カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『納涼祭2009』

2009-07-26 23:23:23 | Weblog
 今年もたくさんの人で賑わいました。


 納涼祭。


 「はじめまして。」を何回言ったことでしょう。


 吉池神父様のお話からはじまった今年の納涼祭。


 生ビールの空き樽はトントントンと積み上がりました。


 輪投げや花火で盛り上がる子どもたち。


 色とりどりの浴衣姿も華やかでした。


 肩のチカラの抜けた


 笑顔あふれる


 真夏のアクセント


 メリハリ


 息抜き


 ひまわりのような


 明るさと元気


 たまたま場所が教会だっただけ


 でも教会だったという


 リアル





 神に感謝。
Copyright© 2009 Luke8488

『今度の土曜日は』

2009-07-22 19:09:59 | Weblog
 年に一度の


 カトリック高円寺教会


 「納涼祭」が開催されます。


 午後7時から


 生ビールの飲み放題


 鉄板焼き食べ放題


 入場制限無し


 すべて無料


 できれば


 ゆかた


 なんて着ちゃったりすると


 盛り上がること間違いなし。


 なんだかあまり宣伝していないらしくて


 知らない人が多いようなので


 あらためて


 告知しておきましょう。


 みなさんお誘い合わせの上


 ぜひぜひ


 高円寺教会へおでかけください。




 たまには


 めんどくさいこと考えないで


 飲んだり食べたり語ったりしましょう。


 あなたの居場所が


 必ずあります。



 あ、それから


 もれなく


 神さまの


 お恵みが


 ついてきます。






 神に感謝。
Copyright© 2009 Luke8488 

『父の命日』

2009-07-21 18:07:35 | Weblog
 7月21日は、ぼくの父の命日です。


 田舎の夏祭りの祭囃子が


 病院の窓の外から聞こえてきたのを


 いまでも鮮明に思い出します。


 お祭り大好きでアルコールは全然飲めなくて


 ぼくが生まれる前に交通事故で、両膝を骨折していて


 家にいるときは、寡黙なんだけど


 母には厳しくて


 母の作ってくれたご飯に「おいしいかった。」なんて一回も言ったことなくて


 でも宴会には引っ張りだこで


 人がいつも遊びに来る家で


 野球をやってた頃のぼくのいちばんのファンで


 ちいさな町工場の経営者で


 ぼくを大学まで出してくれて


 ぼくの親不孝にも怒ることなく


 昭和一桁生まれなのに身長が178cmくらいあって


 すこしだけ猫背で


 ひげが濃くて


 旅行が好きで


 カラオケが好きで


 パチンコが好きで


 孫娘(ぼくの娘)のことが大、大、大好きで


 晩年は、糖尿病と友だちになって


 最終的には膀胱ガンの術後の経過が悪くて


 退院することなく


 そのまま


 心臓の波形が


 一直線になってしまった


 ぼくの尊敬する


 父の命日です。


 いま、いちばん話をしてみたい人


 そんな父の命日です。






 神に感謝。
Copyright© 2009 Luke8488 

『うなぎ』

2009-07-20 23:23:23 | Weblog
 土用のうなぎの日から一日遅れで


 うなぎを食べに出かけました。


 娘の堅信のお祝いです。


 「堅信は、成人式と同じ」


 こんなことを聞いたことがあります。


 国際電話で約束していました。


 「うなぎが食べたい。」


 「体調が悪いのを治すことができていたら食べに行こう。」


 娘は、帳尻あわせをちゃんとしていました。


 それもあったので


 浅草まで、ぼくの体温調節リハビリもかねて出かけてきました。


 母は、お友達とおでかけをしていましたので


 家族三人で、久しぶりに休日を満喫しました。


 創業200年以上の歴史の味は、あの風味をもともなって


