カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『それ却下です』

2008-01-30 23:29:06 | Weblog
 帰りの電車の中で


 聞き耳を立てていたわけではないのだが


 聞きなれない響きの言葉って


 いやおう無しに


 「オイ、それ聞いたこと無いぞ、理解しなきゃいけないんじゃないか。」


 ってな感じで


 アンテナにひっかかる。


 その聞きなれない言葉は


 妙に連発されるその言葉は




 「むさこ」




 どうやら


 「むさこまで行って」とか「むさこで乗り換えて」って使ってるんで


 地名なのだろうと。


 しかし「むさこ」などという地名は聞いたことが無い。日本、いや、世界のどこかに存在するのかもしれないが、少なくともぼくは知らないな。


 などと思っているうちに


 答えが突然降って来た。


 そう


 例えば、下北沢のこと


 「シモキタ」って言ったり


 吉祥寺のこと


 「ジョージ」(発音注意)って言ったり


 高円寺のこと


 「エンジ」って、いや、これは言わないわ。


 みたいな地名の短縮形だった。


 「むさこ」って聞いて


 どこの短縮形だとイメージします?


 彼らは


 「武蔵小金井」のことを


 そう呼んでいた。


 なるほどねと思いながらも


 同時に気持ち悪さも沸き上がってきた。


 だって


 武蔵小山だって


 武蔵小杉だって


 「むさこ」じゃん。


 はい、


 『それ却下です』


 ぼくは自分の中で消化する。


 まったく


 「何やってんだか」なのだけれど。


 「むさこ」って


 むさくるしいこのおっさん


 の短縮形じゃ無いよね。


 くだらなすぎ。





 神に感謝。
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『666』

2008-01-29 08:44:14 | Weblog
 オーメン


 6月6日午前6時に誕生した悪魔の子ダミアンを巡る物語。


 頭部に新約聖書のヨハネの黙示録で獣の数字とされる「666」のアザを持つという設定だった。


 ヨハネの黙示録13章18節にあらわれる第二の獣に従うものに押された「666」という数字。


 ヨハネの黙示録つながりで、16章16節にあらわれる「ハルマゲドン」という言葉も、本来「メギドの丘」という意味なのいだそうだ。メギドは北イスラエルの地名。


 イメージというか


 映画のプロモーションなのか


 真実を知らないから


 言葉だけが全然違う姿になって、独り歩きしていることって少なくない。


 実は今日はめんどくさいこと書きたかったんじゃなくって


 たまたま666回目の文章になったので


 なんとなく


 悪魔の数字みたいなイメージをしている自分がいて


 なんか微妙にどうしようか思いをめぐらしているのが気持ち悪かったので


 ちょっと無理やり


 聖書と


 結びつけちゃいました。



 たまにゃあこんなのもイイでしょう。



 ここに至ってもまだなんか気持ち悪いそのままってことで。






 神に感謝。
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『選択の自由すら』

2008-01-28 23:38:40 | Weblog
 「洗礼を受けること」


 この判断というか、決心というか、踏ん切りというか


 迷ったり、悩んだりすることが


 実は


 あなた個人が


 人間が何とかできることじゃないのですよ


 という


 そのヒミツに気がつくというか


 「あ~やっぱりそうだったんだ~。」って薄々感じたり、理解はできないのだけれど「こういうことだったんだね。」って腑に落ちるのは


 また人それぞれで


 なんだか半信半疑というか


 わかったんだか、わかってないんだか


 微妙でイイと思う。


 最近よく相談を受けたり、思い悩んでる場面に出くわす。


 ぼくは少し前だったら


 いっしょうけんめいに手を引いて、肩をそっと押してあげるような、もちろん直接的な行動ではないアシストみたいなことを必死にやろうとしていた。


 それはそれで間違っていたとか、余計なお世話だったとか、そんな事は一切思ってはいない。


 が、


 いまはちょっと違う感覚になっている。


 「今回、洗礼は見送ろうと思うんです。」って言われたら


 さすがに「そうか、よかったね。」とまでは言わないが


 「あ~あ、残念。せっかくここまで来たのに。」などとは決して思わない。


