カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『響きあう』

2006-10-23 06:26:47 | Weblog
 先週の土曜日の入門講座はいろんな意味でとても心ゆさぶられる内容だった。


 前期の最終回。後期の「「洗礼」への道のり」へと続く助走期間、序章、いや、本物に出会い、触れたのだから、もう、そうだなぁ、言い方は適切ではないかもしれないが「免許皆伝」されたようなものだろう。



 「福音宣言」



 「生」な感じ。



 いろいろな思いを持って集まった人たちに全対応する「自由さ」。



 高円寺教会を通して神さまのお恵みが降り注がれている現場。



 神父様はこう言われた。



 「ぼくは絵を描いたり、詩を紡いだりするので「アーティスト」だと思われがちだけど、違うんです。ぼくは「デザイナー」なのです。」と。



 「「アーティスト」は、とにかく絵のことばかり考えてて描かずにはいられない。「デザイナー」は、クライアント(依頼者)に合わせなければならない。「一流」は限られた納期で、限られた予算で期待以上の作品やパフォーマンスを披露できる者のこと。」だと。



 日曜日のお説教でも話されたが



 「自分がしあわせにする。」というのではなくて



 「あなたがしあわせになる。」のだと。いま、目の前にいる「あなたが」。



 そしてとても印象的な表現をされた。



 


 「自分の母親だったら。」






 具体的なことを話されることはないし、ぼくも訳知り顔でここに書く気も無いが



 入門講座の最後に新しく出版されたお説教集「希望はここにある」のあとがきを読まれるのを聞きながら



 こみ上げてくるものを押さえられなかったが



 いま、できることとして、いっしょうけんめいお祈りをさせていただいた。



 これが『響きあう』ということだろう。



 何人もの方がぼくの母のことも祈ってくれているように。





 ごミサのあとのお茶の間に



 お手製のシュークリームが山盛りのケーキが運ばれてきた。



 チョコレートで大きく「49」としるされた、それはもうなんとも高円寺のお茶の間らしい心のこもったバースデーケーキ。



 「♪ハッピ~バースデー、ディア、はれれ~♪」



 お祝いにいただいたワインをそれこそ惜しげもなくみんなにふるまっていただいて、チーズとともにおいしくいただきました。



 教会で



 ミサで



 ぼくたちは神様に癒されて、そして強められて派遣されていきます。





 「自分の母親だったら。」



 いま、目の前にいる人が「自分の大切な人だったとしたら」






 
 神に感謝。
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