カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『ヒトリヨガリ』

2006-01-31 08:31:03 | Weblog
 命をかけて山を登る人達の話の中に出てきたこと。


 「危険」と「困難」


 「山を登っていて「何か」困ったことが起きた時、それが「困難」なことだったら、がんばって登ればいい。「危険」なことだったら、チョッと待てだ。おまえもそのうち「危険」と「困難」の違いがわかるようになる。」


 「そして究極は「危険」を「困難」に変えられるようになる。」

 のだそうだ。

 冬山登山はある意味命がけでしょう。

 「頂上征服まであと少し」というところで「勇気」を持って引き返してくるというのもこういうことなのでしょう。



 ぼくらも日常生活を送る上で常に「危険」や「困難」と遭遇している。

 この歳になると「無理を承知で」とか「あとさき考えず」とか「暴走」みたいなことはだんだんできなくなってくる。

 家庭や子供を持つと一気に「危険」を察知するハザードが分厚くなったり、「警戒」レベルが上がる。



 ただし、どんなことをしても避けられない爆弾が、それもいきなり視野に飛び込んでくることがある。

 「ウワッ、爆弾だ!」と思って一瞬身構えるが、すぐには爆発しない。


 「やっぱり、オレはツイてる。不発弾だったじゃん。」

 などと思っていると、それは実は時限爆弾だったりする。




 明日時限爆弾が1つ爆発する。


 おやじの残した時限爆弾。


 今度ばかりはその衝撃に耐えられるかわからない。



 何の成長も無いぼくはひとりで身動き取れずピリピリ、ジリジリ、カサカサしてほんとうに大事なものまで傷つけ続けている。


 

 喉が渇いた。




 神様にお祈りしている。




 ぼくは夫であり、父であり、あ~もう混乱している。混乱したフリをしている。





 喉が渇いた。

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『失格』

2006-01-30 08:52:40 | Weblog
 ミサのあと、聖堂の出口で「一番弟子」の求道者と目が合った。


 「元気なの?」


 ありゃりゃ、彼にも気づかれちゃったのか、思いながらも


 「元気、元気。」などと笑顔を作る。


 もちろん、ごミサ後なので随分気分は違っている。




 今日はお聖堂に入ってから、ミサが終わるまで目を開いて前を向くことができなかった。

 他の人を気遣う余裕や懐の深さを持つ等というところからは、かなり縁遠いところに立っている。

 家族もいい迷惑なはずだ。



 「自分の身の回りの事(家族)もケアできないのに、外面的パフォーマンスばかりして鼻につく。ふざけるな。」


 的を得ていてぼくにとっても最悪に救いの無い言葉だ。



 『失格』



 ミサでの聖歌も声にならない。

 神父様のお説教にも顔を上げられなかったのは教会に来るようになってから記憶に無い。

 とにかく、どんなカタチでもイイから祈って、祈って、祈って。

 いろんな思いを放り出して、命綱の無いバンジージャンプ。

 神様。神様。神様。

 真っ暗だ。目を開ければ光があふれているのだけれど怖くて現実を直視できない。


 ご聖体の列に並ぶ。


 「アーメン。」




 妻が左腕をトントンとノックした。

 神様はいつでも手を差し伸べてくれる。



 「お前さあ、ただ甘えてるだけじゃん。」自分自身に心が叫ぶ。



 
 
 ミサのあと、聖堂の出口で「一番弟子」の求道者と目が合った。


 「元気なの?」


 ありゃりゃ、彼にも気づかれちゃったのか、思いながらも


 「元気、元気。」などと笑顔を作る。



 おもち食べて、ミーティングして、ベトナム料理食べて。

 何事も無かったように自己完結。



 感謝の気持ちはあったのか、思いやりの気持ちはあったのか、しっかり向き合えたのか。



 なにもできてないじゃん。



 きっとこんなこと書いたって「鼻につくだけ」だろう。


 月曜日なのに。

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『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。』

2006-01-27 09:18:21 | Weblog
 朝、山手線のシートに座って新聞を読んでいた。

 経済紙ではなく、スポーツ紙を。

 芸能面にある「今週公開の映画情報」というのを見た瞬間に「ドキッ」とした。

 それは一覧表になっていて、映画のタイトルと監督、主演、一行くらいのあらすじが掲載されている。

 そこに



 「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」



 と書いてあったのだ。

 ビックリしてこれが日本映画だとわかると

 「オイオイいくらなんでも「このタイトルってアリなのかよ?」「なぜチョイスしたのか?」と思った。と同時にどんな映画なのか調べなきゃいけないような使命感じみたものが湧き上がってきた。


