カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『年度末』

2006-03-31 10:52:02 | Weblog
 会社や公官庁における『年度末』は一年で言うところの「大晦日」みたいなものだ。


 今年は偶然というか周期的に3月31日が金曜日であるので、何と言おうか区切りがつきやすい感じがある。


 そのかわりと言っては何だけど4月1日が当然土曜日になって、新年度の始まりが4月3日の月曜日になる。


 まあ会社それぞれ決算期は異なるのでみんながみんなこんなことは考えないでしょうけど。


 田舎の学校も昔はこんなリズムじゃなかったかなあ。


 4月1日は入学式みたいな。


 企業にいると今日と来週の月曜日と何かがセレモニーとともに劇的に開幕するということもないのでなんという事も無いのだけれど、とりあえず。



 「とりあえず」で思い出したが


 居酒屋とか食堂とかに行って「とりあえずビール!」


 などと何も考えずにたのんでいた日々がなつかしい。

 
 
 
 あとそれから「開幕」で思い出したが


 プロ野球も「開幕」中だ。


 球場で飲む生ビールが、これまた美味いんだよね~。




 「食道楽(くいどうらく)」とは、よく言ったものだ。


 「食事を摂る」「食卓を囲む」というのも生活の中でいかに重要な位置にあるのか、ある意味、起点であり、潤滑油をチャージしたり、リセット・リフレッシュする場であって、アクセントになっていたのだと実感している。


 肉体的にハングリーになって、目がギラギラして、感覚が研ぎ澄まされて

 って感じにはおよそ見えない。


 なんだかキレの無い文章をダラダラ書いてしまっているので「空腹」ネタは、これにて終了。


 『年度末』だし。


 あと二日だし。




 明日の土曜日は「入門講座」最終日です。

 
 仕事で参加できませんが、導かれ、一歩足を踏み出して集まって来られたみなさん、携わったみなさん、お疲れ様でした。

 復活徹夜祭には祭壇に近い前の席に溢れんばかりの人が並び、洗礼のお恵みを受けて、眩いばかりに輝いた顔とロウソクの明かりで、

 聖堂は希望の光が満ち溢れることでしょう。




 う~ん


 
 ラーメン食べたい。


 って、結局そこかよ。支離滅裂



 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488

『天使の「さくら」』

2006-03-30 11:02:08 | Weblog
 春休みを満喫している我が家の天使(娘)ちゃんは創作活動に余念が無い。


 もう少し他にチカラを注いでほしいのだが、まあ、何にせよ興味を持ってクリエイティビティになっているのだから良しとしよう。


 「自分のブログにアップしてみれば」と勧めるのだがどうもはずかしいようだ。


 でもな~んとなく人の意見も聞いてみたいのだろう。


 「じゃあパパのブログに載せちゃってもイイ?」と聞くと


 「い・い・けど~」と不機嫌を装いながら作品ファイルを差し出してくるのだから。


 いくつかあるなかからluke8488セレクションしましょう。


 

