カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『ただそれだけのこと』

2008-02-28 02:10:25 | Weblog
 少し前に


 一年以上前に


 アルバイトをしていたお店の


 系列店に


 お昼を食べようと入った。


 長方形のカウンター席


 なんだかそのお店特有のにおいも懐かしい。


 その昔


 仕事の合間に食べた賄い(まかない)でも


 毎回食べていたくらいお気に入りをチョイスして


 席に着いた。


 マニュアル通り


 おしぼりとお水が提供され


 注文した品の伝票が兼レシートとして


 カウンターに置かれる。


 前払いという決まりでもないのだが


 そのほうが効率が良いのかなと


 微妙に気を使ったりして


 その伝票の上にお金を置いておく。いわゆる「御代済み」状態で。


 対応してくれているのは外国人の女性です。


 いっしょうけんめいです。


 ぼくといっしょくらいに注文した品がとなりの席の女性に提供される。


 ぼくは本を読んでいる。


 ぼくよりちょっと遅く来た人の注文の品が提供される。


 外国人のホール担当の彼女は、ぼくの伝票を確認しているようです。


 「ぼくのメニューのほうが簡単にできるはずなのにな。」と思いながらも本を読んでいる。


 ぼくよりずっと後から来た人の結構手間のかかるメニューが運ばれてくる。


 ベテランのホール担当の日本人のおばさんがどうしてこの状況に気づけないのかなと思ったりしましたが、まあ黙って待ちます。


 ぼくは本を読んでいるのだけれど、ちょっと内心穏やかでは無くなってきていて、目で文字は追っているが、内容は全然頭に入って無い状況に陥っている。


 「この人より遅かったらちょっとね。」と思っていた人の注文品が提供される。


 ぼくは黙って、伝票の上に置いておいた760円を小銭入れに戻して


 コートを持って席を立ち、出口に向かいます。


 その瞬間に


 「ありがとうございました!」という声を背後から浴びせかけられます。


 何についての


 「ありがとうございました!」なんだろうと思いながらお店を出ます。


 その「ありがとうございました!」には意味がありません。


 空腹なので


 食べ物の恨みなので


 なんだかちょっと腹立たしいです。


 状況を把握していない


 形骸化した


 「ありがとうございました!」が癪にさわりました。


 でも違うお店で


 お昼を食べて


 空腹は満たされました。


 ただそれだけのこと。






 神に感謝。
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『こんな一日』

2008-02-25 12:47:53 | Weblog
 やらなきゃならないことが山ほどあるのだが


 どうしてか


 「なんか今日は早く帰ろう。」


 と思いたった。


 まあ、そう思ったんだ。


 スルスルと音がするくらい


 流れに乗って


 タイミングやら


 思惑やらを


 丸め込んで


 蹴っ飛ばして、いや、蹴っ飛ばしてはいない


 電車に飛び乗った。


 案の定


 ケイタイは休むまもなく


 ぼくの胸ポケットでヴーヴーうなっている。


 いつもより空いていてアルコール臭くない電車と


 いつもより混んでいる自転車置き場。


 「あ~、やっぱり早いや。」




 家に帰り着くと


 娘が熱を出して寝込んでいた。


 いつもなら出れないはずの教会の方から電話がきたりする。


 なんだか偶然とは思えないけど


 これがリアル。




 今日は朝、家を出て環七に面した歩道に自転車をこぎだした瞬間にケンカをしている大人たちに遭遇した。


 自転車に乗ってきた同士でよけたのよけないだかなんだか知らないが、自転車を道の真ん中に放り出して、つかみ合っている。


 本人たちはいたって真剣に罵倒しあって、つかみ合っているのだけれど、こどもの同士のけんかより、正直、ダサい。


 醜いというより


 滑稽。


 そんな暇あるのなら


 そんなにチカラが有り余ってるのなら


 誰かのためになることに使えばイイのに


 なんて思いながら


 あっけなく通り過ぎた。


 お二人さんは、月曜日の朝からストレス発散して、きっと良い一週間が始まったことだろう。




 バスの運転手さんが


 しきりに何かを


 ささやいている。


 道路状況やら


 停車時の注意やらを


 丁寧に、すっごく丁寧に


