カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『十字架を建てた人』

2010-03-20 05:05:05 | Weblog
 偶然という名の必然に

 
 神さまの用意してくださった出会いに


 感謝し


 「ぼくは、カトリックの信者です。この感激を多くの人に伝えます。」


 そう約束した。





 今回の一連の出張は、「民宿に泊まること」というルールがあって


 その上、同じ民宿に連泊しないことも約束事に付け加えられていた。


 民宿の手配はすべて自分でしたのだけれど


 インターネットで検索して


 電話がつながったところに予約をした。




 長崎の離島、小値賀島(おぢかじま)に渡ったときのこと。


 小値賀島のとなりには、野崎島という島があって、現在は無人島になっているのだけれどその昔、舟森という集落には150人の人々が住んでいて、全員がクリスチャンだったそうだ。


 今回泊めていただいた民宿のご主人は、以前首都圏で仕事をされていたのだけれど、小値賀島に住んでいるご家族に健康上の問題が発生して、家業を継ぐために島に戻られたのだという。


 夕飯をご馳走になりながら、ほんの少しのお酒も入っったりして話が弾んだ。


 ご主人は、パステル画を趣味にされていて、愛する島の風景を見事に表現していた。


 「今度、最後の個展を開く予定なんです。絵は売るつもりはないんです。自分の息子みたいなモノだから。」


 個展が終わったら、町役場に寄付をするのだと言った。


 年齢を聞くと、12年間前に亡くなった父と同じ歳だった。


 「ぼくは、カトリックの信者なんです。」


 そういうと、ほんの少しだけ驚いたような顔をして


 「これは、不思議な偶然ですね。」と言って


 一冊のアルバムを持ってきて、ぼくに見るようにと手渡してくれました。


 そのアルバムには、たくさんの写真と


 こんなお話しが記されていました。


 「江戸時代末期の外海(そとめ)町。

  長崎県西彼杵半島にあるこの町で、この民宿のご主人の祖先にあたる廻送問屋の田口徳平治さんはあるとき、海岸の岩場にひっそり佇む3人の男性を目にしました。
  
  よく見るとお祈りをしているよう。

  徳平治さんは何をしているのか尋ねましたが、男性たちは用心して口をつぐんだままです。

  しばらく話をすると、彼らは隠れキリシタンで翌日には処刑される運命にあるとのこと。

  見捨てるわけにはいかないと徳平治さんは、彼らを船にかくまいました。

  しかし出航しようとした刹那、役人がやってきて徳平治さん問い質します。

  しらを切る徳平治さんに業を煮やした役人は、かくまってあった漁網を槍で何度も突き刺しました。

  そのまま船は出航し、沖に出たところで徳平治さんは恐る恐る網をあげました。

  すると驚いたことに、3人とも無傷だったのです。

  徳平治さんは彼らを小値賀島に連れ帰って雇用人とし、野崎島の舟森に住まわせました。

  彼らを最初の住人とした舟森は、下五島の久賀島や奈留島などからも移住者がやってきて、最も多いときには150人を超える集落となりました。

  住民は全員がクリスチャン。昭和41年に廃村となるまで、上五島を望む急斜面の集落に造られた瀬戸脇教会で静かな祈りの日々が続いたのです。」




 隠れキリシタンを救った方の子孫の方が営まれている民宿に泊まることになった偶然という名の必然にゾクゾクするほどの感動を覚えました。


 そして、このご主人は、


 「先祖の思いを何とか形にして残したかった。」と


 住んでいる小値賀島のとなりの野崎島の舟森集落跡に、野崎港から1時間30分以上の山歩きをしないと行けないようなに急斜面に


 私財を投じて


 十字架を建てたのです。 


 隠れキリシタンを助けたご先祖様もこの民宿のご主人もクリスチャンではないのです。


 ぼくは、そのアルバムを穴があくほど見せていただきながら


 このお恵みに


 ほのぼのと


 しみじみと


 とっぷりと


 浸っていました。





 四旬節に


 この出会い。







 神に感謝。
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『以天属者』

2010-03-15 05:05:05 | Weblog
 以天属者、迫窮禍患害相収也


 中国の古典「荘子」に書かれている言葉。


 出張中に偶然のように手に取った雑誌の中の記事。


 読み方は


 「天を以て属する者は、迫窮禍患害(きゅうかかんがい)に迫って相収む(あいおさむ)」


 意味は


 「深い信頼関係で結ばれた同士は、相手が行き詰まったり、災いに見舞われたりすれば、それを助けてますます固く結ばれる」


 そして


 以天属者「天を以て属する者」とは、何も図らなくても、天命のように結ばれ合う同士のことだと書いてあった。


 中国の古典であるが


 ものごとを突きつめて、行き着く先は、というか待ち受けている大きくて深い受け皿は


 天


 天の父


 という部分は、国や文化や歴史などさまざまな違いを超越して、普遍的なのだなと思ったりするが、決して都合のイイ解釈ではないとも思う。


 天を以て属する者


 天の父のもとでつながっている者


 ぼくもそんな人々に出会い、気づき、助けられている。


