カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『公園を横切って』

2006-12-29 08:52:38 | Weblog
 「今朝は冷えますね~。」などとひとりつぶやき


 
 何通りか試したパターンでなんとなく、時間とか厳密に測るでもなく、「歩いてみていちばん近く感じる」ルートで通勤のために駅まで向かう。



 朝、『公園を横切って』。



 ウォーキングしてる人、犬の散歩してる人、ジョギングしてる人。



 清々しく、気持ちイイ。 



 無理を言って、たくさんの人に助けてもらって、ちょっとだけがんばって、強行日程で



 引越しをして



 引越しができて



 ほんとにうれしい。よかった。



 高円寺チャーチ引越し部隊のみなさんには大変お世話になりました。



 お手伝いいただいた方はこの先ニ年間我が家での飲食フリーパスを発行します。(「え~、たったの二年かよ~」とか言わない(爆))



 厳密には、おとといから杉並区民になりました。よろしくお願いします。



 区役所に行ったら教会報「いしずえ」の編集長が窓口対応してくれました。



 「う~ん、やっぱりみんなに近い。」



 近くに来ても来なくても遠慮すること無くみなさん寄ってみてください。きのう社販の「ホタテ」が2kg到着したので「ホタテまつり」開催中です。



 今日で2006年の仕事が終わります。



 母は一般病棟に移り、「黒糖キャンディー」と「海苔の佃煮」が食べたいと言いながら昨日はじめて軽い食事を摂りました。順調のようです。ストマ(人工肛門)のレッスンもはじまっています。



 昨日の夜、映りの良くなったTVで夜、小田和正(オフコース)さんのクリスマスライブを観ました。「伝えたい」というテーマだったのですが会場の雰囲気、ゲスト、構成、演出がすこぶるよかった。こんなライブにあこがれます。演者もお客さんもみんな輝いて見えたから。歌でつながる。(MCは「ちょっと、ちょっと、ちょっと」でしたが。。。余計なこと書いたゴメンナサイ。)



 新宿の東急ハンズで家の入り口の表札をつくろうと会社の帰りに向かうと新宿サザンテラスのイルミネーションの端に新しくできたドーナッツ屋さんにとんでもない行列。うわさではパリパリした食感で美味しいらしいが、なぜこんなに並ぶのだ!というくらいの人の多さ。



 唯一、引越しで手際の悪かったインターネット環境の引越し手続きが完了するのがたぶん2007年1月1日になるはずなので今年の更新はもしかしたら「これにておしまい」かもしれません。



 毎日このブログを訪れて読んでいただいたみなさんに感謝です。来年も信仰や教会や新しい出会いの「ほんの少しのきっかけ」になれることを信じて続けていきます。生々しいおやじのいろんな事のはけ口として醜態をさらします。



 年末年始、ちょっとさびしくなっちゃったら教会に行きましょう。



 そして



 ミサであいましょう。



 みなさん、良いお年を。



 さ~てと。







 神に感謝。
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『原点回帰のような』

2006-12-28 08:42:53 | Weblog
 18時からは、約700人。


 21時からは、約200人。


 祝福を受けた人はどれくらいの割合だったのだろう。


 上の二つの数字は、12月24日の夜半ミサ(主の降誕のミサ)に高円寺教会を訪れた方の人数です。


 みなさんにとっても特別なクリスマスミサだったことでしょうが、ぼくにとってのクリスマスミサは年々スペシャル度が上がっていくようです。


 生まれてはじめて教会の門をくぐった、そう、大袈裟に言ってしまえば「奇跡のはじまった瞬間」。


 今年は朗読や共同祈願や侍者などのお役が無かったので


 勝手に今回のクリスマスミサのテーマを『原点回帰』とした。


 もちろん、ミサにテーマとかなんとかって話じゃないのはわかっているつもりだけれど、なんとなくそうしたかったから。





 ぼくは「その日」も聖堂の後ろの方の席に座っていた。だから今回もそうした。右と左が違っていたような気もするが現場検証ではないのでその辺はあまりこだわらなくてイイ。


 「その日」は、ほろ酔い気分でバス停に並んで、すごく寒かった。今回は新しい引越し先から出遅れた妻に先んじて、教会家族と歩いて教会に向かった。


 「その日」は、「嘘」「ごまかし」「裏切り」「身勝手」「お山の大将」「カン違い」「不親切」そんな鎧をダウンジャケットで隠して聖堂に入った。今回は天の父への感謝と賛美、そして更なる取次ぎを願う「裸の心」で聖堂に入った。


