カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

障害物競走

2013-02-12 17:17:17 | Weblog
 障害物競走で

 表彰台に上がりたいのなら

 まず、土台を築くことをしないさいと

 言う人がいました。

 その土台を築くのは

 人間の本質

 すなわち

 知性と

 英知によって

 熟成された

 「粘り強さ」

 「努力」

 「不屈の精神」

 なのだと。

 自分が置かれた状況によって

 そのようなコトバにも

 妙に

 説得力が出たりします。

 たしかに

 不屈の精神を持って、粘り強く、努力をしたのなら

 それをしない場合よりも

 目標や目的に

 近づいたり

 到達すること確率が高まることは間違ってはいないでしょう。

 たいせつな心構えであることは間違いないでしょう。

 しかし

 それでも

 どんなに足掻き、もがいても

 ものごとが

 思うように進まないコトだらけだったりもします。

 それも現実です。

 障害物は

 カタチを変え

 タイミングをずらして

 それこそ

 次から次へと

 波状攻撃のように

 目の前に立ちはだかります。

 表彰台どころか

 完走すらままならない状況に追い込まれます。

 もしかすると

 自分自身が

 障害物なのでではないのかと

 疑い、ほんの少しの自信も消え去ってしまおうとするような状態になったりします。

 人は言います

 逃げるな

 試練を乗り越えろ

 そんな状況すら楽しめ

 「それができたら苦労はしないって。」ってコトバを

 飲み込みます。



 聖堂に座ります。

 いろいろな思いを巡らせ

 神さまと向き合います。

 バチバチとショートしているアタマとココロが

 ぐっちゃぐちゃに絡み合った色とりどりの糸が

 スッと

 穏やかになります。



 そして

 自己満足の反省ばかりを告げるのではなく

 重くなってどうしようもない自らの十字架の重荷を

 「神さま、その十字架にいっしょに背負ってください。」と

 心から

 祈ります。


 信じること


 迷うことなく


 信じきること。


 すると


 障害物に見えていたものが


 障害物では無かったことに

 
 気づくのです。





 神に感謝。


Copyright© 2013 Luke8488
 
 

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