~ン」と買い物帰りのおばちゃんの自転車に遭遇し急ブレーキ。もう隠れるとこないじゃん。「み~っけ」。

 ドジをわらって、みんなで笑ってる間にうしろから、そろりそろり。

 「オニ」が油断したその瞬間。



 『カンカラカ~ン』



 「ヒャッホ~」

 捕まった仲間を助けると一瞬ヒーロー。ウルトラマンか仮面ライダーに変身したような錯覚。


 そこまで思い出して目の前が現実の映像に戻る。

 こどもたちが「カンケリ」をしている。

 なんども缶を蹴られる「オニ」がやる気をなくしてゲームは終了した。

 「まったく今どきのこどもは・・・」



 そういえば今年のゴールデンウィークに大人版「カンケリ」の豪華拡大バージョン「ドロケイ」を教会周辺でやったなあ。年甲斐も無く街中走りまわったな~。

 そのあとの打ち上げでBENNY 16thとJ・P・Ⅲというバンドが結成されたんだっけ。

 秋だな~。なんか疲れたな~。

 太陽にエネルギーもらって充電できないかな~。



 なに「たそがれ」てんだよ。まったく。


 
 神様はすべてを与えてくださる。

 神に感謝。
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『カンタービレ』

2005-10-24 09:11:20 | Weblog
 先日の歌とピアノのクラシックコンサートでくすぶり始めたぼくの知識欲がいよいよ着火寸前だ。

 しかし、知識欲というある意味究極の自己満足をどうやって満たしたらよいものか皆目見当もつかず、たぶん聞いた事のある作曲家やアーティストのCDやらDVDからアプローチしていったらイイのだろうけどきっかけがイマイチ、ピンとこない。

 熟慮に熟慮(笑)を重ねた結果導き出された答え。



 「のだめカンタービレ」


 あははは。。。マンガですか。。。

 コンサート後の打ち上げでも話が出ていてちょっと気になっていた。教会のよっちゃん(Silent EMOTION@JUGEM)のブログにも前に書かれていた記憶もある。よっちゃんとあかねちゃんちの天使ちゃんもピアノとチェロを習っててきっと読ませてもらっているのだろう。我が家の天使(娘)ちゃんもフルートを習っているからきっと分かち合いできることだろう(コジツケ)。

 ところがこれがおもしろい。

 めずらしく「大人買い」?しちゃいました。13冊。

 娘と奪い合いになってます。

 娘が「のだめ」の話をフルートの先生にしたところモチーフになっているのが先生の出身音大らしい。ほらほらつながってきたぞ~。

 たしか打ち上げでもこの話に出てくる「ライジングスター・オーケストラ」のCDが発売になっていて演奏しているオーケストラはシークレットらしいことも話に出てた。ほらほらつながってきた。


 なんとなく、すっぽりとこんな流れの中に流されてみよう。


 昨日は太陽ぽかぽか、ごミサでさらにほわほわ、吉祥寺教会のバザーにちょっと顔を出し、たいしてお手伝いもしないのに、教会のお茶の間で「お疲れ~、かんぱ~い」なんてしちゃって、松江の青年との出会いなんかもあって、娘にせかされて帰路に着く。

 ぽかぽか、ほわほわ、ちょっとボケボケ。



 『カンタービレ』は

 「歌うように」という音楽用語。


 きのうは「みんなで合唱」というよりも「勝手気ままにソロコンサート」みたいな気分の一日でした。

 あ~楽しかった。ユルユルでごめんなさい。

 はじめて入った吉祥寺教会の聖堂、素敵でした。


 神に感謝。
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『ああ、やっぱり』

2005-10-21 09:44:19 | Weblog
 仕事上どうしてもその日に着かなくてはいけない書類がお客様先に着いてない。

 まあ、こんなことは良くあること。

 同じ都内だということで、メール便とか速達とか、より確実な方法をチョイスしなかった自分の判断ミスだ。細かいことだけど経費削減のクセみたいなものが、こと仕事に関しては妙にハザードとして働く。