 日本食に飢えている


 ぼくのおなかとアタマを満たすのには


 十分すぎるほどでした。


 よろこびを素直にあらわしながら


 美味しそうに食べている娘の姿が


 何よりのご馳走かもしれませんね。


 ココロのごちそう


 いのちのごちそう


 堅信。





 神に感謝。
Copyright© 2009 Luke8488

『味わい深く』

2009-07-19 23:23:23 | Weblog
 約1ヶ月ぶりのマイホーム。


 マイホーム教会でのごミサ。


 そして、娘の堅信式。


 ご聖体。


 すべて味わい深く


 ピュアに


 一途に


 堪能しました。


 ここ一ヶ月の緊張感がほんの少しゆるんで


 15℃以上の温度差と日本の湿気の重みに押しつぶされそうになりましたが


 みんなの笑顔と


 お昼寝に救われ


 本当の意味で


 無事到着です。


 この出張中に考えたことを、固く決意したことなどを忘れることなく


 行動に移していくのみです。


 「おかえり」


 「ただいま」


 こんな普通が


 家族が


 仲間が


 どれほど


 ありがたいことか。


 ぼくの当たり前が


 どれほど


 恵まれていることか。


 満足やよろこびの


 ハードルを下げよう。


 でも


 目標やあこがれの気持ちを忘れることなく


 感謝して生きていきます。





 神に感謝。
Copyright© 2009 Luke8488

『さてと、おうちに帰ろう』

2009-07-18 10:51:28 | Weblog
 昨日のウォッカが効いて、熟睡しましたが、いつもの時間に目が覚めます。


 シャワーを浴びて


 今日はワイシャツにネクタイに着替えないあたりから、いつもと違うことを実感します。


 朝食後、荷物の整理をして、来た時よりも重くなった大きいスーツケースの中身をジグソーパズルを完成させるがごとく、コンパクトに収納します。




 通訳の彼は、ロシアのジョークをたくさん話してくれました。


 ロシアに来ないと理解できないようなモノから誰にでもわかるようなモノまで、バリエーションも豊富でした。


 食事のときの笑い話なので、お酒を飲んでいることもあってあまり記憶には残っていなかったりするのですが、ひとつ印象に残っているものがあります。




 ある悪人が命を落とした。彼は生前の行いから、地獄に落ちることを覚悟していた。


 真っ暗な場所を抜けると、そこは、みんながお酒を飲んだり、歌をうたったり、ダンスをしているカフェやバーのようなところだった。


 生きているころよく出入りしていたような場所だったので、その悪人は不思議に思って近くにいる人に聞いた。


 「ここは、地獄か。」


 そこに立っていた人はあっさりと


 「そうだよ、ここが地獄さ。」と言った。


 「でも地獄って、炎が燃えさかって、針のむしろがあったり、悲惨な場所じゃないのか。」


 そこいたっている人は、そのカフェだかバーの隅にあるマンホールの蓋のようなところに悪人を連れて行って、そのマンホールの蓋を開けていった。


 「おまえの言ってた地獄は、この下にある。」


 たしかに、悪人が思っていた悲惨な地獄がマンホールの底に広がっていた。


 「おい、本当にいま俺がいるここは、地獄なのか。」


 もう一度聞く悪人に


 その男は、こう答えた。


 「そうさ、ここは地獄さ。


  もちろん、あのマンホールの下も地獄。


  でもあっちはな、信仰心の深い人間用なのさ。」







 さてと、パソコンを閉じて


 おうちに帰ろう。



 しかし、ロシアでラストの書き込みの内容がこれでよかったのだろうか。





 神に感謝。
Copyright© 2009 Luke8488 

『ミッション・コンプリート』

2009-07-17 21:32:49 | Weblog
 前に行った2ヶ所と同じ、セミナーの最後のセリフを言います。


 「みなさん四日間、本当にお疲れさまでした。そして本当にありがとうございました。」(もちろん日本語でです。)