 「さくら」

 
 「さくらが舞い散るころ

  私は、かなしくなる。

  また、さくらは咲き、そして散っていく。

  そんな運命(さだめ)だとわかっていても

  やはり咲き誇る。



  人間は、すねるだけで

  いっしょうけんめい輝こうとする人たちが

  少なくなりつつあるのかも。

  咲き誇ろうとしないのかもしれない。

  「どうせ散るんだ、今そんなに咲いても苦しいだけだ。」と

  悪い方へ悪い方へと行ってしまう。


  本当にそうなのかな。

  咲き誇って輝くのってムダなのかな。

  いっしょうけんめい生きて、誇りをもって

  悔いもなく散っていくさくらのどこがムダなのかな。

  
  そんなにあーだ、こーだ言ってるんだったら

  がんばって幸せに散っていけるさくらになればいいのに。


  花びらの一枚一枚の命

  「散ったら踏みつけられておしまいさ。」とすねてる人は言う。


  そんなことない。

  「このさくらキレイだったなあ。」って思ってもらえるさくらになりなよ。

  人の心の中に一生忘れられないようなさくらになりなよ。

  大人も子供もおじいちゃんもおばあちゃんも。

  さくらじゃない人間も。


  人間はねえ、いっしょうけんめい考えたり、思ったりできるんだから。


  さくらも、人間も

  いっしょうけんめい、いっしょうけんめい

  今できることを

  やればいいんじゃないかなあ。」



 いまどきの小学校三年生。

 なかなかおもしろい。


 神に感謝。
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『どうしておなかが減るのかな』

2006-03-29 17:05:05 | Weblog
 『どうしておなかが減るのかな?』♬~♫


 それは


 生きている証拠。


 それは


 新陳代謝。


 それは


 ガス欠のくるま。


 それは


 体重を落とそうと思ってるから。





 いや~、しかし体重って簡単に落ちないものです。


 二ヶ月前に比べると確かに中心値は3kgほど下がった。


 でも、ここからが落ちない。


 「安全圏に一度でも踏み込めれば」となぜか訳のわからない確信のようなものがあるのだが、どうしてもそのオアシスのようなところにたどり着けない。


 ほんの一瞬、「チラッ」と見えるのだけど手が届かない。


 今回ぼくが体重を落としたかったから何人かを巻き込んで期日を決めたりしてゲーム化した。


 意外と頑固な仲間達とやっているので「もうあきらめた!」と言いながら今週あたり絶食とかしていてイライラ、ピリピリしちゃってないか、ちょっと心配している。


 カラダを壊したり、気分を害したり、自分の周りの雰囲気を壊したりしてしまってはいけない。


 ある意味、自分との、己(おのれ)との戦い、葛藤なので。


 だから「賭け」はシンボリックなものであってそんなに重要じゃない。(かもしれない)


 やっぱりこの何ヶ月間、なんだかアタマの隅に引っ掛かっていて、「なんとかしてみようか」と思ったり、目の前の美味しい料理や金色に輝き泡立つ麦の恵みの誘惑に負けたり、結構ロングランに楽しめたし、苦しめられた。(笑


 まあイイ


 とにかく、リバウンドしようが何しようが今度の日曜日がリミットになのだ。


 これは、ぼくにとってなんだかとても引き下がれないものに最初からなっていて、帳尻を合わせられるのかどうか自分自身に刃(やいば)をつきつけているような状態。


 なんとなく今後の生き方にも影響してしまうくらい(爆





 でもさあ、いまごろこんな風に決意表明みたいなことしなきゃならないってことはさあ


 結構さあ


 追い込まれている


 のです。



 そうそう、話は変わるけど今週の日曜日から4月中4回、教会でパンの販売をさせていただくことになりました。

 これは『VOICE』3rdの運営資金捻出のためです。

 パンを売りながらフライヤー(チラシ)配ったり、チケット販売したりしたいと思います。

 「空腹の絶頂でパンを売る」最高ですね。

 8時からね。みんな集合ね。たまには早起きね。




 「おなかのへるうた」(阪田寛夫作詞・大中恩作曲)


 『どうしておなかが減るのかな~』♪~♪

 けんかをす~ると減るのかな~

 なかよししててもへるもんな~あ

 かあちゃん、かあちゃん

 おなかと

 背中が

 くっつく



 ほど

 やせたい




 神に感謝。
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『旅立ちのとき』

2006-03-28 17:39:39 | Weblog
 さくら、いっきに開きはじめました。


 重いコートはクリーニングに出されて次のシーズンまで箪笥の中です。


 春は生き物がもぞもぞ動き出したり、花がほころんだり、あたたかい風が吹きはじめたり、なんだかイイ香りがしてきたり、生命(いのち)の躍動が実感できる時期ですね。


 寒かった冬に、じっと身を潜めて、寒さに耐え、飢え、渇き、でも必ず訪れる春を待ち望む。


 さあ春です。




 そして同時に『旅立ちのとき』でもあるのです。


 高円寺教会から「一番弟子」が旅立とうとしています。


 素晴らしく、清々しい「新たな一歩」を踏み出すのです。


 神様に仕えるものとなるために。


 きっと、いろいろあるのだろう。いろいろとね。


 でもさ


 なんだかんだ言ってもさ


 導かれているのだから



 「自分らしく」


 だね。




 いってらっしゃい。



 あなたの笑顔ファンとしては少々寂しくなりますがもう会えなくなるってことでもないので


 ブログは続けていくので暇なときにでも読んでコメントしてね。


 最近ちょっと気になる歌のフレーズがあります。


 「笑って心開いたら

  あなたのこと好きになった

  一巡り太陽の下で

  
  深い眠りから覚めたら

  もう少し素直に生きたいよ

  だってあなたに会いたいから



  輝く太陽の下で

  僕らは素直に生きれるさ

  だってあなたに会いに行くから」(レミオロメン「太陽の下」より)