 「その日」人の言うことに聞く耳など持ち合わせていなかったぼくに、天使が舞い降り、そしてささやきかけた。



 「たくさん泣いたんじゃないですか。痛かったこともあったでしょう。何も信じられず疑いの日々を過ごしたこともあれば、すごく傷つけられたこともあったのではないですか。何もかも終ったと、絶望的な気持ちになったこともあったかもしれない。しかしそんな日々はもう過ぎ去り、今日この夜、神様は私たちを集めてくださった。すべては、この夜のための旅路だったのではないでしょうか。

 ですから、申し上げたい。ようこそ。よくぞここまでやってまいりました。もう大丈夫。神様が私たちを集め、神様が私たちに完全な愛を注いでくださいます。もう心配いりません。大変だったでしょうが、もうここまで来れば大丈夫。」


 ぼくはビックリした。衝撃的だった。「なんなんだこの空間は」と思った。


 真っ暗闇でカメラのフラッシュが目の前でたかれた瞬間。


 カチッとドミノが傾き「前」に倒れ始める瞬間。


 カチッと角(かど)に飛び込んだ白いオセロによって黒に支配されそうになっていた盤面が次々と輝きの白にひっくり返りはじめる瞬間。


 カチッと真っ暗な舞台に照明が点灯する瞬間。


 ぼくはそんな奇跡的な「瞬間(とき)」を身をもって経験することができた。






 聖体拝領の長い列。


 前に座っているカップルは彼氏が祝福を受けるのを渋っているあいだに彼女がひとり席を立っていってしまった。その隣りの女の子の二人連れも座ったまま。


 ぼくは「その日」妻に勧められ祝福を受けた。


 だから今回は前に座ったままの彼らに声をかけ背中を押す。


 「祝福していただきましょう。」と。


 ぼくは、ニコニコしながら聖体拝領の列に並んだ。なんだかニコニコしていた。



 「泣いて歩いてくるかと思ったのに」ってだれかに言われた。



 感謝の涙。感激の涙。よろこびの涙。



 涙はニコニコしていた。




 とびきりスペシャルな夜。




 クリスマスミサ。







 神に感謝。
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『「ベッドに腰掛けてみましょうか」』

2006-12-27 08:39:02 | Weblog
 母の手術の翌日、やっぱり心配で仕事を午前中で切り上げて病院に向かった。



 「今日はさすがに痛いんじゃないか。」



 「うんうん唸ってるんじゃないか。」



 病室に入り、カーテンの隙間から母の顔をのぞく。



 「おーい。おか~あさ~ん。昨日はよ~くがんばったねぇ。痛さは無い?」



 まどろんでいた母は目を開いた。



 表現は良くないが「憑き物が落ちたような」、そうだなぁ、10歳くらい若返ったような母の顔がそこにあった。



 「ありがとね。今日は朝から熱が出ていて、顔がむくんでるからシワが無くて若く見えるんだよ。カラダもなんだかかゆいし。でもね肛門全然痛くないんだよ。不思議なくらい。いままでの気持ち悪さがまったく無い。おなかの傷口は痛いときもあるけど痛み止めの点滴効くから。」



 「そりゃそうだよ、おかあさん。肛門もう無いんだもん。」(笑)



 手術の翌日にこんな冗談を言い合えるなんて、ほんとに神さまに感謝です。



 看護士さんが入ってきて「じゃあ痛み止め効いてるうちにチョッと体を起こしてベッドに腰掛けてみましょうか。もし立てるようだったら立つところまでやってみましょう。」



 管(くだ)だらけの母はスイッチを入れてベッドを起こしはじめた。



 「足の感覚はあるんだけど力が入らないんだよ。」と言いながら体を起こしはじめる。



 そして自力でベッドのふちに腰掛けた。



 いまの医療は進化している。



 ぼくが虫垂炎を小学校5年生の時に患ったときなんて麻酔は背骨に太い杭を打ち込まれているようにとんでもなく脳天に突き抜けるほど痛かったし、術後も傷口が痛くてずっと唸ってた。



 母が座っていることを看護士さんに伝えると「それじゃあ立ち上がってみましょうか。わたしが支えていますから。」



 母は、やはり「足に力が入らない」と言いながらも立ち上がった。



 「うん。立てたねぇ。今日はここまでにしましょう。でもね、明日は歩かされますからね。(笑)」



 程なくして妻と娘が来た。



 何もできないでいるぼくにかわって、熱があって汗をかいている母のカラダを妻が拭いてあげている。



 娘も昨日の状況から回復している母と話しをしながら喜びの涙を流した。



 「ガウンは着づらいからノースリーブのちゃんちゃんこ持ってきて。」



 わかったよ。おかあさん。



 なんでもわがまま言っとくれよ。



 お祈りをいただいたみなさん。いまもなお、お祈りを続けていただいているみなさん。ありがとうございます。



 お祈りの力を信じます。



 「救い主が」私の中に「お生まれになった」(ルカ2・11)