 「そういうのはプライベートでも役立てて欲しいのよね」そんな声がどこからとも無く聞こえてくる。ごもっともです。

 朝の山手線でのこと(おじいさんに罵声を浴びせられる)もある。部下の冬の賞与査定の期日も今日だし、なかなかヘビーな日だなと思いながらも書類を持って会社を出た。

 その会社は初めて行くところで、目黒からバスに乗って来てくれということだった。

 目黒駅も毎日通過しているが今までは下りる機会が無かった。

 改札を出てキョロキョロする。いつもなら乗り継ぎや目的地なんかをパーフェクトに情報収集するのだが、今日は違った。

 左手に見えるのはどうやらバス乗り場だ。

 そんなに大きくないバス乗り場だが行き先別で3~4ヶ所に分かれている。

 バスのターミナルってどこもそうだけど、どれに乗ってイイのか、わかりづらいところが多い。昔に比べれば格段と良くなっているのだけれど。

 どうやら目の前に止まっているのが目的地に行くようだ。運転手さんに確認し、バスに乗り込む。と同時に発車した。

 そんなに混んでいないバスの中、座席に座る。ふと、さっき見たバスの側面にある行き先経由案内に○○教会って書いてあったような感覚が湧き上がる。まあ、でも見間違いかもしれない、あわててたし、と思いバスの揺れに身をまかす。

 「権の助坂(ごんのすけざか)」などというごきげんなバス停を通り過ぎバスは進む、進む。

 人の乗り降りや景色なんかを見ながら「あとどれくらいで着くものやら」などと思っていたら。



 「次はサレジオ教会」のアナウンス。



 『ああ、やっぱり』



 なぜか妻にすぐメール。「いま、サレジオ教会の横、通過。」

 「教会の「ようさま」いわく、リゾートホテルみたいなロココ調の建物できれいだし、すばらしいらしいよ。」

 「そっか、帰りにのぞいてみるかな。」

 
 書類を渡し、バス停を三個戻ります。

 バスの中からはうかがえ知れなかった聖堂の外観が視野に入ってきました。


 『ああ、やっぱり』

 この「やっぱり」は、「やっぱり教会あったんだ」じゃなくて、はじめて来たところで、なんだか朝から気分が悪いこの日に、まさに「ここでお祈りでもしていきなさいよ」と導かれちゃうのだなという「やっぱり」です。


 お御堂に入ります。

 どなたかのお葬式の準備が進められています。

 イスに座り、十字を切り、目を閉じます。

 心臓の鼓動が落ち着いて、

 静寂に包まれ、

 神様に抱っこされます。




 神に感謝。
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『目障りなんだよ』

2005-10-20 11:37:20 | Weblog
 「パシャッ」

 紙を弾く乾いた音とともに

 「目障りなんだよ」との罵声。



 午前七時の山手線内。

 ぼくは通勤のときに新聞か本を読んでいる。

 今朝は新聞だった。

 縦に半分に折り一応コンパクトを心がけて読んでいる。

 通勤ラッシュが苦手なぼくは9時からの会社に七時半には着いている。

 もちろん外出の多い仕事柄、朝の電話の鳴らない時間帯は貴重だ。メールチェックしたり、書類に目を通したり、ハンコをついたり、あとブログをチェックしたり(笑)。

 この時間帯の山手線は空いている。といってもぼくの乗車駅からいきなり座れることは稀だ。何駅か先に乗降の多い駅があるのでそこからはかなりの確立で座れる。山手線を半周しているので座れないと朝から32分チョッとつらかったりする。でも2時間以上かけて場合によっては新幹線使って通勤する人に比べれば全くもって恵まれている。


 今朝は久々にお日様が輝いていて清々しい一日の始まり。のはずだった。

 
 「目障りなんだよ」

 ぼくの目の前にいるおじいさんが分厚いレンズをズリ下げながらにらんでいる。

 ぼくの読んでいる新聞が彼の縄張りを侵犯したので怒っている。

 たぶん、たしかに邪魔に感じたのだろう。

 新聞を持ち替えた。

 しかしあまり気分が良くない。

 瞬間的に「なに言ってんだこのやろう。この電車はオメーの持ち物でもないし、オメーの家に土足で踏み込んだわけでもネーだろ。」と口から出そうだった。

 何年か前だったら相手の読んでる新聞を取り上げて恫喝していただろう。


 「すみません」「ごめんなさい」の一言が出なかった。

 目はにらみつけていた。威圧していた。怒りを我慢していた。


 さっきの自分は「赦し」を述べる資格はない。

 でも後悔している。

 こちらの都合に関係なく、ぼくの行為が相手の方には迷惑だったのだ。


 自分のリズムを壊されると、乱されるとどうしてもイヤーな顔になっちゃう。無意識かもしれない。

 我が家の天使(娘)ちゃんにもさっき注意したばかりだ。それじゃいけないよと。


 「人間性とうまくつきあう」


 難しいけど毎日が修行です。


 神に感謝。
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『ピキピキピッキー』

2005-10-19 09:18:20 | Weblog
 「母が教え給いし歌」(ドヴォルザーク作曲/堀内敬三訳詞)

