毎日百件以上のメールを受信する。
読まないでそのままゴミ箱行きが多いが
まれに
タイミングなのか、気まぐれなのか、息継ぎなのかわからないが
件名もパッとしていないメールを開くことがある。
まぁ、仕事柄この手のメールの開封率は高いほうかもしれない。
どんな文章が書かれているのか、半分市場調査みたいな感じだから。
昨日、あるビジネス関連のメールにこんなことが書いてあった。
「「尊敬」という感覚からは卒業する必要は無いのだけれど、
「憧れ」という感覚からは、いつか卒業したほうがイイ。」
う~ん。
その後に続く解説とやらには、こんなことが書いてある。
「「憧れ」は必ず裏切られるし、「憧れ」はいつしか「憎しみ」に変わってしまう。
他人のコピーを目指すのではなく、自分の独自性はなにかについて、きちんと向かい合うことが大切なのだ。」と。
何を言いたいのか。何を伝えたいのか。
これを書いた人は、自らの経験に基づいて
ビジネスの世界で勝ち抜くには、人まね、物まねではなくて、独創性溢れる、いわゆるオンリーワンになりましょう、みたいなことを発信しているのだろう。
ある観点では当を得ている。
否定するところもないが
なにか
残らない。
なにも
残らない。
アンテナに引っかかるのだけれど
記憶に刻めない。
そうかと思うと
こんな詩に出会ったりする。
「真っ黒いぞうきんで顔は拭けない
真っ白いハンカチで足は拭けない
使命がちがうだけ
尊さに変わりはない
ぞうきんよ ハンカチよ
もともと一枚の布だからな」
その詩の後に、括弧つきで次のような言葉が付け加えられていた。
(「もともと一個の人間だからな」)
座右の銘とか
印象に残った言葉
人生を変えた一言
を聞かれることがある。
「たくさん泣いたんじゃないですか。
痛かったこともあったでしょう。
何も信じられず疑いの日々を過ごしたこともあれば、
すごく傷つけられたこともあったのではないですか。
何もかも終ったと、絶望的な気持ちになったこともあったかもしれない。
しかしそんな日々はもう過ぎ去り、
今日この夜、神様は私たちを集めてくださった。
すべては、この夜のための旅路だったのではないでしょうか。
ですから、申し上げたい。
ようこそ。よくぞここまでやってまいりました。
もうだいじょうぶ。
神様が私たちを集め、神様が私たちに完全な愛を注いでくださいます。
もう心配いりません。
大変だったでしょうが、もうここまで来ればだいじょうぶ。」(2003年12月24日降誕祭夜半ミサお説教より)
神さまの福音宣言。
忘れられない。
このお恵みに
圧倒的な
このお恵みをいただいて
ぼくは
「信じます。」と言ったのです。
神に感謝。
Copyright© 2008 Luke8488
読まないでそのままゴミ箱行きが多いが
まれに
タイミングなのか、気まぐれなのか、息継ぎなのかわからないが
件名もパッとしていないメールを開くことがある。
まぁ、仕事柄この手のメールの開封率は高いほうかもしれない。
どんな文章が書かれているのか、半分市場調査みたいな感じだから。
昨日、あるビジネス関連のメールにこんなことが書いてあった。
「「尊敬」という感覚からは卒業する必要は無いのだけれど、
「憧れ」という感覚からは、いつか卒業したほうがイイ。」
う~ん。
その後に続く解説とやらには、こんなことが書いてある。
「「憧れ」は必ず裏切られるし、「憧れ」はいつしか「憎しみ」に変わってしまう。
他人のコピーを目指すのではなく、自分の独自性はなにかについて、きちんと向かい合うことが大切なのだ。」と。
何を言いたいのか。何を伝えたいのか。
これを書いた人は、自らの経験に基づいて
ビジネスの世界で勝ち抜くには、人まね、物まねではなくて、独創性溢れる、いわゆるオンリーワンになりましょう、みたいなことを発信しているのだろう。
ある観点では当を得ている。
否定するところもないが
なにか
残らない。
なにも
残らない。
アンテナに引っかかるのだけれど
記憶に刻めない。
そうかと思うと
こんな詩に出会ったりする。
「真っ黒いぞうきんで顔は拭けない
真っ白いハンカチで足は拭けない
使命がちがうだけ
尊さに変わりはない
ぞうきんよ ハンカチよ
もともと一枚の布だからな」
その詩の後に、括弧つきで次のような言葉が付け加えられていた。
(「もともと一個の人間だからな」)
座右の銘とか
印象に残った言葉
人生を変えた一言
を聞かれることがある。
「たくさん泣いたんじゃないですか。
痛かったこともあったでしょう。
何も信じられず疑いの日々を過ごしたこともあれば、
すごく傷つけられたこともあったのではないですか。
何もかも終ったと、絶望的な気持ちになったこともあったかもしれない。
しかしそんな日々はもう過ぎ去り、
今日この夜、神様は私たちを集めてくださった。
すべては、この夜のための旅路だったのではないでしょうか。
ですから、申し上げたい。
ようこそ。よくぞここまでやってまいりました。
もうだいじょうぶ。
神様が私たちを集め、神様が私たちに完全な愛を注いでくださいます。
もう心配いりません。
大変だったでしょうが、もうここまで来ればだいじょうぶ。」(2003年12月24日降誕祭夜半ミサお説教より)
神さまの福音宣言。
忘れられない。
このお恵みに
圧倒的な
このお恵みをいただいて
ぼくは
「信じます。」と言ったのです。
神に感謝。
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