 「信じること」をはじめることができて



 ほんとうによかった。



 目先のことに一喜一憂せずにゆっくりいっしょに治せればイイなとつくづく思います。







 神に感謝。
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『神さまの手術』

2006-12-26 08:31:36 | Weblog
 寒いのかガタガタ震えている。



 看護士さんが電気毛布の用意をしてくれている。



 「おかあさん、ぼくだよ。わかる?」



 うんうんと二度母はうなずいた。



 「終わったよ。よくがんばったね。」



 我が家の天使(娘)ちゃんもおっかなビックリだが母の頭をなでてあげている。



 「おばあちゃん、もうだいじょうぶだからね。」






 クリスマスの朝、母の予備麻酔がはじまった。



 「わたしは注射とか薬はすぐに効くんだよ。」と弱冠朦朧としながら母は口を開いた。



 「わたしには不出来な息子がいまして。。。昨日9階の病棟から窓の外を眺めていたらそこにたまたま居合わせたおじさんがいっしょうけんめい説明してくれたんだよ。「あれが東京タワー」「あの遠くに見えるのが富士山」だってね。」



 手術を前にして冗談を交えたりしながらも不安と闘っているのだろう。



 「じゃあ地下の手術室に移動しますね。」



 「ではご家族の方々はここまでです。」



 「おかあさん、今日クリスマスだし、神さまにたくさんたくさんお祈りしてるからだいじょうぶ。安心して行ってきて。」頭をなでると母はコクリとうなずいた。



 家族控室は3人掛けのソファーが左に3列、右に4列一番前の真ん中に音がほとんど聞こえないテレビが1つ。同じくらいの時間に7家族が手術の終わるのを待っている状況だった。



 8時45分に手術室に入り、麻酔。10時に手術開始。



 ぼくらは着信専用の携帯電話を持たされてそれが鳴ったら手術が終わったり等の状況の変化が告げられる。



 ぼくらはその4列目のいちばんうしろのシートに座った。麻酔も含めて4~5時間との予定と聞いていた。シートに腰掛けて娘にお茶を買うのを頼んだ瞬間に、こみ上げてくるものを我慢できずにちょっと泣いた。



 程なくしてすごく眠くなった。緊張状態から開放されたかったのかもしれない。



 「タカハシさん!タカハシさん!」ぼくの肩を看護士さんがたたく。



 「あれ~、ぼくタカハシさんじゃないんだけど。」と思いながらも起きると「おかあさんの状況が良くないので、手術室に入ってください。」と言われて着替えてさて手術室に入ろう、という時に目が覚めた。夢を見ていた。



 きっとだいじょうぶと思いながらも心配で心配でしょうがなかったからだと思う。



 7組中5組の方々の携帯が鳴った。あまり早く携帯が鳴ってしまうのも良い知らせではないのでドキドキしながらただただ待った。



 午後の2時半。



 「luke8488さん。luke8488さん」ぼくは携帯が鳴るものだと思っていたので反応できずにいると娘が「パパ呼んでるよ。」と教えてくれた。



 ぼ~とした頭で記憶をたどるとたしかに主治医の先生の声だった。



 「無事手術は終わりました。他への転移はいまのところ見られなかったね。出血は1ℓくらいあったので輸血をしました。4時間半ほとんど平均的で順調に予定通りでした。取れたものを見れるようにしておきますので確認してください。あと20~30分くらいで病室に移れると思います。」



 「ありがとうございました。」



 地下にいたのでケイタイもメールも確認できなかったがたくさん方から励ましの連絡が届いていた。



 「手術は始まりましたか。『神さまの手術』だと祈ります。」



 「どうですか?祈っています。」



 ご心配いただいたみなさんありがとうございました。このブログにもたくさんのあたたかいメッセージをいただきました。



 母は無事に還ってきました。



 引越し、クリスマスミサのことはまた後日更新します。



 天の父よ、あなたのみ業を、あなたの大いなる愛を感謝します。母から一日も早く痛みと不安を取り除いてください。そしてあなたへの信仰に導いてください。すべてをゆだねます。み旨のままに。






 神に感謝。
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『21日』

2006-12-22 08:31:22 | Weblog
 「わたしは昔から21日に縁があるんだよ。」



 入院先の病院のベッドで母がつぶやく。



 「おとうさんの命日が『21日』でしょ。何年か前に雪の重さでつぶれた簡易ガレージの下敷きになったのが『21日』でしょ。前回ここに一時入院したのも『21日』。それで引越しと今回の入院。」