 ユウジも「あなた」に会いに行くんだよね。


 なんかタイミングじゃなかったかもしれないけど今日書いておきたかったんで。




 ぼくもがんばろうかな。




 神に感謝。
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『ひと目惚れ』

2006-03-25 16:44:38 | Weblog
 いや~、『ひと目惚れ』って久しく忘れてた感覚に酔いしれた。


 その顔をずっと見つめていたかった。

 
 

 そんな出会いがあるとも知らず、天気は良いが少し肌寒い、でも、つぼみが開きはじめた桜並木の道を目的地に向かいぶらぶら歩いていった。


 順路を進んでいくとたしか32番目の場所にその人はいた。


 なんと表現したらよいのだろう。


 その表情は、気高く、慈愛に満ち、少女のような初々しさと期待と安心感に溢れ、かわいらしい。


 


 ぼくはその方の前でしばらく動けなかった。





 「エル・エスコリアルの無限罪の御宿り」(ムリーリョ、バルトロメ・エステバン 作1665年頃)



 
 東京都美術館(上野)で開催されている「プラド美術館展」の初日に足を運んだ。


 これお勧めですよ。


 「十字架を抱くキリスト」(エル・グレコ 作)


 「聖ベルナドゥスを抱擁するイエスキリスト」(リバルタ、フランシスコ 作)


 「聖アンデレ」(リベーラ、ジュゼッペ・デ 作)


 「アッシジの聖フランチェスコの幻視」(リベーラ、ジュゼッペ・デ 作)


 「祝福する救世主」(スルバラン、フランシスコ・デ 作)


 「天使により解放される聖ペテロ」(ベレーダ、アントニオ・デ 作)


 「マグダラのマリアの被昇天」(アントリーネス、ホセ 作)


 「リマの聖ロサ」(コエーリョ、クラウディオ 作)


 「貝殻の子供たち」(ムリーリョ、バルトロメ・エステバン 作)


 「聖パウロの改宗」(ムリーリョ、バルトロメ・エステバン 作)


 「聖トマスの懐疑」(ストメル、マティアス 作)


 「トビアスと大天使ミカエル」(ゴヤ、フランシスコ・デ 作)



 
 それぞれの画家が、聖書をモチーフにしてパフォーマンスしているのですが、もうカトリックならば直接見に行くことをお勧めします。


 その他にも圧倒的な画風のルーベンスの絵も数点展示されています。



 とにかく、ぼくが『ひと目惚れ』した絵を見てきてください。




 ココロ洗われますから。




 行くべきです。



 神に感謝。
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『お茶の間 別館(ANNEX)』

2006-03-21 07:54:09 | Weblog
 ビールの空き缶の山、ほんのり漂うタバコの残り香。


 休日前の夜のささやかな宴。


 大好きな仲間たちが我が家を訪れてくれた。



 ガッツリ食べて

 グイグイ飲んで

 ガハガハ笑って

 ちょっぴり涙したりして



 まさに教会の『お茶の間 別館(ANNEX)』状態。


 
 最初のお客様はお互い時間の打ち合わせなどしてなかったらしいお二人だったが、なんと仲の良いことでしょう、宇都宮方面と目白方面から別々に来て到着連絡が入ったのがマジで3秒差。

 
   
