カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『「あの」映画』

2006-05-29 07:52:16 | Weblog
 「え~、それでは今日はこの映画について話をしたいと思います。」



 神父様のテーブルにむっくりと起き上がってきた映画のパンフレットが視野に入ってきた時にちょっとだけ「オッ」と思った。



 土曜日の入門講座。今回も雨の中たくさんの求道者が教会の門をくぐった。



 この日は堅信のための講座も兼ねていて今年洗礼を受けた方も大勢参加していた。


 その映画についての神父様の話しは「テープおこし」して忠実に再現してもその場のニュアンスというか雰囲気も含めてはうまく伝えきれないと思うのでぼくもメモを眺めながらどうしたものかと思案している。


 これが『「あの」映画』じゃなかったら、「簡単に言うと」とか「要約すると」などと書けるのだが。



 「ぼくにはこう聞こえました」ってことにすればイイかな。





 「おバカな映画。」


 「自分の親をネタにして、笑いをとって優越感に浸ったり金儲けしてるような映画。」


 「でたらめなことを「これは真実である。」と断言しているのは詐欺。」


 「同じ回に観ていたとなりのカップルの女の子が観終わっていっしょに来ていた彼氏にひとこと「よくわかんな~い。」って言ってた。」


 「引用されている「聖書」はグノーシス(「異端」と解釈するのがわかりやすいのかな)な立ち位置にいる人が書いたグノーシスなもので「正統な聖書」からの引用ではない。」


 「どんな映画にも必ず何がしかの「ギフト」があるものだけど、『「あの」映画』にはなにもない。」






 「この映画は、「ほんもの」をわかっている人にはあまり悪影響を及ぼさず、わかってない人にはわからないから問題にすることもない。」





 ぼくにはこういう風に聞こえた。



 ぼくも前にこのブログ内で「原作を読んだ」と書いた。



 テレビ局が配給に関係している「映画」は少し前から「宣伝」のために映画の内容に関連付けて特集番組などを製作、放映する。



 もちろんタダで垂れ流しているのに「公共の電波」などと理解されている訳の解かんない立ち位置にある人達がやってることなのであ~だこ~だ言う筋合いにありませんが、営利目的で「ウソ」や「欺瞞」を「だって誰かがそんな風に言ってたんだもん。」ってアピールしまくるってのは