 ささやいている。


 申し訳ないが


 全然聞こえない。


 かえって気持ち悪かったりする。


 だって聞こえないんだもん。


 こちらから努力のしようも無いじゃん。




 こんな一日





 神に感謝。
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『NOからYESへ』

2008-02-21 03:30:44 | Weblog
 言葉を文字にして


 ブログに書き込む


 余裕がない。


 いろいろなことが


 頭の中を駆けめぐっていて


 「あっ、これイイじゃん。」って思った出来事や感覚が


 脳内に刻み込まれるのだけれど、文字に変換できない。






 ちょうど一年前


 自分の仕事に、いや、自分の仕事に対する情熱に、自分自身で「NO」を突きつけた。


 それから一年後


 いまの会社を分社するのでその新会社の代表を務めて欲しいと言われた。


 ぼくは「YES」と答えた。


 いばらの道かもしれない


 ようやくたどり着いた、いや、スタート。


 大切に


 慎重に


 ときに大胆に





 もっと単純に


 流れに乗ろうと思う。


 なんか


 ワクワクするんだから


 そっちを選択してみようと思う。


 背負っている十字架に


 ほんのちょっとだけ


 荷物が増えるけれど


 重たくて身動きとれなくなるかもしれないけれど


 そんなときには


 ごミサに行って


 ぼくの分も


 背負ってください


 と


 神さまに


 思いっきり


 甘えてしまえば


 イイでしょう。


 こわいけど


 こわくない。





 神に感謝。
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『立ち話』

2008-02-18 08:41:14 | Weblog
 日曜日9時半からのごミサが終わって


 四旬節の黙想会があって


 昼間とはいえ


 決して


 暖かいとは言えない


 教会の庭で


 なんだか


 少しずつ


 輪になって


 「寒いよね~。」などと言いながら


 他愛も無い会話で


 盛り上がっている。


 そうすると


 「チョコレート好き?これ作ってみたんだけど。」と


 チョコブラウニー


 (そうそう、やっと覚えたよ、この名前。)


 がギッシリ詰まったタッパーウェアが


 目の前で「パカっ」と開かれる。


 しっとりしていて


 ぼくにはキャラメルチックなフレーバーが感じられて


 みんなにも大好評だったよね


 とってもおいしかった手作り作品にありつけた。


 ごちそうさま。


 なんだかわかんないけど


 立ち話。


 何話すでもなく


 立ち話。


 笑い声。


 教会の庭。






 神に感謝。
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『それ、さわりたいのに』

2008-02-17 23:46:31 | Weblog
 かれこれ20年近く外回りの仕事(いわゆる営業)をしているが



 昔から喫茶店で時間調整をするというのが



 好きではない。



 ひとりでコーヒー飲んで



 あ、そういえば「喫茶店」とか最近は言わないんですかね。



 まあいいや、コーヒー飲んで、タバコ吸って、新聞読んじゃったり、次に訪問する会社の資料確認したり



 最近だったら、ひとりでケイタイと遊んでたり。



 そうそう、最近はオフィスや街中でもタバコ吸えるとこないから



 コーヒーショップとか、ハンバーガーショップなどのファーストフードの喫煙可能スペースか、パチンコ屋さんくらいなんじゃないのかな。



 あと、歩きながらタバコ吸うのは、あぶないし、ダサいからそろそろ気づいてやめましょうね。やさしい人はもうやってない。



 しかしだ



 最近、コーヒーショップがアクセントに非常にイイことを実感している。



 ちょっと、本を読みたいときに



 15分~20分くらい目をとじて休みたいときに



 企画で煮詰まった時に環境をチョッとかえてみたり、でもまた同じ事考えてて、ひらめいちゃったり。


 イスもその時々のニーズに合わせて、ゆったりできるソファータイプだったり、大きな窓際の背もたれの無いモノだったり。



 ついこの前、どうしても読みたい本があって、ゆったりできるソファーが空いているのを確認して、コーヒーショップに飛び込んだ。もちろん禁煙スペース。外回りからの帰りに。