 そして、心からの感謝をこめて


 深々と頭を下げます。


 スタンディングオベーションで、あたたかい拍手が巻き起こります。


 社交辞令かどうかは、みなさんの両手が奏でる音でわかるのです。


 そのあとは、写真撮影の雨あられです。


 海外ぼけで、自分が何様かと勘違いしてしまいそうですが


 そんなことは、ありえません。


 だってぼくは、ピュアに感謝しているのだから。


 や~、おわったおわった。


 今後も、受講生の採点や外務省へのレポート作成、日本での仕事も山積みだったりしますが、とりあえず


 ミッション・コンプリートです。


 さっきまで、受講生の招待で、食事とボーリングを楽しんできました。


 サハリン日本センターの所長さん曰く


 長らくこのようなセミナーを見てきたけれど、受講生が先生を食事に招待するのは初めてだと。


 光栄なことです。





 最後に頭を下げたときに


 やっぱり、ジ~ンときました。


 ロシアの人たちが、掛け値なしで


 日本のことをリスペクトし、憧れて


 何より日本人のことが大好きなんだということをヒシヒシと肌で感じたのですから。


 政府間の駆け引きやそんなレベルではなく


 人間同士のつながりをもっともっと大切にしたいと


 アタマと心に深く刻み込みます。


 撮影したデジタルカメラのデータの枚数も500枚を超えました。


 帰ってしみじみ思い出に酔う準備も万端です。


 教会のお友達が、その方のブログで


 ぼくのブログについて


 「きっとさびしいから、更新頻度があがっているのでしょう。」


 と書いてくれていますが


 あはははは


 まったくその通りです。




 明日は、もう日本です。


 待っていてくれる人がいるということのありがたみを


 しんみり感じている


 ロシア、サハリンの最後の夜です。




 最後にもう一度



 From Russia with LOVE


 ロシアより愛をこめて




 神に感謝。
Copyright© 2009 Luke8488 

『おそるべし、ロシア民謡』

2009-07-16 16:09:55 | Weblog
 サハリン日本人会というのがあって


 そこで発行している会報をいただいた。


 その中の1ページに「ロシア民謡から読み取るロシア人の心」というコーナーがあって、ロシア民謡が紹介されている。


 今回紹介されている民謡の歴史的背景は


 帝政ロシア時代、ソ連時代においてバイカル湖から東の地方はヨーロッパに近い欧州部に比べ、取り残されたかのように発展という言葉からは程遠い状況で、辺境の地だったようです。


 地平線まで続く荒涼としたロシアの平原やシベリヤの森林地帯。その中に点在する小さな集落で、生まれて以来、何の楽しみもない日々を過ごしている娘が別の土地に憧れ、遠くの町での幸せを夢見て、外からやってきた青年に切々と訴えているのです。


 ちなみに、1k㎡あたりの人口密度は、日本は340人、東京なら5890人。ロシア連邦で8人、ロシア極東地方は1.2人。


 行けども行けども人に出会うことの無い平原や森林の片田舎で、何とかして人生に花を咲かせたいと願う娘の気持ちが歌われているのが、現状を経験した、いまのぼくなら少しわかるような気もしますが、まぁ、なんともエキセントリックな歌詞なのです。


 歌の題名は、「Milenkiy ty moj」(ミレンキー・トゥイ・モイ)訳すと「愛しいあんた」だそうです。


 歌詞を掲載します。衝撃を分かち合いましょう。


 「愛しいあんた、私を遠くに連れてって。

  そこであんたの奥さんになるわ。


  愛しいおまえ、おまえを遠くに連れて行っても

  そこには俺の妻がいるんだよ。



  愛しいあんた、私を遠くに連れてって。

  そこであんたの妹になるわ。


  愛しいおまえ、おまえを遠くに連れて行っても

  そこには俺の妹がいるんだ。



  愛しいあんた、私を遠くへ連れてって。

  そこであんたと赤の他人でもいいよ。


  愛しいおまえ、おまえを遠くに連れて行っても

  赤の他人は俺には必要ないんだよ。」





 ロシアでは誰でも知っている歌だそうです。




 せつなさを超越していますよね。




 狭い日本で、人間関係でくよくよしていることが、なんだか馬鹿らしくすらなりませんか。




 ぼくたちは、どうなったら満足できるのか。






 神に感謝。
Copyright© 2009 Luke8488   

『暖房です』

2009-07-15 17:24:26 | Weblog
 今日のサハリンは朝から激しい雨が降っています。


 夕方になって、風をともなって、その激しさを増しています。


 ホテルで、暖房のスイッチを入れました。


 せっかく上手になった洗濯物が乾かなくて困ります。


 もちろん、ホテルのサービスで洗濯を頼むことも可能なのですが、ワイシャツ類以外は、今回手で洗うと決めていたので、それを最後まで貫き通します。


 妻が用意してくれた液体洗剤は、非常に扱いやすかったのですが、どうやら使い過ぎたらしく、3日でなくなってしまいました。


 飛行機への持込みの関係もあって、液体ものはそんなに持って来れないはずです。(100ml以下だったはず。もしかしたら手荷物だけだったかなぁ、まぁ判ったところでいまさらどうしようもない。)


