カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『境遇』

2006-10-07 07:58:48 | Weblog
 ぼくは彼女のことをほとんど知らなかった。



 ぼんやりしていて、計算も得意ではないらしい。



 およそ現金を扱う接客業には向いていないと思っていた。



 ぼくは、何も知らないくせに、30歳過ぎてるおばさん的にはいろいろあるのだろうなあ、なにやら大変なのだろうなあと思っていた。(30過ぎたらおばさんという意味ではないので)



 ハリセンボンという女性二人のお笑いコンビをご存知だろうか。



 めがねをかけて太ったほうに似ている。(あくまでもイメージしてもらいたい為の例えです)



 本当の歳は16歳だった。



 彼女は中学までしか行けてないのだそうだ。



 これにも理由があった。



 1人っ子らしいのだが両親が両親揃ってギャンブル狂。



 ありとあらゆる賭け事をやるのだという。



 子供を高校に行かせることが出来なくなるほどに。






 「子供は親を選べない。」






 「大金持ちの家に生まれてこれればよかったのに。」ぼくらの世代くらいまでは一部の人を除いて誰しもこんな風に一回くらい思ったことがあるのではないか。



 
 そして今度は自分が親になって現実と向き合う。



 子供にはこうしてあげたい。あんなこともこんなこともさせてあげたい。



 自分が出来なかったことを子供で「自己実現」したい。



 子供はあやつり人形ではない。親はみんな「そんなことわかっている。」と言う。



 でも選択の意思の無い、分別のつかない子供をレールに乗せる。




 選択させたような形をとっているが




 良かれと思っているが




 どうなんだろう。




 すべてはある段階での結果論であって、途中経過の評論なので




 正解など無いに等しい。




 とどのつまり、物欲や名誉欲を満たすに過ぎないのではないかと思いながらも自分の子供のためだから必死になる。




 キリキリ、ギスギス、ハラハラ、ドキドキ、プンプン、カンカン




 様々な選択肢を目の前にぶらさげられて



 隣の芝生が真っ青に見えて



 焦って、うらやましがって、いきり立ってるのは



 親だけ。






 16歳の彼女は



 いまもしかしたら精神的にすっごくしあわせで、満たされているのかもしれない。



 それは、彼女にしかわからない。



 


 何がマッチして、どうやって才能が開花して、イイところが伸びていって



 どうやって、なにによって、ココロが満たされた状態になれるのか。



 親としてフォローしてあげられるのか。



 悩ましいです。





 ただし、ぼくらがラッキーなのは



 「信仰はすべてを救う」という



 共通認識を持てていること。



 だから今の『境遇』すら



 ラッキーなのです。






 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488