 本当に感謝しているし、受けた恩を忘れることがない。





 人間関係において


 やっかみとか


 誹謗中傷とか


 噂話とか


 自らの弱さをひた隠しに隠すために


 他人様のことなどをとやかくおもしろおかしく


 評論したり


 傷つけたりしてしまうが


 そのことが万が一事実だとしても


 一般的には誤った行動や言動だったとしても


 表面的な部分ではなく


 できうる限りに分かち合い


 許し許される間柄。


 何もできなかったら


 信じる者同士


 天の父のもとにつながっている者同士


 ひたすら


 一途に


 祈る。




 間違いを直してあげようとか


 気づかせてあげようとか


 そのことに必死な自分の姿や行動に


 自分自身が酔いしれてしまっていないのかを


 この四旬節に


 じっくりと考えている。


 どこまで真剣に向き合えているのか。


 余計なお世話なのか。


 ただただ、くだらない野次馬になって


 ゴシップ記事に一喜一憂するようなありさまではないのか


 評論家を気取ってみたり


 あのポンティオピラトの問いかけに対して


 煽動され、ワケもわからずに


 「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫んだ群衆のようになっていないものか。




 何も考えずに無性に無償に


 何とかしてあげられないものかと突き動かされていることが


 自己満足なのではないのか。




 そういえば


 「以天属者、迫窮禍患害相収也」の前にはこんなことが書かれているのだ。


 「以利合者、迫窮禍患害相棄也」
 (りをもってあうものはきゅうかかんがいにせまってあいすつ)


 意味は「利害関係によって繋(つな)がっている者は、苦境や災害などに陥るとたちまち見捨てて去っていくものである。」




 ぼくは、周りの多くの人たちに助けられている。




 以天属者


 「天を以て属する者」


 何も図らなくても、天命のように結ばれ合う同士。
 

 

 「信じます」と宣言した者同士


 このつながりに


 何を期待するのか。


 その思い


 その考え


 その言葉


 もう一度


 省みる。




 キリストのように考え、

 キリストのように話し、

 キリストのように行い、

 キリストのように愛そう。



 ぼくは今日もそんな仲間に助けられている。



 神に感謝。
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『りとう』

2010-03-13 23:23:23 | Weblog
 きかいじま


 なかどおりじま


 おぢかじま


 あわしま


 なかのしま


 上から順に


 鹿児島県喜界町


 鹿児島から南に380km、東シナ海と太平洋のほぼ境界上に位置する


 喜界島。



 長崎県南松浦郡新上五島町


 長崎県五島列島の中通島・若松島とその周囲の島を町域とする町


 中通島。



 長崎県北松浦郡小値賀町


 長崎県の五島列島北部の小値賀島と周辺の島々を行政区域とする町


 小値賀島。


 
 新潟県岩船郡粟島浦村


 新潟県岩船郡の村。県北部、日本海に浮かぶ粟島の島内唯一の自治体


 粟島。



 島根県隠岐郡海士町


 島根半島の沖合い約60kmの日本海に浮かぶ隠岐諸島のひとつ


 中ノ島。



 今日までの三週間の間に


 この五つの


 離島に行ってきました。仕事で。


 いろいろな人に出会って


 様々なおもてなしを受け


 初めて経験することや


 強烈に刺激を受けたこと


 ピュアな心と


 キラキラと輝く瞳に


 昔に大切にしていたはずのモノを


 痛いほどに思い起こさせられたり


 とにかく


 元気をもらった。


 喜界島のコバルトブルーの海は、美しかった。


 新上五島町に29ある教会群の中から時間が許す限り5つの教会を巡った。


 小値賀町の民宿のおやじさんは、隠れキリシタン3人を助けた船問屋さんのお孫さんだった。


 粟島は、お年寄りからちびっ子まですべての人が人なつっこかった。


 最後に行った中ノ島(海士町(あまちょう))では、Iターンしてくる若者が多くて、島出身じゃなかったけど、この島のことが大好きで何とか、ほんの少しでも自分の住む島を良くしたいと超前向きに考え、行動していた。


 ぼくより3歳年上で、神奈川出身で、何年か前に離島に移り住んできて、試行錯誤の末に現在岩がきの養殖で大きな成功をされている方と話しをしているときにこんなことを言われた。


 そのひと言が


 カラダをつらぬいた。




 「だって、楽しいもん。」




 正直、ちょっと悔しかった。


 サラッと言われちゃった。


 カッコ良かった。


 苦労してきた歴史が垣間見えた。


 四旬節に


 旅に出て


 ひとり


 ぐるぐると思いを巡らせる。


 悪魔からの誘惑はないが


 こころ洗われる出会いが


 ぼく背中を


 あたたかい春風のように


 ぽんぽんと


 たたいてくれる。






 神に感謝。
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