カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『力強さ』

2009-05-11 00:29:53 | Weblog
 説教台から放たれるその言葉は


 力強かった。


 太くて、しなやかな


 そのカリスマは


 どっしりと大地に根を張っている


 大きな大きな木のようだった。 


 土曜日の夜から


 何年か前に高円寺教会へアポストラートス2年間来ていた当時神学生だった青年が

 この春、助祭に叙階され、凱旋した。


 お昼ご飯のカレーを食べながら


 思わず


 「なんか、なんていうか、素直に立派になったなぁって思った。」と言葉がこぼれ出た。


 言わなくても良かったんだけど


 やっぱり魂震えたから言っちゃった。


 評論ではなく、ましてやおべっかの類でもなく


 純粋にそう思ったから。


 次なるステップに進まれることを心より祈ります。




 母の日。


 そんな大義名分がなければ、日ごろの感謝を伝えられない自分がダサい。


 プレゼントを手渡すときに


 肝心なことが言えなかった。


 いい歳してなにやってんだろう。


 「いつも、ありがとう。」


 サラッと言えないんだよなぁ。


 それこそ「力強さ」を感じたことが活かされていない。


 「ずっと、元気でいてね。」


 ここで書いても、お母さんは読むことはないのです。


 すると的確なツッコミが記憶の底からよみがえり


 胸をえぐります。



 「おとうさんってさぁ、外とウチだと違うよねぇ。他人に優しく、家族に厳しいっていうかさぁ。」



 どうもスミマセン。






 神に感謝。
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『行き着くところ』

2009-05-08 23:23:23 | Weblog
 達人の話を書いたら


 アンテナが無意識に立って


 偶然開いた本にこんなことが書いてある。


 「人の己を知らざるを患(うれ)えず。人を知らざるを患う」(孔子「論語」)


 これは


 他人が自分の存在を認めてくれないことを嘆くことはない。それよりも自分が相手を評価(理解)できていないことを憂うべきである。


 という意味だと書いてある。


 こんな経験は誰にでもあるんじゃないだろうか


 こちらが相手を批判的に見ていると、それを言葉に出さなくても、相手に微妙に伝わっていって、相手も当然のことのように自分のことを敬遠するようになる。


 その人を通じてどれだけの新しい出会いや経験したことのない新しい世界が広がっているかのしれないという可能性の扉を閉ざしてしまうというようなこと。


 ぼくもたしか15年くらい前に、仕事において最初のイケイケモードに入った時期があった。


 社会人になって6~7年。なんとなく会社全体のことや関係する業界のことの知識が蓄積され、人脈がそこそこ形成されてきて、まあ、やることなすことうまくいく状態。


 実績もついてきて、もっとランクアップしたくて、積極的に勉強もした。


 いまにしてみれば若気の至りの他のなにものでもなかったのだけれど、自信満々、調子づいていた。


 田舎の企業にIターンをしたこともあって、環境に恵まれているなどと考える感謝の気持ちなど微塵もなく


 自分はちょっと特別なんじゃないのかと大勘違い選手権大会準決勝進出のような状態だった。


 他人のことを批評、批判していたんだと思う。


 人を批判していることは、自分はお前らのレベルではない、ということを暗にアピールしているだけではなくて、もっと自分を認めて欲しいという心の叫びの裏返しのようなモノだったのだなと


 いまは、力まないで思うことができる。


 どれだけ目の前にいる相手のことをわかっていなかったのか、わかろうとすらしていなかったのかと思うと背筋も凍る気がする。


 でも投げっぱなしということができるほど非情でもなかったので、フォロー上手というか、ちいさい頃からのリーダーシップ教育していただいたまわりのおかげもあって


 いわゆる敵対してしまうような関係性になることや酷く傷つけるようなことがなかったのは、ラッキーというか、いやラッキーではなくて両親に感謝しなければいけなかったと思う。