 どこかのカルト集団が「死なせてあげたほうがこいつらのためだから」といいながら公共の場所で毒をばらまくのとどこが違うのだろうか。


 マスなメディアには影響力がある。


 それによって頭に麻袋をかぶせられてどこに行ったらいいのかわからなくなっちゃう人たちがたくさんいる。




 6月2日(金)なかのZERO 小ホールで「第30回日本カトリック映画賞授賞式&上映会」が開催されます。


 ほんものには「ギフト」必ずあります。


 大勢の人が足を運ばれることを願います。



 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488 

『バスの窓から』

2006-05-26 12:48:34 | Weblog
 朝からチョビッとしかられて


 それでもバス停で何事も無かったかのように


 くちぶえなどを吹いている




 「さっきなんか言われてなかった?」


 って聞いたら


 チョッと不機嫌になって


 ことのいきさつを必死に話している


 都合の悪いツッコミをされそうになったら


 バスがやってきて


 話は中断する




 しかめっ面のまま送り出すのは


 やっぱりかわいそうになって


 バスの席に着くのを待って


 なるべく


 穏やかな顔をして


 手をふる


 ホッとした顔になって


 『バスの窓から』


 いっしょうけんめい


 手をふり返す





 いい一日になるように


 こころから願う




 そして


 「もうちょこっとだけがんばれ」


 って


 思ったけど




 「がんばらなくてもいいぞ、元気で楽しんできな。」


 って


 思い直す



 
 朝のひととき



 
 神様今日も一日、お守りください。



 神に感謝
Copyright© 2006 Luke8488 

『キャンセル』

2006-05-24 21:03:11 | Weblog
 ようやく観ました


 「リンダ リンダ リンダ」


 
 いまどきの高校生の「かったるさ」や「クールっぽい立ち振る舞い」や「なんとも出しゃばれない責任感と無責任感」



 それから「熱みたいなもの」も十分に堪能できた。



 娘を持つと観点があからさまに変わっちゃうもので、人間などというのはわがままなものだ。



 いま教会のおねえさまからいただいた新茶をいただく準備をしてる。



 娘も興味津々でお茶の淹れ方などを教わりながら楽しんでいる。



 お茶のイイ香りがしてきた。



 ホントは熱々で飲みたいのだけれどシャンパンで酔っ払ったカラダは「冷たいのにして」とリクエストしている。氷り入れてキンキンに冷えたやつ。


 キンキンじゃないと『キャンセル』だ。




 『キャンセル』で思い出したが


 予約や約束を変更したり断ったりするのって様々な事情や環境や心の変化などがあってそれに合わせて無数の言い訳というか事情説明が存在する。


 妻が美容院の予約時間を大幅に過ぎてしまったらしくケイタイから連絡している。


 ぼくがランチに誘って話が弾んじゃったことに要因があったのだけど。


 「二時半から予約していたのですが」






 「忘れちゃって。」






 ぼくはひっくり返りそうになった。


 たしかに正直っちゃぁそれまでなんだけど



 「忘れちゃって。」って。



 「急遽予定が変更になった。」とかなんとかさぁ、もうちょっと言いようがあると思うんだけど、どういうもんなんでしょうか。


 意表を突かれてというか、なんだかおかしくてしょうがなかった。


 だって、大人の会話じゃありえないでしょ。


 まあイイんですけど。




 疲れきったカラダにキンキンに冷えた新茶が流れ込みます。


 「あ~、おいしい。」




 生きていくにあたって人間はいろいろな場所でいろいろな人と何気なく約束をしているものです。

 
 それを履行しようと躍起になって生きています。


 そんなものは場合によっては『キャンセル』しちゃってもよいでしょう。


 信用とか信頼とかに縛られて息苦しく毎日を生きているのならいっそ投げ出したくなっちゃうこともあります。


 そんな時は教会に行って祭壇に向かってその思いをすべて投げつけてしまえばよいのです。


 「神様、ぼくの分もその十字架にいっしょに背負ってください。」と。



 「信じます。」と約束、宣言した事実は


 誰にも『キャンセル』することはできないのだから。



 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488 

『勝手に逆襲される』

2006-05-23 09:35:35 | Weblog
 午後から表参道で仕事関係の講演会があるので、「おしゃれに表参道でランチタイムしましょう」と、同行する予定の部長を置き去りにして少し早く会社を飛び出した。


 というか、先週の反動が雪崩のように押し寄せてきて、もうどうにもこうにも「ヘロヘロ」状態で階段の一段一段が高く感じられるほど「歳」みたいなモノを突きつけられている。


 渋谷から銀座線で表参道で下車。


 いつもならビシッとターゲットを絞って、下調べして行くのだけれど「ヘロヘロ」さんにはそんな気力も無く、行き当たりばったりです。


 「おしゃれなランチタイム」などと言ってるくせに基本に探しているのがラーメン屋さんだったりする。


 これまた偶然で一度行ってみたかった坦々麺のおいしい中華料理屋さんの置き看板が目に飛び込んできた。


 メインストリートからほんの5歩くらい路地に入ったところにあるんだけどお店のある二階にあがっていく階段の入り口がわかりづらいぞと思いながら上っていく。


 「お客様お1人様ですか。」


 「はい。」


 「少し大きめのテーブルで他のお客様とご相席になりますがよろしいでしょうか。」


 「はい。」(サラリーマンの集団の中かな、まあいいや)