 もちろんロシアのスーパーマーケットにも液体洗剤が売っているが、見たことのありそうなデザインだったりするが、なんだか微妙で買う気になれない。


 サハリンでは、日本製品が店頭に並んでいるのだが、目玉が飛び出るくらい高い。


 そういえば、日本製品が高くて「目玉が飛び出しそうだった。」という表現をセミナーで使って、通訳もそのまま訳してくれたが、笑いが起きていたので、伝わったらしい。もちろんぼくが、通訳のタイミングにあわせて、大げさにボディーアクションをしたせいもあるかもしれないが。


 今晩は、こんな天候なので外食ができない。


 いつも食べることばかり書いているが、どうしても興味深いのだ。


 今日のランチは、セミナーの会場であるサハリン日本センターが入っているビルの1階にあるフランス資本が経営するカフェに入った。


 トレーを持って、好きなものをチョイスする皆さんご存知のシステムです。


 350ルーブル(日本円で1000円強)で決してリーズナブルではない。


 日本のお店のように選択可能なアイテム数も少ない。


 スープとサラダとメインディッシュとコーヒー。


 メインディッシュは、鶏か豚で、それがライスかじゃがいもをつぶしたもののどちらかにトッピングされる。


 ぼくは、鶏肉が大好きなのだが、どうも見た目では、豚くんのほうがおいしそうに見えたので、迷わず豚肉をチョイスした。


 この豚肉が硬いのなんのって、ナイフで切るというよりも削ぐ、いや、割るという表現が一番適切だね。


 昨日の夕飯にチョイスした「かにのかき揚げ丼」に次ぐバッドチョイスとなった。


 サハリンも、今回の出張も残すところあと三日となった。


 できることを精一杯やることはもちろんのこと


 ここでしか経験できないすべてのことに感謝しながら


 残りの日々を過ごします。





 あ~、ラーメンか鴨南蛮そばみたいなやつが食べたい。(笑)





 神に感謝。
Copyright© 2009 Luke8488

『ものまね』

2009-07-14 15:59:40 | Weblog
 今回、ロシアの人たちに何度か聞かれることがある。


 「日本は、技術力をどうやって高めてきたのか。」


 ぼくは答えます。


 最初は、「マネすること」からはじめたのだと。


 ただし、その「マネ」は、ただの「ものまね」ではなく、日本風にアレンジを加えたものが多く、その中から、マーケットニーズに合わせた独自の技術が養われるようになってきたのだと。


 30分ほどテストのために自習しても良い時間を与えた。


 静かなセミナー室で、急激に湧き上がってきた欲求があった。なぜそんな風な思考になったのか時間の経過したいまでは、理由は明確ではないのだけれど、メモ帳にはしっかり記されている。


 「ネコの鳴き声のものまね。」と。


 すごく静かなセミナー室の中の教壇のようなところに座っていて、「ものまね」というキーワードで湧き上がってきたのが


 いま、ネコの鳴き声のものまねをやってみたい。


 というものだった。


 それもいままでの人生の中で、もっとも上手にできるというわけのわからない確信までついてきたのだ。


 もちろん、実行はされなかった。


 しかし、このシチュエーションで、そんな思考が飛び出してきたことが、なんだかおかしいくて、笑いをかみ殺すのがたいへんだった。


 もちろん、セミナーは、全力投球に近い状態で日々続けているし、モチベーションも下がっていなければ、マンネリも無い。


 気分転換もうまくできているつもりだ。(ビールの量が増えすぎかもしれないけど)