 誰かを祝福すると、逆に自分の傷ついた感情が癒され、苦しみから解放される。


 こどもの頃に、穴の中に手を突っ込んで抜けなくなったときのことを思い出すとわかりやすい。


 握っているこぶしを解いたら


 いとも簡単にするりと手が抜けたはずだ。


 これは


 自分が譲れば解消する問題であることが薄々わかっているはずなのに


 いきりたったり、あまりにも痛い思いをしたばかりに


 自分の否定的な感情に固執していて


 結果、相手も傷つけ


 自分の傷口もどんどん広がっていく負のスパイラルから抜け出すヒントだったということに。


 「どんなときにも感謝しなさい。」と


 聖書に出てくるし


 ごミサでも何度も歌っている。


 でもわかっていない自分がいる。


 感謝するということの本当の意味。


 さまざまなトラブルの中で


 相手に譲り


 さらに相手を祝福することが


 自分が悪魔の囁きから逃れるコツみたいなものなのだろう。


 簡単なことほどむずかしいけれど


 こんなことがサラッとできると


 イイと思う。


 きれいごとのようかもしれないけど


 この周辺に


 ヒミツみたいなモノがひそんでいると思う。


 ゆっくりと


 少しでもイイから


 そんな達人の域に行き着いてみたいような気がした。





 神に感謝。
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『葉山の海風』

2009-05-05 10:10:10 | Weblog
 日曜日のごミサの後に


 入門係の打ち上げと


 その入門係のまとめ役で


 ぼくもその存在に


 多大なる救いをいただいている


 シスターの終生誓願50年の金祝ミサを捧げることを目的にして


 そのシスターの所属する修道女会の


 葉山の施設に


 総勢24、5名で


 一泊二日のスケジュールで出かけてきました。


 新宿から逗子まで一時間くらい。そこからタクシーに分乗して7~8分。


 あけの星幼稚園とお聖堂のあるイエズス孝女会のシスターたちの住む建物と並び立つ白亜の洋館がぼくらが宿泊させていただく建物。


 旧宮家(皇室)の建物だそうで、天井が高く、回廊などもある非常に上品な家。


 この6年間のまとめというか


 541人の受洗者に携わった者が


 少しの骨休めと


 さらなる「「達人」の域」にステップアップを目指す合宿。


 そう、キーワードは「「達人」の域。」


 入門係というのは


 感謝されたいからやっているのではなく


 やはり、神さまの使い手として


 その恵みを増幅するわけでもなく、ましてや遮るなどということのないように


 地味に、ひっそりと、その存在すら消すかのごとく


 求道者に寄り添い


 ときには踏み台だったり


 ときには電車やバスの吊革のような


 それこそ「○○さんのおかげで洗礼を受けられた。」などと言われて自己満足することなど無く


 それでも、そうはいってもちゃんとそこにいて


 自分が受けたしあわせの知らせを


 もうひとりの誰かのために告げ知らせ


 触れるか触れないかくらいのチカラ加減で、背中を押したり、手を引いたりする。


 6年間に541人の受洗者と携わった


 このリアルを


 本や新聞やニュースやネットやうわさで見聞きしたというのではない真実を


 一番近いところで経験した者として


 証(あかし)し続けなければならない。


 特別な存在でも何でもなく


 自慢するのでもなく


 懐かしむことなどなく


 誰に何を言われようと


 疑うことなく


 リアルを述べ伝える。


 いまは、異動した神父様も参加され2時間の講話。


 早朝に散歩してたどり着いた


 森戸海岸。


 おだやかな海。


 この合宿中ずっと


 なんともさわかやかな


 葉山からの海風が吹いているようでした。


 「今日も明日もカトリックの信仰生活を生きる者は

  全員が入門係だよ。」って耳元でささやながら。





 神に感謝。
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『ラーメンと恋バナとおやじギャグ』

2009-05-03 06:06:06 | Weblog
 今月の「おやじの会」は


 吉池神父様、林神父様、そして澤田神父様にも顔を出していただき


 午後7時半頃


 「乾杯!!!」とはじまりました。


 告知の通り、メインディッシュは


 よっちゃんの「家二郎」というラーメン屋さん。


 土曜日のお昼から準備をしてくれて


 年に一度の「あの味」が今年もまあ見事に作り上げられていました。


 「おやじの会」は、各自飲み物または食べ物を1品以上持ち寄ることを基本としていて、会費を集めるようなことはありません。


 この日もテーブルの上には、つくね串やローストビーフ、スナック菓子、おにぎり、きゅうりとトマトなどなど様々な食べ物が並び


 15人を超す人たちが集まり


 飲んで、食べて、語りあった。


 もちろんただそこにいるだけでイイ。