 外が寒いこともあってか、お客さんの回転がイイのです。新宿駅に近くという場所柄もあるのだろうけれど繁盛しているといって良いでしょう。



 となりの席にベビーカーに乗ってねむっているおとこの子とそのお母さんがやってきた。



 寒い中やってきたのだが、おとこの子はぬくぬくした顔で寝ている。



 お母さんは、きっと一息つきたかったのだろう。寒かったし、暖をとりたかったのだろう。テーブルの上を見るとコーヒーカップの他に


 
 水の入ったクリスタルチックなコップが置いてあった。



 良く観察していた訳ではないので、定かではないが、薬を飲みたかったのかもしれない。



 一息ついたそのお母さんが立ち上がって上着を着ようとゴソゴソしたら、ベビーカーのおとこの子が目を覚ました。



 寝起きは、おりこうさんそのもので、ベビーカーから上半身を起こしてお母さんを目で追っている。



 何歳くらいだろう、まだ、しゃべれないみたいだ。「ア~」とか「ウ~」とか、かわいい声を出している。



 ぼくが本から目を離して、その子を見てほほ笑んでるのに気がついたお母さんは、ちょっと意識したのか微妙にアクションがぎこちなくなった。



 もちろん、ぼくはお母さんのところは見ていない。というかパーフェクトに視野に入っているが、目線はその子だ。



 そのおとこの子はテーブルの上に置いてある



 クリスタルチックなコップに興味があるのだ。



 キラキラしているものは気になるんだよね。この頃はさ。



 さわってみたいんだけど



 ベビーカーに乗ってるから、手が届かない。



 お母さんは、気づいてくれない。



 もしかしたら、あぶないから無視しているのかもしれない。



 おとこの子は、ほんの少しだけ「ア~」って声を出したけど



 いっしょうけんめい手を伸ばしてるけど



 お母さんは知ってか知らずか、その欲求には全くノータッチだ。



 「なんで、さわらせてあげないんだろうな。」って思った。



 もしかしたら「しつけ」や「教育」だったのかもしれないけど



 ほかの事考えてて気づけなかったのかもしれないけど



 しゃべれない



 そのおとこの子は



 間違いなく



 「あ~ん、それ、さわりたいのに。」って



 叫んでた。



 「何でも自分の思い通りにはならないものだ。」と感じたのか



 「あの、キラキラしてるのは何だったんだろう。」と興味がインプットされたのか



 「お水を飲みたかったのに。」とおあずけ感に打ちひしがれたのか



 全くもって定かではないが



 全くもって大きなお世話なのだが



 大人どうしの関係性っていうか



 世の中って



 実はこんな繰り返しだよねって思った。



 気づかいとおせっかい



 相手の反応によって



 同じ行為が



 意味を変える。



 「助けて。」に気づける時と気づけない時。



 気づけても自分に余裕が無くって、うまく対応できない時。



 うまく言葉のキャッチボールができなくて、気持ちが伝わらなかったり。



 出会う人がみんな



 ベビーカーに乗った上手にしゃべれない赤ちゃんだったらと仮定してみたら



 理由がわからないけど、大声あげて泣いている赤ちゃんだったら



 ぼくらは何を考え


 何をするのだろう。





 結局、おとこの子は手が届かないままベビーカーに乗せられたままお母さんといっしょに出て行ったのだ。



 コーヒーカップに残った



 最後の一口分のコーヒーは



 すっかり冷たかった。






 神に感謝。
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『先に言ってはダメ』

2008-02-16 04:13:27 | Weblog
 午後2時すぎに



 ようやくお昼を食べられる時間ができた。



 会社から近くにあるお弁当屋さんは



 チェーン店ではないのだが



 逆にそれが良いのかわからないが



 大変健闘していて



 簡単に言うと



 ボリュームがあって、ウマくて、安いのだ。



 タイミングが悪く、いっしょにお昼を食べられそうな人がいなかったので



 第一候補のそのお弁当屋さんに向かって行ったが



 どうやら三人待ちのようなので



 まあ、とりあえず並びのコンビニに入った。



 お弁当屋さんよりもさらに安い



 「豚塩焼肉丼」みたいな名前のヤツをチョイスした。



 うちの会社には電子レンジが無い。



 どう考えても今回チョイスしたお弁当は温かくなくてはイヤだ。



 空いているレジに持っていった瞬間に



 なぜか



 「お弁当温めますか?」って聞かれるのが無性にイヤになった。



 理由など無いんだけど、なぜか猛烈にそう思っちゃったんだからどうしようもない。



 レジカウンターにお弁当を置くやいなや



 イヤミにないトーンで、ぼくは言った。



 何も聞かれてないのに



 こう言った。






 「温めてください。」






 レジカウンターの向こうの男の子が



 はにかんだように



 ぼくにほほ笑み返した。



 その笑顔を見た途端に