 できれば、何とかしてあげたいっていうのとも違うというか


 それこそチカラが足りないとかはおこがましいし


 かといってそこには第三者的な、傍観者的なそんな感覚など一切無く


 目の前にいる悩んでいる人と真剣に向き合えば、向き合うほど


 「そうかぁ、そうなんだね。」って


 冷たいとかそういうんじゃなくって


 気負いというか、肩の力が抜けてる


 このぼくの有り様そのものを見てというか


 それすら良いのか悪いのか


 ただの自己満足なのかは定かではないが


 なんだろうなぁ


 「いつもあなたのこと気にしてるよ、見てるんだよ。」って伝えたい。


 それがぼくという媒体を通して


 「信じること」をはじめることができた人間を通して


 神さまがなさっていることの


 何の掛け値も無い


 リアルだってことを


 純粋に


 ぼくの思いすら関係なく


 ただただ伝えたい。


 だから出合った人、言葉を交わした人すべてが


 すでに


 どれほど回り道をしたとしても


 洗礼のお恵みに


 必ず導かれると


 信じている。


 ぼくには


 そう信じることができる。


 そう信じることしか


 できない。





 神に感謝。
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『ぷ~かぷか』

2008-01-26 11:00:16 | Weblog
 今月二度目の徹夜。


 妻に「なんでそんなに忙しいの?」と聞かれるが


 いままでの何年間がユル過ぎただけなのだ。


 しかし、向き合っていることが楽しいのだからこんなにしあわせなこともないだろう。


 自由になる時間が、極端に減っている。


 一日分のブログを書き上げるのに五日ぐらいかかってたりもする。


 なんか継ぎはぎで気持ち悪かったりするが


 その継ぎはぎさが


 またリアルとして刻まれてるんだろう。


 「がんばる」ということばはあまり好きではないが


 長い人生の中で


 いっしょうけんめいになる時って


 やっぱり


 やってくる。


 二度と同じ波が来ないのと一緒で


 大きかったり


 小さかったり


 海なのに鏡みたいに静かだったり。


 その波にもまれたり


 身を任せたり


 砂浜に打ち上げられたり


 遥か沖まで流されたり


 それこそ


 波に乗ったり


 乗れなかったり。


 「よし、いい波が来た。」と思って必死にパドリングしてテイクオフしようと思ったら波の勢いがなくなって残念。沖に目をやると「あちゃ~、一本待ってたらすっごくいい波だったんだよ~。」って後悔したり。


 でも圧倒的な自然の営みの前に


 抵抗しても


 どうしようもなくって


 笑いがこみ上げてきたりする。


 なんか必死になってた自分が愛おしくなったりする。


 そうだった。波乗りに頻繁に行けてた頃は


 サーフボードに跨って、海に浮かんでるだけでしあわせいっぱいだった。


 自然は


 神さまそのものだから。そんな風に気負うことなく感じたから。


 だから


 いまは


 ちょっとだけ


 そう


 限りある人生の中で


 これが


 ありのままなのだろう。






 神に感謝。
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『たいしたことじゃない』

2008-01-24 23:56:30 | Weblog
 朝、薄ぼんやりとしながら


 娘が出かける様子を


 声や音で聞いている。


 ほんのちょっと起き上がって


 「うい~す。気をつけてね。」


 と言えればよいのだが


 そのアクションが起こせないのが現状。


 あれだけ早起きだったぼくの体内時計は


 完全に夜型にシフトしてしまったようだ。


 なんか気がつくと典型的な「すれ違い」状況になっていて


 三日、四日くらい話しをしないこともある。


 妻は、ぼくがどれだけ遅く帰っても、どれだけ自分が仕事で疲れていようと、必ず起きてきてくれる。ごはんの用意をしてくれる。ありがたいことです。申し訳ないと思う。


 大体最近は夕飯を食べるのが午前一時過ぎ、お風呂に入って、「さて、寝よう」と思うのが午前二時半ごろか。


 朝はちょっとゆっくりで七時半過ぎに起きる。そう、娘が学校に「いってきま~す。」って声で本格的に起きるって感じ。


 妻には娘の様子を聞くが、顔を見て話しをしなければわからないこともある。もちろん、そうしたところでどれだけのことがわかるのかということだが、自分の娘のことを一日でも気にかけないことは無い。親バカだ。