 手術が25日に決まった。



 クリスマスに手術。



 偶然じゃないと思う。神さまの大いなるバックアップ。ありがたい。



 「一日でも早く、この気持ち悪さから開放されたい。」気丈に前向きな母もいざ手術が決まると心細そうな表情を見せる。



 きのうの別れ際に手を握ったら



 「よろしくおねがいね。」って言われた。



 ニコニコ笑ってた。



 ぼくは「うん、だいじょうぶだよ。まかしときな。」と言った。






 もう1つの『21日』。15年弱住み慣れた街を離れることになった。



 バタバタしているだけであいも変わらずたいして役に立たないぼくに代わって妻が仕切ってます。ハードスケジュールで体調面が心配だが踏ん張ってくれている。



 教会家族のあかねちゃんとゆなっちも丸一日、大事な時間をお手伝いに割いてくれた。ほんとうにありがとう。遅くまでごめんね。大助かりでした。



 今度の土曜日にお願いしているみなさんよろしくです。クリスマス前なのに強引でスミマセン。



 割合にして85%くらい進みました。



 杉並区民先輩新婚夫婦も早速訪ねてきてくれて夜遅く近所をぐるっと散策しながら小粋な店を紹介してもらい、そこでちょこっと祝杯をかわした。



 うれしくてハイテンションな我が家の天使(娘)ちゃんは夜遅くまで盛り上がってました。娘のよろこぶ姿はやっぱりイイものです。



 静かでゆっくり眠れました。



 朝、初めての道で通勤しました。



 会社のデスクでなんだかジ~ンときてます。



 神さまからのクリスマスプレゼント。







 神に感謝。
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『夫の手を握ること』

2006-12-21 15:06:39 | Weblog
 昨日、ネットのニューストピックスを見ていたらおもしろい記事が載っていた。



 「女性のストレス『夫の手を握ること』で解消



 これは早速クリックしなければ。



 米の「サイコロジカル・サイエンス」誌12月号に掲載されている内容は次の通り。



 「米研究によれば、幸せな結婚をしている女性が、ストレスを感じた際に夫の手を握ると、ストレスが即座に解消されることが、脳のスキャンでハッキリと示されるという。

  研究は、結婚生活が良好と見られる16組のカップルを対象に、神経科学を専門とするバージニア大のジェームズ・コーン博士らが行った。

  同博士は、夫の手を握るという行為が女性のストレスの程度に与える影響の大きさに驚いたと話す。

  同博士は「関係が良好であれば、傷が早く癒え、病気になる頻度も低く、長生きすることは、これまでにも分かっていた。しかし、親密な関係が精神面に及ぼす利点を量的に測ったのは、今回の研究が初めてのことだ」としている。」



 読んで、書いていて背筋の凍る思いすらしてしまう。ほんとはほのぼのイイ話しなのに。



 似たような事例に「マザーズタッチ」というのも聞いたことがある。母親がおなかの痛いこどものその部分をやさしく撫でてあげると痛みが緩和したり、無くなってしまう現象のこと。ぼくらもみんな経験している。



 先日も母を病院に連れて行った帰り仕事に戻らなければならなくなったぼくは、いっしょに行った娘に帰りのアテンドを頼んだ。遅いお昼を大きなターミナル駅の近くで食べてから帰るプラン。その駅から私鉄に乗って駅は4つ目。