 「母が私にこの歌を

  教えてくれた 昔の日

  母は涙を浮かべていた



  今は私がこの歌を

  子供に教えるときとなり

  教える私の目から涙があふれ落ちる」


 「メゾン・ド・ヒミコ」って映画に挿入されている歌。

 この前、教会の「天国映画村」の村人リサさんからリーズナブルに映画を観れるチケットを譲ってもらって「サヨナラCOLOR」(竹中直人監督作品)を観に行ってからいままで食わず嫌いだった日本映画に片足はまってる。そうそう「サヨナラCOLOR」は、今度の日曜日(10月23日)に天国映画村で行われる分かち合いの宿題映画でもあるようです。


 「メゾン・ド・ヒミコ」はキャッチコピーが

 「私を迎えに来たのは、

  若くて美しい男。

  彼は父の恋人だった。」

 伝説のゲイバーの経営者(この人の源氏名が「ヒミコ」)が突然引退し、海の近くにゲイのための老人ホームを作った。この人(もちろんゲイ)を父に持つ娘(柴崎コウ)は自分の母をガンで亡くした。このときの入院費を親戚から工面したためお金が無く塗装会社に勤めているのだけれど昼休みには求人雑誌をながめては風俗で働こうか真剣に悩んでいる。父を恨んでいる。ある日会社に男が迎えに来る(オダギリジョー)。父が病に倒れたので「メゾン・ド・ヒミコ」に一日3万円でお手伝いに来て欲しいと。