 ぼくは子供の頃、あまりベタベタされなかった。一人っ子だった。表面上はそんな風には思えなかっただけで、とんでもなく甘やかされていたと思う。


 たまには


 早く帰ろうかね。


 何を話すってわけでもないのだけれど。






 神に感謝。
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『雪に想う』

2008-01-23 23:50:11 | Weblog
 ぼくの生まれたところは北国ではないのだが


 冬になると


 雪がよく降った。


 小学生の頃には


 ほんとに頻繁に膝くらいまで雪が積もったものだ。


 雪の降る様子を


 「しんしんと降り積もる」などというが


 静かな田舎では


 ほんとうに「しんしん」と降ったのだ。


 自動車のタイヤにはチェーンが巻かれ


 サンタクロースの乗ったそりのような音を出しながら


 しゃんしゃん、しゃんしゃん走っていた。


 小学校の授業中に雪が降ってきたりしたら


 もう、ウキウキ、ワクワクで授業どころじゃぁなかった。


 休み時間を待ちきれずに、だだっ広い校庭に飛び出していったものだ。


 ダウンジャケットや防水加工の施された手袋なんて存在してなかったから相当寒かったはずだ。


 雪合戦のために雪をにぎっていると手袋はビショビショに濡れた。


 クツだってビショビショだった。


 そういえば


 小学校二年生くらいまでいわゆる「だるまストーブ」ってやつが教室には置いてあって、薪だったか練炭だったかを用務員のおじさんが各教室をまわって補充していた。


 小学校3年生のときに新しい校舎が建ったが、やっぱりストーブはだるまタイプで、熱源が石油になり、電気でスイッチを入れられるようになったので、用務員のおじさんの負担が減った。でも石油当番は毎日おじさんのところにタンクを持って石油をもらいにいってた。いまではありえないことだろう。


 校庭にはジャンプ台と呼ばれる雪を集めた斜面があって、プラスチック製のミニスキーという長さが30~40センチくらいの遊び道具があって、暗くなるまで、そのジャンプ台でみんなで遊んでいた。


 そのプラスチックでできたミニスキーは、ジャンプなどをくりかえしたり、着地の衝撃を上手に緩和しないと、パキッと真っ二つに折れてしまうものだった。


 それが折れてしまうともう滑れないし、遊べない。みんなバシバシ遊んでいるのに大変つまらない思いをする。ここがまた子供ごころには微妙なところで、ジャンプのまねごとで距離などを競っているからみんなより少しでも跳んでみたい。しかしスピード出して強く踏み切ってってするとパキッてことになっちゃう。


 何でこんなこと思い出したのだろう。


 その当時は、そのミニスキーをはいたまま残雪の残るところばかりを選んで、普通の自動車も通る道を転びながら、ふざけながら家まで帰ったものだ。おおらかだったというか、悪ガキの典型だったからね。いまだったら絶対ありえないね。大問題みたいな。


 今日の雪にはそんなワクワク感なんて何も無い。


 「寒くて嫌だなぁ。電車とか止まっちゃったりしないのかなぁ。自転車で駅まで行けるのかなぁ。」


 ロマンスもノスタルジーもあったものではない。


 まあでもこんな風に思い出せる過去があるって事に感謝しなきゃいけないんだろうなとも思う。


 もう35年も前のことかぁ。


 あと35年後に今日という日のこと思い出すのかなぁ。



 雪ってキーワードや



 気候の変化、四季の移ろいに


 いろいろ思える余裕があるのかなぁ。


 