 娘はそれこそ何百回も乗り降りしてるルート。いまは携帯電話もあるので安心して任せた。それほど難易度は高くないと思った。



 大きなターミナル駅で二人と別れてから2時間半後くらいに娘からケイタイを着信した。「やれやれ無事到着したか。」と思い電話に出ると娘は開口一番



 「おばあちゃんがどこかに行っちゃった~。」といって泣き始めた。



 下車駅で母より先に電車をポンポ~ンと降りてきた娘が改札口で母がいないことに気づいたという。20分後に母は家に帰り着き事なきを得たのだが、ちょっとヒヤッとした。



 それ以来、母を連れて歩く時には娘は「手をつなぐ」事を肝に命じたはずだ。



 「だってはずかしいいんだもん。」



 そういう年ごろなのか、親の教育が悪かったのか。



 今日、さっき母は入院した。



 帰り際に母の手をとったら



 ふんわりあたたかかった。



 手術の日程がまだ決まらないがきっと良くなって帰ってくると信じている。



 さて引越し第一弾が始まった。



 昨日の夜、ゴミを出そうとしてたまたま握った妻の手は



 冷たかった。






 神に感謝。
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『新興宗教』

2006-12-20 08:05:49 | Weblog
 先日教会の「お茶の間」で鍋などをつつきながらイイ感じに盛り上がっていると、ひとりの方が口を開いた。



 「私の姉は「敬虔に」「新興といわれているある宗教」やってるんです。」と。



 その方は、お姉さんの強~い影響で「新興といわれるある宗教」に引っ張られていたのだけれど



 「なにかおかしい。」



 「やっぱり違う。」



 と思い、カトリック入門講座の門をくぐったのだと言われた。



 「その宗教が「本物」かどうか見分けるのってどうすればわかりやすいのですか?」当然の疑問、ナイスな質問だった。



 そのときは、ぼくとtakenの二人でその方にあ~だこ~だと話しをしたが的確な答えだったかは申し訳ないが記憶に無い。もちろん、お酒の話しといえばそれまでだが、かなり真摯に受け答えしたはず。



 まぁ、偶然というかタイミングなどというものは不思議なもので、いま、読んでる本で、ちょうど曽野綾子さんが書いていた「その宗教が本物かどうか見分ける方法について」をここに引用させて頂き話しを整理してしまおうと思う。ぼくにはわかりやすいと感じたから。



 ①教祖、指導者が質素な慎ましい祈りの生活をしているかどうか。
 ②自分が生き神さまだとか、仏の生まれ変わりだとか言わないかどうか。
 ③宗教の名を借りて金銭を集めることを強要しないかどうか。
 ④宗教団体の名で、選挙と政治を動かすような指令を出さないかどうか。
 この四つが正しく守られていれば、それはおそらくまともな宗教であろう。

 (「自分の顔、相手の顔 自分流を貫く生き方のすすめ」講談社より)




 宗教、信仰についてはそれぞれみなさんいろいろご意見もあることだろう。難しい宗教論議をここでしたいわけでもない。



 ぼくらの目の前にいたその方の抱いた、感じた「違和感」がすべてをものがったっているのではないだろうか。



 「真理」というものはすべてのモノ(宗教や思想)にあるのだろう。一部の「カルト」的集団またはその一部の人の「曲がったベクトル」が、ニホンジンの宗教に対するイメージをめちゃくちゃにしてしまった。



 その方は、入門講座に来て「目が覚めた。」と言った。



 本物にはチカラがある。



 本物に触れるチャンス。



 クリスマスミサ。





 神に感謝。
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『スクイのシラセ』

2006-12-19 08:17:57 | Weblog
 きのう母から夕方ケイタイに連絡が入った。



 「「21日の10時ごろに病院に来てください。」って電話が来た。」と。



 先週金曜日に病床管理課に確認した時点では「20日の手術予約が延びたので、早くても新年の第一週以降になるのではないでしょうか。」との回答だった。正直ガッカリしたし、母にそのことを連絡したら「エッ」と絶句した。



 「病院変えようかな。」とはじめて思った。



 でも、たぶん、直腸がんの手術から術後まで考えたら今回の選択は間違いではないような気がしている。無論、単なる思い込みかもしれないし、自信も確信も無い。ヘンな理屈だが「信頼度が高いので混んでいる。」のではないかと母にも自分にも言い聞かせてきた。




 突然の吉報。




 「あ~、よかった。よかったね~。おかあさん。絶対治るから。」




 母は泣いた。



 安心感と不安感が同時に襲ってきたのだと言って。



 ぼくも似たような感覚で、毎日仕事から帰るとそこにいた母が、いざ、いなくなると思うとすごくさびしい。安心したからそう思うのかもしれない。でも手術の大変さ、つらさ、術後のケアなど、母の肉体的、精神的負担が心配なところも大きな要因。



 できることなら代わってあげたいと心底思う。



 天の父よ、喜びの知らせを感謝いたします。いまも降り注がれているあなたの大いなる愛で母から不安を取り除いてください。すべてを委ねます。弱っているものを力づけふたたび立ち上がらせてください。わたしたちの主イエスキリストによって。アーメン。





 昨日実はもう1つ『救いの知らせ』が告げられた。



 内容については胸に大切にしまっておこうと思う。



 仕事で外を歩きながらそのメールを開いたとき



 所構わず、涙が溢れた。



 神さまに愛され守られていること。



 かけがえのない存在としてお互いに支えあっているということ。



 この気持ちをほんとうに忘れてはならない。





 神さまはいます。







 神に感謝。
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『自爆がいかに愚かしいか』

2006-12-18 08:43:37 | Weblog
 ごミサで朗読をしました。



 朝、神学生のあっちゃんに朗読箇所について指導をお願いしました。いや違った。「お願い」などと言う姿勢ではなかったので、勝手にいろいろ質問しました。



 ただ順番が来たのでいそいそと出て行って読むだけっていうのはイヤで、毎回結構、朗読箇所を何度も何度も読み込むようにしている。まぁ当たり前か。ちゃんと準備をして臨みたいと。