 まあ、元来、いたずら好きな一面が、こんなところで顔をのぞかせたのだろう。


 まじめな中にもユーモアがあって、飽きないような工夫をしているのだけれど、無意識に手詰まりのような感じを抱いているのかもしれない。


 サハリンは涼しい。肌寒いくらいだ。


 東京に戻ったら、ナメクジのようにとろけてしまうかもしれない。


 そろそろ、カッと、汗をかかないと気持ちが悪くなってきた。


 善福寺川でのジョギングがなつかしい。


 なつかしい、なんて大袈裟ですね。





 さて、今晩は、何を食べようか(笑)





 神に感謝。
Copyright© 2009 Luke8488

『樺太です』

2009-07-12 18:02:42 | Weblog
 もうすっかり慣れっこになったが、予想通りロシアの国内線の出発が一時間遅れて、ウラジオストクからユジノサハリンスクに到着した。


 サハリン、そう、むかし日本人が「樺太(からふと)」と呼んで、住み、文化を形成していた地にやってきた。


 街は、札幌のように、碁盤の目状に形成されていて、今の時期は気温は13~14℃。東京の暑さのことを考えれば、秋から初冬のような感覚だといってもよいだろう。


 ホテルは、これまでの2ヶ所に比較すると大変良い。


 日本の人たちもチラホラ見かけるが、旅先でなぜか日本人同士は、あまりコミュニケーションをとらない。昔から不思議に思うのだが、なぜだろう。警戒心の高さの現われか。


 ひとつだけ不都合なことは、インターネットの接続が有料で、二時間1000円くらいのカードを購入して、ワイヤレスLANのアクセスする。(ボリュームディスカウントで八時間で3500円)


 常時接続が当然の日本の感覚では、非常に不便を感じるが、こればかりはいたしかたがない。


 さっき少しだけ散歩をかねて散策をしてきたが、人口12万人くらいの街なので、のんびりした空気が流れている。もちろん夏休み期間ということもあるのだろうが、ショッピングモールに行ったが、混雑というのとは無関係な雰囲気。


 日本製品への憧れは、ここでも高いらしいのだけれど、たとえば家電製品コーナーを見てみると価格で圧倒しているのが韓国製品だったりする。


 日本製品はたしかに高い。たとえば、ボディーシャンプーのポンプタイプの普通サイズが約2000円くらいで販売されている。誰が買うのだろう。


 それもいわゆる消費期限が切れているものも含まれているらしく、なんともとほほほな状況だ。


 おもちゃや自転車は中国製品が、これも価格でシェアを獲得している。


 しかし、つくづく思うのは、まさか自分のブログにロシア滞在記を書くことになろうとは、ということだ。


 「すべてのことには意味がある。」とはまさにこんなときに実感する。


 「普通」と思っている、「あたりまえ」と思ってしまっていることがいかに自己中心であったのかとか


 視野の狭さとか


 いろいろなことを考えさせられている。


 あっという間にこの経験も残すところ一週間となった。


 ここでしか経験できないこと


 ここにいるから考えるさせられること


 時間を大切にしよう。


 ホテルの近くに、大きなロシア正教会の教会がある。


 今日は、日曜日だったので、大勢の人が教会に集まっていた。


 この次の日曜日には、ぼくも「我が家」に帰って


 じっくり、ゆっくり、神さまと向き合うことができる。


 もちろん、いま、このときも同じことなんだけど


 やっぱり、ね。




 神に感謝。
Copyright© 2009 Luke8488

『だってだれも』

2009-07-10 07:08:10 | Weblog
 セミナーが終わると通訳の彼と食事に行くことが多いのだけれど


 ウラジオストクは、彼が現在住んでいる場所なので


 移動は彼の自家用車ということになる。


 ISUZUのBIG HORNが彼の愛車で、運転はほんの少しだけ荒々しい。


 彼は、せっかく来たのだからという気づかいをしてくれるので、食事にはここまで、ハズレが無い。というか、ロシアの料理はおいしい。


 ピロシキは何種類もあるし、サラダも新鮮だし、スープ類にいたっては、注文してから45分もかかって(そのお店では、45分かかるとちゃんと案内もしてくれた)出てくるものがあったりで、だしというかブイヨンというかしっかり作り込んでいるのがわかる。