 神に感謝。
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『脂ギッシュ』

2008-01-22 08:54:29 | Weblog
 毎日、ひげを剃る。



 意識的に伸ばしている部分以外は



 休日以外



 ほぼ毎日。



 身だしなみであるが



 比較的ひげが濃いほうなので



 二日も剃らなければ



 ひと昔前の漫画に出てくる



 ドロボウみたいになる。



 中学頃からかなあ



 電気のシェーバー試したり



 毛抜きで抜いたり



 いちばんスッキリするのは



 「切れてな~い」ってCMみたいなカミソリで



 お風呂に入ったときに



 シェービングクリームのお手伝いをいただいて



 ジョリジョリなんです。



 体調が悪かったり、不規則な生活してたりすると



 いわゆる「カミソリ負け」をして



 皮膚が赤くなってしまったりする。



 最近、お顔のスキンケアで



 ひげそり後や洗顔後に



 スキンローションを使っている。



 ヒアルロン酸配合ってやつを。一応メンズのタイプ。



 これが思わぬ効果を発揮しているのだ。



 使用開始前と比べて間違いなく



 顔がテカらない。



 夕方になっても



 脂ギッシュな顔になってない。



 保湿効果か何か証明はできないが



 明らかに違う。



 いやいや



 待てよ



 いま気が付いたのだが



 もしかしたら



 歳とってきて



 単純に



 カサカサに



 なってきただけかもしれない。



 ま、どっちでもいいんですけどね。



 歳のことネタにするようになっちゃた。






 神に感謝。
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『心から「ようこそ」』

2008-01-21 08:21:57 | Weblog
 「今日はじめての方いらっしゃいますね。」



 神父様のそのひとことで



 いつものように



 入門講座がはじまります。



 神父様がギターを弾きます



 「ポロ~ン♪」



 お祈りが歌となって



 部屋に響きます



 「さあ、ごいっしょに」



 テゼの祈りですね



 覚えやすいメロディーと



 繰り返し歌いやすい



 祈りのことば



 入門講座です



 何年か前までは



 「入門」という響きが



 何となく「重いのかな」



 などと思う時期もあったけれど



 いまでは



 逆に



 それ以外の表現は



 難しいと思う



 だから



 心から



 「ようこそ」



 と思う



 素直に



 そう言える。






 神に感謝。
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『朝の庭』

2008-01-18 08:17:26 | Weblog
 「ほら、見て見て、庭の木の枝に鳥が来てるよ。」



 寒い朝



 ベッドから起き上がった勢いそのままで



 ソファーにちょこんと、いや、どすんと腰をおろし



 スイジョウキでけむる窓の外に目をやると



 いつのまにか、すっかりスカスカになっていた庭の木の枝に



 見たことのない鳥が



 「もこっ」と



 とまっていた。



 枝に残った葉っぱは、音こそ聞こえないが、風の強さを伝えている。



 小刻みにふるえてて。



 おまけに



 最近この庭を我が物顔で闊歩する



 黒猫くんまで登場した。



 もちろん鳥さんも黒猫くんも



 ぼくがここから



 寝ぼけまなこで



 ただただじ~っと



 ながめているのには気がつかない。



 鳥さんと黒猫くんも、お互いの存在を知ってか知らずか



 干渉しあうこともない。



 鳥さんが木の上ですこしだけ「ブルって」ふるえたときに



 黒猫くんの耳が「ぴくぴくっ」てかすかに動いた気がしただけ。



 こんな



 朝の



 そう、こんな一日のはじまりって



 なんか



 イイじゃん。



 コーヒーメーカーのオレンジ色のパイロットランプを



 「パチッ」と押した。







 神に感謝。
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『ほんとに些細なこと』

2008-01-17 08:32:52 | Weblog
 さむいさむい



 こんな時期に



 「お風呂に入ってあたたまりなさい。」のやさしさを



 ベースが全く同じなこのやさしさを




 「お~い、今日のおふろはいつもにましてぽっかぽかだよ~、芯からあたたまるよ~、はやく入っちゃいなさい。」って言うのと





 「早く入らないとお湯が冷めてもったいないでしょ。早く入っちゃいなさい。」って言うのは





 その言葉を耳にして、次の行動を起こす人の心理に少なからず影響を及ぼしているのだ。気がつく人は意外と少ない。



 ほんとに些細なことで



 「あたたまって、リラックスして、さっぱりできそうだから」って前向きな行動を後押しするのか