 8時ちょっと前にシャンパンで乾杯からはじまって

 途中これまた学校の卒業式の代休をフル活用して、楽しいお友達とディズニーランドに行ってた天使を迎えに池袋の駅まで行って

 戻って来たら世田谷から車で移動してきた3人組さんが、ちょうど家の近くまで到着してて迎えに行って

 もう一回乾杯をして


 ガッツリ食べて

 グイグイ飲んで

 ガハガハ笑って

 ちょっぴり眠くなって



 お客さんそっちのけで2時30分ごろ横になったら

 次に目が覚めたらもう朝の7時。



 なぜか朝だけはちゃんと目が覚めて

 川の字になって雑魚寝しているはずの5人中3人がどうやら泊まらずに帰ったことに気づき

 「ありゃりゃ、見送りもせずに、駐車場わかったのかな~」などとかなり無責任な思いにふけって



 今日の昼から結構重要な集まりがあると聞いていた残ったお二人さんを無理やり起こし


 昨日デパートで買ってきた某有名所のホテルブレッドとインスタントコーヒーなどをすすりながら


 二人の初々しさに感動などして


 帰っていく車の後姿を


 名残惜しく見送る。




 これが今年の春分の日。





 春、来たね。



 神に感謝。
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『第二朗読』

2006-03-20 08:38:49 | Weblog
 昨日の主日のミサで我が家の天使ちゃんが「朗読」デビューを果たした。


 彼女は緊張していた。


 前日から眠れなかったようだ。




 二週間以上前に「み言葉の祭儀」の中の「聖書朗読」奉仕の人選の機会をいただいた。


 「誰もいなければぼくがやらせてもらおう。」といつも思っているが、まあそうそう頻繁に登場するのは平等でない。


 しかし、以外というか、みなさんにお願いした場合、謙遜もあるのだろうが断られるケースもある。


 「緊張する」


 「私などがやってよいのか」


 「聖書の読み方がわからない」


 「上手に読む自信がない」


 「祈るほうでいたい」




 ちなみに妻はこのようなシチュエーションはまったくの苦手で、無理強いすると具合が悪くなるタイプ。なので冗談で打診しただけで手に汗をかいている。


 娘もどちらかという妻のDNAを強く引き継いでいるのかもしれないが、小学校3年生の女の子だから緊張して当然だろうとも思う。


 「「朗読」やってみる?」


 と最初に聞いたときは


 「やったー、やりたいと思っていたんだ。」という顔をしていた。顔を。


 何度も書いているが娘は「やってみたい」と思っていても積極的に手を挙げるタイプではない。




 今回は興味というか、ミサで、言ってみれば代表で奉仕できるのだというモチベーションが高まったのだろう


 「よし、じゃあ、やってみようか。」ということになった。




 当日の『第二朗読』が比較的短くてチャレンジできそうだった。




 当日用の「聖書と典礼」を用意し、何度も読んで読んで読み込んでおくように促した。娘なりに努力した。



 ところが、木曜日になって「溶蓮菌(ようれんきん)」とやらに感染して39度以上の発熱。



 正直なところ「こりゃ無理だな」と一度はあきらめた。



 しかし疑ってはいけませんでした。



 信じてじっと待っていれば、かならずそこにはお導きがあるのです。



 お医者さんの薬が効いたのかもしれません。



 いえ、やはり



 祈りが通じたのでしょう。



 少しだけ表情がこわばっていたり



 少しだけ早口さんになったことなど



 ご愛嬌



 立派にやり遂げました。



 ぼくの前にいつも座られている90歳を過ぎたご婦人がミサ後に



 「上手にできたわね~、中学生?」


 と娘に話しかけてくれました。



 「小学校3年生です。」



 娘が答えると



 目を丸くして感動してくださいました。



 ぼくも自分の時は緊張感は持ちながらも緊張はしませんが、すこしハラハラドキドキしました。



 「上手にできたね~。一度やったらやみつきになるでしょ。」


 と聞くぼくに


 娘はポツリ一言


 「もう、イイかも。」


 そう言いながらも顔には、満足感とほんの少しの自信が滲み出ていたのでした。



 神に感謝。
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『イイ意味で何でもあり』

2006-03-18 18:35:55 | Weblog
 復活祭を目前に控えて高円寺教会の「入門講座」も盛り上がりを見せている。


 今日のテーマは


 「カトリックとは」





 講師である晴佐久神父様が「さわやかに、しなやかに」宣言される。


 「カトリックは『イイ意味で何でもあり』

  「ちょっとした工夫」や

  「ちょっとしたチャレンジ」や

  「ちょっとした努力」や

  「ちょっとした忍耐」で

  ありとあらゆることが可能になる。

  いろいろな楽しさに出会える。

  洗礼を受けて「自由」になる。


  「白」か「黒」の選択肢に縛られるのでなく


  「「虹色」のもうひとつ道」があったことに気づけるようになる。」



 ぼくは残念ながら他の教会の入門講座を知らないが、当教会の入門講座はこんな感じです。



 「カトリック高円寺教会「入門講座」のご案内」(luke8488版)