 このお店中華料理屋さんだけど間接照明を使っているいまどき流行りのレストランや居酒屋的な雰囲気の造りになってる。表参道という場所柄か。


 案内されたのは入り口の部分を除いて5人が座れる大きめなテーブルのある個室。


 奥には先に入っていたOL三人組。


 なんとなくわかるでしょ、女性3人でこれからランチ食べようってときにスーツ着た男が入ってきたときの感じ。


 一瞬、緊張感が走ってジロジロ観察されるのは後から入って行ったほうだよね。


 ぼくは雰囲気を壊さないようにひっそり座って係りの人に声をかけて


 「坦々麺 3辛ください。」


 「セットではなくて単品でよろしいですか。」


 「はい。」


 程なくして先に注文した彼女たちの料理が到着した。


 「チャーハンセットのお客様、冷やし棒々鶏麺セットのお客様、日替わりランチのお客様。」



 「わー、こんなに食べられるかな~。」


 これは男性を意識した発言である。「最初からわかってて頼んだんだろうが~。」ってツッコめるはずも無くただひっそりと座っている。ぼくは「単品だし。」


 ぼくの注文の品も来て食べ始めた。


 はじめに温かいお茶を出してくれたのだが、なんてたって食べてるのが坦々麺だ。お水が飲みたい。



 「変なおやじモード」スウィッチが「パチン」と入った。



 ここでいま「おみじゅ(お水)ください」って言ったらどうなるか。



 係りの人が部屋の外を通った



 「すみません。」





 「お水いただけますか。」




 ま、言えるわけない。



 「一人の世界」でキモく遊んでいるうちに彼女たちの会話に耳がダンボになってきた。



 ぼくの隣に座っている彼女がもうすぐ結婚するらしい。とりあえずおめでとう。


 それで「エステに行く予定がある」とか「めんどくさいのよ~」的なしゃべり方をしながらちょっと勝ち誇っている。


 まあイイや。


 それを聞いてた二人が


 「結婚のお祝い何かほしいものある?」


 「え~、うれしいなぁ、ほんとにイイの~、そうだな~、すっごく実用的なものになっちゃうかも。」


 「イイよ、イイよ、他の人とカブっちゃったりしたらイヤダし。」




 「そうだよ。わたしもこの前結婚した人に「スイジョウキ」あげたもん。」




 ぼくは思わず坦々麺のスープを噴出しそうになった。



 
 「「スイジョウキ」じゃなくて「ジョウスイキ(浄水器)」だろ。」って。



 その後クールを装っていたぼくも笑いをこらえるのがたいへんで、おしぼりで口を拭くふりをしたりもうどうにもこまった。



 彼女たちは爆笑することもなく話を続けてたんだけど



 もしかして「ネタ?」だったのかなぁ。



 素敵なランチタイムをありがとう。



 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488

『庭』

2006-05-22 08:22:39 | Weblog
 やっぱり「ど真ん中」に行きたくなった。


 天井を見つめて「どのあたりかなぁ。」と人ごみの中を歩いているうちに


 いっしょに行った、というか連れて来てもらった仲間とはぐれて


 プチ迷子になった。


 「まあ、でも、この中にいればまた合流できるでしょう。」などと勝手に思いながらプラプラ歩くドーム型野球場の中。


 一応「このあたりかな」と思われる「ど真ん中」まで行ってひとり満足し、あらためて周りを見まわすがヒトヒトヒト。



 申し訳ありませんが「ガーデニング」って凄いことになってます。



 一緒に行ったプロフェッショナル(造園会社の部長)いわく某国営放送でやってる「趣味の園芸」なども大変な盛り上がりを見せているらしく、やっぱり「イケメン・ガーデナー」みたいな人も存在するようだ。


 
 でもね、「『庭』いじり」なんてレベルじゃないのですよこれが。


 
 芸術作品。


 
 かといってあまり浮世離れしちゃうと「メルヘンの世界」か「前衛芸術」に踏みこんで行き過ぎちゃう。そうすると見に来てるお客さんの自分ちの『庭』での再現性に想像が追いつかなくなっちゃう。



 知らない世界だったのでおもしろかった。



 自分ちの『庭』かぁ



 いいよね~。



 ぼくにもその昔、田舎に車を2台とめてもまだまだ余裕のある『庭』があった。



 ぼくが東京から帰ったら「植栽したり垣根作ったりしようね」などと話していたが父が亡くなってその夢もその家自体も霧散した。



 野芝が生えたその『庭』には白と青の模様のパラソル付きの白いテーブルとイス。


 暑い夏に帰省などしてそこに座ってビール飲んで、まだまだ小さかった我が家の天使(娘)ちゃんを家庭用の空気を入れて水を張るタイプのプールで遊ばせたあの夏。


 ブリキ製の金魚模様のジョウロで父が水をかけてあげて娘がキャッキャよろこんでいたあの夏。


 そんな田舎を思い出してノスタルジーにドブンと浸かった。


 ちょっとだけセンチメンタルになった。


 そうそう、そのガーデニング部門で優秀賞(このショーで最高の栄誉)に輝いたのはいっしょに行った仲間の知人の作品も


 タイトルが


 「NOSTALGHIA(ノスタルジア)」だったっけ。


 みんなと別れて



 チョッと仕事して夜中の二時からLive『VOICE』3rdのDVDと「びゃっきー」さん出演のテレ玉の「おーでぃえんすV」を観てしみじみしました。





 ぼくらの『庭』かぁ。





 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488
 

『どよめき』

2006-05-21 07:19:42 | Weblog
 目の前の歌姫が、4曲目の「煙突掃除/アルディーティ」を歌い上げたその時


 「ガヤガヤ」


 「ドヨドヨ」


 「わー、すごいわね~」


 サロンコンサートに来てトップバッターのパフォーマンスをおりこうさん顔で観ていた観客はどよめいた。


 歌声とピアノの音と聴衆のハートが一瞬完全にシンクロして


 魂、揺さ振られた感じ。




 土曜日の夕方、突然のスコールのような雨に邪魔されながら荻窪にある杉並会館に行き着いた。


 数週間前に「文雄くんのピアノで由香ちゃんがソプラノで出演する」と案内をもらった



 「第13回 荻窪音楽祭」



 杉並会館ロビーに設置されたステージ。


 並ぶパイプいす。


 ピアノが置いてある後ろには緑茂る庭が見渡せる大きなガラス窓。

 
 「へ~、こんな環境で大丈夫なのかなあ。音の響き方とか。」などと最近オキマリな分析から入ってトップバッターである二人の登場を待った。


 文雄くんの表現力豊かなワクワクするようなピアノにのって


 歌姫は燦然と輝いた。


 なんとも豊潤な時間。


 大きな窓から遠くに見える茶色のマンションが雨上がりの夕日を浴びてオレンジ色に光ってる。


 音楽とこの景色って空間に居たら


 なぜだろう突然、ハワイの朝を思い出した。


 海外旅行とかに行ったときの朝。


 そんな時って日常からチョッとだけ離れてて、悩みや日ごろの思いなど忘れてて、それも朝のひんやりとした空気の中、今日これから予定していることや体験するであろう出来事を思ってドキドキ、ワクワクしてるそんな朝の感覚。


 荻窪の杉並会館でイタリアの歌曲を聴きながら


 こんな風に思わせてくれる


 二人のパフォーマンスに感謝です。




 そういえば今週はライブに始まってライブに終わった。


 身の丈にあった


 ちょっとした贅沢


 さてとミサに出かけますか。



 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488

『ビアホールでバンザイ』

2006-05-18 11:29:00 | Weblog
 「5.17 18:00ですが如何?一塁側。ソフトバンク戦です。」


 「巨人戦」


 だいちゃんからメールをもらった途端に元野球小僧の血が騒ぎ始めて体中を元気に駆け回るのを感じた。


 地方で娯楽といえばTVでの野球観戦くらいしかなかった。


 野球人気がどうのこうの、サッカーに勝ってる負けてるだの、視聴率がどうのこうの、企業努力が足りないとかそんなこととは全く関係なく夕方になると、父のひざの上で目の前で繰り広げられるエンターテインメントに一喜一憂していた。