 そりゃあ、そうだろう。


 わたしたちの主、イエス・キリストがゴルゴダの丘で十字架にかけられたなかで天に帰られる最後の場面の中で唱えられた言葉なのだから。


 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」(マタイ27章46節)

 「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」

 (ちなみに、この映画の広告にはこの言葉が「最後の言葉」と書かれているが、ヨハネの福音書では「成し遂げられた」だとされている。)


 ところで、どんな映画なのだろう。


 ジャンルはSF。

 監督は青山真治。主な作品にEUREKA(ユリイカ(2000))(第53回カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞及びエキュメニック賞、ベルギー王立フィルムアーカイブ・グランプリ受賞作品。)ちなみにEUREKA(ユリイカ)はギリシャ語で「見つけた!」の意。

 主演は浅野忠信。

 内容は、西暦2015年に、世界中にウィルスが蔓延する。それは視覚で映像によって感染し、発症すると「自殺」によって確実に死に至るという設定。
 
 このウィルスの発病を抑えるためには、あるふたりの男が演奏する“音”を聴くこと。ある富豪はウィルスに感染してしまった孫娘を救おうと、探偵を使いふたりの男を探す。というもの。

 この映画も去年の第58回カンヌ国際映画祭「ある視点部門」に出品されたのだという。


 どこでこのタイトルが使われ、どんな風に観客に伝わるのだろう。

 観てないし、映画評論家でもないので、ここではコメントしないが、この「大切なキーワード」が福音宣教につながることに一縷の望みを持とう。


 観たいジャンルではないけど、どうしたものか。

 SFだし。




 大腸がんの手術から退院した「いっちゃん」に何かしてあげたくて、日めくり「あなたに会えて」を贈った。

 「癒し」や「励まし」や「元気の源(ミナモト)」に必ずなるからと言って奥さんに手渡した。

 「必ず」と宣言してみた。


 神に感謝。
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『そんなことを言ってるんじゃない』

2006-01-26 09:21:35 | Weblog
 バスの窓から笑いながらいっしょうけんめい手を振る。

 我が家の天使(娘)ちゃんは精一杯ぼくに気を使っているのだ。



 バスを見送りながら

 「あ~あ、またやっちゃったなあ」などとしみじみする。



 反省する。



 きのうの夜のこと。

 娘の勉強を見てくれと妻に言われた。

 ぼくは「算数」担当に任命されている。

 すこし前までは学校のことは勉強も含めてほとんど任せっきりにしていた。妻に。


 天使ちゃんの名誉のため詳細は控えるが2学期の評価が、かなり「辛口」だった。「ハバネロ」くらい。

 そんなこともあって、もちろんぼくの頭にもその情報はインプットされているので、どうしても厳しくなってしまう。



 ぼくとの勉強の時間は相当なストレスになっているのだと思う。

 だって彼女はいつも泣きながらやっているから。



 見るに見かねて妻が言う「わかるように教えてあげてよ。あんな言い方して。泣かせたいだけじゃないの?泣いてたら何も頭に入らないから。」

 娘はぼくが怒っていると思うらしくそれが嫌で泣く。



 勉強時間が終わり、ベッドに入って妻と娘が話をしている。

 「パパがなんで怒ってると思う?」

 「わたしが教えてもらおうとする態度じゃないから、でもパパすぐ怒るから」といってまた泣いている。




 『そんなことを言ってるんじゃない』のだ。



 
 もちろん、「どうしてわからないの」などと理解のスピードなど指摘しているのでもない。

 これは親であるぼくのせいでもあるのだから正直はずかしいが、「物事に向かう姿勢」が非常によろしくない。

 ひとりっこで育てているので、全くもって自慢にはならないが、甘やかして接している。

 そんな風にしておいてこんな逆説的なアプローチは子供にとってある意味「虐待」かもしれないが、やっぱり「身をもって」感じたり、覚えたりして欲しいこともあるのだ。


 もしかしたらハードルが高すぎるのかもしれないが、どうも「気もそぞろ」的な感じがしてしようがない。


 「集中して」「真剣に」「簡単にあきらめない」「努力してみる」


 なんていうんだろう、もっと「もがいてみろ」っていうか、「粘ってみろ」みたいな感じ。



 近年、育児書などで「ほめて育てましょう」と解説され、まあ納得できる内容だったりするのでみんな実践している。悪く言うと大概のことは何したってイイと曲解されているんじゃないかと思う。