 「もったいないのか。じゃあしょうがないな。なんかめんどくさいけど。」って制約という縛りのなかで義務的に感じさせて行動を促すのか



 表現の上手い下手はたしかにあるし、その発言をするまでのプロセスだって無視できない



 でも気持ちが伝わらなかったり



 真意が伝わらなかったり




 これも大きな問題だし、お互いにがっかりの素だったりするんだけど 




 もっともっと困っちゃうのは




 知らず知らずのうちに




 相手も気づかないうちに




 ミスリードしてしまうこと。




 ちょっとした気づかい




 ちょっと一呼吸おく余裕




 ほんの些細なこと




 その刹那に




 ほんとの気持ちが伝わるような気がする。




 何かをうながすときのコツを書き留めておこう




 それは




 そのことをやった未来の姿をイメージさせてあげるように伝えること。




 もちろんポジティブなイメージでね。




 ほんとにいつもやさしい人は




 それが自然にできているのだと思う。




 うらやましい。








 神に感謝。
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『ほとんどのことが突然』

2008-01-16 22:03:47 | Weblog
 朝の情報番組で娘さんを交通事故で亡くした芸能人のことを取り上げていた。


 44歳の時に10歳11ヶ月の娘さんに先立たれた。


 その事故から一年が経過したということだった。


 仕事でインタビューを受けていても100%その仕事に向き合えないのだという。仕事だからと思うのだが95%で受け答えをしていて5%は娘さんのことを考えているのだと。


 事故の様子もあらためて紹介されていたが、ここでは書く気にもなれないほどお気の毒な状況だった。


 ぼくは自分の娘のことを思い出して動悸が激しくなった。


 「ちゃんと学校にたどり着いて、ちゃんと帰ってくることができるのだろうか。」と。


 それこそ心配し始めたらキリがないことはわかっているが、何の保証もない現実もそこには厳然と存在している。


 今回、話しの入り口として「自分のこどもが・・・」でビンビンと響いてきたのだけれど娘のことだけではない


 妻も母も、知り合いの人たちすべてが同じ状況だったりするのだ。



 かといっていつも何するにも心配していたら



 身もココロもお金もいくらあってもキリがない。



 ましてやどれだけケアやガードしたところで



 絶対ありえないところに車が飛び込んできたり



 神経質なほどにカラダを鍛え、酒もたばこもやらない人が、まさかあの人がっていう人がとっても重い病を患ったりする。



 だから、どうでもイイから好きなことやって破滅的思考で生きていけばイイのかどうか。



 何度も書くが、ぼくの父は、膀胱がんの術後の経過が悪く、大好きだった食べることに復帰できないまま、最後はくちびるに水を含ませたガーゼをあてがってあげることしかできないまま心臓の鼓動を止めた。



 ぼくはこの時まだ教会とも出合ってなくって



 「そうだよ、そうなんだよ。人生なんてこんなものさ。主治医の先生だって大丈夫だって言ったんだけど、おやじも手術室に向かう時にハッキリした声で、いつもと変わらず「じゃあ、行って来るから。」ってぼくに声をかけてたのに、あっけなく、ホントにあっけなく死んじゃったじゃん。だから、人生好きなもの食べて、好きなことやって生きたほうが得なんじゃん。」って



 そんな風にしてやり過ごそうとした時期もあった。



 そんなこんなプロセスを思い出して



 ちょっと涙ぐんでいるが



 普通にっていうか、ありのままが、ことがどれだけ恵まれてるかってことに



 神さまに守られてるのかということに



 気がつく。



 人間には選択できる自由が与えられている。



 もしかしたらそれすら自由に与えられえていない人もいるのかもしれない。



 いまというときをたいせつにしようと思う。



 「欲張るな」と思う。



 欲張ってもいいんだろうけどね。



 そんなことすら



 こんな風に思うことすら



 すべて用意されているってこと



 でも未来は誰にもわからない。



 だから人生は捨てたもんじゃないよね。






 神に感謝。
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『所ジョージさん』

2008-01-14 16:19:35 | Weblog
 このところ彼の発言が愉快でしかたがない。


 なんか「極めてる感」が爽快なのだ。


 前から突き抜けてたんだと思うんだけど


 このところやることなすことすべてがツボ。


 昨日の夜も痛快だった。


 「もし生まれ変われるんだったら、何になりたいですか?」って質問に


 回答を「拒否!」とした。


 その拒否理由が


 「もし生まれ変われるってことを認めるとしたら、結局何度も生まれ変われるってことになっちゃうんだから何でもありっつ~か、何度でもその都度好きなものに生まれ変われるってことになっちゃうじゃん。だから意味が無い。」