 
 今みたいに無理やり演出してヒーローやスーパースターを創りださなくてもそれこそキラ星のごとく、燦然と輝き躍動するプロフェッショナルが画面の中には存在してた。


 まだその名前を「後楽園球場」といったころ父と父のすぐ下の弟とぼくより一歳年上の従兄弟と4人で、はじめて「生」の野球を見に行った。小学校の低学年だった。


 当時から巨人戦のチケットはそうそう簡単には入手できなかったらしく、記憶は定かではないが、たしか「日拓ホームフライヤーズ(いまの北海道日本ハムファイターズになる前に一年だけ存在した)」対「南海ホークス(いまの福岡ソフトバンクホークスの前身)」というカードだった。


 でもやっぱり巨人戦を見たかったぼくは小僧のクセに


 「パリーグのこういう試合のほうがホームランの打ち合いになっておもしろいんだよね。」などと評論家気取りで自分も周りも納得させようとしていた。こにくらしいガキである。


 ホームランボールが必ずぼくのところに飛んでくると思ってて、本気で取るつもりでグローブを手にはめながら観戦してた。


 そんな日にかぎって、「息詰まる投手戦」ってやつで2対0か何かでどっちかが勝って、どっちかが負けた。


 ホームランボールは飛んでこなかった。


 巣鴨の親戚の家にその日の夜はお世話になって、そこのおばちゃんに「大きくなったら東京に出てくるんでしょ?」と聞かれて、小生意気なガキは「はい、東京大学に行きます。」と東京に来ているというハイテンションの中、訳のわからないことを口走っていたと何年も経ってから聞かされてはずかしかった。



 だいちゃんと合流して指定席について二人でドームを観まわして先ず第一声



 「人気なくなったといえ、4万人くらい集められるの羨ましいよね。ここでライブやったら気持ちイイよね。」とぼく。


 「いやーでも音響とか面倒くさそー」とだいちゃん。


 一杯800円もするビールで乾杯。


 「なんとも贅沢なビアホールだよな~」としみじみする。




 「今日はいっしょにジャイアンツ応援してね。」



 試合は4対0で完勝。


 最後のバッターがセカンドゴロに打ち取られた瞬間


 東京ドームというゴキゲンな


 『ビアホールで


 バンザ~イ』


 しました。


 だいちゃん誘ってくれてありがとね。


 大声出して


 いろんなもの発散できました。


 最近リフレッシュひとりじめしすぎかなぁ。



 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488 

『これはもう偶然ではありません。』

2006-05-17 09:27:40 | Weblog
 「どの本にしようかなぁ。」


 出張先の盛岡駅の駅ビルで帰りの新幹線を待ちながら二軒目の本屋さんをあてもなくウロウロする。




 そういえば昨日の月曜日、仲間と赤坂見附で待ち合わせしていつものライブハウスへ向かった。(なんだか「いつものライブハウス」だって、カッコイイ)


 半年間続いたテレビ埼玉の「おーでぃえんすV」という番組の収録ライブの最終日。(ちなみに5月21日21:30~ON AIR 録画しよう。)


 我らが「びゃっきー」さんの歌、聞きに行きました。


 「後悔した後」のオリジナルはじめて聞いてジ~ンとする。


 「コスモス」さんや「渡辺都」さんとも交流が深まり、ライブはイイね。


 そのあとラーメン屋さんで仕上げをして丸ノ内線で池袋まで。


 午前1時に帰宅して、午前4時10分に起きてシャワーなどを浴び6時4分の東京発の新幹線で盛岡まで。


 お客様の所在地の最寄の駅が「石鳥谷(いしどりや)」。


 「エビドリヤ」と似てるよな~と思いながら、映画のロッキーに出てくる「エイドリア~ン」を思い出して「チェケラッチョ」


 仕事は順調に済んで、盛岡駅までもどる。


 最近の行動パターンとして時間が空いたら先ず本屋さん。


 1軒目。ピンとくるものが無い。


 とりあえず、盛岡銘菓「かもめのたまご」と「南部煎餅」などをお土産で買って気分かえて、2軒目の本屋さんへ。


 文庫本のコーナーでそこだけ輝いて見えたので近づいてみるとそこには



 「おむすびの祈り 「森のイスキア」こころの歳時記」(佐藤初女/著 集英社/出版)


 が積まれていた。



 内容も確認しないで手に取る。



 なぜか「もう一冊買うんだ」という気持ちが湧き上がって



 今度はタイトルに引っ張り込まれたようにもう一冊を手に取る。



 「これが私の優しさです 谷川俊太郎詩集」(集英社/出版)


 
 この二冊を買った。



 新幹線の時間まではもうチョッとあるので待合室のイスにどっかりと腰を下ろし本を開く。



 谷川俊太郎さんのことって有名な詩人くらいにしか認識してなかった。


 ページをめくる。


 「宿題」


 「目をつぶっていると 

  神様が見えた

  うす目をあいたら

  神様は見えなくなった

  はっきりと目をあいて

  神様が見えるか見えないか

  それが宿題」(二十億光年の孤独 より)


 フムフムと思いながら

 巻末のプロフィール 谷川俊太郎年譜 を見た。


 「昭和十一年(1936)-5歳

  高円寺にある聖心学園に入園。幼稚園で教わった西洋の神様に家族の健康を毎晩祈る。」


 うへぇ~「そんなこととは露知らず」とちょっと鳥肌。

 
 これ偶然?