 「しかられたり」「ちょっとピンチ」みたいな疑似体験をする機会が無いと、いわゆる「社会に対して免疫力のない子供」「キレル子供」になってしまうのではないだろうか。



 などと生意気に教育論みたいなこと述べてるけど、「自分が同じ年頃だったときどうだったのか」と聞かれれば「ぐうのね」も出ないんですけど。



 いずれにしても泣かせちゃいけない。


 ごめんね。

 
 天の父よ、わたしたちを人の子の親として育て、導いてください。家族の安らぎが、すべての人の安らぎの礎(いしずえ)となりますように。

 神に感謝。
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『あははは』

2006-01-25 09:06:13 | Weblog
 朝の6時5分、寒い眠い冬の朝の朝食前。

 我が家の天使(娘)ちゃんは、しっかりと制服に着替えてダイニングテーブルに座っている。

 目はうつろ、髪の毛はヤマンバ状態だ。

 ちなみに天使ちゃんいわく、ぼくの朝はゴリラのようだという。

 妻の朝は・・・。書ける訳がない。




 妻が「50円ある?50円玉がベターだけど。」とぼくに聞いた。

 小銭入れを確認するが100円1枚、10円1枚、5円1枚しかない。

 学校の購買で買い物をさせるのだが、購買用の封筒に買いたいものと現金をおつりの無いように入れるルールらしい。

 「無いから送ってく途中で缶コーヒーでも買って両替するよ。」


 6時30分。二人乗りの自転車は冬の朝の空気をつんざくように疾走する。

 今の時期、この時間だとまだうす暗い。それよりなにより、なんてたって寒い。

 途中の石神井川に浮かんでいる水鳥たちを眺める余裕も無く、まるで蒸気機関車の煙突のように白い息を口から吐き出して自転車をこぐ。

 バス亭の少し前の自販機前で止まる。

 そんなに時間的余裕は無い。バスは定刻だったら6時36分だ。

 目ざとく新商品を見つけた天使ちゃんは「このミッドナイトなんとかにすれば。」と言った。

 ぼくのニーズとビンゴしたので、あわてて千円札を昔の洗濯機の脱水装置みたいな(古すぎて一部の人しか例えにならない)ところに差し入れる。

 ボタンを押す。

 「チャリチャリン、チャリチャリン、チャリチャリン、・・・」

 なんだか急いでるときに限っていつもよりおつりの落ちてくるのも長い気がする。

 「おつりに50円玉が無くて10円玉たくさん出ちゃったのか。」と思いながら取り出し口からピックアップする。

 1000円-120円=880円

 500円一枚、100円3枚、50円一枚、10円3枚(または10円8枚)かなと確認すると。



 『あははは』



 この自販機くんは朝から粋な演出をしてくれます。




 500円1枚、100円無し、50円7枚、10円3枚。




 いちばん必要としていた50円玉を7枚も用意してくれるなんて・・・。


 振り返るとバスが近くに迫っています。「急げ~」


 「忘れ物ないようにね。じゃあね。」

 頭をポンポ~ンと軽くたたいてバスに乗せます。


 なにげない日常の朝の一コマでした。


 今日も無事で楽しくてやさしい一日になりますように。


 神に感謝。
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『解毒(げどく)』

2006-01-24 16:16:43 | Weblog
 『約束』をしたので体重を落とさなければならない。

 新陳代謝の悪い、この冬場に。

 4月の第一日曜日まではまだ時間がある。


 この催し物に参加しているほかの人達は、ぼくより若い人達が大半である。

 ギブアップコメントではないので勘違いしてもらっては困るのですが、40歳越えるとですね、脂のノリが違うわけですよ。

 「さすがに40歳代、アブラが乗りきってますねぇ。」

 仕事や趣味だったら最大級の誉め言葉(ときにはアイロニーなときもありますけど)なわけですよ。


 ところがノッテルトコロガ違うんです。

 内臓脂肪だったり、わき腹周辺だったり。


 「最近どうもワイシャツの収まりが悪いなあ。」みたいな。


 ゴルフでカップインしたボールを拾うときに腹筋が無いから腰痛めます的な。



 まあそんなおやじの悲劇書き綴ってもしょうがないのでこの辺でやめますが、どこからそうなったのかというのがハッキリしないのですが、ある体重を境目にしていわゆる「腰が重くなる」のです。

 妻の言葉を引用すれば「どうして、ササッと動けないの!」ってことです。

 自分の体重に「ココロまで折られた」状態になる。

 仕事中も駅の階段中心だったのがエスカレーター専用になって、ふだんもなかなか疲れが抜けない。もちろんちゃんとケアしている人もいるので個人差はあります。

 もちろん、精神的に疲れちゃってってこともあるから一概には言えなのだけど。



 「それ、トシとったってことじゃないの」



 動いたり、節制したりが厳しくなると楽してと思うわけです。


 一応、食品業界なのでいろいろ調べたりして。


 ○○香酢のサンプル頼んでみたり、バランスボール購入を真剣に検討したり。



 そんな中で出てきたキーワード「デトックス」

 意味は『解毒・浄化作用』です。

 最近新しい健康法みたいな感じで食品業界でも関心が高まっているのです。

 これまでは「体によい食品をいかに探して食べるか」がトレンドだったのですが、「デトックス」の考え方は「いかに体内から毒素や老廃物などを排出するか。」という逆説的なものなのです。