 かなり鋭いなと思う。


 「給料が銀行振込みになってから、父親の威厳が無くなったって言って嘆いてるのもヘンで、その代わりになるもの持って帰ったり、実行すればイイだけのこと。楽して威張ろうとしてる考えが嫌だ。「お父さんは楽しい何かをを持って帰ってくるとか」「これに関してはおとうさんだよね」って演出をすればイイだけのこと。」


 かなりイイ切れ味だと思う。



 いいかげんぶってるけど



 無責任を装ってるけど



 けっこう問題提起なんかもしていて



 仕事だか趣味だか



 そんなボーダーラインを感じさせないし



 やっぱりいっしょうけんめい稼いできたから



 余裕なんかあったりして



 やんちゃ坊主が



 大人になりかけてるみたいな



 なんともうらやましい状態というか。



 とにかく



 突き詰めて



 スッコーンって



 突き抜けてるのが



 気持ちがイイのです。



 一足飛びにそこにいけないことはわかっている



 わかってるのさ。





 「すっごいですね~。」

 



 お後がよろしいようで。






 神に感謝。
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『飛び起きた』

2008-01-13 14:00:33 | Weblog
 めざましもなにも鳴らない日曜日の朝。



 ハッとして、急にゾクゾクして



 ベッドから飛び起きた。



 ダイニングテーブルの上においたメガネをかけて時計を見る。



 時計の針は7時を大きく大きく回り



 すでに20分に近づこうとしている。



 間違いであって欲しいと思いながらも



 飛び起きた次点で



 実は確信している。



 7時30分からの朝ミサの侍者当番。



 歯を磨き、顔を洗いとにかく手当たり次第に身支度をして



 玄関を飛び出す。



 今日に限ってやけに冷たい強い向かい風だ。



 吐きそうになりながら必死にペダルをこぐ。



 車の通りの激しい通りも渡らなければならない。



 



 香部屋で息を整えながら、気持ちも落ち着ける。



 2分前



 そして



 朝のごミサがはじまった。



 ぎりぎり



 セーフ。






 神に感謝。
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『徹夜のあと』

2008-01-12 12:31:34 | Weblog
 企画書を練り上げ、あるレベルに仕上げたくて木曜日に久しぶりに完全に徹夜をした。


 一睡もしなかったのは久しぶりかもしれない。


 めちゃめちゃ納期に迫られていたわけではないのだが、深く掘り下げるというか、僕の場合は、煮詰まった後に「ひらめきのとき」が訪れることが多いので、集中したいと選択肢が限られてしまう。


 正直、飲んでいるときもそうなのだが、「夜間体力」の低下が著しい。


 「昔は・・・」「若い頃は・・・」などと書くことには抵抗があるが、無駄な抵抗である事も理解しているというか厳然たる事実なのでしょうがないが、


 このところ8年間ぐらい楽をしてしまったというか、努力を怠ったというか、アタマの使い方を誤っていたというか、


 もっとシンプルに言えば、周りが見えてなかったというか。


 教会に出会って人生のベクトルが変わって


 去年の転職で仕事における眠りから覚めた。


 たぶん自分では勝手に「空白の8年間」などと位置づけているが、出会いとか成功とか失敗とかといういわゆる経験値は間違いなく上がって、いや身に付くものなので、空白などということはありえない。


