新しい自転車を買おうかなと
漠然と考えていた。
明確な理由も無かったので
偶然を装って、きっかけや優先順位を上げる何かを探していたのかもしれない。
後輪のスポークが2本外れてしまっていた。
変速機も十分に機能しなくなってもいた。
それでも移動手段の一つとしては何ら問題も無く、かれこれ5年以上の付き合いだから、たまには洗車などをしてそれなりには大切に扱ってきた。
後輪の3本目のスポークが外れていることに気がついた。
こうなると後輪は明らかに蛇行しはじめて、すぐに修理をしないと危険な状態なのである。
「壊れたらしょうがないな。」
それこそ「きっかけ」を演出する確信犯のような状況がしばらく続いた。
その頃には、新しい自転車のリサーチがどんどん進んで、空いた時間には、自転車屋さんを何軒か見て回ったりして、気持ちは既に別のところに飛んで行っていた。
ある日、何がきっかけだったのか記憶に無いのだが
「やっぱり最低限の修理だけでもしておこうかな。」と思いついたので、近所の自転車屋さんで修理をお願いした。
安心して乗れるという状況となったが、新しいモノへの興味は日に日に強まっていった。
修理をした翌日、冷たい雨の降る日のこと
青梅街道沿いのお店で買い物をしていた少しの時間に店先に置いておいた自転車が無くなった。
青梅街道沿いは、駐輪禁止区域なので放置自転車として撤去されることはわかっていた。以前に持っていかれてしまったこともあるから。
今回もそれを回避するために街道沿いではなく、お店側に止めていたのだ。カギもしてあったと思う。四桁のダイヤル錠ってヤツ。
いちいち面倒なので、端の数字を前後にひとつしかずらさなかったりするので、ラッキーで開いてしまうリスクを承知で。
まぁそれでもきっと放置自転車として回収されてしまったのだろうと、費用は発生するし、何だか納得もいかない状況だけれども
「自転車があれば良し」というところに気持ちを着地させて、翌朝、自転車回収場所の対応開始時間を待ってそそくさと電話をした。
「該当する自転車は預かっていません。」
予想外の返事に一瞬理解不能に陥りそうになった。
東高円寺の駅の周辺をぐるぐるまわって自転車を探したが、見つからなかった。
警察に盗難届けを提出して
その帰り道、ひとりとぼとぼ歩きながら、今回の一連のプロセスがなんだかおかしくて笑った。
そして
ハッとひらめいて、おもしろいところに着地したのだ。
「歩きなさい」と
言われているのだなと。
直せば使えるものを自分のエゴや欲求を満たしたいがために、いまあるものを放棄しようとした。気まぐれで修理した翌日に「それ」が存在しなくなる。誰かに持っていかれてしまったという憤りと、それより何よりも、歩かなければならないという面倒くささにいらだっていた自分を客観的に見たら滑稽だなと。
不思議に、いよいよ新しいモノが、などという感覚が全く湧いてこなかった。
目をふさいでいた両手が取り去られた瞬間だった。
運動不足じゃん。
太ってみっともないじゃん。
いきなりいろいろな現実が目の当たりとなった。
同時にナルシストのストイックというスイッチが
パチンとオンになった。
購買行動のスイッチではなくて
健康のために
歩こう
というスイッチが。
これだから
人生は
おもしろい。
すべてのことには意味がある。
神に感謝。
Copyright© 2010 Luke8488
漠然と考えていた。
明確な理由も無かったので
偶然を装って、きっかけや優先順位を上げる何かを探していたのかもしれない。
後輪のスポークが2本外れてしまっていた。
変速機も十分に機能しなくなってもいた。
それでも移動手段の一つとしては何ら問題も無く、かれこれ5年以上の付き合いだから、たまには洗車などをしてそれなりには大切に扱ってきた。
後輪の3本目のスポークが外れていることに気がついた。
こうなると後輪は明らかに蛇行しはじめて、すぐに修理をしないと危険な状態なのである。
「壊れたらしょうがないな。」
それこそ「きっかけ」を演出する確信犯のような状況がしばらく続いた。
その頃には、新しい自転車のリサーチがどんどん進んで、空いた時間には、自転車屋さんを何軒か見て回ったりして、気持ちは既に別のところに飛んで行っていた。
ある日、何がきっかけだったのか記憶に無いのだが
「やっぱり最低限の修理だけでもしておこうかな。」と思いついたので、近所の自転車屋さんで修理をお願いした。
安心して乗れるという状況となったが、新しいモノへの興味は日に日に強まっていった。
修理をした翌日、冷たい雨の降る日のこと
青梅街道沿いのお店で買い物をしていた少しの時間に店先に置いておいた自転車が無くなった。
青梅街道沿いは、駐輪禁止区域なので放置自転車として撤去されることはわかっていた。以前に持っていかれてしまったこともあるから。
今回もそれを回避するために街道沿いではなく、お店側に止めていたのだ。カギもしてあったと思う。四桁のダイヤル錠ってヤツ。
いちいち面倒なので、端の数字を前後にひとつしかずらさなかったりするので、ラッキーで開いてしまうリスクを承知で。
まぁそれでもきっと放置自転車として回収されてしまったのだろうと、費用は発生するし、何だか納得もいかない状況だけれども
「自転車があれば良し」というところに気持ちを着地させて、翌朝、自転車回収場所の対応開始時間を待ってそそくさと電話をした。
「該当する自転車は預かっていません。」
予想外の返事に一瞬理解不能に陥りそうになった。
東高円寺の駅の周辺をぐるぐるまわって自転車を探したが、見つからなかった。
警察に盗難届けを提出して
その帰り道、ひとりとぼとぼ歩きながら、今回の一連のプロセスがなんだかおかしくて笑った。
そして
ハッとひらめいて、おもしろいところに着地したのだ。
「歩きなさい」と
言われているのだなと。
直せば使えるものを自分のエゴや欲求を満たしたいがために、いまあるものを放棄しようとした。気まぐれで修理した翌日に「それ」が存在しなくなる。誰かに持っていかれてしまったという憤りと、それより何よりも、歩かなければならないという面倒くささにいらだっていた自分を客観的に見たら滑稽だなと。
不思議に、いよいよ新しいモノが、などという感覚が全く湧いてこなかった。
目をふさいでいた両手が取り去られた瞬間だった。
運動不足じゃん。
太ってみっともないじゃん。
いきなりいろいろな現実が目の当たりとなった。
同時にナルシストのストイックというスイッチが
パチンとオンになった。
購買行動のスイッチではなくて
健康のために
歩こう
というスイッチが。
これだから
人生は
おもしろい。
すべてのことには意味がある。
神に感謝。
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