 って感じではじまるシュール?な設定の映画なのだけど「男」と「女」、「親」と「子」という結構深いテーマが根底に流れており、なかなか面白かったです。


 『ピキピキピッキー』はなかなか味のあるキーワードなんですよ。



 我が家の天使(娘)ちゃんは今日学校の遠足です。

 太陽さん顔を出してあげてください。

 思いっきり遊ばせてあげてください。

 帰ったらゆっくり話を聞こうと思います。

 神に感謝。
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『歌とピアノ』

2005-10-18 11:12:42 | Weblog
 帰りの地下鉄。さっきまでクラッシックコンサートの打ち上げをしていたお友達がいる。

 さっきのもうチョッと前、目の前にいる歌姫3人(コンサートにはもう1人参加したが帰りは別ルート)はステージの上で魂を削って愛を伝えてくれた。

 正直なところ、歌とピアノのクラシックコンサートって「ウトウトしちゃう系」だろうなと思っていた。

 ピアノの音色は大好きだ。

 ジャズピアニストにお気に入りもいる。

 クラシックはきっかけがなかった。

 今回で大きく窓が開きました。

 ピアノのフミオくんとアキラくんの楽しそうな演奏は眠気などという言葉とは無関係なところにあった。

 歌姫4人にもガンガン、ビンビンとハートを揺さぶられた。

 ライヴで聞くとなんでも良く聞こえるかもしれないけど、はまっちゃいそうです。

 打ち上げでは音楽用語がバシバシ飛び交いチョッとついていけなくてぼくの知識欲に火がつきそうです。

 音大生も大変なのがよくわかったし。

 「自分にもクリエーティブな才能があればなぁ」とまたまた思った。

 クリエイティブな人達は基本がポジティブだから気持ちイイ。

 演奏会や発表会に向けて作り上げていくのすごく大変そうだし、今だって声を大事にするためにアルコールを口にしなかったり努力しているし。



 でもイイ。こういう場所を居場所を作り出す方にまわろう。

 この前のLIVE『VOICE』でプロデュースの醍醐味ちょっとだけ舐められたし。

 今回サブプロデューサーといいながら全体を長い期間をかけてちゃんと準備したあかねちゃんホントにお疲れ様でした。カッコよかったよ。

 ちなみに12月25日で実施予定のLIVE『VOICE』2ndは出演希望が多くてオーディションしなくちゃいけないかもしれない(笑)ありがたいお恵みです。


 「なんで「歌」だったの?」

 地下鉄の中で歌姫3人に聞いた。

 なんか陳腐な質問だったかなぁ。


 新しい出逢いに感謝でした。


 神に感謝。
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『クリスチャンなんですか?』

2005-10-17 10:10:07 | Weblog
 会社の部下の青年に聞かれた。

 飲み会の席ではなく普通に。

 「課長ってクリスチャンなんですか?」

 「うん、そうだよ」

 「はぁ、そうなんですか~。」

 「カトリックってヤツさ」

 結局何を聞きたかったのかはわからなかったんだけどぼくがクリスチャンであることは彼の頭にインプットされた。



 うちのチームはチームワークがイイ。と思う。はずだ。そう願いたい。

 質問をしてきた彼もサーフィン仲間だし歳は離れているが大学の後輩だったりする。

 「はぁ、そうなんですか~。」っていうのもヘンなニュアンスなど全くない。



 「いやあ、日曜日とかにサーフィン行けないって言ってたんで。」

 それだけでクリスチャンかどうかってつながるセンスの持ち主だったら彼のことを教会に導きたいくらいだが会社だしそうもいかない。


 ぼくは会社で「われはカトリック者なり」と宣言しているわけでもなく名刺に霊名を入れているでもない。しかし微妙に「アピールしようかな」なんて思いもあって、デスクトップのコンピューターのスクリーンセイバーが「PASSION」になっている。そんな程度だ。

 神父様の日めくりカレンダーを机に置こうかどうしようかなんて思案している。そんな程度だ。



 まあプチ・カミングアウト(笑)した後も関係になんら変わりはない。

 知らないのはぼくだけでヒソヒソってことになっているかもしれないけど。(笑)

 
 営業の鉄則の一つとして「お客様との商談のなかで、してはいけないこと。「宗教の話」」と昔教わった。

 そのときは理由もわからず「へえ~、そういうもんなんだ」くらいの認識だった。でも「いけないこと」として優先順位は今でも高い。

 でも世間話程度では話しはします。カルト教団や芸能人がはまっちゃってる新興宗教の話しでお客さんと盛り上がることもあります。

 そうは言っても、やっぱりデリケートな問題だったりする。



 とりあえず、立ち振る舞いで福音宣教していきます。

 そのうちに「コツ」とか「ツボ」に気づくときが来るだろう。

 今度のミーティングで聖書からの引用を自分なりに違和感の出ないように話してみようかな。まあそんなに簡単にはいかないけど。っていうか意識してやるのもなんか違うかな。



 神様、うまく伝えられるようにお導きください。

 神様の御旨のままに。



 神に感謝。
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『となりの教会で』

2005-10-16 18:42:22 | Weblog
 教会バザーの準備で賑わう荻窪教会の聖堂にユウジと一緒に入った。

 はじめてきた教会のはじめて入る聖堂。

 素敵な十字架が掛かっている。

 目を閉じてお祈りする。

 フッと肩の力が抜ける。


 

 「さあ、いらっしゃい、いらっしゃい!おいしい、おいしい坦々麺いかがですか!」

 雨が降ったり、屋台のパーツが足りなくってビミョーに脱力したりしながらも、まあそこは歴戦の雄がスタッフにいるから、なんとかちゃんと形になるんだよね。


 坦々麺売ってきました。


 評判良かったです。たくさん売れました。


 荻窪教会の方々ともとてもイイ感じにコミュニケーション取れたし、行って良かった。恵み多かった。

 
 「高円寺教会は迫力があるなあ」なんて言われたりして。もちろんポジティブに受け止めよう。「いいなあ~、うらやましいなあ~」って聞こえた。




 朝、教会バザーの準備で賑わう荻窪教会の聖堂でお祈りした。

 となりに聖なる方の弟子になろうと一歩踏み出した青年がいた。

 この弟子の初ミサにも骨になっても出ようと思う。



 眠い、でも楽しかった。あ~気持ちイイ。


 明日は市ヶ谷での歌とピアノのコンサート聞いて癒されようかな。


 今月末(10月30日)の高円寺教会「教会祭り」もちゃんと準備して盛り上げたいです。



 「いま、できること」



 神に感謝。
Copyright© 2005 Luke8488

『風に吹かれて』

2005-10-15 19:20:53 | Weblog
 「風は思いのまま吹く、あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」(ヨハネ3.3.8)