 新幹線に乗りこみ、佐藤初女さんの本を開く。


 おもしろくて、福音のオンパレードでドンドン読み進む。


 「森のイスキヤ」の成り立ちやご自身のことが歴史を紐解くかのごとくに語られ、「感動が押し寄せる」とはこのことだ。


 あいだあいだに佐藤初女さん宛の手紙というかたちで数名の方が寄稿されているのもすてきだった。


 東京駅に着く寸前に本の終盤にさしかかった。


 また手紙が載っている。



 初女さんへの手紙

 「おむすびで、縁むすび」


 目を本の下のほうに移し、手紙の差出人名を見てまたまたビックリして鳥肌。


 晴佐久昌英(カトリック司祭)


 

 『これはもう偶然ではありません。』




 今日こうして出逢った二冊の本。



 天から差しのべられた


 救いの手。



 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488 

『非常口』

2006-05-16 19:28:58 | Weblog
 先週の日曜日のごミサの後に行われた教会委員会でミサ中の突発的な出来事についての話になった。


 「突発的な出来事」というのは急病人が出たり、火災が発生した場合などのことで、危機管理を含めた対処方法を検討しましょうということです。


 先日、ミサ中に貧血で倒れた方がいた。その場に居合わせた医療関係者が救急車を呼び事なきを得た。その方も無事で、後日復帰された。


 ミサは救急車が来て処置、搬送中も粛々と続けられた。当然と言えば当然なのだが現場にいた会衆の中には「それはチョッと冷たいのではないか」という意見も出たのだそうだ。


 まあ、たくさんの人が集まっているのだからいろいろ意見があってイイと思う。


 祭壇(内陣)で行われている典礼とそれに与る会衆席は同じ空間であってもやっぱり位置づけは決定的に違うんじゃないのかとも思うがまあイイ。


 教会へ自家用車で来ることへの自粛についても提言があった。正確には来るのはもちろんイイけど、教会内には駐車しないようにしようということ。


 これも危機管理の一環で、救急、消防車両の導線を確保しようということだ。


 許可車両についても全面見直しで体が不自由な方の送迎車両以外は今後近隣の有料駐車場に止めましょうという方向になるらしい。もちろん路上駐車は近隣からの苦情があるし、道路交通法でもキッチリ管理されている。


 そういえば教会には『非常口』の表示が無いような気がする。


 あったかなあ?っていうくらい目立たない。


 これも消防法だか何かで規定されているはずだ。


 でもよく考えたら


 『非常口』って表示は


 聖堂の出口ではなくて


 入り口に


 大きく掲示すればイイのに。


 でも『非常口』だとあまりにも切羽詰りすぎるから


 「非日常口」


 くらいかな。


 浮世離れできる場所。


 すべてをゆだねて


 抱っこされる場所。


 そこには思惑や偽善や、ましてや評論みたいな、いわゆるヒトの思考する世界はありません。





 先日の入門講座で印象に強く残った神父様の言葉




 「ただ、だまって、十字を切る」




 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488 

『どうにも気になる』

2006-05-14 08:29:11 | Weblog
 「NUTS TO YOU(ナッツトゥユー)」


 最近、我が家こぞって「お気に入り」の数字2文字のアイスクリーム屋さんにあるフレーバー(味)の名前です。


 かれこれ二十年以上前に学生として東京に出てきて今の妻とこちらではじめてデートしたのがたしか渋谷。


 彼女は代々木公園のちかくにある母方のおばあちゃんの経営しているアパートに住んでいた。


 ぼくは当時神奈川の大和市(やまと)に住んでいてお風呂などという豪華なアイテムの付いていないオンボロアパートに住んでいた。


 近くに(あるいて3分くらい)には米軍の厚木基地があって、まあ、ジェット機やらヘリコプターなどの離着陸訓練などがあると安普請の六畳一間の部屋は、さながら、とてつもなく音響設備の良い、そうサラウンドシステムがバリバリ完備されているホームシアターでボリュームをかなり大きくして「トップガン」の戦闘シーンを観ているくらい騒々しかった。


 話がそれた。(でも昔を思い出してチョッとニマニマしている)


 渋谷でのデートではじめて入ったそのアイスクリーム屋さん。


 当時彼女は「ロッキーロード」というフレーバーがお気に入りだったと記憶している。うん、たしかそうだった。


 この「ロッキーロード」ってのも『どうにも気になる』ネーミングの1つなのだけれど


 それにもましてハートをわしづかみにされちゃったのが




 「NUTS TO YOU(ナッツトゥユー)」



 だって、なんとも押し付けがましくなくって、かといってちゃんと自己紹介はできていて、う~ん、わかるでしょ、このニュアンス。



 「TO YOU」だよ。


 直訳すると「堅い木の実をあなたに」だよ。


 (ちなみに同じスペルで同じ発音だけど「be nuts」となると「気が狂っている」って意味。)



 いろんな商品名なキャッチフレーズ見聞きしてきたけど、これに勝るものは、いま思い出さないもの。




 もうひとつ『どうにも気になる』存在だった


 「インターナショナルデー」


 「よっちゃん」がブログで毎年事後報告(笑)してくれていて、近くでなんだか楽しそうなことやってるらしく、「なんで、誘ってくれないのよ~。」と二年間言い続けてきてようやく昨日連れて行ってもらえることとなった。