 いまのところ効果が高いと認められているものは、オクラ、にんにく、ニラ、ハーブ、玄米、酢です。




 ココロの解毒は信仰心でしょう。


 カトリックの教会にはいろいろな処方箋が用意されています。


 好き嫌いとは無縁な万能薬です。




 「デトックス」の調査資料の最後にこんな風に書いてありました。

 「デトックスの根源は“断食”にある。」と。

 なんだかんだ言っても贅沢で構成された脂肪は粗食で落とせってことですね。



 「教会」を食わず嫌いにしている人いませんか。あなたのちかくに。


 今週末もお腹をすかせた人やココロの解毒を望む人がたくさん来れますように。
 

 神に感謝。
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『ふれる、響く』

2006-01-23 08:37:20 | Weblog
 土曜日のカトリック入門講座で神父様からこんな話を聞いた。

 「佐藤初女(さとうはつめ)さん(「森のイスキア」主宰)と会食をしました。

  今回は「NPO法人 自殺対策支援センター ライフリンク」(「つながることで、いのちを守ろう」と広く連帯を呼びかけながら、自殺対策に取り組んでいく活動をしてる団体。)の集いでの久しぶりの再会でした。

  身近な人が自ら命を絶つという経験をした方々の話を聞きました。


  「逃げてもいい、休んでもいい」と言ってあげられる、「健康な環境」を共有、提供したかったという話を聞きました。

   「健康な環境」にいるのは、ひとりじゃ無理。

   「どうして死にたいか」、「今死んだら残された家族はどうするんだ。」なんてことをいくら言ってもしょうがない。誤解をおそれず言うならば「そうかわかった。いっしょに死んでやる。」と言葉をかけてあげる方が数倍マシ。


   誰かが魂に触れてくれないとダメだってこと。魂に響かないとダメだってこと。


   福音宣教はまさにそれで、説明するものでも理屈を語るものでもない。神の宣言は常に、現実、事実、存在そのものだから。


   イエス・キリストは究極の福音です。」



 そばにいって、手をとって、起こしてあげる。



 こんな風にできているのだろうかとあらためて考えさせられた。



 「改革の年。」とは、「具体的に」動きなさいということなのだろう。



 東京では8年ぶりの雪。


 身も心もまっ白な雪にうずもれてしまいたい。


 そんな思いも、ホットな仲間とホットなハートで溶かしてしまえ。



 身近でイイ話もありました。

 「思い切って一歩踏み出したら、環境が変わった。」

 そんな風に話してくれたピアニストのたまごさん。

 よかったね。

 ちょっとだけでもお役に立てたのならぼくもうれしいですよ。

 今度演奏聞かせてくださいな。


 
 さあ、「放蕩息子のたとえ」の父親のように「そばに行って、手をとって、抱きしめてあげよう」今日から、誰かのために。


 神に感謝。
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『てんこ盛り(のおかわり)』

2006-01-21 09:08:31 | Weblog
 (きのうからの続き。)