 なんだか背筋がゾクっとした。



 彼はおもしろいことを聞いたときの笑いのリアクションじゃなかった。



 なんだか



 うれ~しそうに



 ほほ笑み返したのだ。



 そこでハッと気がついた。



 さっきの「温めてください。」に



 主語が無かったことに。



 彼の



 あのほほ笑みは



 なんだったのか。



 これ以上掘り下げるのはやめておこう。






 神に感謝。
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『ここで朝食ですか?』

2008-02-15 08:43:12 | Weblog
 ストローで飲むタイプの紙パックの飲料ってありますよね。


 チョッと前は牛乳ってイメージだったけど


 最近は野菜系のモノなど、いろいろな商品がラインナップされています。


 たまにすっごくおいしいものに出会ったりすると


 最後の最後の一滴まで飲みたいって思います。


 ストローの長さや


 パッケージの形状によって


 なかなかうまく吸い込めなくって


 でもまだ残ってる感があるので


 ズルズル、ヒュルヒュル、ピューピューと


 ちょっと変な音まで出しながら


 ほっぺた凹ませるほど必死にストロー吸ってることありますよね。





 そのズルズル、ヒュルヒュル、ピューピューが


 朝の満員電車のぼくの背中側から聞こえてくるのです。


 ギュウギュウ詰めの満員電車の中でだよ。


 それも中野坂上を出発してから


 西新宿で前の電車が詰まっていてなかなか進まない


 この状況の中で


 さっきから


 ず~っと必死にストローを吸ってる


 その覚えのある音がしてるんです。


 気になるんだけど


 混んでて後ろも見れないし


 なんだかおかしくって


 ひとり


 半笑いでニヤニヤしてたら


 そっちにばかり


 気をとられてたら


 ぼくの斜め前の女性が


 ぼくをいや~なモノを見る顔して


 じ~っと見つめていた。


 ぼくはそのコントのような状況に


 さらに可笑しくなって


 笑いをかみ殺すのに必死で


 もっと変な表情になってたと思う。


 すると音が止まった。


 満足したのか、どうだったのか。


 もうすぐ新宿だ。




 すると今度は肉まんか、コロッケみたいなニオイがぼくの後ろから


 漂ってくる。


 満員電車でだよ。




 『ここで朝食ですか?』




 新宿駅で電車の扉が開き


 決壊したダムのように


 人が流れ出す。


 ぼくは後ろを結局確認できなかった。


 でも


 モラルとかなんとかってことよりも


 なんだかおもしろかった。


 ニヤニヤしていた。






 神に感謝。
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『チョコレートの日』

2008-02-14 23:45:50 | Weblog
 夜中の25時を少しまわったころ


 丸ノ内線の最終電車が終わってしまったぼくは


 最寄りのJRの駅から


 歩く。


 時間にして


 15分くらいかな。


 爆弾低気圧とやらのせいもあって


 ピキ~ンと冷え込んでます。


 同じ方向に歩いている人もほとんどいなく


 タクシーに乗ってもイイのだけれど


 疲れがドロドロだと認めたくなし


 なんてったってもったいない。


 ここあるかなきゃ自分らしくもないしね。


 自転車をピックアップして家に帰り着く。


 ドアを開けた瞬間から


 甘~い香りが鼻を直撃する。


 なるほど


 チョコレートのニオイだね。


 きっと妻と娘が楽しそうに作ったのだろう


 チョコレートケーキガナッシュっていうのかな


 ラッピングとかセレモニーとか


 そんなものとは縁も無いが


 うまいね~。


 まあ、名称についてどうこうとか、チョコレート会社のセールスプロモーションが起源とか


 もう、そんなことはどうでもイイんです。


 踊らされようが、乗せられようが


 楽しもうが、無関心を装おうが


 何でもイイんです。


 これとは別で


 チョコレートをもらいました。


 やっぱりうれしいものです。


 もらったモノを持って帰って


 何種類も食べ比べたりして楽しいじゃないですか。


 無駄とか


 浪費とか


 バカらしいとか


 不公平とか


 いろいろ考えがあって


 イイんです。


 他愛もないことなんです。


 目くじら立ててもしょうがないんで


 まあ、この次の機会にも


 もらえるようでいられたら


 何を確認し、何に納得するとかじゃなく


 っていうか大したことじゃないって。



 何を書きたかったのか。






 神に感謝。
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『はい、望んでいます。』

2008-02-13 08:52:19 | Weblog
 日曜日のごミサの中で


 洗礼志願式が執り行われた。


 今年も大勢の方が


 「はい、望んでいます。」と


 それぞれの思いのたけを声にした。