 「「預言者」のことばの意味するところ」や「抑揚」「スピード」「イントネーション」いろいろ教えてもらいました。前日のお酒が残った頭からスイッチの切り替えです。



 降誕節第三主日は、人の子(主キリスト)が神の国を完成するために来られることを信じ、その時のために目覚めて備えているようにとの呼びかけから始まった第1主日からのプロセスとして、この再臨待望の意識の中で、もう待ちきれなくて喜んで、歓呼の声まであげてしまうほどに「とにかく喜んでいなさい」というテーマが流れています。(たぶん)



 朗読者席に着いて目を閉じます。



 ここからの緊張感がだいすきです。アガるとか高揚するのとは違う緊張。






 今度の日曜日は主日のミサ7:30、9:30とクリスマスミサ(主の降誕ミサ)18:00、21:00が行われます。


 
 ぼくの中ではクリスマスミサがことさらスペシャルなのです。生まれて初めて教会の聖堂に入ったのがクリスマスミサ。「すべては今日ここにこうして呼び集められるためだったのです。もうだいじょうぶ。」と神さまに話しかけられて人生がかわった瞬間。



 シャンパンで軽~く酔っ払って調子に乗って並んだ寒かったバス停。



 キャンドルの光。



 思い出します。



 そしていまの自分を省みます。



 自爆がいかに愚かしいのか。大事な人の足を引っ張るのか。



 「教会に来れるように誰かの手を引いてあげたい。」などと言いながら、別の場面で「大事な人の足を引っ張る。」この矛盾。







 今年もはじめて教会の門をくぐる方がたくさんいるように祈ります。



 「クリスマスミサ」ほんとにイイよ。



 今年は当日、杉並区民として歩いて教会に行けることになりました。



 なんだか支離滅裂。これがいまの自分か。







 神に感謝。
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『落ち葉の庭』

2006-12-17 08:28:11 | Weblog
 モヤモヤしたまま気持ちのイイ場所に逃げ込もうとしている。



 「そんなことしてるけどさぁ、そんな顔して取り繕ってるけどさぁ、いいのかよ。嘘くせえんだよ。」頭の中でぐるぐると声がする。



 「二重人格じゃないかなって思う。」なにをものしり顔でのたまわっているんだ。自分。



 教会に泊まった。



 すてきな出会いと楽しい「すきやきパーティー」。



 ゆうじのおかあさんの「明るい元気ハツラツパワー」は光り輝いていた。ありがたかった。そのパワーをそっと分けてもらった。



 午前6時30分に目が覚めた。



 教会での睡眠はとても眠りが深い。



 いつも片付けないで一足先に寝てしまうので、せめて朝だけでもゴミだしなどをして帳尻を合わせる。



 外に出るとほうきで庭を掃く音がする。



 澤田神父様が庭の落ち葉を掃いておられる。神々しい。ご高齢でいらっしゃるのだけれど「毎日が人生最高の日。今日より明日。」そんな風に感じさせていただける存在。誰かのために常に何かをされている。カリスマです。



 ぼくも思わずほうきとちりとりを手に取る。



 落ち葉を掃き集める。


 
 「ようやくきれいになってきたかな。」と思っていると、やさしい木枯らしくんが「ヒュ~」っとふいてくる。



 カサカサ、カサカサ



 また落ち葉が落ちてくる。



 「ありゃりゃ」と思いながらも「シャッシャッシャッ」ってまた掃く



 ヒュ~ヒュ~



 カサカサカサ



 エンドレス。



 見事にいまの自分を知らしめられる。



 落ち葉が「自分」か。



 掃いているのが「自分」か。



 同じことの繰り返し。



 木の葉は限りがあるけど



 ぼくの弱さ、甘えはエンドレスか。






 時間だ。



 ミサに与ろう。



 (教会で更新してみました。)







 神に感謝。
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『嘘』

2006-12-15 08:04:31 | Weblog
 「お前の生き方は『嘘』っぽい。」



 母に言われた。



 キタナク、酷い『嘘』をついた。



 もう何を言っても全部『嘘』だ。



 ぼくには語る資格が無い。もともと無かった。

『女の子の営業マン』

2006-12-14 08:51:07 | Weblog
 「食品関係の展示会を企画しているのだが一度話を聞いて欲しい。」



 女の子からアポイントメントを取りたい旨の電話を受けた。



 以前から面識のある企画会社で、前の担当は若い男の子だったが、どうやら電話の本人が来るらしいので、興味もあまり無かったが時間を割いた。もちろんヘンな冷やかしではなくて。