 「 知識の詰め込み   ではありません

   難しい漢字などが書いてある聖書を順番に朗読させられる  ことはありません。

   考えていることや感想を聞かれる   ことはほとんどありません。

   せっかくここまで来て「ストレス」を感じることなど何も   ありません。



   やっぱり「それ」を聞きたかった。

   そうそう「それ」を知りたかった。



   そんな


  「愛の御言葉が、ただただ降り注いで来るだけ」です。」



 今度の復活祭まであと講座も残すところ2回となりました。


 一度、時間のあるときにでも

 「気分転換」や

 「暇つぶし」

 それくらい気軽に

 おでかけください。


 なにも変わらないかのようで

 なにかが変わりはじめるかもしれません。


 今年もたぶん80~90人が洗礼というお恵みを受けて『イイ意味で何でもあり』に気づき、本物に触れ、なんだか自由なんだなと感じることでしょう。


 神に感謝。
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『優勝スピーチ』

2006-03-17 18:03:07 | Weblog
 台風並みの低気圧の直撃を受け暴風の一歩手前くらいのコンディションでゴルフをした。


 仕事でなかったらゴルフなどという体力もメンタルも酷使するようなことは極力避けて通りたいところだけれど、重要取引先様主催のゴルフコンペともなれば、そうもいかない。


 昨日からの前泊で群馬の山奥に出向いた。


 高速で流れる雲の隙間からお日様は顔を出したり隠れたり、雨が降ったり止んだり、「風はどこからふいてくるのかそれは誰も知らない」等と言ってられないくらいの強い風。



 グリーン上にあるボールをパターで打とうとした瞬間、突風でコロコロ転がりだしちゃうくらいのコンディション。



 こんな日はスコアにならないというか集中などできないものです。



 プレー後のパーティー会場。今回の参加は33名。



 成績発表はいつも最下位から。



 「それでは準優勝と優勝の発表です。まだ呼ばれてない方は?」


 
 あと二人の成績発表を残して名前がいままでのなかで呼ばれていない。



 「それでは準優勝の方を発表します。」





 ぼくの名前ではなかった。






 たまたま知人に格安で紹介してもらったホテルが、温泉などを併設していてご機嫌だったからか、それとも日ごろ人生において逆風の中を歩いているのが功を奏したのか理由は不明だがこのコンディション、このメンタリティーのなかで





 優勝。





 なんか久しぶりの感覚。


 個人競技で「優勝」したのは中学のときの陸上200m競争以来かもしれない。


 いつもなら帳尻あわせのように前日に練習場へ行き、当日の朝も少し早めに行って練習するみたいなことをしていたのだが、今回は正直あまりやりたくなかったので温泉にゆっくり入り、だらだらしていた。


 こんなものだろう。


 司会者の方が言う。


 「それでは恒例の『優勝スピーチ』をお願いします。」と。


 社会人の大人の言うようなことをしゃべった。ちょっと笑いなどをとりながら。


 でもいまちょっとだけ後悔している。


 『優勝スピーチ』の一番最後に


 一番言いたかったことを


 言い忘れたから。


 みんなの前で言いたかった一言。


 



 「神さまに感謝します。」





 くそ~こんなチャンスをのがすなんて。



 忘れるなよな。自分。


 神に感謝。
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『夫婦って』

2006-03-14 22:02:10 | Weblog
 涙。


 ぼくは久しぶりに胸がキュンとした。




 いまのぼくにはこれ以上の言葉はいらない。




 ぼくは君に出会えてほんとうに良かった。




 ほんとうは大切に胸にしまっておいた方が良いのだろう。



 今現在も迷っている。



 ぼくのブログに引用しちゃって良いのかどうか。



 彼女はそんなことを欲していないことなど容易に想像できる。



 でも



 でも



 どうしよう。



 どうしよう。



 彼女のブログは基本的にシークレットだ。



 ぼくもそのほうが良いと思っている。








 でもね。








 やっぱりぼくのブログに刻み込みたいので引用掲載させてもらう。



 ごめん。






 


「いつか二人が歳をとって念願の海の近くの家に住むことができたら


 夜明けを待って海に出よう



 懐かしく そして感慨深く 想い出語り合おう



 今は辛いと思うこともきっと笑って話せる日が来る



 もう一度信じあって 始めようよ




 どちらが欠けてもダメな二人じゃん



 遠い日の約束  果たすその日まで 今はただ時の流れに流されよう




 一人じゃないって幸せなこと  それだけで乗り越えて行ける




 神様からいただいたお恵み 




 大丈夫  きっと  大丈夫」







 大それたことを言うつもりはないけど




 結婚ということに実感がない人たち、『夫婦って』こういうことだよ。









 たぶんね。







 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488

『ハグしてもらった』

2006-03-13 11:00:38 | Weblog
 どんな言葉で表現すれば良いのだろう。




 「深く、というか我が家である教会でとにかく祈りたい。」




 「神様の御手のなかにすべてをゆだねたい。」





 そんな気持ちだった。

 