 「おー、久しぶり。昼休み中なのにごめんね。」

 12時40分ごろ友達の勤務する会社におじゃました。

 彼の会社は簡単に言うと鰹節屋さん。都内にデパートや有名量販店に商品が並んでいる。

 「年末忙しかったんだろ?」

 応接室への階段を上りながら聞くと

 「うん。いろんな意味で忙しかった。」



 「ん?何かあったのか?」そんな風に思わせるに十分なニュアンスを含む言い方だったが、そこでは言及しなかった。


 イスに座ったけど、やっぱり気になるのでもう一度聞いた。


 「年末忙しかった?」


 彼は口を開くと事もなげにこう言った。

 「会社辞める事にした。2月15日付けで。」


 年末にお父さんが脳溢血で倒れ、一命はとりとめたのだが「認知症(痴呆)」となってしまったのだという。

 実家の仕事を継ぎたいのだと。


 連絡しようとした矢先にぼくらがここを訪れたからビックリしたのだと。


 これも単なる偶然とは思えず、可能な限り励ましてあげたいと思った。彼の家族のために祈ってあげたいと思った。

 
 短い再会を惜しみながら先へ進んだ。

 午後の客先では話が盛り上がり予定終了時刻を軽くオーバー。


 日頃こちら方面に車で来たことがないので時間が全く読めないが「びゃっきー」さんのライヴまであと3時間半くらいある。

 同行した会社の同僚は静岡が地元なので実家に帰れるように調整をしてあげて帰りは一人車を走らせる。



 東名高速上り線。ラッキーか、渋滞は無い。制限速度よりもちょこっと(五割り増しぐらい)急ぎ目で。

 首都高に入るとかなりの渋滞。でもまだ間に合う。

 「高速降りたほうが早いか。」などとちょっと焦りながらもなんとかガマンして会社の駐車場に滑り込む。7時5分。

 上司に報告を済ませ会社をダッシュで出る。



 溜池山王駅から緩やかな坂をのぼったところに目的地はあった。7時50分。

 受付で「「びゃっきー」さん見に来ました。8時からだよね。」と聞くと

 「えっと、7時半からです・・・あっ、8時からでした。」だって。


 重い防音扉を開けると久しぶりの轟音がすぐにぼくを包み込んで、耳から無理やり入り込もうとした。


 ライヴいいですね。


 すぐにシュビ君とりっちゃんに気づき合流です。


 どうしても遅れたくなくてチョッと「額に汗」状態。


 ワンドリンク付きのチケットだけど「やっぱり我慢かな」と思っていたら、気の利くシュビ君が持ってきてくれましたよ。黄金に輝く大麦の恵み大人のジュースを。


 これは受け取り拒否できないし、おいしくいただいちゃいました。「ダ~イエットはあしたから」ってCM思い出しながら。


 「びゃっきー」さん緊張してました。


 でもそれが功を奏して観衆のハートをつかんだのです。


 イイ声で「愛」奏でくれました。


 その後居酒屋で終電間近まで話し込んで帰りましたとさ。


 『てんこ盛り』な一日でした。


 あ~、おもしろかった。


 神に感謝。
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『てんこ盛り』

2006-01-20 09:20:54 | Weblog
 ぼくの鼓膜は大きなスピーカーからいやおうなしに攻め込んでくる大音響のウェーブに翻弄され、リミッターの限界に近づいた。


 耳のキャパシティーをはるかに超えた音が、「もう満員ですから」と言いながら逆流して溢れ出て行く感覚は、ほんと久しぶりだ。




 きのうは「濃いィ」一日だった。




 「スーパースペシャルプレミアム海鮮丼」と「ミディアムレアな最高級神戸牛」と「フォアグラのソテー白トリュフのせ」をそれぞれ「歌舞伎座」と「東京ディズニーランド」と「国立競技場」で食べました。というくらい。


 このところ理由あって、慢性的にお腹がすいているので例えも食べ物のイメージばかり浮かんでくる。



 きのうは朝から車で片道約3時間かけて焼津まで行った。

 「どうやら、他社品に替えられそうなんです。」

 同じ部署の若者が前日に報告あげてきた。


 「とにかく明日同行するのでキー・パーソンにアポイントメントを取りなさい」


 この時点で教会のマイエホールで2度ほどやったLive『VOICE』に出演してくれた「びゃっきー」さんの赤坂でのライヴ(テレビ埼玉の番組収録を兼ねた)が同じ日にある情報が入っていて予定にも入れていた。

 書いてしまうとなんだか恩着せがましくなってしまうが、今回はどうしても「びゃっきー」さんところに行きたかった。

 純粋に演奏を聴きたかったのは当然だけど「プチ恩返し」みたいな気持ちが強かった。



 「焼津かぁ」

 ちょっとだけ「信号」が黄色に進んだ。

 「う~ん、ダメかもしれない」ネガティブモードに入りそうになっていると、お兄さん思いの「びゃっきー」さんの妹さんからメールが入った。

 「ライブ時間 「びゃっきー」のスタートは8時頃だって。よろぴこ☆」



 「8時か、よし、なんとかなる。」



 一軒目のお客様に「ズタぼろ」に打ちのめされたが心までは折られることなくかろうじて首の皮一枚を残しつなげてもらえるようふんばった。ランチで気分転換しようと漁港方面に向かった。


 すると


 見覚えのあるロゴの看板が目に飛び込んできた。


 学生の頃の同級生の勤めている会社だった。

 コイツとはほんと良くも悪くも様々な「社会勉強」をした。


 ここまで来て知らん顔する間柄じゃない。


 そうはいってもとりあえず、腹ごしらえ。漁港の近くの地元の人に人気のある定食屋さんでお店のおねえさんにお勧めを聞いた。

 「焼き魚食べたいのだけど何かお勧めある?」

 「どれでもおいしいですけど「とんぼの皮焼き」が評判いいですよ。」

 「じゃ、それを定食で。」(正体不明のまま注文したのだが「とんぼ」とは簡単言うと「まぐろのはらす」の部分をうなぎのように開いて塩焼きしたものだった。激ウマ。ごはんのおかわりはやっぱりガマンした。)