 ただし、一品の量が多い。


 ぼくは、この出張期間にやせようと思っていたのだが、それどころではない。


 今日は、海岸近くの魚介料理が有名なお店があるエリアにいったのだが、彼は、「魚介類はやめたほうがいい。最近禁猟になっているし、お店で売っているものはほとんど密漁品で、何度冷凍と解凍をくりかえしているのかわからないし、最初に冷凍されるまでどれくらいの時間がかかっているのかもわからないから。便秘を治したいのならおすすめだけど。」


 教会家族の結婚式が近づいている。


 ぼくは、この出張で出席も手伝いもできないので、せめて「キャビア」でも買ってパーティの料理に華だけでも添えようかと思っていたので、魚介類の店にも寄ってもらったが、「キャビア」こそやめたほうがイイのだと言う。


 キャビアは、全世界的にその大元であるチョウザメが禁猟になっていて、現在本物は流通していないのだということだ。


 彼曰く、なんちゃってキャビアで良いのなら、ということだった。


 もちろんそんな話を聞いてしまえば、チョイスできない。


 残念だけれど、あきらめざるを得ない。


 

 街中を車で走っていると、モスクのような形をして、建物のてっぺんのたまねぎが金色に輝いている教会を見かける。


 大体が、まるでどこかのテーマパークにあるミニチュアスケールのように小さく見える。もちろん大規模な教会もあるのだけれど。


 ぼくは、彼に聞いた。


 「あれ、ロシアの教会だよね。あんなに小さい建物で日曜日とかに人が入れないんじゃないの。」


 彼は言う。


 「だってだれも行かないから。」


 冗談ぽく口にした彼だけれど、現実のようだった。


 ロシアは広いので地域性があるかもしれないし、ソ連が崩壊してまだ何年もたっていないのでいろいろと変革の時期かもしれないから正確なことはわからない。


 このウラジオストクの街も70年くらいの歴史しかないのだ。





 ぼくは、朝、十字を切って


 主の祈りを唱えている。




 神に感謝。
Copyright© 2009 Luke8488

『リアクション』

2009-07-09 07:20:19 | Weblog
 10時から11時30分まで一時間半


 15分のコーヒーブレイクをとって


 11時45分から13時まで一時間十五分


 その後一時間のランチタイムをはさんで


 14時から15時30分まで1時間半


 またコーヒーブレイク15分とって


 15時45分から17時まで


 セミナーでぼくが話をしている時間はおよそ5時間半。


 いや違った。随時通訳が入るから五時間半の80%くらいの時間をロシア人40人の前で、プロジェクターから映し出されたロシア語のレジュメのスクリーン前に立って、身振り手振りを交えてパフォーマンスをする。


 これを月~水曜日の三日間連続でやって


 最終日にテーマを与えて40人ひとりひとりにプレゼンテーションをしてもらい、点数をつける。


 そのプレゼンテーションの講評をして

 
 最後に筆記試験をやってもらい、その採点をして、40人×3ヶ所=120名の参加者から20名を選抜して10月に日本に招聘して、訪日研修を実施する。


 これが今回の仕事の内容だったりする。


 テストの採点やら何やらに加えて日本からの仕事の要請もあって、結構ハードな毎日だったりする。


 日本でも、仕事柄、セミナーなどで人前で話すことは少なくない。


 また、勉強のために他の人のセミナーに参加したりもする。


 つまらない顔というのは、たぶん全世界共通だろう。


 今回も一番後ろに座っている年配の女性は、朝から目が睡眠モードに入っているのがわかる。


 飽きさせないように、興味を引くように質問をしたり、日本の現状でおかしなことを話したりすると笑いが起きる。


 いっしょうけんめいメモを取っている人もいる。


 なによりもリアクションでありがたいのが


 「うなずいてもらう。」ということ。


 これも全世界共通かもしれない。


 セミナーに来ている人は、受講態度や成績優秀者が日本に行けるという非常に高いモチベーションで毎日やってくる。


 だから、強烈にアピールをしてくる人もいる。


 しゃべりすぎて、他の人から文句を言われたりもする。


 ぼくはその様子をじっくり見ながら、やっぱり日本の人は、自己主張が弱いというか甘いななどと考えている。


 セミナーのリアクションは、大変良い状況で、「おもしろい」とか「飽きない工夫をしてくれている。」とか「いままでわからなかった問題があっという間に解決した。」などのコメントを残して帰っていく人たちが少なくない。