 まあ、子供じゃないので自分で調べて行けってはなしですけど。


 これがみんなで行くから楽しい。


 場所は関口教会。


 雨が上がり、薄日が差したりして、とってもイベント日和となって、いろいろな国の食べものやアルコール類などをガッツリいって


 「先日のLive『VOICE』見に行きました。すごく良かったです。」って言われたり


 広島のシスターに『VOICE』の名刺渡したら、「あら、これと同じデザインの前にもらったよ、ダイちゃんから」などと言われて


 「つながり」を実感したり、広がりに感動したり


 「はじめまして」の人とたくさん出会えた。



 おもしろかった。


 次回はもっとたくさんで行きましょう。




 しかし「NUTS TO YOU(ナッツトゥーユー)」『どうにも気になる』んだよな~。


 「GOD TO YOU」


 ちょっと言い過ぎかな。


 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488

『その周辺捜索した』

2006-05-13 07:57:59 | Weblog
 九州にいる仕事がらみで知り合って十年来のお付き合いをさせていただいている確か三つくらい年上の「常務」から携帯へ連絡が入った。


 仕事も含めてかなり頻繁に連絡を取り合ったりしている。


 歳も近いこともあって非常に仲良くさせていただいている。


 お互い仕事もバリバリするし4~5年くらい前は、まあ、とにかくよく遊んだ。


 九州から月に一度くらいのペースで上京する。だいたい三日間くらい滞在していてそのうち二日は一緒に飲み歩いていた。


 早ければ夕方の5時くらいから「じゃ、今日はこの辺にしときますか。お疲れです。」といって新宿歌舞伎町あたりで別れるのが朝の4時。


 家にタクシーで帰って4時30分、一時間くらい仮眠をとってシャワー浴びて6時30分には家を出て会社に向かう。それでも昼食を食べた後チョッとだけ睡魔に襲われるが仕事も普通にこなす。


 そしてまた夕方になると・・・。


 いまでは体力も含めムリ。


 そんな「常務」がいつもより確実にトーンの下がった声で話し始めた。


 「昨日から今日も警察通いでさぁ。」


 「えっ、何かあったんですか。」


 「会社の50歳過ぎた次長が昨日から行方不明なんだよ。個人的な悩みで、金銭的なことじゃないんだけど、奥さんとも別居状態だったんだけど。」


 「・・・。」


 「昨日彼から連絡が入って、「これから死ぬ。」って。「いま、農薬飲んだ」って。」


 「・・・。」


 「それが、すべてにおいて最後の連絡だったらしくて、そのときも、もうちょっと意識がハッキリしてなかった。いまは携帯の発信地っておおよそわかるんだけどその周辺捜索したんだけど見つからないんだ。」


 こんな表現方法は適切ではないかもしれないが、こういうことって身近になるまでリアリティなくって、TVの中のことになってた。


 「警察の話では、例えば「睡眠薬」ではいまはもう簡単に死ねないんだって。ただし、今回の状況なら変な話になるけど「睡眠薬」のほうがまだマシだったって。「農薬」ってそれこそ即効性が無くって、小腸で吸収されるまで動き回れるから足取りがつかみづらいんだって。」


 「どんなカタチであれ、早く見つかればイイですね。祈ってます。」


 ぼくはそんなことしか言えなかった。



 行方不明の彼にとっての「救い」は何だったのだろう。



 今日の「入門講座」一回目にはじめて門をたたいて福音宣言にふれた方々がいた。


 ほんわかとした空間。



 一歩外に出ると冷たい雨。



 冷たい雨にぬれて震えている人はまだまだたくさんいる。



 いまできること。


 
 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488

『本日開店』

2006-05-12 08:22:04 | Weblog
 今日、5月12日(金)から当教会にて入門講座が開催されます。


 「福音宣言」


 と銘打った

 
 やすらぎの空間。




 このところの流れから言うと


 これも「「ライブ」です。どうぞ。」とお勧めしたい。


 「入門講座」などと表現するとなんだか重さが出てしまう感もあるが、「有名人、有名作家の講演会があるからチョッと聞きに行ってみよう」くらいの軽さでイイんじゃないかと思う。


 DVDやCDや写真や本などで見聞きしているのと「生」(ライブ)は比較にならないのは、ご存知の通り。


 そうそう、しかも「プロフェッショナル」の話を聞けるのに


 タダ(無料)


 だし。




 「でも、教会でやるんでしょ~。」


 それはその通り。


 

 そこんところは、ちょっと考えてみましょう。


 例えば、あなたの街に『本日開店』といって新しいお店がオープンしたとしましょう。


 郵便受けにチラシなんか入っていて

 「あ~ら、洗剤安いじゃない。」

 「ティッシュまとめ買いできそうじゃない。」

 「肩が凝ってたのよね~、診てもらおうかしら。お試し期間で半額だし。」



 こんな普通にオープンしたお店が「あなた」が気にしている

 「訳のわかんない宗教」につながってたり「訳のわかんない政治団体」に導かれたり「怖い、一般的にはよくないお仕事」などの資金源になってるってどうやって判断されているのでしょう。