 注文を終えて友達に連絡を入れた。


 「お~、なんだよ~、来るなら早めに行っといてくれよ~、ご馳走したのに。まイイから、飯食ってから会社に寄ってよ。」


 つづく。(たぶん明日に)
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『退院、入院』

2006-01-19 07:21:10 | Weblog
 会社の同僚のご主人「いっちゃん」が退院した。


 大腸がんの手術をクリアした。


 順調に行けば人工肛門(ストーマというらしい)をつけた状態で、2月には職場復帰できるらしい。


 そして3ヵ月後にはストーマもはずせる可能性があるらしい。


 そうは言ってもすべてが順調というわけではなく、排尿障害(オシッコが膀胱に溜まっても便意がない症状)が出ていて、数時間おきにトイレに行って強制的に排便しないといけないらしく、男性のカラダの構造上、それが大変痛みを伴なうので、かわいそうなのだと聞いた。

 これも改善されるであろうとの所見らしい。


 ぼくの同僚であり、いっちゃんの奥さんとのやり取りのなかで、彼女はこんな風に話してくれた。

 「ありがとうございます。

  ほんと、ありがたさを実感しました。
  水を飲むことができること、座れること、歩けること、ご飯を食べると、、、当たり前すぎることだけど、一つ一つ大喜び。

   昨日車で家に帰るときいっちゃんが、「空が広いなぁ~~」って言ってました。

  病室から見える景色は限られてるからなぁ。(たまに行くには東京タワーや六ヒル見えてるし絶景なんだけど)

  しかし・・・本当にしばらく大変かも。
  
  ご飯の支度だけで精一杯。食べ物にすっごく気を使う上、3食用意しないといけないし。

  私すごいわがままだから自分のことする時間がないとイライラしちゃう。けど・・・絶対にそういう態度できないし。あ~ぁ、もやもや・・・。

  なんか私ってすごい優しくないなぁって思っちゃう。

  普通こういうとき自分のことより相手のことを考えて、何も考えずに相手のことをしてあげるんだろうなぁ。私ダメ子です。」



 ぼくは清々しく「口だけ男」ぶりを発揮し、励ましました。




 時を同じくして、妻のお母さんが入院した。

 結石の除去手術を受けるために。

 妻はお母さんの元に駆けつけて、付き添ってあげたい気持ちを抑えて静かにひたすら祈っている。



 信仰がすべての人を救うのだろう。


 お母さんの枕元には「守ります」と力強く語りかけてくれる、両手と両翼を広げた「OMAMORI TENSHI」が置かれ、見守ってくれることだろう。

 
 

 神よ、御ひとり子は

 すべての人の弱さと貧しさをご自分の肩に背負われ、神秘に満ちた苦しみの価値を、わたしたちに示してくださいました。

 病に苦しむ兄弟姉妹を祝福してください。

 不安と苦しみの中にあって、孤独に打ちひしがれることがありませんように。

 心と体をいやしてくださる主イエス・キリストに結ばれて、苦しむ人々に約束されているあなたの慰めと励ましを得ることが出来ますように。

 わたしたちの主イエス・キリストによって。

 アーメン。

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『具体的に』

2006-01-18 13:40:23 | Weblog
 最近、ちょっと文章が長くなりつつあるなと思った。

 説明チックな表現や報告事項みたいな内容が多いからか。



 あとで読み返してみて、もっと『具体的に』踏み込んで書き留めておいても良かったのかな等と思ったりして。


 『具体的に』で、いま我が家で避けて通れないことがある。



 「引越しをしたい」



 とってもワクワクする、そしてぼくにとっては結構ヘヴィーな話題。



 娘の通学負担低減(時間と距離(当然、教会にも近づく))を主軸にして、田舎にいるぼくの実母との共同生活が可能になるところへ。

 犬を飼ってみたいという娘に、いつだったか、「今年の夏ごろまでに引越しするからそれまで我慢して、なおかつ、自分の身の回りの事をそれまでにしっかりできるようにしておいて。」と「約束」した。



 かなり無理もあったが、確かに「約束」しちゃった。



 少し前にも書いたが「そうなるようにがんばろう」と「目標」を設定したのではなく『具体的に』「約束」したのだ。


 
 これはなんとしても履行しなければならない。



 昨日も家に帰り着くと、ネットで検索した不動産情報が山積みになっていた。



 『具体的に』淡々と進んでいる。



 仕事をがんばらねばならない。



 ラッキーパンチは基本的に狙えるものでも、当たるものではない。



 「お導き」を待つ。

 それはそれで最優先に尊重し受け入れる。というか、こちら側ではどうしようもないところだからありがたく流れに身をまかせる、受身でいる。というのではなく、やっぱり努力をしないと変わらない、変わり始めないことだってあると思う。