 向かっているところの


 ベクトルが一致していくプロセスは


 美しい。


 そこまでの道のりや


 これまでの人生や


 これからの


 実はそれぞれの一瞬一瞬が


 常にやってくる「これから」のための準備期間だったのかも


 考え方というか


 自分という出来事について


 一拍おいて


 いままでとはほんの少しだけ


 異なる目線で見れるようになったりする。


 性格は


 残念ながら


 変わるものではない。


 でも


 信じることは


 「信じます」と宣言することは


 人間に与えられた


 選択肢の中で


 もっとも


 尊い行為だから


 安心してイイ。


 「イイこと」するのに


 何をためらうことがあるのか。


 もうひとりの誰かに


 勧めないのは


 もったいない。




 


 神に感謝。
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『出番か』

2008-02-08 03:24:35 | Weblog
 去年の今頃は


 自分としてはめずらしく


 モヤモヤしていて


 ネガティブモードに突入していて


 周りのバランスまで乱すほどに


 混乱していた。


 沸々と湧き上がる思いを


 無理やり抑えようとしたり


 かといってそれほど強くないぼくは


 ポロポロ、ポロポロこぼれ落ちる不安と闘い


 その現実をごまかすべきなのか


 様々なリスクを覚悟ですんなり受け入れるべきか


 思い悩んでいた。


 ぼくはそれを、そんな状況を誰かに察知されるのが好きではない。


 「どうして話してくれなかったの?」って


 よく言われるし、話せないストレスから


 ヘンな爆発の仕方を無意識に選択してしまったり。


 いまになって思えば


 「すべては用意されていた」のだが


 ホントのホントに気がついて良かったのだが


 まだまだ修行が足りない。





 およそ一年後の昨日の夜




 「さあ、あなたの出番が来ました。」




 と会社人としては


 最大限の賛辞と栄誉


 それとは背中合わせの


 リスクと責任感と覚悟を


 問われる場面に直面した。


 これは


 ひとりで抱えられるものではないので


 しっかり


 じっくり


 前向きに


 家族をはじめ


 いろいろな人と


 相談して


 方向性を


 見出して生きたいと思う。


 ここ半年、目が覚めたようにやってきたことが


 花開くように


 神さま


 お導き下さい。


 ワクワク感を持続させてください。





 神に感謝。
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『塵と塵』

2008-02-06 22:23:01 | Weblog
 ちり



 と



 ちり



 が



 あらそったり



 憎しみあっても



 なんのことはない



 四旬節はじまる。







 神に感謝。
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『たべもの』

2008-02-05 00:21:48 | Weblog
 安全、安心という軸が揺らいでしまうと


 不安になることはたくさんあるのだけれど


 それが『たべもの』だと


 よりリアリティを増す。


 事故なのか、事件なのか


 国産なのか、外国産なのか


 言葉は良くないが


 情報が更新されるたびに


 無責任に


 いろんな切り口で


 噛みついてくる


 TVという皮を被った


 マスメディアが


 新装開店を知らせる


 チンドン屋さんのごとく


 あっち行っては囃したて


 こっち行ってはチラシをばらまいている。


 まるで、小学校低学年のサッカーの試合みたいに。


 ボールの行ったところにみんながワーッと集まる。


 密集になるから


 誰かが勢いよくボールを蹴っても


 いろんな人にぶつかって


 飛び出す方向がわからない。


 それがたまたま「バッチーン」って女の子の顔面にヒットしちゃったら


 みんなオドオド


 どうしたらいいのかわからない。


 なんか


 そんな状態って気がしてしょうがない。


 『たべもの』の話しは身近に感じる


 実際被害にあわれている方々もたくさんいる。


 これが


 もしかして


 政治的な


 大きな問題を隠すために


 煽られてるとしたら


 最近よくある


 そのパターンだとしたら


 いやだなぁ。


 知らないうちに重要法案が衆院通過とかさ。


 まぁ、そんな政治的な偏見なんてどうでもイイや


 『たべもの』を


 『たべもの』の話題を


 「くいもの」にしてるのは


 誰だ。


 冷凍食品を使うことを


 手抜きとか言っちゃってるのは


 どこのどいつだい。


 それにしても


 毎日たべものを口にするぼくらは


 何を根拠に


 目の前のものを


 大丈夫だと思い


 食べているんだろう。


 今日もきっと食事を摂る。


 何事もなく


 空腹感が満たされる。


 