 ぼくの会社で扱っている商品と今回の展示会企画は間違いなくマッチすると彼女は彼女なりに真剣に熱弁をふるう。



 ぼくは合いの手みたいなのを入れながら、彼女が気持ちよくしゃべれるようにアシストする。「営業マンは聞き上手」のお手本みたいだ(笑



 彼女は結構ちゃんと話せるほうだ。



 ぼくは話しの腰を折らないようにさりげなく「人物分析モード」スイッチをオンにする。



 「女性の営業ってイイよね。」



 「そうでしょうか。」



 「ごめんね。表現が良くなかった。いい感じで話せますね。営業は長いの?」



 「以前は関西の居酒屋(誰でも知ってる有名どころ)で店長をしていました。そのあと東京に来て不動産の飛び込み営業をして今に至っています。」



 「あ~、そっか~。立派と言うか、キャリア志向なのかなぁ?でもこれくらいしゃべれればイイよね。うちの若い子たちに聞かせてあげたいくらい(笑」



 「ありがとうございます。でも見た目より若く見られてしまうので、貫禄というか落ち着きというかがうらやましいです。」



 「見た目より若いって、女性に歳聞いちゃ悪いけど・・」



 「だいじょうぶです。25歳です。」



 「そうなんだぁ。キャリア志向のことさっき話したけど、将来何かやりたいの?」



 「はい。食品関係のコンサルタント業務をやりたいと思ってます。」



 「ごめんね~。なんか面接みたいになってきちゃったね。ところで趣味は?(オイオイ)」



 「はい。前はスポーツ観戦が好きでサッカーにハマってたんですけど、いまは山登りが趣味です。」



 「なるほど。あの達成感というか、征服感ってたまんないらしいよね。」



 彼女は「静岡県出身で、いまは東武東上線沿線に住んでいて、関西の居酒屋の店長では先が見えてしまって、お酒を飲むことが好きで、最近彼氏と別れたばかり」だと話してくれた。



 そのあと話しを本題に戻し、懸命にアピールしていった。



 ぼくはビジネスはビジネスとして最後に、今回の企画には会社としてのメリットがあることがいまひとつハッキリしない旨を伝えた。



 ここまで読んでカン違いして欲しくないのだが、肉食動物が自分のエサになる草食動物をもてあそんでいるみたいなのとは違いますから。



 たしかに生きのイイ営業(ウー)マンだから微笑ましくちょっと高みから観察している点は否めないし、女の子ということで娘を持つ父親目線にもなっているのもたしかだけど。



 「いっしょうけんめい」なのイイね。



 「必死さ」は必ず相手に伝わるね。



 でも今回彼女は結果的に仕事は取れなかった。それが現実。



 しかしイイ出会いは必ず



 次につながるはず。



 「イイ出会い」大事にしましょう。



 「イイ出会い」になるように「まじめに」相手と向き合いましょう。



 「まっすぐ」に。






 神に感謝。
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『なにげない夕飯の情景』

2006-12-13 08:45:21 | Weblog
 妻と娘と母がダイニングテーブルに座っての夕食タイム。



 ぼくは倦怠感の襲撃を受けてベッドでうつらうつらしながら鼻腔に漂ってくるシチューの香りにカラダを起こそうかどうしようか思案している。



 三人は楽しそうに会話を交わしながら食事をとっている。



 母の妹が思いやりの気持ちいっぱいに詰めて送ってきてくれた田舎の名物料理を妻はおいしいと言って食べ、娘にも勧めているが娘は渋っている。



 母は「カルシウムたくさん含まれていてカラダにいいんだよ、カルシウム。」と針の飛んだレコード盤のように何度も繰り返している。



 母の病気がもたらした「家族団らん」の風景。



 プチ天国。



 病院からの連絡を待っている。「たぶん今週末だろうな。」とみんな内心期待している。入院、手術はぼくらが考えているほど簡単なことではないだろう。実際、術後も含めて不安感で一杯だ。