 人間的、あるいは精神的な変化、成長もあるはずだし。


 まぁややっこしいことは抜きにして


 単純にこのところ肉体の衰えを感じる。


 様々な刺激にアタマは対応しようとして興奮状態


 知らない事柄にチャレンジし、勉強し、吸収するモードに突入しているのだけれど


 カラダが手抜きをすすめる。


 それこそ徹夜などしようものなら、逆にしなかったほうが良かったくらいに反動が厳しい。それでもいまは、それを承知で走っていたいのだ。


 もちろんある程度の大人ですからメリハリは大事にしてます。焦りはない。


 結局自分自身に余裕がなくなっているのが


 おもしろいのだが


 歯がゆくもある。


 いまは、この「歯がゆい」を打ち消そうとして無理しちゃあいけない気がする。


 なんだかできないことへのいいわけみたいだけど


 それもこれも自分だし。


 そしてほんの少しだけ時が経てば


 チカラがみなぎり


 余力がほんの少しだけでてくることもわかっている。


 過度な期待ではなく、小さな希望がある。


 ぼくらは守られている。


 だから安心していてイイ。


 「無理をしちゃった」って思うか


 「まだこんな風に考えて、なおかつ動けるじゃん」って思うか


 その行為こそ、その考えこそ


 実は余力ってことなのだろう。


 「最近忙しいみたいだね。」と教会の仲間に言われることがある。


 ちょっと痛いところをつかれたような気がして


 「教会のことについて優先順位下がってますよ」って言われたような気がして


 ネガティブに捕らえてしまって


 凹んだりする。


 「自分はそんな程度じゃないから」みたいな。


 それが


 驕りという名の


 呪縛なのでしょうか。


 ちょっとだけ


 なんとなく


 ストレスたまってるのかなぁ。


 あたたかいお風呂につかりたい。


 静かなお聖堂で目を閉じてただ座っていたい。


 そんなことを思った徹夜のあと。






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『おとうさんウザい』

2008-01-09 08:16:05 | Weblog
 娘が突然こんなことを聞いてきた。



 「ねえねえ、もしもさあ



  『おとうさんウザい』って言われちゃったらどうする?」



 なかなかおもしろいことを聞くものだ。



 瞬間的に4パターンくらい答えを思い浮かべたが



 先ず最初に選択したのがこんな答えだった。



 「う~ん、そうだなあ、ウザいことにちゃんとした理由が無ければ、叩きのめす。」



 娘がこの手のバイオレンスチックな反応は嫌いなのを重々承知でことばを投げつけてみる。



 案の定「そんなことしたら児童虐待で訴えるから。」と切り返してくる。



 自分から「もしも」という設定で会話をはじめたのに自分に不利益な状況については敏感に反応する。ただし本人もぼくがそんな事をしないということは微妙に理解しているのだから、キツネとタヌキの化かしあいのようなへんてこりんな会話である。



 「っていうかさあ、そんなこと言われないと思ってるよ。そんな風に育ててないし。」



 ちょっと上から目線で押さえ込みにかかる。



 娘はまだ引き下がらない。



 「でもさあ、もしもずっと出世しなかったりとかさァ。ダサダサだったりしてさぁ・・・」



 「そりゃあ、ありえないじゃん。」



 「あぁ、そっかぁ。」



 もうちょっとこのネタで遊びたかったのだけれど、ぼくのチカラ技が早めに炸裂してしまったのであっけなく幕が降りてしまった。



 なにか不安なことでもあるのだろうかと心配になるところもあるが、いまのところはSOS的な香りはあまりしていないと思うが、もしかしたらぼくの仕事のことが心配なのかもしれない。



 心理学的に言うと、まさに「子は親の鏡」ということ。



 ずいぶん前にも書いたが、例えば夫婦の仲が悪いとその間にいるこどもが体調を崩したり、道化師になったり、悪いことをしでかして話題を変えようとしたり、ときには仲介者になったり、すごく良い子を演じたり。



 まあいまのところはそんな環境でもないと思うので、(勝手に思ってるだけかも)だいじょうぶだと思うが。



 こどもは成長する。そのスピードは速い。



 親は徐々にスキルアップする。そのスピードは緩やかかもしれない。



 まあとにかく話しをしよう。



 かけがえのない大切な存在、ひとつの独立した人格であることを尊重して行こう。



 おとうさんもおかあさんも



 あなとのことが



 だいすきだから。




 ずっとね。






 神に感謝。
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