 損得勘定

 利害関係


 よ~く考えてみると

 み~んな

 「お金」がらみじゃありませんか。



 最低、等価交換(対価のほうがわかりやすいかな)

 あわよくばチョッとでも自分だけ得しちゃおう

 って

 躍起になっていませんか。



 まあそれでもイイんです。

 「生活の知恵」って言葉もありますから。

 「やりくり上手」って評価もありますから。


 でも何となく満たされないことありませんか。


 「なにが本当なの、なにが本物なの」みたいな。




 「本物」ありますよ~。



 『本日開店』しましたよ~。


 
 いらっしゃい、いらっしゃい~



 <福音宣言 日程表>

 金曜昼クラス  講師:晴佐久 10:00より

 土曜昼クラス  講師:晴佐久 10:00より 

 土曜夕方クラス 講師:倉 田 17:00より

 土曜夜クラス  講師:晴佐久 19:30より

 日曜昼クラス  講師:川 越 11:00より


 *詳しいタイムスケジュールはこちらで確認ください(http://www.koenji-catholic.jp/nyumon/2006a/timtbl4.html)



 「本物」あります。



 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488
 

『あのね、ちょっと報告』

2006-05-11 08:58:36 | Weblog
 同じ会社にいる女の子から社内メールをもらった。




 「『あのね、ちょっと報告。』

  前に話してたちょっと病気になっちゃった私の友達(学校の先生してた)、ついに復活しました。

  GW中に突然電話があって、もう先月から学校に復帰したとのこと。

  その学校の校長先生の理解もあって少しずつ仕事に戻ってるみたい。

  何よりすごいのは、彼女が人前で弱いところを見せられるようになったとこ。

  私は行けなかったけど、大学の友達同士の集まりで、みんなの前で泣いたりわめいたりしちゃったらしい・・・

  というより、

  そんなことができるようになったんだよ~。前は見栄っ張りだったのに。


  そういう自分もあっていいんだって思えてきたみたい。


  おかげさまで、、、


  プレゼントしていただいた本の効果ありましたよ~(^^)」




 ずいぶん前のブログに書いたんだけど、彼女のお友達は元気で快活で希望していた教職に就いた。

 何がきっかけなのかきっといまも誰もわからないのかもしれない。



 ある日突然職場である学校に行けなくなってしまった。

 
 お医者さんの所見は




 「うつ病」




 ご家族も友達も何とかしてあげたいと思ったけどなかなかうまくいかないんだと話を聞いた。


 ぼくは話を聞いた瞬間、そう、何のためらいも、疑いも無く「本」をプレゼントしようと思った。



 「だいじょうぶだよ」(晴佐久昌英/著 出版/女子パウロ会)という本を。



 会社の女の子に本を手渡す時にぼくはお願いした。


 「これだけはどうしても伝えて欲しい。苦しんでる彼女の「おかあさん」にこの本を読み聞かせをしてくれるようにお願いしてくれ」と。


 彼女のお母さんは快諾してくれた。



 冒頭のメールにあった

 「何よりすごいのは、彼女が人前で弱いところを見せられるようになったこと。」

 「そういう自分もあっていいんだって思えてきた」



 ぼくは何もしてない


 でもすっご~く


 うれしかった。



 会社の女の子に返信メールをした


 「少しでも役立てたのなら幸いです。ぼくもうれしいです。ただの一冊の本だったかもしれないけど「かみさまからのお恵み」ってあるんだよって信じちゃってイイんじゃないかな。」って。



 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488

『そんなんなら、やめれば』

2006-05-10 06:27:33 | Weblog
 「『そんなんなら、やめれば』」


 意表を突かれた彼は音が聞こえるほど「キョトン」として目を見開いた。


 もう少しで目玉が飛び出すかと思った。



 新高円寺の焼き鳥屋さん


 ライブ当日の打ち上げの二次会にいっしょに行った彼はお酒が入ったこともあってか饒舌に話し始めた。


 ぼくはテーブルを挟んで向こう側にいる彼の言葉が、どうにもこうにも「ノイズ」になって耳に飛び込んできてちょっと気持ちがよくなかった。


 まあいいか


 と最初は流していた。


 「いまライブの打ち上げやってるんだけど日頃鬱積してること爆発させたいのだな」と。


 一度広がっちゃった「ダンボの耳」はその彼の言葉ばかり拾い集める。


 なぜか彼は仕事の話ばかりしてる。


 我らが「正義の味方」が隣り合わせたご縁もあって話を聞いている。


 まあイイ


 「何のお仕事されてるんですか?」


 「ぼく営業やってるんですけど・・・」


 「24時間お客さんから電話がかかってきて・・・」


 「あの、イメージなんですけど内勤の人は朝9時から夕方6時までって時間が決まっていて・・・」


 ライブのドリンクコーナーでもその彼はビールやらウィスキーやらをがぶがぶ飲んでいた。運営費捻出には貢献してくれた。ライブは楽しんでくれている様子だったが、いかんせん飲みすぎか少し呂律(ろれつ)がまわらなくなってきてる。