 
 神様は具体的に「恵み」を表してくださる。

 今日も、今も、心臓がトクトクと脈打っていること。

 新しい朝に窓を開けるとキンモクセイのかおりがどこからともなくしてくること。

 ツライのはツライのだけれど、ココロの中に一筋の光がある信頼感。

 「望んで生み、愛して育ててくださる神の愛」。



 入門講座に同席した。

 テーマは「洗礼」。


 既に洗礼を受けたぼくらはうなずきながら聞いている。

 「新たに生まれる」「本当に生まれる」「誕生の完成」「死という神の国への誕生が究極で、その先取り」

 「洗礼を受けないと救われない」ということではない。



 神父様がわかりやすくお話をされている。


 初めて聞く人たちにはどんな風に聞こえているのだろう。

 「今話しているのは一人の神父ではなく神様なんですよ」といわれて「ああそうなのか」という理解するとかじゃない、うまく言い表せないが、こう、もっとピュアな信頼関係というか、う~ん、すべてをゆだねちゃおう。自分は弱い人間なんだから。みたいな感覚になってきてるのかなあ。

 もちろん全知全能の神様のしていることなので疑う余地もないが。


 「洗礼を受けませんか?」などと言うと「さあややっこしいことになってきたぞ。今のままでイイじゃん。教会にも来てるし、神父様の話も聞いてるし。」

 「ましてや勉強不足だし、自分はまだそんな人間じゃないから。」


 ぼくらの言う「洗礼を受けませんか?」と言うのは信者(仲間)を獲得(増やし)したいとか、他の宗教や信仰を否定するとか、こちらの考え方や思想を押し付けるなんてことは全くない。

 例えが的確でないかもしれないけど、「流行りすたり」とか関係なくてイイものって人に教えてあげたくなりませんか?それが教える相手の損得に関係があろうがなかろうが勧めたくなったことってありませんか?ここ結構キーポイントで「損得に関係」しないのがカトリックなんですよね。

 あるモノを買うと幸せになれるとか。お金をたくさん納めると天国にいけるとか、信仰と何の関係があるのかわからない国政選挙に必死になるとか。こんないわゆる「ご利益宗教」とは違うんですね。


 「カトリックの洗礼」というキーワードがあなたのアンテナにちょこっとでも引っかかったのならラッキーみたいな。全部特等大当たりくじの福引やらないんですか。あ~もったいない。