 趣味の話、恋の話、もちろんおやじギャグも満載。


 誰が、何かを意識しているわけではないけれど


 小さな天国が


 リアルに目の前で繰り広げられているようにしか思えない。


 これは、この集いに対するぼくの自己満足による感性がどうのこうとって話じゃ無くって


 ある意味、参加しているみんなが、この話を見聞きしたみんなが自信を持って語ってイイんじゃないかと思う。


 だって


 リアル


 だから。


 何を評論されようが、どんな思いが交錯しようが


 集まり続けているという


 リアル。


 意地でとか、義務感とか、それこそ個人の自己満足などという陳腐なフレームには収まる収まらないの発想すらバカバカしい


 目に見える


 証(あかし)。


 それぞれの話に


 それを受け止めた


 それぞれの人の口を使って


 神さまが


 粋な計らいをされる。


 少しだけ


 浮世離れをして


 ほっと一息。


 ときには悩み事の核心に触れられて


 ドキッとイラッとしながらも


 その存在を再確認して


 立ち向かうチカラを得たり


 耐えうる励ましをもらったり。


 でも


 ゆる~い感じが


 どことなく流れている


 そんな空間。


 そんな風にしていてイイ居場所が


 実際に


 あります。







 神に感謝。
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『はじめて行く海外』

2009-05-02 12:12:12 | Weblog
 そういえば


 ロシアに行くことになりました。


 1ヶ月弱。


 6月末から7月の第3週くらいまで。


 行くのは、ロシアの極東地区


 サハリン、ヤクーツク、ハバロフスク


 なんとなく聞いたことがあるでしょう。


 役割は、マーケティングセミナーの講師。


 外務省への一発勝負のプレゼンが運良く採用された。


 ロシア人の通訳(まだ会ったことの無い)と二人だけで初のロシア。


 資料の準備やらなんやらかんやらで忙しさが加速するが


 メリハリが利いて


 楽しめそうなことを与えられたことに感謝したい。


 いままでヨーロッパ(フランス、イタリア、イギリス、スイス)、東南アジア(中国、タイ、ベトナム)、アメリカ(実はハワイまで)とプライベートや仕事でいろいろな海外の国に行ったが


 意外と情報も認識も薄いロシア。


 ロシアの人は、実は日本が大好きだったりするのだけれど、日本人は、北方領土問題程度の認識しか無かったりする。


 いまのアメリカの大統領の名前は知っていても


 いまのロシアの大統領はそれほど知られていない。


 いろいろな国の人が日本にやってきていていろいろな人と会ってきたが


 ロシア人とは会ったことが無かったりする。


 相手のことがわからなければ


 納得してもらえる話ができる可能性は低い。


 しっかり準備して


 双方が満足する結果を出してみようと思う。


 すべてのことには意味がある。


 ロシアの教会でごミサにあずかることは可能なのだろうか。


 興味津々


 波乱万丈


 経験値がアップするこんな機会


 ほんとうにありがたい。





 神に感謝。
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『携帯電話を』

2009-05-01 23:23:23 | Weblog
 もともとソフトバンクユーザーだったのと


 電話機本体の傷み具合と


 機種変更、実質0円と


 気分転換の複合要因が化学変化を起こして


 iPhoneという機種に携帯電話を替えた。


 携帯電話のメールアドレスが変わってしまうという


 実に面倒くさいリスクを承知で決心した。


 そんなことで、メールアドレスを交換させてもらっているみなさんに


 変更のお知らせをしています。


 すべてを網羅できているのか微妙だけれど


 その返信をたくさんいただいているのだけれど(返信してくださいとかいてあるから)


 その内容がひきこもごもでおもしろい。


 最近、引越ししたばかりのご夫婦からは、別々に同じ内容が来たり


 静岡に赴任された神父様からだったり


 接待のカラオケ中で、「帰りたいよ~」だったり


 長野のフルマラソンに出場して40km地点で、あと2.195kmのところまできているのにタイムアップでリタイヤさせられた愚痴だったり


 教会関連のメーリングリストの変更をしてくれるというありがたい提案だったり


 資格を取るために一生懸命勉強してますよだったり


 キャラクターを添付ファイルで送ってくれた人もいたりして。


 とにかく近況がわかるし


 更に返信の有り無しが、現状の関係性を物語ったりしている。


 あとは娘の学校への届出かな。


 セキュリティー上、学校とのメーリングリストにエントリーしているから。


 お騒がせをしましたが


 またメールします。






 神に感謝。
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