カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『受け皿』

2006-10-04 13:26:09 | Weblog
 最近のお説教で教会学校の「中高生会」の部屋での話があった。




 「集まってるけど、何もしない。」




 「とにかく何もしない。けど集まってる。」




 高円寺教会は赤ちゃんからご老人に至るまで様々なコミュニティー、組織が存在し、有機的にリンクしあいながら活発に活動をしている。




 たとえ「何もしない」状態でも、集まって「何もしない」活動をしている。これまさに教会。




 それぞれの場所で世代交代を繰り返している。




 このところ教会学校で言うところの「リーダー世代」(18歳~30歳くらい)で成人洗礼を受け教会の新しい仲間になる人も多くなってきている。




 みんな様々な不安を抱えて、ストレスの中生きてきて、親のリストラなどを目の当たりにして先行き不安感が更に加速したりして。不自由も無いけど満たされもしないみたいな感じ。




 つい先日、そんな世代の人に話しかけた。たまにしか教会で見かけないからってのもあって。



 
 「いっしょに何かやろうよ。教会学校のリーダーなんかもイイんじゃない。」




 「あんな風にできないですよ。普通。」



 
 「凄過ぎて入り込めないというか、ついて行く自身が無いです。」




 なるほどなぁ、と思った。




 「何かやろうよ。」ってのは、やっぱり違ったのかな。




 たしかに今バリバリに教会で動いてる青年たちは




 たたき上げというか生え抜きというか




 「職人芸の域」ですよ。



 
 精神的にも。すごいよ、たしかに。




 頼もしい。




 18歳から30歳くらいまでは、とりあえず「義務教育」的な束縛から解放されてやりたい放題、し放題。イケイケどんどんの時期だ。ぼくもそうだった。



 
 そんな時に「奉仕活動しませんか。」などと言っても無理っちゃぁ無理か。




 断り方も上手だしね。




 でも、だからこそ




 「何にもしなくてイイ場所」がホントは必要なんじゃないかな。




 それでも教会にいる。みたいな。




 ガッツリやる人、そうじゃない人。




 かといってその対象年齢の人が集まってると何か頼まれちゃうんだよね~。




 だからみんなの理解の上で




 『受け皿』を。




 それと同じユルイコンセプトではじまった30歳以上50歳未満の息抜きの場所。




 しぶとく続いてますよ。




 立ち位置が曖昧だったりして、いろいろみなさん思うところもあるでしょうが




 続いています。ガッツリやりたい人、やりたくない人。




 それでイイんです。




 だって




 神様がはじめたことだから。




 今度の土曜日午後7:30ごろ乾杯になります。よろしければ是非。




 土曜日の10:00からの入門講座も今週開催されます。



 
 マジで聞きに来たほうがイイですよ。




 本物ですよ。本物。







 神に感謝。
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