 「心配ばかりしてもしょうがないじゃん。」と話しかけるポジティブくんと



 「おやじのときも「取れば治る」って言われたじゃん。信じてイイのか?」と囁きかけるネガティブくん。



 母は不安を口にしない。



 「早く先生呼んでくれないかなぁ。このなんとも言えない気持ち悪さから早く開放されたいよ。」本音だ。



 「元気になったら」って話しが頻繁に出てくる。とにかく前向きだ。



 明日たぶん母の「終の棲家(ついのすみか)」となるであろうところと契約を交わす。



 「元気になったら」家族みんなで近くの蚕糸の森公園に散歩に出かけよう。



 いつまでも家族団らんが続きますように。






 神に感謝。
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『クリスマスは』

2006-12-12 08:32:04 | Weblog
 『クリスマスは』



 「キリスト」の「ミサ」です。



 今年もスペシャルな「とき」がやってきます。



 クリスマス。



 この時期になると毎年こんな会話をします。



 「ねえ、今年はサンタさんに何をお願いするの?」



 我が家の天使(娘)ちゃんは今年はこんな風に答えました。



 「どうして毎年パパがサンタさんに取次ぎしてるの?営業マンだから?サンタの総代理店なの?」



 「サンタさんは全世界の子供たちの思いをこの時期に一気に受け止めないといけないから大変じゃん。だからわかりやすく親がアシストするのさ。」



 「去年だってサンタさんにケイタイで連絡するっていうから、その番号教えてって言ったらはぐらかしたじゃん。」



 「それはパパとサンタさんの約束事で、「子供たちに教えないこと」ってのがあるからさ。」



 「そっか~。」



 「ところで何をお願いする?」






 「こたつ」






 サンタさんはいます。まちがいなくいます。



 プレゼントは誰のところにも届けられます。必ず。



 プレゼントは「モノ」だとはかぎりませんよね。



 レストラン予約して、プレゼントに行列して、ホテルにお泊り。



 悪くは無いけど



 楽しいけど



 相手の事を想って準備するのだからワクワクするけど



 ぼくもそういう企画モノなんて大好きだけど



 消費社会やマスメディアに煽られるのは



 そろそろ



 卒業しませんか。



 イベント好きのニッポンジン。



 そんなこと言いながら



 バカ親は



 あれこれ



 サプライズを



 準備したいんですけどね。



 「喜ぶ顔が見たい。」



 「見たい。」のは主語は誰でしょう。



 やっぱり自己満足だわ。






 『クリスマスは』



 「キリスト」の「ミサ」です。






 神に感謝。
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『ひと区切り』

2006-12-11 08:44:23 | Weblog
 週末の金、土、日曜日の21時から26時まで趣味と実益を兼ねてラーメン屋さんの手伝いをしていた。



 それこそ皿洗いからぎょうざ焼き機の掃除、生ゴミのあとかたづけ、もちろん接客もした。



 正直、楽ではなかった。楽しい週末の夜、シンデレラのように時間に追われていた。もうちょっと今いるその楽しい場所にとどまりたいのだけれど、やっぱり時間はやってくる。



 楽な仕事など何も無い。でもやってることの内容についてはストレスなど無かった。ぼくのウィークデーの姿を知っている近所の酒屋のおばさんは「たまにはイイのよ、こういう一般庶民のお店でそういう人たちと触れ合うのも」なんて言う。もちろんふざけてですよ。「何言ってるんですか、ぼくこそバリバリの一般庶民ですよ。も~、日頃どんなイメージなんですか~」ってなもの。




 三年半くらいやったかな~。



 カラダ、キツかったな~。



 きのうの夜で『ひと区切り』です。



 結構タフな週末だったけど、長年履いて劣化しちゃって水がしみこむ白いゴム長靴をゴミ箱に捨てたときに、なんだろう開放感というか、なんというかちょっとウルウルきた。最後の夜だと思うと、ときには「イヤだな」と思った仕事も、いとおしくすら感じたりして。ヒトはわがままなものです。



 これもきっと何かの「糧」になることでしょう。「お前ら遊んでる時にも働いてたんだぞ」っていう自己満足もあるし。



 これも「動くこと」への準備のひとつです。





 Live『VOICE』4thの反省会をしました。



 内心「4回目で『ひと区切り』かな」と思っていました。



 ぼく自身でもなく、出演者のみなさんでもなく、裏方さんでもなく、ハッキリしないんだけど



 「熱(ねつ)」のようなものが薄れてるんじゃないかと。



 慣れとか忙しさとかそんなものじゃ決して冷めることの無いはずの



 「アツいハート」がね。



 ぼくは配ったレジュメの最後に問題提起のようにこう書いた。



 めんどくさくて、ややっこしいことを書いた。



 「Live『VOICE』ってなんだろう?」と。



 導火線に再点火した。



 「よし、やろう。」





 『ひと区切り』


 
 晴佐久神父様のお母様「はれママ」が天に召されてから1ヵ月。追悼ミサが執り行われました。たくさんの方が聖堂に集まりました。



 「みこころが行われますように」



 はれママにきのうもた~くさんの取次ぎをお願いしました。




 はれママはニコニコ微笑んでいました。




 「それが、あなたなのよ」って声が聞こえました。






 神に感謝。
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