 あなたの周りにはもうすでに風吹いてますよ~。

 どこから吹いて、どこに行くのかなんて面倒くさいこと考えないで、ただ風に吹かれて、ちょこっと肩を押されて、一歩踏み出せれば。


 入門講座に同席してちょっとホットになっちゃったかもしれない。まあいっか。



 召命ハウス(神父になりたい青年たちの棲家)を探していても、もう当然のように理想の物件が出てくる。

 神様は具体的に「恵み」を表してくださる。

 神に感謝。
Copyright© 2005 Luke8488
 

『本を読んで泣いた』

2005-10-13 08:57:37 | Weblog
 本を読んではじめて泣きました。

 「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」著リリー・フランキー

 九州の炭鉱に住む著者とその母親。離婚はしてないが離れて住んでいる父親。

 少年から大人へ。田舎から東京へ。


 大人になりきれない自堕落な日常。

 年老いて田舎で一人暮らしをする母親。

 父との距離間。

 母親への愛。


 シンパシーを感じる。ぼく自身の事、書いてあるから。


 ノンフィクションだから。



 朝、バス停まで我が家の天使(娘)ちゃんを送っていく。

 バスが来て「じゃあね」と手を振る。

 おばあさんが一人バスに乗らずに立ちすくんでいる。

 「何か調べてるんですか?」声をかけた。

 「ええ、いま時間ありますか?」

 「はい、だいじょうぶですよ。どこまで行かれるのですか?」

 おばあさんは透明なビニール袋に入った書類を手提げ袋から大事そうに出して

 「新宿西口行きのバスはここから乗れますか?」と聞いた。

 おばあさんは今日5時半に起きて環七をここまで歩いて来られたのだと言う。

 歩き始められた場所の近くにバス停もあったのだがその時間では始発はまだ走ってなかった。今さっき娘が乗っていったのが始発だから。約一時間歩いたことになる。 

 65歳で一人暮らし。

 東京都の一人暮らしの老人のための住宅斡旋の面接のために都庁まで行きたいのだそうだ。

 北区の区役所で話を聞いてきたというそのプリントには必要事項にオレンジ色のラインマーカーが引いてある。

 とても良い、都の福祉活動だと思うのだがそのプリントにはこんなようなことが書いてある。

 「一人暮らしで人知れず亡くなって行く方がたくさんいます。そんな方々のために・・・。」

 「苦しむヒトを思いやった優しくない文章」としか言いようのない書き方。

 まあいい。やることやろうとしているから。

 「この次のバスは、えっと、6時50分ですね。今の時間なら新宿西口まで大体45分から50分かかります。都庁は9時からですからちょっと早すぎるかもしれません。」

 「そうですか。新宿西口から都庁までは近いですか?」

 「歩いて10分ぐらいです。バスを終点まで乗っていって降りたらそこでもう一度聞いてください。今度は住んでる近くのバス停から乗られたらどうですか。どこから乗っても200円ですから。」

 バスが来た。

 おばあさんを乗せる。運転手さんに「65歳の方は何か割引ありますか?」と聞いたら面倒くさそうに「ないない」と手を振られた。

 都庁までちゃんと行けたのだろうか。面接で良い物件はゲットできたのだろうか。



 自分の母親は、田舎で一人で暮らしているおかあさんはどうしてるんだろうか。

 なにもできてない。


 「東京タワー」で最後の方に引用されている詩

 「母親というのは無欲なものです

  我が子がどんなに偉くなるよりも

  どんなにお金持ちになるよりも

  毎日元気でいてくれる事を

  心の底から願います。

  どんな高価な贈り物より

  我が子の優しいひとことで

  十分過ぎるほど幸せになれる

  母親というものは

  実に本当に無欲なものです

  だから母親を泣かすのは

  この世で一番いけないことなのです」(著:葉祥明)

 
 ぼくだって人の親になったのに何もできてない。

 そしていつものように娘に言う。

 「たまにはおばあちゃんに電話してやってね。」と。

 そんな程度。

 こんな現実。


 神様お守りください。お導きください。弱い者たちをお救いください。

 神に感謝。
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『三連休の最終日』 その2

2005-10-12 08:13:44 | Weblog
その1からのつづき

 「あたりまえじゃないの。いつもいつも暇な時にゲームばっかりしてるの良くないから。」妻が言う。もっともだ。

 でもやっぱり池袋から東久留米まで準急で30分弱、往復だと1時間弱。窓の外なんか見ながら「ぶらり一人旅」とはいかないだろう。

 読書が好きだから本でも買ってあげようかなんて考えたが、それもちょっと違う気がした。


 「しりとり」を娘とよくやる。 

 とりあえず乗り換えのホームまで送っていって電車が入ってきて座席を確保する。ずっと「しりとり」を続けて気を紛らわしている。

 出発の時間になる。

 「じゃあ、この続きはケイタイでやろう。」

 娘にはセキュリティーの意味もあってケイタイを持たせている。なおかつ今契約している会社のサービスで家族間は通話もメールも無料期間だったりする。

 父「しまうま」

 娘「マンゴー」

 父「ごりえ」

 娘「エントランス」

 父「すなかけばばあ」

 娘「アンダー」

 父「たからもの」

 娘「のばな」

 娘「着いた」

 父「つぎは「な」でパパからです。終わったらメールして」

 こんな風にしていればあっという間に時間は過ぎたことだろう。親バカ、う~んバカ親だなあと思う。


 さて約二時間半くらい時間ができたので妻とデートです。

 沖縄料理の店でランチをし、じっくり話をして、ウィンドーショッピングして、ちょっぴり手なんかつないじゃったりして。

 そういえば思い出したが妻は買い物に慎重だ。悪く言えばこういう人の接客はできることならしたくないタイプだ。まあ最近は買い物すらあまりさせてあげられないけど。

 例えば靴を買いに行きフィッティングをさせてもらう。1足、2足、・・・6足、7足。鏡を見たり歩いてみたり、かれこれもう45分ぐらい検討している。その都度ぼくにも意見を求める。もちろん最初のうちは真剣に評論しているが「オイオイそろそろ決めたら」という思いも強くなり話をまとめに入る。

 妻が係の人に一言「じゃあ」

 「フッ~、やっと決めたか」と思っていると。

 「じゃあ、もう少し検討してみます。」

 「ヒョエー!あれだけ一生懸命対応してくれたのに買わないのかよ~」

 ってな感じなのだ。まあイイんだけどね。

 そもそも日本人は靴を選ぶ時間が短いらしい。確か平均15分ぐらい。見栄えよりも機能性(履き心地や自分の足へのフィット感)を重視する英国や米国では平均1時間20分くらいかけるらしいことを昔どこかで読んだ。