 もちろんそれすらパフォーマンスで、アピールをしているのかもしれないが、顔を見ていれば社交辞令かどうかは、やっぱりわかる。


 日本の様子もたくさん聞かれる。


 質問はすべて当然のことながらアドリブでの対応になるので、頭の回転も休まることが無い。


 一日の講義が終わると、エネルギーの残が少ないのを実感する。


 よい緊張が心地よいのだけれど


 そろそろ


 ご聖体で、エナジーチャージをしたいな


 などと考えてたりしている。


 持ってきたビジネスバッグのサイドポケットに聖書と典礼が入っていることに気がつく。


 福音は、「タラントンのたとえ」だ。


 これは、たしか、記憶が間違っていなければ「タレント」(才能)の語源だったはずだ。


 さて今日も目の前の人たちのために


 ぼくのタレントを惜しみなく発揮しよう。


 

 そうそう、ロシアの国産ビールはロング缶で70円です。




 神に感謝。
Copyright© 2009 Luke8488

『国際電話なんだよ』

2009-07-06 19:19:19 | Weblog
 ウラジオでのセミナーの初日が無事終了してホテルに戻って自宅に電話をかけた。

 妻は仕事に出かけていてタイミングが合わなかったが


 娘が電話に出た。


 控えめな電話の出かたは相変わらずだけど、電話の相手がぼくであることに気がついた時点で声のトーンが変わった。


 「お~ぉ!」


 お前は外国人か、と突っ込みを入れたいほどだったが、声がよろこんでいるのがわかったのでやめておいた。


 「元気にしてるのか?」と聞くぼくに、娘は開口一番「それが、元気じゃないんだよ。」と言った。


 「そうか、そろそろテストがはじまるから元気じゃないんだろ。」と聞くと、そうじゃないのだと。


 よくよく話を聞くと、授業のバレーボールの時間にがんばりすぎてひざを強打して打撲したのだということだった。その怪我の程度の詳細はわからないが、たぶんたいしたことが無かったのだろう。


 そのあとも、娘は学校であったことやいろいろなことをたくさん話してくれた。


 なんかその話の勢いを聞いてたら、やっぱり心配してくれていて、なんとなく不安なのだろうなと胸が詰まった。


 昔ほど国際電話の料金は高くないし、まあ経費で落とせるのだけれど、そうはいっても限度というものがある。


 でも、すごく話をしてくれていたので


 「国際電話なんだよ。」のひとことを口から出すことをためらったくらいだ。


 ぼくは、日本にいても娘と話をしているほうだと思う。ただし他の家がどうなのかは良く知らないけど(笑)


 電話の最後に娘が言った。


 「おとうさんも元気でがんばってね。」と


 親ばか、いやバカ親でも構わない。


 元気百倍です。


 もう半分の日程が終わろうとしている。





 そういえば


 「いくら」って


 ロシア語だって知ってました?





 神に感謝。
Copyright© 2009 Luke8488


『ウラジオストクで一人』

2009-07-05 20:44:29 | Weblog
 ヤクーツクでのセミナーが無事に終わって


 二番目の目的地ウラジオストクに移動した。


 ヤクーツクは白夜で、大陸性気候で、大自然で、田舎町で


 とにかく伝えようが無いほど広大な、まさに地球のデカさを目の当たりにして感動すら覚えた。


 トナカイの肉、ウサギの肉、ヤギの肉を食べ


 ウォッカの強さを実感し、魚は大体塩づけ味。


 こけもものから作った「モルス」というアセロラドリンクと見た目も味もかなり似ている飲み物が食卓に必ず出てくる。


 地方の年に一度のお祭りにも参加させてもらったが、そこで飲んだ「クヴァス」という黒パンを発酵させた飲み物はいただけなかった。


 ボルシチは、スメタナやマヨネーズを入れるとまろやかになるが、とてもおいしいという印象は無い。


 ヤクーツクに関しては、世界地図で一度確かめて欲しい。北極圏というか、こちらの距離感覚でいうと北極海も手が届くほどだ。


 そういえば、世界最低気温(たしか-72.8℃くらい)を記録したなんとかという地域もそんなに遠くない。


 いまは、子供たちは短い夏を楽しむために3ヶ月の夏休み中だという。うらやましいようだけれど、この期間以外は冬なので、それも-40℃平均の寒さ毎日なので当然の配慮といえる。