 9:30からのごミサにあずかろうといつものバスに乗り、少し歩いて教会に着いた。


 今日は、教会学校小学生会の卒業遠足だったので、妻と娘は7:30からのごミサにあずかるといって先に出かけていた。


 「さて、じっくりと」と思っていたら、侍者会の責任者に声をかけられた。


 「今日、侍者いないんだよね。」


 はは~ん、こんな心持ちの日だからこそ、神様は侍者を通して奉仕しなさいと言われているのだなと素直に受け入れた。


 「ぼくもできないんだけどね。」


 「ありゃりゃ、そうきたか。」


 それから5分間くらいで侍者ができそうな人に端から声をかけた、というか該当者がほとんどいなかった。若者たちはリーダーとして遠足に行っている。


 急遽、第二朗読をお願いしていた「えっちゃんパパ」に二人で一緒にやっりましょうと再度お願いした。


 「えっちゃんパパ」は「7:30のミサの経験しかないけど。」と言われたが「大丈夫です。基本は変わらないしアイコンタクトしますから。」となんとも説明にもならない説得力もない言葉で押し通してしまった。

 代わりに第二朗読を快く引き受けてくれた方にも感謝です。


 典礼委員長に「今日はローソク無しでも良いですか?」などと確認を取りながらあわてて着替えて控え室向かった。


 神父様が着替えられるために控え室に入ってこられての第一声


 「そっかー、今日は子供たち遠足に行っちゃっていないんだー。」


 ぼくは思わずごミサ前だったにもかかわらず不謹慎にも


 「そんなに嫌がらなくてもイイじゃないですか~。」などと軽口をたたいてしまった。


 ミサ前の「侍者のお祈り」をして入道の鐘がなる。


 

 「春が来ました。」



 神父様のそのひと言が、侍者やってる緊張感の立場から、祈っている会衆席へとぼくの気持ちを運んでいってしまった。



 「こりゃ、困った。頭のどこかは冷静でいないと段取りが真っ白になっちゃう。」って思った瞬間にめずらしく焦った。



 段取り間違えました。


 結構肝心なところで。


 修行が足りませんでした。



 ごミサの後、教会委員会をはじめとして3つくらいのミーティングに参加して一息ついてようやく妻と顔を合わせました。


 妻は開口一番


 「今日の朝、二人に『ハグしてもらった』んだ。」と。


 ぼくはうれしそうに話す彼女の笑顔に聖霊の働きを感じたのです。


 そのあと二時間くらいお茶の間で教会のお姉さま方などとお話をしながら天使ちゃんたちの帰るのを待っていましたとさ。


 良い一日でした。

 神に感謝。
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『食わず嫌い?』

2006-03-10 12:52:43 | Weblog
 冒頭から変な話になるがトイレに座っていたときに突如思い出したというか思いついた。


 「そういえばいつからトランクスタイプになったんだっけ。」


 下着の話です。


 いまどきの人たちは違うけど、ぼくらの時代は中学生くらいまで下着のパンツは買い与えられたものを何の抵抗もなく着けていた。


 下着だけじゃない、洋服もすべてそうだった。みんなそうだったんじゃないかなあ。


 現在の社会環境ほど「ファッション」「おしゃれ」が低年齢層までにはメジャーじゃなかったし、田舎でもあるし、毎日泥だらけになって遊んだりしていたので着るのもに全くもって無頓着だった。年上の兄弟姉妹もいなかったし。


 知らない人もいると思うが、「若い男の子がおしゃれする」というのは1980年代のバブリーな頃に一般化したのですよ。


 高校二年でいまの妻と初めてデートしたときに着ていった私服のセンスも、まあ、いまも思い出し笑いしながら書いているくらい凄かった。らしい。

 あたまは丸坊主、ハートは松●修三(テ●スで有名な)、着てる服はえ●りかずきですよ。おやじのゴルフの練習場に行くときの装い。

 
 そのくらいから「色気づいてた」というか、着るものとかにすこしは気を使わないといけなかったのだなと思うようになってきた。でも洋服も買いに行ったことなど皆無なので手段もわからなかった。