 いつのまにかフォローにまわってしまったが、洋服なんかでも同じ状況だったりするので閉口する。でもそんな事言いながらぼくもその様子をいつものセレモニーを見るように見てるだけなんだけど。

 ケイタイがメールの着信を知らせる。娘からだ。

 「電車に乗ったよ」

 父「なつやすみ」

 娘「水着」

 父「ぎんだこ」

 娘「皇帝」

 父「いぬごや」

 娘「約束」


 改札を通り抜けて娘が帰ってきた。

 「きょうは上手にできた?」

 「先生に「エライ」って三回も言われたんだ!」

 「オー!やったな。すごいな。」

 帰ってきた時の充実感が楽しさに変わっていくのを待とう。

 きょうはサーティーワンのアイスを食べよう。



 「パパ、そういえば昨日のカテドラルの「こどもミサ」に行ったときに岡田大司教様に頭をポンポンってしてもらったんだよ。」


 『三連休の最終日』降り続く雨は最後にぼくの「疲れ」をも洗い流していってくれた。

 神に感謝。
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『三連休の最終日』 その1

2005-10-11 14:36:15 | Weblog
 パシャ~、パシャ~、ザ~、ザ~。
 
 「もし晴れたらさ~、公園に行ってバドミントンとか運動したいんだよね~。」前日の教会から帰りのバスの中で我が家の天使(娘)ちゃんがつぶやいたささやかな願いを昨日の夜からの雨が道路わきの側溝に洗い流していく。

 いつまでも薄暗い雨の休日、娘には申し訳ないが嫌いじゃない。



 「10月10日の体育の日って「晴れ」の特異日なんでしょ。」

 「たしか過去のデータからその日がパパの生まれた年に開催された東京オリンピックの開会式の日に選ばれたってどこかで聞いたような気がする。」

 そんな会話も雨が雨どいに運んでいく。


 こんな三連休の三日目の、前日、前々日までグダグダした三日目はリフレッシュデーにさせてもらおう。いつもどおり5:34分に目が覚めたけど二度寝を決め込んでス~っと眠りに落ちかけた。

 「は~い、起きて~。パパも一緒に出かけるのよ~。」

 what?あっ。きょうは確か娘のフルートのレッスンの日だった。と頭のスイッチがカチッと作動すると同時にぼくの睡眠は雨によって石神井川に流された。

 「シャワー浴びてる時間ある?」



 習い事って憂鬱なんだろうな~と、準備が上手くできていなくて催促されている娘を見ていて思う。行きたくない時ってこんな感じだよね。

 ぼくも小学三年生から土曜日、日曜日の午後はリトルリーグという硬式野球のチームに所属していて練習に行かないといけなかった。その頃からだろうか週末の雨ってなんだか好きになったのは。だって雨が降ったら練習がなかったから。それにしても練習嫌いだったよな~。最後のバッターで終わった高校三年生の夏の甲子園予選までの十年間、小、中、高校とずっとキャプテンやったけど練習は好きじゃなかった。

 野球自体も「ホントに好きで好きでたまらない」ってタイプじゃなくて、生意気だけど親が喜んでくれることがこれしかなかったと子供ごころにも思っていた。小学校四年から比較的試合に出させてもらえたので「休む」とか「やめる」なんていう選択肢がなかった。

 大学進学時も「是非うちの野球部に」というお誘いもいただいたが「最後のバッターになった」というもっともらしい大義名分が出来たぼくはようやく野球をやめられた。

 だから娘のキモチがなんとなくわかる。

 「でもさあ、練習もやって行くたびに上手になってすごいなあ。行くのだんだん楽しくなってこない?」

 なんとかモチベーションをあげてあげようと声をかけます。


 「まだ、あんまりね。」

 当然反応なんかイイわけがない。



 「さあ時間だ。いくぞ~。」

 池袋まで妻と二人で送っていく。


 娘がぼくに向かってポツリと言う。

 「今日は池袋までしか送ってくれないんだよね?」

 「う~ん。でもDSでもやってればすぐ着くじゃん。」

 おっとっと、ビデオやゲームに集中させておけば子供が静かにしていると思っている最悪な親の発言をしたとプチ後悔していると。

 「今日はDS持ってきちゃいけないってママに言われたの。」

 「そうか、それもかわいそうだなあ。」

つづく

 神に感謝。

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