 でも、「贅沢なんじゃないの?」と問いかけてくる自分もいる。


 なかなか難しい。




 気分的にもう少し軽い「約束」を『具体的に』した。


 4月2日(日)までに5㎏体重を落とす。(軽くもないか)


 このブログ上では披露しないでと思ったが、書きました。


 だからこれ読んでいただいたみなさん。


 ぼくの顔を見るたびに




 「ねえ、やせた?ねえ、やせた?」って聞いてください。



 健康的に美しくシェイプアップできるように日曜日の午後からアルコールをオフにしています。

 今年は一足早い「四旬節」が始まったのだと思いがんばってみます。


 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488

『巧妙』

2006-01-17 09:06:34 | Weblog
 いや~このブログでは比較的というか意識的に政治のことに触れてこなかったのですが今日だけは封印を解きます。


 だってあまりにも『巧妙』で気持ち悪いから。


 今日1月17日は極東にある「日いずる」「黄金の国」にとってあらゆる方面で話題が盛りだくさんな一日です。


 「阪神淡路大震災」から11年のメモリアルデー。


 「記憶の風化」が声高に叫ばれている。




 文字にするのもおぞましい、「連続幼女誘拐殺人事件」のM被告への最高裁判決の日。

 17年も前の事なのに。

 精神鑑定、「人格障害」、「統合失調症」「解離性同一性障害(多重人格)」等の言葉と「あの部屋」のイメージばかりでご遺族の方の無念は隅に追いやられ。



 そして、『巧妙』に仕組まれたと思わざるを得ない「証人喚問」もなぜかこの日に行われる。

 「耐震強度偽装問題」で与党(現政権政党)の国会議員との関係が取りざたされている会社社長の「証人喚問」。

 うがった見方かもしれないけど、この日に日程を組み込むのは「この件について話題性をなくす」常套手段ですね。

 なおかつ、ダメ押しのように某IT企業の「証券取引法違反疑惑」。

 まあ、マスコミも一斉にこれに飛びつきます。

 このIT企業の社長は先の国選選挙で「刺客」として与党の候補として立候補しているのです。

 こんなつながりの人の会社への強制調査を「証人喚問」前日にゴーサインを出す。(もしかしたらこれにだって『巧妙』な密約があるかもしれない)

 ゴーサイン出すのは当然、官邸や与党なわけです。



 『巧妙』ですねぇ。



 野党は「証人喚問」で関連している議員の出身派閥への斬り込みを狙っていた。出身派閥は言うまでもなく現首相の出身派閥なわけですよ。


 「まやかし」上手ここに極まる。です。

 まあ、いまに始まったことでないですけど。



 たしか、というか、いつのまにか、今月の給料から定率減税が廃止されぼくたちサラリーマンの生活が圧迫される。ここから始まる大増税。

 (ちなみに定率減税とは「平成11年度税制改正」において家計の税負担を軽減する目的で導入された恒久的な減税のことである。所得税については税額の20%相当(25万円を限度)が、個人住民税では税額の15%相当(4万円を限度)が控除されるという制度。)


 そして近々世界に誇れる「戦争放棄」の憲法第9条が覆される可能性もある。


 なぜ、それほどまでに「スターズ アンド ストライプス」にイイ子ぶらなければならないのでしょうか。

 自国の利益のために「理由もなく」(最近は開き直って、むりやり理由作りしておいて、そ知らぬ顔で「いや~あの時は間違ってました」って言うようになった)戦争するような国のために。


 書いててバカらしくすらなる。

 このての話題はむなしさしか残らない。


 もっと違うことにパワーを使おうという気にならないもんでしょうか。



 
 争いのない世界が実現するように祈ります。


 神に感謝。
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『チャレンジャー』

2006-01-16 08:45:24 | Weblog
 またもや『チャレンジャー』に変身してしまった。


 文字にすると、子供向けの「戦隊ヒーローもの」みたいだけど、もちろん全然違う。


 ぼくの場合、「こわいもの知らず」というニュアンスのほうが近い。



 きのうの主日のミサは東京教区の岡田大司教様が司式をされた。

 そのあとに「ゆるしの秘蹟」をされ、昼食をとられたり、高円寺教会で行われている教会内の活動などを視察された。


 
 あるミーティングで30分ほど同席させていただける機会があった。

 当日同行されていた終身助祭の方、当教会主任司祭、教会委員長など等の同席する10人弱の集まりだった。

 あるテーマについて大司教様からお話をいただいた。

 東京教区のこと、小教区のこと、宣教協力体のこと、それぞれの課題や方針など多岐にわたってわかりやすくコメントしていただいた。


 そしてこのミーティングで最も聞きたかったこと



 東京教区、小教区としての「高円寺教会の役割」


 
 というところに進んでいった。



 「若者が集まる教会」という役割がいま機能していて喜ばしいし、そしてこれからもそうあり続けることが望ましい。

 そのためにそのような施設のある教会になっても良いのではないか。

 そのような施設とは今の司祭館の「お茶の間」のような、誰が来ても良いし、その人には何か責任のようなものが発生しない「居場所」的空間のことで、「召命促進ハウス」みたいな位置づけである。と。


