偶然という名の必然に
神さまの用意してくださった出会いに
感謝し
「ぼくは、カトリックの信者です。この感激を多くの人に伝えます。」
そう約束した。
今回の一連の出張は、「民宿に泊まること」というルールがあって
その上、同じ民宿に連泊しないことも約束事に付け加えられていた。
民宿の手配はすべて自分でしたのだけれど
インターネットで検索して
電話がつながったところに予約をした。
長崎の離島、小値賀島(おぢかじま)に渡ったときのこと。
小値賀島のとなりには、野崎島という島があって、現在は無人島になっているのだけれどその昔、舟森という集落には150人の人々が住んでいて、全員がクリスチャンだったそうだ。
今回泊めていただいた民宿のご主人は、以前首都圏で仕事をされていたのだけれど、小値賀島に住んでいるご家族に健康上の問題が発生して、家業を継ぐために島に戻られたのだという。
夕飯をご馳走になりながら、ほんの少しのお酒も入っったりして話が弾んだ。
ご主人は、パステル画を趣味にされていて、愛する島の風景を見事に表現していた。
「今度、最後の個展を開く予定なんです。絵は売るつもりはないんです。自分の息子みたいなモノだから。」
個展が終わったら、町役場に寄付をするのだと言った。
年齢を聞くと、12年間前に亡くなった父と同じ歳だった。
「ぼくは、カトリックの信者なんです。」
そういうと、ほんの少しだけ驚いたような顔をして
「これは、不思議な偶然ですね。」と言って
一冊のアルバムを持ってきて、ぼくに見るようにと手渡してくれました。
そのアルバムには、たくさんの写真と
こんなお話しが記されていました。
「江戸時代末期の外海(そとめ)町。
長崎県西彼杵半島にあるこの町で、この民宿のご主人の祖先にあたる廻送問屋の田口徳平治さんはあるとき、海岸の岩場にひっそり佇む3人の男性を目にしました。
よく見るとお祈りをしているよう。
徳平治さんは何をしているのか尋ねましたが、男性たちは用心して口をつぐんだままです。
しばらく話をすると、彼らは隠れキリシタンで翌日には処刑される運命にあるとのこと。
見捨てるわけにはいかないと徳平治さんは、彼らを船にかくまいました。
しかし出航しようとした刹那、役人がやってきて徳平治さん問い質します。
しらを切る徳平治さんに業を煮やした役人は、かくまってあった漁網を槍で何度も突き刺しました。
そのまま船は出航し、沖に出たところで徳平治さんは恐る恐る網をあげました。
すると驚いたことに、3人とも無傷だったのです。
徳平治さんは彼らを小値賀島に連れ帰って雇用人とし、野崎島の舟森に住まわせました。
彼らを最初の住人とした舟森は、下五島の久賀島や奈留島などからも移住者がやってきて、最も多いときには150人を超える集落となりました。
住民は全員がクリスチャン。昭和41年に廃村となるまで、上五島を望む急斜面の集落に造られた瀬戸脇教会で静かな祈りの日々が続いたのです。」
隠れキリシタンを救った方の子孫の方が営まれている民宿に泊まることになった偶然という名の必然にゾクゾクするほどの感動を覚えました。
そして、このご主人は、
「先祖の思いを何とか形にして残したかった。」と
住んでいる小値賀島のとなりの野崎島の舟森集落跡に、野崎港から1時間30分以上の山歩きをしないと行けないようなに急斜面に
私財を投じて
十字架を建てたのです。
隠れキリシタンを助けたご先祖様もこの民宿のご主人もクリスチャンではないのです。
ぼくは、そのアルバムを穴があくほど見せていただきながら
このお恵みに
ほのぼのと
しみじみと
とっぷりと
浸っていました。
四旬節に
この出会い。
神に感謝。
Copyright© 2010 Luke8488
神さまの用意してくださった出会いに
感謝し
「ぼくは、カトリックの信者です。この感激を多くの人に伝えます。」
そう約束した。
今回の一連の出張は、「民宿に泊まること」というルールがあって
その上、同じ民宿に連泊しないことも約束事に付け加えられていた。
民宿の手配はすべて自分でしたのだけれど
インターネットで検索して
電話がつながったところに予約をした。
長崎の離島、小値賀島(おぢかじま)に渡ったときのこと。
小値賀島のとなりには、野崎島という島があって、現在は無人島になっているのだけれどその昔、舟森という集落には150人の人々が住んでいて、全員がクリスチャンだったそうだ。
今回泊めていただいた民宿のご主人は、以前首都圏で仕事をされていたのだけれど、小値賀島に住んでいるご家族に健康上の問題が発生して、家業を継ぐために島に戻られたのだという。
夕飯をご馳走になりながら、ほんの少しのお酒も入っったりして話が弾んだ。
ご主人は、パステル画を趣味にされていて、愛する島の風景を見事に表現していた。
「今度、最後の個展を開く予定なんです。絵は売るつもりはないんです。自分の息子みたいなモノだから。」
個展が終わったら、町役場に寄付をするのだと言った。
年齢を聞くと、12年間前に亡くなった父と同じ歳だった。
「ぼくは、カトリックの信者なんです。」
そういうと、ほんの少しだけ驚いたような顔をして
「これは、不思議な偶然ですね。」と言って
一冊のアルバムを持ってきて、ぼくに見るようにと手渡してくれました。
そのアルバムには、たくさんの写真と
こんなお話しが記されていました。
「江戸時代末期の外海(そとめ)町。
長崎県西彼杵半島にあるこの町で、この民宿のご主人の祖先にあたる廻送問屋の田口徳平治さんはあるとき、海岸の岩場にひっそり佇む3人の男性を目にしました。
よく見るとお祈りをしているよう。
徳平治さんは何をしているのか尋ねましたが、男性たちは用心して口をつぐんだままです。
しばらく話をすると、彼らは隠れキリシタンで翌日には処刑される運命にあるとのこと。
見捨てるわけにはいかないと徳平治さんは、彼らを船にかくまいました。
しかし出航しようとした刹那、役人がやってきて徳平治さん問い質します。
しらを切る徳平治さんに業を煮やした役人は、かくまってあった漁網を槍で何度も突き刺しました。
そのまま船は出航し、沖に出たところで徳平治さんは恐る恐る網をあげました。
すると驚いたことに、3人とも無傷だったのです。
徳平治さんは彼らを小値賀島に連れ帰って雇用人とし、野崎島の舟森に住まわせました。
彼らを最初の住人とした舟森は、下五島の久賀島や奈留島などからも移住者がやってきて、最も多いときには150人を超える集落となりました。
住民は全員がクリスチャン。昭和41年に廃村となるまで、上五島を望む急斜面の集落に造られた瀬戸脇教会で静かな祈りの日々が続いたのです。」
隠れキリシタンを救った方の子孫の方が営まれている民宿に泊まることになった偶然という名の必然にゾクゾクするほどの感動を覚えました。
そして、このご主人は、
「先祖の思いを何とか形にして残したかった。」と
住んでいる小値賀島のとなりの野崎島の舟森集落跡に、野崎港から1時間30分以上の山歩きをしないと行けないようなに急斜面に
私財を投じて
十字架を建てたのです。
隠れキリシタンを助けたご先祖様もこの民宿のご主人もクリスチャンではないのです。
ぼくは、そのアルバムを穴があくほど見せていただきながら
このお恵みに
ほのぼのと
しみじみと
とっぷりと
浸っていました。
四旬節に
この出会い。
神に感謝。
Copyright© 2010 Luke8488