 「ファッション雑誌」見るなんて選択肢があることすら知らなかった。



 学生時代に東京に出てきて「染まり」まくりましたよ、都会の色に。


 当時、赤いカードだった「○井」(あれ、伏字になってない?)が発信元(正確には煽っていただけかも)となってブーム化した「DCブランド」。

 ちなみに「D」は「デザイナーズブランド」のこと

 「C」は「キャラクターブランド」のこと


 第3期ディスコブームもあいまって、いたるところにいました「スーツ」に着られてる「小僧」が。

 いまのクラブカルチャーと違ってディスコに入るには女性同伴を義務付けられていたり、服装チェックなどという「大人の世界」の真似事のようなハウスルールが存在してた。

 なんかそんなサルマネがステータスなんだなと日本中が勘違いしてた頃だったから。

 もちろん楽しい時代だったけどね。


 書いているうちにタイムマシーンに乗っちゃったので前フリが異様に長くなっちゃったけど、『食わず嫌い』だったんです。


 「トランクス」


 今ではこれ以外ムリかもしれない。


 あと今年初めて、妻が買ってくれたので着てみたのが「ダッフルコート」


 ぼくには絶対似合わないと『食わず嫌い』してた。


 意外としっくりきている。想定外。


 まあ、着るものなど贅沢品の極みなのはわかっちゃいる。


 着るものに頼らなくても、にじみ出てくる「大人のかっこよさ」みたいなのに憧れたりするけど、「かっこよさ」って何?といわれたら具体的に答えられないかもしれない。


 そういえば、前に仲間がコメントしてくれた




 「輝いていてください」って。



 くそ~、濁ってるぞ~。くすんでるぞ~。



 
 「主を仰ぎ見て、光を受けよう。主が訪れる人の顔は輝く。」



 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488


『宇宙人』

2006-03-09 12:41:15 | Weblog
 『宇宙人』に遭ったことがありますか。


 「UFO」見たことありますか。


 銀河系には約4000億の恒星が存在するのだそうです。


 ちなみに「恒星」とは「太陽のように、自ら光り輝く天体。水素やヘリウムなどの核融合によりエネルギーを放射している。地球から見た時の天球上の位置をほとんど変えないため、「恒(つね)にそこにある星」という意味で名付けられた。」ということです。


 いろんなことを想定したり検証したり考えている人はいるもので、NASAと提携しているカーネーギー研究所のターンブル氏が米科学振興協会の会合で次のようなことを発表した。


 液体の状態で水が存在できる惑星を持っている可能性が高い恒星を選んで、さらに様々な条件によってスクリーニング(ふるい分け)をした。

 そうして導き出そうとし、出した見解。



「『宇宙人』がいるかもしれない星」トップテン」



 まじめにやってるのですよ。



 おもしろい。



 猟犬座ベータ星

 さそり座18番星(太陽にそっくりな)

 HD10307星(太陽に近い質量を持つ)

 ペガサス座51番星(木星のような惑星が確認されている)

 HD211415星(太陽より少し冷たい)

 くじら座タウ・セティ星(太陽と同じくらいの明るさを持つ)

 ケンタウルス座アルファB星(SF作家アイザック・アジモフの作品に登場)

 インディアン座イプシロンA星(「スタートレック」に登場)

 エリダヌス座オミクロン2番星

 エリダヌス座イプシロン星(「スタートレック ミスター・スポックの母星」)



 残念ながら、まだまだ「謎」の部分が多く、ランク付けは無理らしい。






 『宇宙人』にあったことありますか。



 

 ちょっと変わってるというか、考え方や言動が常軌を逸していたり、突拍子もない人のたとえでよく『宇宙人』って表現しますよね。イイ意味で使われたり、悪い意味で使われたり。

 素晴らしいパフォーマンスの持ち主ならウェルカム。

 どうやっても理解不能でコミュニケーションができない場合はノーサンキュー。



 いるでしょ。言葉が通じないヤツ。何考えてるかわかんないヤツ。

 「エイリアン」や「宇宙戦争」に出てきた自分の利益のために攻撃し続ける怪物みたいなの。

 まさに「未知との遭遇」



 『宇宙人』にあったことありますか。


 「はい。毎日あってます。」




 ぼくも『宇宙人』だもの。



 宇宙や星の話ってほんの少しだけど、なんとなくだけど



 「「神の国」のかおり」する気がする。



 神に感謝。
Copyright© 2006 Luke8488

 

『ニックネーム』

2006-03-07 14:56:47 | Weblog
 教会の仲間のシュビ君が「あだな」というタイトルで自分のニックネームの変遷を書いている。


 これがおもしろいので勝手にバトンを作って受け取ってしまおう。


 ただ、ぼくの場合困るのは、いわゆる「匿名性」が、これを書くことによって著しく自らを侵害してしまうのではないかというところである。


 いま思い浮かんでいるものは、あまりヒネリの無いものばかりだからだ。


 まあイイか。


 ハンドルネームは「luke8488」

 lukeは、ぼくの霊名「ルカ」(福音記者 聖ルカ)の英語標記(ルーク)