 
 大変ありがたいお話しでワクワクが倍増するような感じで聞いていた。


 今日の議長さんが「それではせっかくの機会なので、一言ずつコメントを」「ただし討論会ではないので」となった。



 内心「こりゃ~マズイことになった」思った。

 言葉は的確ではないが「当たり障りの無い事」のなかに「感謝」と「決意」みたいなものを盛り込んで発言すれば無難なのだろうが、いま「アタマ」に浮かんでいることは、ぼくを『チャレンジャー』に変身させるに十分な内容だ。

 正直、「空気を読めない」発言になる可能性を多分に含んでいるような気がする。


 順番が来た。


 「わたしは一昨年ここで40歳を前に成人洗礼を受けました。他の教会のことはあまり知らないというか、ほとんど知りません。」

 なんだろう。一言目からこれからの発言に対する攻撃に備えて自己紹介のフリをして予防線を張っている。




 その後、話しましたよ。




 イケてない、滑稽な中間管理職の上滑りな、中途半端な意見とも情報ともハッキリしないコトバみたいなヤツを。でもまじめに。


 要約すると「若者の集まる教会は大賛成だけど、ぼくらも何年か後は老人になる。だから若者の集まることを特色としてターゲットをしぼられたら誰でもが来やすい教会ってことになるのかわからない。」って感じだったと思う。




 そしたらサプライズがありましたよ。


 終身助祭さんが開口いちばん「あなたの意見は間違っている」と。

 「会社でも学校でも全てにおいてバランスが取れるなんてことはありえないことなのだ。」と。

 断言された。


 もちろんぼくは凹むことなどなく「貴重な意見」としてありがたく頂戴しました。納得とか理解するとは別次元で。

 サプライズと感じたのは、ぼくの発言に違和感を感じて、なおかつ「それ違いますから」とこの場で指摘してくれる人が存在したことに。

 なんとなくだけどカトリックはすべてをゆるして批判的な発言とかしない集まりなのじゃないかと思っていた。

 それとも、それ程「的が外れていた」ということか。

 くれぐれも勘違いのないように付け加えておくけど発言を否定されてムッとしているのではない。断じて。



 よい勉強になった。



 ぼくはこれからも『チャレンジャー』であり続けると思う。


 神に感謝。
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『口伝(くでん)』

2006-01-14 20:45:13 | Weblog
 「Real(リアル)」


 「現実」


 「生活」


 「人間関係」


 

 いま、直面していることは、たいがい「面倒くさい」。

 卵が先か、鶏が先かみたいな話になっちゃうけど

 それが、「Real」であり「現実」であるから。


 逆に言うと、「面倒」だから「感動」するのであり、「生きる喜び」を感じるのである。


 インターネットやブログや映画やテレビや本や写真や、いわゆる「熱」のないバーチャルな世界は楽しいし、イイ気持ちになれるし、させてくれる。

 
 ただし、楽してイイ思いをすると当然のごとくツケが溜まる。


 「愛とはその人の為にどれほど時間を費やしたか」(「星の王子様」より)



 だから、より良い師に出会いそして正しい教え(ホンモノ)を身振り手振りで見聞きし修行というかレッスンを積んでいく。


 イエス・キリストは一文字の文章も残さず、全ては、あのように言われたとか、こんなたとえ話をされたということを弟子や福音記者が残している。


 『口伝(くでん)』なのだと。


 だから、説教をインターネットでオープンにする時も抵抗感というか、ためらいがあった。


 やっぱり、直接、面と向かって伝えたいから。




 土曜日の入門講座で神父様がこのように求道者のみなさんに話された。

 いまのぼくのアンテナにひっかるものばかりメモしているのでこの日のトピックスやエッセンスになっているかどうかはわからない。

 この日初めて来た方も何人もいた。

 この講座に通ってきている洗礼を受けていない方がお友達を誘ってくる。

 これってすごいことじゃないかなと思う。

 「お導き」という便利な業界用語があるが、奇跡が「Real」に目の前でおきている。



 こんな風に書くと勘違いされるかもしれないが


 あえて書こう


 カリスマが手の届くところに存在している。


 「生」(ライヴ)に参加しないのは損だと思う。


 来週の金・土・日曜日も入門講座やってます。


 このチャンスをお見逃し無く。


 神に感謝。
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