 「・・・」肝心なところをハッキリ話さない。



 
 実は「営業」ってキーワードで



 「カ~ン」


 既にぼくの中ではゴングが鳴っちゃってた。


 リングに上がることにした。


 「何が不満なのか今の話だとよくわかんないんだけど仕事いやなの?」


 「いやぁ、イメージなんですけど保険の営業の人は・・・」


 「ちょっと待って、質問の答えになってないよ。」


 酔っ払いとの不毛な会話に気が付きながらも


 「いまの自分の仕事がたいへんで、あの、イメージなんですけど内勤の人は楽でイイなと・・・」


 その彼のとなりに座ってだまってうなずいてた我らが「正義の味方」がシャキ~ンとその瞬間に変身した。


 「おまえ、内勤したことあんのかよ」


 「いやぁ無いんですけどイメージで・・・」


 「したことないんだからそんな話するな。」


 ごもっともである。


 たぶん彼は今の営業も仕事がたいへんで自分に合って無いんじゃないかと思ってて、でも生活してくためにしょうがなくて、でもこの彼にとって厳しい現状を発散したかったのだろうってそんなことははじめからわかってる。


 「そうか~、たいへんだけどがんばってるんだね。」って言って欲しかったし、たぶん彼の周りにいる人も親身に聞いている風でいて「やさしそうな人」を装っていたわりの言葉をかけてくれていたのだろう。


 それか、この調子だとあまり人に話を聞いてもらえなくて苦しかったのかもしれない。



 ぼくは聞いた。


 「きみ、営業って何の営業してるの?」


 「・・・、いや、あの、24時間お客さんから電話がかかってきてたいへんなんです。」


 「それだから何なの?」


 「・・・」


 「何が嫌な事で、何が問題で、どうしたいのか全くわからないわからないよ。」


 「あのー、営業の仕事してるんですか?」


 この期に及んでまだ相手に質問を投げつけてくるのか


 「そうだよ。営業の仕事してるよ。」


 「外勤の営業ってたいへんですよねぇ。」


 「そうだね。たいへんだね。でもたいへんじゃない仕事ってあるのかなぁ。もしかして営業してるの嫌なんじゃないの?」


 あまりにもハッキリしなので誘導してしまった。


 「いやぁ、毎日忙しくて、なんだかよくわからない「水」をお客さんに説明して、まぁ売れても売れなくてもどうでもいいんですけど・・・」


 「なんなんだよそれ。きみのやってることはお客さんにも会社にも自分自身にも全くハッピーなことないじゃん。ぼくがあなたの上司ならこう言う



 『そんなんなら、やめれば』



 ってね。」


 初対面の彼に何ら責任の発生してないぼくがこんなこというのはおかしい。


 彼の話にはポジティブさとか希望みたいなものが感じられなかった。


 きっと彼は「助けてくれ~」ってSOS発信してたんだと思う。


 やさしさってなんだろう。


 偽善って誰が判断できることなんだろう。


 もちろん最後は握手して別れたんだけど。


 高円寺の人はなんだか冷たいな~って思っただろうか。


 もう一度彼とは話をしてみたい。


 彼は嫌かもしれないけどね。




 あ~そうか



 これが彼の



 Live『VOICE』だったのか。いま気づいた。



 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488

『ライブの余韻』

2006-05-09 07:56:51 | Weblog
 DVDを家族で三人で観てる。

 タイトルは

 Live『VOICE』1stと2nd

 

 去年の9月と12月だった。(詳細はブックマーク欄にある Live『VOICE』ブログ へどうぞ)



 なつかしい。


 昨日のブログの文面ではLive『VOICE』3rdが成功したのかどうだったのかわからなかったかもしれないけれど

 とにかく「ガヤガヤ」してた。

 マイエホールには出演者、スタッフを含めると90人以上いた。



 「大盛況」


 と表現してくれた方々もたくさんいた。


 もちろん間違ってはいない。


 よかった。


 すごくよかった。


 とんでもなくよかった。



 用意した席では足らなくて追加した。



 その光景を目の当たりしにながら


 ぼくはいつものクセで


 ほんの少しの「満足感」と「達成感」に足の指の先っちょだけ浸かって、その瞬間もう「次」を見てしまっていた。


 「もっと、もっと。まだいける、まだいける」って。


 こんなにすばらしい場所


 いろんな人に知って欲しいから。


 
 打ち上げ2ndで新高円寺の焼き鳥屋さんでしこたま飲んで、どういうわけか、また歩きたくなって環七を歩いた。

 みんなの曲が次から次から口から溢れ出た。

 ちょっとだけ泣いたかもしれない。

 風が強かったし、車が舞い上がらせたほこりが目に入っただけかもしれない。



 メール着信。

 当日急遽山口県から駆けつけてくれた徹(テツ)くんからだった。

 「今日は無理を言って歌わせていただいてどうもありがとうございました。とても楽しかったし、東京で歌えたことと、東京でライブをされているミュージシャンの方々のライブは自分にとって大きな刺激になりました。(中略)また次回も楽しみにしていますので、ぜひお知らせください。」


 メールうれしい、間に合ってよかったね。と同時に「そうだよな~」ってあらためて思った。

 「東京の「高円寺」っていうバンドや音楽やってる人にしてみれば「聖地」でライブやってるんだったな」って。




 やっぱり



 「もっとできるじゃん」ってさ。



 なんだかんだ言いながら


 『ライブの余韻』に


 とっぷりと浸ってます。


 「感謝」ってシャワー浴びながら




 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488