 8488には、ある読み方があって、それの「あて数字」

 教会でそんな感じで呼ばれはじめて、それがしっくりきたから。

 子供を持つ親だから「パパ」なんだけど、教会的にはパパといったら神様や教皇様、神父様を表す場合があるので、ちょっとおそれ多い気もするが、ぼくの中ではいままでの『ニックネーム』の中ではダントツに金メダルだ。


 最近は短縮形で「84P」ってのもある。




 40年くらいさかのぼると


 「じゅんちゃん」

 田舎の親戚の間では今でもこう呼ばれている。

 最近我が家の天使(娘)ちゃんもふざけてこう呼ぶときがある。



 小学校に入って


 「はっしゃん」

 
 小学校高学年で


 「ハシ」



 高校生で野球部に入り丸坊主になって


 「バルタン」

 坊主頭で頭の先が尖っていて耳ばかり目立ってウルトラマンに出てくる「バルタン星人」のように見えたらしい。

 自慢ではないがこのころ撮った証明写真が残っているのだが、どんなに落ち込んでいる人でも思わず吹き出してしまう出来上がりだ。

 いまでは誰にも見せられない。ソリコミも入っていたし。


 この後、妻と出会いいろいろな『ニックネーム』で呼ばれたが恥ずかしくてこれ以上挙げるのはムリだ。


 そういえば勝手に『ニックネーム』を付けるのが得意だというかスキだ。

 妻も同様でというか、どこの家族でもそうだと思うが、小さい子供などがいればその子は『ニックネーム』のオンパレードだと思う。


 娘の我が家での『ニックネーム』は山ほどあるが、やっぱり恥ずかしくて書けない。


 結構、昔を思い出せたり「こんな風に呼んでたよね~」って感じで盛り上がれるテーマで楽しかった。


 「むかしをなつかしむ」なんて


 歳かなあ。


 でもさあ『ニックネーム』でいつまでも呼びあえる間柄でいたいよね。


 神に感謝。
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『人生で何度か』

2006-03-06 21:03:12 | Weblog
 『人生で何度か』あるうちの、ここで踏ん張らなきゃ、ここでがんばらなきゃ、というポイントが今週から来週にかけて訪れる。


 今年の「四旬節」は、ぼくにとって文字どうり「荒れ野に40日間いて襲い来るサタンの誘惑を退ける」状況になっている。


 すごく不安で、暗闇に押しつぶされそうだが、何としても乗り越えなければならないし、ぼくを常に圧倒的に抱きしめて守ってくださる神様に最後の最後は、すべてゆだねる覚悟はある。


 40年以上も生きてくればいろいろなことがある。


 ぼくなどは、いま、病の床にいて消えそうな命のロウソクの火が消えないように両手で必死にガードしている人やテロや戦争や独裁者のために明日をも知れない、自分の命すら自分で守りきれない人に比べたらなんてこともないのだろう。


 面倒臭いことを先送りしていないのか。


 人のために祈ることをおろそかにしてないのか。


 いままでの自分。


 ここからの自分。


 くそ~、負けてなるものか。


 


 仕事で外回りをしているとつくづく感じる「めっきり春めいてきた」と。

 
 さくらの花が咲いて、そして散って


 長雨が続いて


 ひまわりが元気な顔を上げて


 せみが地上での短い一生を目一杯歌いあげて


 もみじが色づく頃


 たぶん、ぼくのチョッと長い「四旬節」が終わって


 冬眠の準備に入ることになるのだろう。


 この前の洗礼志願式のごミサでの神父様のお説教でも「頑張ったからでもなく、優れているからでもなく、誰にでも同じように春は訪れます。」と言われた。


 これはもちろん洗礼のお恵みを春に例えたことなのだけれど、あらためて、深くぼくのココロに染み入った。


 ぼくの性格、性質上、表面上は平静を装うに決まってるので、全然普通でしょう。


 だけど祈るときには、ぼくのことも少しだけでいいので祈ってやってください。


 あげくに花粉症シーズンインかよ。


 この際だから必死にウェートコントロールしてガリガリになってやる(爆





 洗礼によって生まれ変わったお恵みをもう一度実感するチャンスをいただきありがとうございます。





 神に感謝。
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