 昨日の夜(午前3時発)の飛行機でヤクーツクからハバロフスクまで移動し、トランジットしてここウラジオストクに到着した。


 ハバロフスクの空港で、トランジットの待ち時間が1時間程度の予定だったのだけれど、3時間半待つこととなった。通訳の説明では当初、ウラジオストク空港の天候不良が理由という説明だったのだけれど、どうやら政府のお偉いさんが遅れていたのでその人を待っていたというのが本当の理由のようだ。


 ウラジオストクでの日曜日。


 通訳の彼は、自宅がウラジオなのでいっしょのホテルには宿泊しない。


 ロシアで使う携帯電話は、こんなときに限って理由不明の使用不可。


 さてさて、このはじめての土地でまさに孤立無援状態となった。


 午前中は、昨日の飛行機の移動疲れもあって何もする気が無かったのだけれど、さすがにおなかは減る。


 一人歩きはなるべくしないほうが良いとのアドバイスもあったが、やっぱり好奇心と空腹感には勝てず、ガイドブックを手に一人街に繰り出した。


 「坊主頭の迷彩服と警察官には特に気をつけろ。」といわれていたので微妙に警戒しながら歩いた。


 とにかく何かを食べたい。


 ウラジオの駅の近くにあるらしいイタリアンでピザかパスタを食べようと足を進めるが15分くらいさがしたが、さっぱりわからない。


 しかたないので、サーティーワンでアイスクリームを食べてごまかそうかとも思ったがそれではあまりにもダサい。


 食料品のお店で買い物という選択肢もあるが、なんだかそれでは負けたような気がするのでもう少し歩いた。


 サブウェイのようなサンドイッチのお店らしきものがあったので勢いで入ってみた。


 そうそうこっちは外見では何のお店かほとんど見当がつかないし、ガラス越しにお店の中が見えずらい。


 入ったお店は予想通りサブウェイタイプのお店だった。少しの英語と身振り手振りでハム中心のハーフサイズのサンドイッチとボルシチ、そしてたぶん紅茶かコーヒーのチョイスを聞かれたのだろうが、「コカコーラ」と言ったら不思議そうな顔をしてた。


 このセットで日本円で約600円。一息ついたところで街の探索をスタートした。

 ウラジオは港町で、軍艦が港に停泊いていた。潜水艦博物館は、潜水艦自体が建物になっていて、艦内が見学できるようになっているらしいが一人で入るのはちょっとリスキーかもしれないのでやめておいた。


 二時間ほどブラブラしたが危険な目にあうこともなくホテルに戻り、受講生のテストの採点や日本の仕事をこなして気が付くと午後の八時を過ぎていた。


 ここの午後八時の明るさは、日本の夕方4時半くらいの明るさでどんどん暗くなっていく。


 さすがに暗い夜の一人歩きは危険すぎるので明るいうちに夕食に出かけた。


 「七人の侍」というお寿司をメインにした日本食レストランがホテルから歩いて3分くらいのところにある。まあ値段も悪くは無さそうなので行ってみることにした。


 ぼくの中では、海外で日本食というのは邪道だったのだが、ロケーション優先で仕方なく入った。


 軍艦巻き4個、サーモン、ホタテ、ひらめ?、はまちのにぎりとムール貝みたいな貝と豆腐の入ったお味噌汁がセットだった。


 しょうゆはキッコーマン。


 ビールのつまみは、芝えび?のてりやき串(4尾)


 はずかしいようだけれど、たいへん美味しく感じた。


 帰るころには路上に酒に酔った人たちがたくさんいて少しどきどきしたけれど、いまこうしてブログを書いている。


 さて、明日からはまたセミナーがはじまる。


 また、更新します。


 最後にどうしても書きたかった一言を書きましょう。




 「ロシアより愛をこめて。」




 
 あ~それから日本より2時間早く地球を生きています。




 神に感謝。
Copyright© 2009 Luke8488