カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ』

2006-10-25 11:58:22 | Weblog
 我が家の天使(娘)ちゃんは




 「やらなきゃいけないこと」や「課題」が




 とんでもなく多い。




 いまどきの子供はみんなこんなことになっているのだろうか。




 そういう環境を提供しておいてこんなこと言うのも「いかがなものか」だけれど、「ぼくが子供の頃だったらこんなのイヤだ。」と思う。




 悲しいかな「あれをやっちゃダメ、それをやっちゃダメ」ではなく




 「あれもやらなきゃダメ。これもやらなきゃダメ。」っていう




 結構ぬかるんだ、水を張ったばかりの田んぼの中のような、ゴキブリホイホイのベタベタした部分のようなところを悪戦苦闘しながら歩いている毎日なんじゃないかなと思ったりする。




 当然大好きなTVも、DSもやっている時間など無く非常にストレスのかかる日常を送っている。




 かわいそうだが、いたしかたないというか、困ったものだ。




 父親はドッシリ構えて、何があっても大概のことは「おー、よしよし。」ってしてればイイのだろうけど




 あまりにも教育的指導を受けているのを頻繁に目の当たりにすると



 
 この次はそんなこと言われないように先回りしてアシストしてあげたくなってしまって、ついつい細か~いところまで口出しをしてしまう。




 それが結局、娘の逃げ場をふさいでしまっていることに気がつかずに。




 「その口調で話すの止めないか。お互いに。」




 「あなたは、無責任にそんな風に言ってるけど・・・」







 あらためて思う。




 ぼくは放任主義で自由奔放に育てられていたのだと。



 田舎は勉強よりもスポーツができちゃったりするほうが見栄えがイイ。




 父には「勉強しろ。」なんて一度も、ほんとに一度も言われた覚えが無い。




 「そんなことよりバット持って、素振りのひとつでもしろ。」って。




 「おたくの息子さん新聞に載ってたね~。」と近所の人に声をかけられて、ニコニコする父と母の姿がうれしくて野球、バスケットボール、陸上競技、水泳と掛け持ちしてパフォーマンスを披露した。



 ぼくらの時代は理論より根性だった。



 でもしっかりと今の立ち位置の「いしずえ」になっている。



 そして親になって「女の子」を授かった。



 はじめて経験する「ひとの親」。



 田舎での経験値など何の役にも立たない首都東京。



 親離れが始まる子供。



 子離れができない親。



 何度も書くが、ラッキーなことと言ってしまって良いのだろうか?だけけど「同じ信仰」を持っているのには救われる。



 これから家族そろって、各個人でいまより過酷な試練や困難なことに遭遇することもあるかもしれないが



 「ベクトル」というか



 「軸」がぶれることは無いのだろうなという



 「安心感」がある。





 今日も朝からバトルモード突入してた。内容は大したものじゃないのはみんなわかってる。



 家族はオモシロイ。







 神に感謝。
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