 

 神に感謝。
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『そうだよね』

2008-02-04 22:08:22 | Weblog
 いままで


 なかなか


 信頼関係を築くことが


 できなかったよね


 それを


 他人のせいにしたり


 ツキの無さって都合のイイ言葉にすりかえたり


 苛立ちを


 大声や破壊行為という表現に置きかえたりしてさ


 苦しかったよね


 ようやくここに


 たどり着いたんだよね


 そうだよね


 よかった


 ほんとによかった


 あせらないで


 ゆっくり行こうよ


 先は長いじゃん


 はじまったばっかりじゃん


 そうだよね


 うん


 そうだよ


 


 神に感謝。
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『雪かき』

2008-02-03 18:04:16 | Weblog
 この日曜日も目覚ましに気がつかないで朝ミサの侍者に遅れそうになって


 飛び起きたら


 窓の外が


 輝いていた


 そう


 東京では


 大雪


 自転車で行かなくてはどうにもこうにも間に合わない


 幸いなことに


 山を走ることのないマウンテンバイクは


 こんな時こそとばかりに自分のポテンシャルをパフォーマンスしてくれた


 傘もささず


 帽子もフードもかぶらずに一心不乱に教会をめざす


 侍者の奉仕には間に合った


 さて問題は


 教会入り口の階段と


 体の不自由な方たちの出入りするスロープに積もった雪です


 そりゃあもう無条件に雪かきです


 ほうき


 シャベル


 最後は板切れ


 雪のこと心配して早く来てくれた人もいます


 ブルーシートかけたり


 滑り止めの効果のある玄関マット敷いたり


 みんな必死です


 滑りやすい階段で手を引いてあげたり


 こんな天候だからこそっていう


 やさしさ


 決してパフォーマンスじゃない


 普遍的な


 その一歩


 ぼくは


 単純に


 雪かきで燃え尽きて


 朝ミサの侍者に続いて9時半からのミサの侍者もやらせていただいて


 そのあとに控えていた


 大事なミーティングに参加できる余力も無く


 家に帰ってしまいました


 どうもスミマセン


 簡単に


 無理って


 ジャッジしてしまう


 自分も気持ちが悪いが


 防衛本能みたいなものに


 身を委ねないと


 やってられない


 そんなときもありますわね


 結局


 言い訳かよ





 神に感謝。
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『普通に』

2008-02-02 23:31:48 | Weblog
 土曜日の夜


 どこからともなく


 理由を聞くでもなく


 でもそれぞれの思いを抱えて


 集まれる場所


 そこには


 少しの遠慮みたいなものと


 少しの気づかいがあって


 余裕だったり


 せつなさだったり


 混沌だったり


 孤独だったり


 自己満足だったり


 やさしさだったり


 空気読んでたり


 ただただ流されてたり


 爆発だったり


 不発弾だったり


 様々な思いが交錯したりすれちがったり


 普通に


 ただ普通に


 誰かに誘われたり


 自分から思い切ってみたり


 何かのためになったり


 何のためのにもならなかったり


 期待通りだったり


 期待はずれだったり


 上手く話せたり


 思ったことの半分も伝えなかったり


 なんでもいいんだよ


 いっしょにいられたじゃん


 普通に


 同じ空間に


 誰に否定されること無く


 そこにいたじゃん


 人の出会いはすべて歴史として刻まれる


 お互いが意識しようが覚えていようがいまいが


 確実に刻まれている


 例えば、一年前に初めて話しをしたこととか


 ちゃんと覚えてる人もいるということ


 だからもうひとりぼっちじゃないじゃん


 そんな空間を続けさせていただいている神さまに


 そのみ業に


 心から感謝します



 集まって飲んだり食べたりする



 これが教会です






 神に感謝。
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